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その日は、からりとよく晴れた、雲一つ浮かんでいない快晴の朝だった。ひよは鏡に向かいながら、髪型を整えていた。今日はどのヘアゴムにしようか、と、アクセサリーケースに伸ばした手が少しの間、迷うようにうろうろ。
よし、これにしよう。手に取ったのは、お気に入りの猫。いくつか種類がある中で、とりわけ猫モチーフのものが多いひよのアクセサリーケース。自身も猫目がちだからだろうか、妙に愛着があるのだ。きゅ、と結んだあと、おかしなところはないか再度チェックをする。
念入りにチェックするのには、理由があった。
今日は彼と、ピクニックデートだからだ。
鏡の前で、服装の最終チェックをする。
彼女の誕生日や、記念日などの祝い事が3月、4月に続いたが、ちょうど新学期の時期と重なっていて、なかなか落ち着いてゆっくりとお祝いすることができなかった。そのことを気にしていた柳生が、「きちんと祝いたいから」と、ひよを今日のピクニックに誘ったのだ。彼の気持ちが嬉しくて、ひよは二つ返事で了承し、今日、その日を迎えている。
ピクニックだから、動きやすいカジュアルな服装のがいいだろうと、クローゼットを開ける。どれにしようか。いくか引っ張り出しては、鏡の前で合わせてみる。せっかくのデートだから、カジュアルだけど可愛さも取り入れたい。なんて、コーデを組むのに頭を悩ませた。しかし、好きな人に可愛いと思ってもらいたい、そんな乙女心。この時間が、案外楽しい。
そして数分悩んだ末に選んだ服は、ストライプ柄のレモンカラーのブラウスに、細身の濃紺のデニム。といった動きやすい服だった。靴はスニーカーだけど、刺繍レースのシースルーとなった、かわいいスニーカーにすることでシンプルさの中にほんのりとした甘さをプラスさせた。満足気に頷いたひよは、早起きして作ったおにぎりなどのお弁当が入ったバスケットを手に、家を後にした。
待ち合わせ場所に向かう道中、弾む足取り。
何度デートを重ねても、好きな人との待ち合わせは、ドキドキするものだ。きっと一生、彼との待ち合わせでドキドキしているんだろうな、などと思いながら、ひよは目的の場所へとたどり着いた。そこには、もうすでに大好きな人の姿があった。
静かに本を読みながら、ひよのことを待っている柳生を見て、胸が甘くときめいた。頬が弛んでいくのがわかる。
好きな人に会えた。それだけでこんなにも、嬉しい。
たっ、と駆け出し、「柳生くん!」と、彼の名を呼ぶ。
読んでいた本から顔を上げ、柳生は声のした方へ視線を向けた。ぱたぱたと、嬉しそうに元気よく手を振りかけてくる、愛しい恋人の姿を確認すると、彼の頬も、自然と弛んでいく。ぱたん、本を閉じる。
「おはようございます」
「おはよう!ごめんね、待たせちゃった?」
「いいえ、大丈夫ですよ」
楽しみで早く来すぎただけです。
そう言ってメガネを押し上げる仕草をする柳生のそのストレートな言葉に、ひよの頬はほんのりと桃色に染まる。
「今日、晴れてよかったね!」
「ええ本当に。」
行きましょうか。柳生に促され、ひよは、うん、と、大きく頷いた。彼の隣に並ぶと、柳生はさりげなく彼女の持つバスケットを攫う。
「重くないから大丈夫だよ?」
「女性にだけ荷物を持たせるわけにはいきません」
「ありがと」
ここは甘えておこう。そう思ったひよは、素直に感謝を告げる。そんなに重くないから本当に平気なのだが、彼の優しさを無碍にはしたくない。
それから空いた片方の手は、ひよの手を握ることで塞がれた。自然と絡む指と指。柳生の大きな手は、ひよの手をすっぽりと覆ってしまう。男の子らしい、骨ばった、テニスをするせいでいくつもの豆ができた、少し硬い手。ひよは彼のその手が、大好きだった。
強豪であるあの立海テニス部のレギュラー入りをするほどの実力者。その強さは、努力なしでは手に入らない。だから、柳生の手のひらにできた豆はその努力の証なのだ。
大好きな手に包まれて、幸せで満たされる。
目的地へと向かう間、他愛もない話をして盛り上がった。
