今日から屋敷の中が慌ただしくなると、屋敷の主であるしのぶ様が仰っていた。何やら、先日の任務で酷く負傷した隊士様が数名おり、その方々の受け入れ先がこの蝶屋敷なんだとか。ここで働く自分の務めは、生きて帰って来てくださった隊士様達の手助けをすること。
まずは負傷された隊士様の様子を見てこなくては。確か、三人いる内の二人は既にここに到着していて、一人は別件を済ませた後に運ばれてくるという話だった。先に運ばれてきた二人も片方は鬼の毒で手足が縮み、普通の生活は困難。もう一人は体の負傷と言うよりかは喉の負傷が一番に目立ち、上手く話ができないらしい。
二人が療養している大部屋に足を踏み入れると、そこには空きベッドがいくつもに並んでおり、その内の一つを除いて人の姿はなかった。他の空きベッドとは違い、とあるベッドには猪の人形みたいなものが横たわっている。猪という野性味溢れる見た目のお人形が、しっかりとパジャマを着ており、ベッドに両手を出して横たわっている様は不意に心をくすぐられた。
「か、かわいい……!これは隊士様の気が滅入ってしまわないようにと、しのぶ様のお考えかしら……!」
つい好奇心に勝てず、猪の眠るベッドに近づくと、つんつんと猪の頬に触れた。フサフサ、ゴワゴワとした毛並みが驚くほどに本格的で癖になる。最初はつっつくだけだった指先もいつの間にか、手のひらで触れるように毛羽立つ頭を繰り返し撫でていた。
「ふふ、ふかふかのお布団で気持ちいいね。それにしっかりとお洋服着てえらいえらい」
でも、おててはお布団にちゃんとしまおうね。と出しっぱなしになっていた手に触れると、不意に握り返される感触がして言葉を失う。ぎゅっと握られ、ほのかに温かくて、人のように柔らかい。
「……オレハ、ガキジャネェ」
しゃがれて聞き取りづらい声は、人形だと思い込んでいた猪から聞こえてきた。確かに握り返した手の感触、まだ弱いものの掴んで離さない様子に唖然としていた。まだ状況が上手く飲み込めないが、不思議とこの手を振りほどこうとは思えなかった。
「あなた、しゃべれるの……?」
こくり、と一度頷く。しかし、あまり大きな反応ではなかった。先程のガサガサとした声に、猪の被り物をしているこの相手が喉を負傷した人物だと気付いた。可哀想に、とても喋りづらそうだ。それに心なしかあまり元気がないように思える。
「あの、さっきは勘違いして、ごめんなさい。わたし、あなたのこと、しのぶ様が用意したお人形だとばかり……」
「イイヨ、ベツニ、」
「ありがとう」
「……ドウイタシマシテ」
心が萎れている、一人ぽつんと広い部屋のベッドに体を預けている彼の姿に胸が痛む。きっと体の傷はここに居れば、しっかり治ってくれるだろう。しかし、心だけはそうはいかない。何か自分に出来ることはないかと、黙り込んだ猪の横顔を見てひとつ閃くことがある。
重ねた手はそのままに、もうひとつの手をまた同じように毛羽立つ頭に乗せた。彼はぴくりともしないが、額から後頭部にかけてゆっくりと優しく撫でれば、重ねた手が不意に強ばった。ぎゅっとした感触は彼の手によるもので、それに見間違えかもしれないが、辺りにほわほわと漂う何かが見える。
「嫌なら言って。すぐやめるから」
「……コノママデイイヨ、」
「優しいね、ありがとう」
またひっそりとほわほわが浮かぶ。なんとなく、だが、うれしいのではないかと思う。勿論、相手は人喰い鬼と戦う隊士様だって、年相応の幼さが残っていても不思議じゃない。寧ろ、年相応以上に振る舞う姿を知っているから、出来る限りの手助けをしたいのだ。
手のひらが硬い毛の感触に慣れた頃、うつらうつらと船を漕ぐ姿が見受けられた。緊張がほぐれ、微睡んでいるのだろう。眠ってしまっても構わなかった、体を休めるには睡眠も大切な一つだ。今日はいい天気ということもあって、窓から差し込む日差しもあたたかだ。そっと手を止め、腕を下ろすと、今度は小さな泡のようなものが浮かんで来た。きっと彼は眠たいに違いない。
「……おやすみなさい、隊士様」
音を立てずにベッドから離れていく。あたたかな日差しの差し込む部屋で、ふかふかの布団に体を預けて眠る彼の姿がやはり人形のようで可愛らしいと胸はときめいていた。