「あ。ちょっと待って、紐が解けた…!」
電車を乗り継ぎ、目的地まであと少し、という時、ひよの履いていた靴の紐が解けてしまった。立ち止まる2人。
ひよが紐を結ぼうとかがむより早く、柳生が彼女の前に屈んだ。
「え、」
「結びますから、じっとしていてくださいね」
「……」
まるで小さな子供に言い聞かせるような優しい言い方に、ひよはほんの少し、むくれた。
「はい、できました。この靴、かわいいですね」
「……ありがと」
「ひよ?」
「柳生くんまた私のこと子供扱いしてる」
彼女の華やかな雰囲気のせいか、天真爛漫な明るい性格のせいか、比較的落ち着いた雰囲気を持つ柳生は、時々ひよのことをこうして子供のような扱いをする。
ひよはそれが、時々悔しくて仕方ない。彼女なのに。同い年なのに。妹だと思ってないか、なんて。思ってしまうのだ。しかし柳生は彼女のことを妹、だなんて微塵も思っていない。ただ、不思議と世話を焼きたくなるのだ。からかい甲斐があるのも理由の一つではあるが。
「すみません、つい」
謝罪と共に、柳生はひよの頭をぽん、と撫でる。
「あっほらまた!」
「ふふ、すみません」
「わざとだな!?」
「さぁ、行きますよ」
「〜〜もう!」
意地悪!そう言ってさらにむくれるひよ。
柳生は口元に笑みを浮かべながら、彼女の手を引き、歩き出した。むくれながらも、大人しくついてくる彼女がかわいくてたまらない。さて、この機嫌をどうにかして直さねば、なんて、楽しそうに思案するのだった。
――――
それから数分。ようやく目的地へとたどり着いた。
そこは緑豊かな、自然公園。
「わぁ…!」
季節の花や草木、四季を感じることのできる庭園も併設されていて、さらにはウォーキングを楽しめる散歩コースもあるらしく、老夫婦がおしゃべりをしながら散歩をしている。その横を通り過ぎると、今度は犬を散歩させている人とすれ違い、さらには小さな子供と手を繋いで歩く家族ともすれ違った。
広い広場に目を向けると、子供たちのはしゃぐ声がこだましている。楽しそうに駆け回っていたり、バドミントンをしていたり、キャッチボールにサッカー。遊具もあるみたいだ。雰囲気だけで、そこがいかに楽しい場所かがわかる。
ふいに、どこからか飛んでくるシャボン玉。
「あ、シャボン玉〜!」
陽の光を反射させ、虹色に輝くシャボン玉を目で追いかける。シャボン玉は、2人の周りをふよふよと周回したのちに、ぱちん、と、弾けてしまった。
「すごい、賑やかだね!」
「そうですね」
お昼にするにはまだ早い時間なため、2人はこの自然公園をぐるりと散策することに。のんびりと喧騒の中を歩きながら、景色を楽しんだ。大きな池には、鯉がいて。パクパクと口を開けてエサを待っている姿がかわいくて、ひよは声を上げて笑った。
「あはっかわいい!」
「丸々していますねぇ」
「ね、そこがまたかわいい。ごはんたくさんもらえるから肥えていくんだろうね〜」
その池は綺麗に整備されているらしく、水が透き通っていた。太陽の光を受け、水面がキラキラと輝いている。
眩しそうにその光景を眺めていると、鴨の親子が目の前を横切った。ひよの目が、その鴨の親子を捉える。
「あっ鴨だ!かっわい〜!」
一生懸命母鴨の後をついていくヒナたち。
その必死な様子がかわいくて、かわいいかわいい、と、ひよははしゃいだ。その後、ひよは野良猫を見つけてテンションがハイに。四季折々の花や草木を楽しめる庭園では、薔薇の花やビオラ、パンジー、マーガレットなどのこの時期に咲く旬の花たちの可愛さ、可憐さ、華やかさに見惚れた。
「綺麗〜」
「ええ、本当に」
手入れの行き届いたその庭園は、まるで花畑だ。
美しい花畑を眺めるひよの横顔を、柳生はそっと盗み見た。彼女のくるくると変わる表情。感情表現豊かで、明るくて、元気。そしていつも楽しそうな笑顔が好きだった。
彼女がはしゃいでいるのを眺めるのが好きだった。
本人は時々、それを子供っぽい、と、気にしているようだが、柳生はむしろそこがいいとさえ思っている。
ふと、そのことを本人に伝えたことはあっただろうか、と考えた。思えば心の内に留めるだけで、言葉にしたことはあまりないかもしれない。いつか機会があれば、必ず伝えよう。そう、心に誓った。
「(あなたのその笑顔が、大好きだと)」
柳生はそっとメガネを押し上げる。
広い公園を一周するにはまだまだ時間がかかりそうだ。
時計を見れば12時を少し回った頃。お昼にするにはいい時間になっていた。2人はお昼にしよう、と、座れる場所を探した。
やがて少し先にある小道に入る。一歩踏み入れると、そこは先程の喧騒が嘘のように、静寂に満ちていた。ここは子供たちよりも大人が多いようだ。木陰のベンチで座っているおじいさん、ランニングをする若者、手を繋ぎ、散歩をするカップル。犬と追いかけっこをする家族。レジャーシートを広げ、自分たちと同じようにお昼にしようとお弁当を広げる家族や友人同士の集い。
遠くから聞こえる子供たちのはしゃぐ声がまた、癒しのように感じられる。穏やかな空気が、そこには流れていた。
2人は運良く、人がいない木陰を見つけた。
周りには人がおらず、絶好の場所だ。
もってきたレジャーシートを広げる。2人が寝転んでもまだ余裕があるほどの、大きなシート。お尻が痛くならないように、という気違いからできているそのシートは、確かに座り心地がよく、長時間座っていても大丈夫そうなほど、柔らかい。
「バスケットずっと持っててくれてありがとう」
「いいえ、これくらいどうってことありません」
「お弁当作ってきたんだ!おにぎり!」
じゃーん!そんな効果音をつけながら、蓋をあける。
覗き込むと、そこにはパンダおにぎりに、わんこおにぎり。いわゆるデコ弁、というものだろう。それに加えてタコさんウインナーに卵焼き、といった、定番のおかずたちが並ぶ。とてもかわいいお弁当だった。
「これは…すごい」
「えへへ頑張ったの!特にこのわんことパンダ!力作!どう?」
「ええ、とても上手で…こんなにかわいいと食べるのが勿体無いですね」
初めて作ったデコ弁は、それなりに上手く行ったと自負していたひよ。どや!と自慢気に胸を張る。
柳生はそんなひよを見てくすりと笑う。ここで頭を撫でたら、またむくれるだろうか。むくれるのだろう。
その顔もまたかわいいからどれだけむくれようが柳生には全く効果はないのだが。そんなことを、ひよが知る由もなく。
「食べよ食べよ!お腹すいちゃった」
「そうですね。では」
「いただきまーす!」
「いただきます」
2人揃って丁寧に手を合わせ、各々好きなものに手を伸ばした。柳生はパンダおにぎり、ひよは卵焼き。
柳生がぱくり、と、おにぎりを一口かじる。その瞬間を、ひよは、はらはらそわそわ見守った。
「どう?塩加減とか、平気?」
「ええ、絶妙な塩梅で、とても美味しいですよ」
「よかった…!あ、ねぇ卵焼きも食べて!ちょっと味に自信あるんだ〜」
「…それでは一つ」
ひよに促され、卵焼きを口に入れる。
ほんのり甘く、けれど出汁のよく効いたその卵焼きは、絶品だった。美味しい、と、驚く柳生。ひよはへへーん、と、得意顔だ。
「いちばんの自信作だよ!」
パンダや犬のおにぎりよりも、卵焼きの方が苦戦したらしい。けれど頑張った甲斐あってか、味に対してすっかり自信をつけたようだった。
今日のために頑張ってくれたことに、柳生の胸にじんわりと、温かい気持ちが広がる。愛おしさで満ちていくのがわかった。
「ありがとうございます」
「ふふふ。どーいたしまして!」
むしろこんなことしかできない。それに、こんな素敵な場所に連れてきてくれたことにお礼を言いたいのは私の方だ。そう思うひよだったが、柳生のその感謝の言葉は、心からの気持ち。それがとても嬉しい。だから無下にはしない。心ごと、ありがたく受け取った。
それから綺麗にお弁当を平らげた2人。
ごちそうさまでした、と、揃って手を合わせ、昼食を終えた。おやつに、と思って持ってきたお菓子がまだバスケットに入ってはいるが、さすがに今はお腹に入らない。これはあとで食べよう。そう思って、そのままバスケットの中にいてもらい、しばらく休憩タイムに。
ぼーっとしているのもいいけれど、体動かす方がいいかも、と思ったのは、ひよだけではなかったようだ。
柳生が、「少し休んだら体を動かすために、散歩を再開させませんか」と提案してきた。
「私も同じこと考えてた!」
「ふふ。以心伝心、ですね」
「ね!」
微笑み合うと、さっそく、立ち上がる。
その立ち上がるタイミングさえもほぼ同じで、2人は顔を見合わせ、おかしそうに笑った。
シンクロしているみたいで、面白い。その反面、心が繋がっている感じもして、嬉しくもあった。
付き合う前よりずっと、こうしてシンクロすることや考えていることが同じなことが増えた気がする。夫婦は似る、とよく聞くが、恋人同士でも似ていくのだろうか。
なんにせよ、好きな人と思考回路が似ていることは光栄なことである。
自然と手を繋ぎ、指を絡めて歩き出した2人は、まだ回れていない場所へと足を向けた。
喧騒からさらに離れ、辺りはただ鳥の鳴き声と、風に揺られて草木がさわさわ、ざわざわ。そんな音を奏でているのみ。穏やかで、静かな空間。人もほとんどいない。
いるのは、時々ふらりと現れる野良猫くらいか。ひよは猫に出会うたびに、「猫ちゃん〜!バイバイ」と、手を振る。猫は不思議そうに、彼女を凝視する。その目が、“なんだこの人”と言っているようで、とても面白い。
やがてぐるりと公園内を一周したらしい。いちばん初めの、大きなメイン広場に戻ってきた。
相変わらず、賑やかなその広場。午前中よりも増えた気がする。子供たちの甲高いはしゃぎ声を背に、2人はシートを敷いたあの場所を目指す。
その途中、2人の足元にサッカーボールが転がってきた。
ひよはそのボールを拾い上げる。
「すみません〜!」
小学生くらいの男の子が、申し訳なさそうに駆け寄ってきた。
「大丈夫だよ〜はい、どうぞ」
「ありがとうございます!」
その子にボールを手渡し、見送ったあと、今度はゴムボールが転がってきた。
「あれ。このボールはどこからだろ」
「…あの子では?」
柳生が指差す先には、よちよちとおぼつかない足取りでこちらに向かってくる、まだ1歳か2歳くらいの小さな小さな男の子。どうやら彼がこのボールの持ち主らしい。
「かわいい〜!」
しゃがみ込み、その子にボールを返すひよは、小さな子供のかわいさにすっかりメロメロになっていた。男の子も人懐っこい子のようで、小さな歯を覗かせてにこっと笑い、バイバイ、と、手を振る。母親に手を引かれ、父親の待つ場所まで戻るそのよちよちとした歩き方を眺めながら、はぁ、と、うっとりしとしたため息をこぼした。
「赤ちゃんってほんとかわいい」
「あの年齢は赤ちゃんではない気もしますが」
「1、2歳なんて赤ちゃんみたいなもんだよ〜」
ケラケラと笑うひよに、つられて柳生も笑う。
彼女は、案外面倒見がいい。小さな子供に向ける優しい笑みに、密かにときめいたのは絶対に誰にも言わないでおこう、と、柳生は心に誓う。
それから元いた場所へ戻ってきた2人は、おやつにしよう、と、お菓子を広げた。クッキーにマドレーヌといった焼き菓子は、ここへ来る途中に見かけた洋菓子店で買ったものだった。お菓子も作ってこればよかったなぁ、と、ひよは思ったが、お弁当だけで精一杯だったため、そこまで頭が回らなかった。お菓子はまた今度にしよう。そう心の中で一人、思考を完結させた。
「ん!これ美味しい〜!」
一口齧ったクッキーは、口に入れた途端にほろりと優しくほどけていく。その食感に、ひよは目を輝かせ、柳生にもこれ食べてみて!と、勧める。
「はい、あーん」
「……」
柳生はまぁるい形をしたそのクッキーを口元に差し出され、一瞬躊躇する。が、ひよは純粋な眼差しで早くはやく、と、彼がそれを口に入れるのを待っている。
観念したように笑うと、彼女が差し出したクッキーをぱくり。食べた。その瞬間、柳生の唇が、ひよの指先に軽く触れる。
どきり。彼女の心臓が、大きく跳ねた。
「ほぅ…これはなかなか…面白い食感ですね」
甘すぎなくて、素朴な優しい味わいのそのクッキーを気に入ったようだ。柳生はもう一つ袋から取り出している。
その間、ひよはドキドキと高鳴る胸を落ち着けるのに必死だった。指先が、じんわりと熱を帯びている。
指先に触れた彼の唇の柔さに、ふとキスをした時を思い出してしまったのだ。それを思い出した時、キス、したいな、なんて。思ってしまった。私はなにを考えているんだ、と、慌ててその煩悩を打ち消す。
「こ、こっちのマドレーヌも美味しそうだね!」
「ええ、そちらもとてもしっとりしていて、美味しかったですよ」
「私もそれ食べる〜!」
それから、二人はしばらくゆったりとしたおやつタイムを過ごした。お菓子もなくなり、他愛のない話をしている時、そうだ、と、柳生はひよに、可愛くリボンが施された袋を差し出した。
「え、なぁにこれ」
「プレゼントですよ」
「え?」
「せっかくの記念日デート、ですからね」
「…いいの?」
「もちろん。」
「ありがとう!すっごく嬉しい!」
嬉しそうに頬を赤らめ、満面の笑みを浮かべるひよ。
柳生は彼女の笑顔を見て、優しく微笑んだ。
ああ、その顔だ。その明快な笑顔が大好きなのだ。彼女の笑顔は、ぱっと咲く、大輪の花のようだ。元気いっぱいに咲く花。ひまわりに近い。彼女の笑顔が、柳生にとって生きる力にもなっていることを、きっとひよは、知らないだろう。彼女が明るく笑ってくれている。それだけで、なんだってできるような。そんな気がしてくるのだ。
「ね、開けていい?」
「ええ」
袋を開けると、それは万年筆だった。
「かわいい…!」
どうやら、ひよをイメージして自分で素材を選んだらしい。オリジナルの万年筆が作れる専門店があるんだとか。
好きな人や推しの概念やイメージ、モチーフで、自分で作る万年筆。それは世界に一つだけの万年筆となる。
そんなお店があることを初めて知った。そして、柳生が自分をイメージして選んでくれた、その事実が嬉しくて嬉しくて。一生の宝物だ、と。その万年筆を胸にぎゅっ、と、抱きしめた。
「ありがとう柳生くん!」
「喜んでいただけて何よりです」
「ふふふ。あ。そういえば…」
「?」
ふと、なにかを思い出した様子。
ひよは、くす、と笑いながら、あのね、と、口を開いた。
「この間の私の誕生日に、真田くんからプレゼントもらったんだけど」
「…真田くんから?」
「そう!まだ話してなかったよね?」
「そうですね、初耳です」
「そのプレゼントがすごく真田くんらしくて…なんだったと思う?」
「……そうですね……真田くんらしいもの…というと………」
さすがに部員全員に渡しているあの“真田の書”ではないだろうし、彼らしいプレゼント、とは。頭を悩ませる柳生に、ひよは「参考書!」と、答えを出す。
「参考書、ですか?」
「そう!“里山、誕生日おめでとう。これをやる。”って言って渡してきてね。」
「……へぇ」
「中身たら参考書で!笑っちゃった」
しっかり勉強するように、って最後に言い残してったよ。
しかも私の苦手な教科の参考書で…
そう言って、おかしそうに、困ったふうに笑う。そんなひよの話を、柳生はなぜか、優しい気持ちで聞くことができずにいた。心の中にじわじわと広がるモヤの正体がなにか、彼は気づいている。
「誕生日プレゼントに参考書って、渋いけど、真田くんらしいな〜って………柳生くん?」
彼の雰囲気に気がついたひよは、どうかしたの、?と、柳生の顔を覗き込む。彼のメガネの奥の切れ長の瞳には、嫉妬の色がちらついていたが、ひよにはそれが、怒ってるように見えて不安気に眉を下げる。
「…柳生くん、?」
「…いえ、すみません、怒ってるわけじゃ」
慌てて弁解をすると、ほっとした顔をしたのちに、もしかして、と、一つの仮説に辿り着く。
「……じゃあ…やきもち?」
「……ええ、お恥ずかしながら」
そう言って、すみません、と、謝る柳生。
友人であり、部活仲間である人物に嫉妬なんて。らしくない。そしてスマートで紳士的な態度でもないことに、申し訳なさが募る。しかし、ひよはなぜか嬉しそうだった。
「ふふふ。柳生くんが嫉妬なんて。珍しい〜」
それほどまでに彼はひよのことが好きなのだということがよくわかって、愛されていることを実感した。
しかし、彼氏と二人きりの時に他の男の話をするのは確かにいい気持ちしないな、と、ひよは自分に置き換えて考えてみて、嫉妬するその気持ちが痛いほどわかった。
ごめんね、と、彼の胸に飛び込む。突然飛び込んできたにも関わらず、柳生はよろけることもなくしっかりと、彼女を抱き留める。その腕の力強さに包まれると、居心地のよさに安心感を覚え、ついつい、もっと抱きしめてほしい、と、甘えるように擦り寄ってしまう。
「好きだよ柳生くん」
そうして、心に芽生えた気持ちを素直に声に乗せて、彼へと投げかけた。
「私もですよ」
お返しのその言葉を聞いて、ひよははにかむように笑う。
柳生は、目を細めて、ひよの頬に手を伸ばす。
するり。と、彼の大きな手が彼女の頬を撫で、やがてその手は、ひよの顎を軽く持ち上げた。突然の至近距離、そして王道の顎クイ、というシチュに、ひよの頬は一気に赤く染まる。
「や、柳生く」
それっきり、言葉が途切れる。
静寂の中、風が草木を撫でる音と、鶯の鳴き声だけが響く。優しく塞がれた唇が、静かに離れた。
「……っ」
「…おや、顔が赤いようですが、」
「柳生くんのせいだよ!?」
「私ですか?そんな人聞きの悪い…」
それに、と、柳生は珍しく意地悪に笑いながら、ひよの耳元に形のいい唇を寄せた。
「こうしてほしい、って思っていたのはあなたの方では?」
「!!」
見抜かれていたことに、驚きを隠せない。
確かにひよは、おやつタイムの時に思った。キスしたい、と。まさかそれに気づいていたなんて。
「そ、それ、は!そうだけど!」
否定はできない。だって事実だから。
しかしこうもはっきり言われると、照れるのは仕方ないだろう。いつになく意地悪なのは、先程の仕返しなのだろうか。
「う〜、柳生くん、案外根に持つタイプだよね」
「あなた限定で、ですけどね」
「ずるい〜!」
そんな甘い言葉、ずるい以外の何者でもない。
なんてずるい男だろう。彼には一生敵わない気がしてきた。さすが、ペテン師とダブルスを組むだけある男だ。
してやられてばっかりなのは悔しくて。やけくそ満載で、今度はひよから、彼の頬へと唇を寄せた。
ちゅ、と、柔らかい彼女の唇の感触と、近づいた時にふわりと香る彼女の匂い、そして、唇ではなく頬に、といういじらしさ。それだけで柳生の胸は十分にノックアウトされているのだが、それを彼女に悟らせないように振る舞うのが抜群に上手い。ひよの目には、余裕たっぷりに映っていることだろう。悔しそうに頬を膨らませている。
そろそろ意地悪するのをやめないと、ご機嫌斜めになってしまう。そう判断した柳生は、「ひよ」と、甘く優しい声音で彼女の名前を呼ぶ。
ふいに優しく名前を呼ばれ、顔を上げた瞬間、また、唇が塞がれた。
何度も何度も、離れては触れて、を繰り返す。
さすがに恥ずかしくなってきたひよは、柳生の胸を軽く押してもうおしまい!と、終了してくれ、と仄めかす。
「誰か来たらどうするの!外だよここ!」
「もうほとんど人はいませんよ」
「そうだけど…!いやそうじゃなくて…!」
気がつけばもう、日は傾いていた。
鮮やかで雲ひとつなかった青空は、優しいオレンジと赤のグラデーションに変わっていた。真上にあった太陽は、半分だけしか顔を出していない。鮮やかな黄昏色に染まる空。オレンジと赤。それをぼかしたような、水彩のようなそのグラデーションの空は、幻想的でとても、綺麗だった。
どうやら随分と長い時間、この公園に滞在していたようだ。賑やかだった人々の喧騒や、子供達のはしゃぐ声は今はもう、ほとんど聞こえない。聞こえるのは、草木が風で揺れる葉の音、カラスの鳴き声、それから、二人の息遣い。元々人が少ない場所を選んでいたから、ここに他の人が来ることもなく、もはや二人だけの世界になりつつあった。
触れるのも、触れられるのも嫌ではない。むしろ好きだ。大好きな人とのスキンシップは、いちばん幸せな瞬間でもある。いつのまにか抗議することをやめたひよは、束の間の二人だけの世界に身を委ねることにしたらしい。ここが外だということは承知しているが、ちょっとだけ。少しだけ。二人の世界に浸らせてほしい。お願い誰も来ないで。そう願いながら、ゆっくりと、瞼を閉じた。
彼の甘い口付けが降ってくるまで、あと3秒。
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