暖かな日差しから逃れるように、日陰に身を潜めている。時間をだらだらと無駄にしている自覚はあった。けれど、日陰から出て行けるほど、まだまともになれていない。しくじってしまった。その事実から逃れられない。ほんの些細な、少しの誤りだった。行き違いを詫びたものの、未だに昨日のことのように失敗が甦る。おそろしかった、またいつもの日常に戻れるのかと。おそろしかった、またこの前までの自分として接していけるのかと。日常から、人との繋がりから、いっそのこと離されてしまえばいい気がした。自暴自棄になっている。それでも、自分を痛め付けることでしか赦されないと信じていた。
 自責の念はいつだって長く、深く響く。誰かに笑って話してしまうのは罰当たりなようで、しかし、いつまでも囚われていることから解放されたい気持ちだって、あるのだ。正直、どうしていいのか分からない。誰かのせいにすることは違う、それだけはよく分かっている。ため息でさえ、吐いていいのか迷っていると、不意に視界の片隅に人影を見た。どうしてかを一人問えば、思い出すことがあった。ここは放課後の学校で、自分はテスト期間中だと言うのに、部室に入り浸っていたのだと。

「やあ、こんな所に閉じこもってどうしたんだい」

 訪問者は同じクラスである、風間望であった。少しだけ長い髪を靡かせて、さも当然と言うように目の前の椅子に腰掛けた。誰にもここに来る旨を伝えていないと疑問に思いつつも、どこかで嬉しさを感じている。おかしな気分だ、相手は鳴神の変人なのに。本来ならば、こちらも退席するから帰るべきだと諭さねばならないくせに、誰かが来たことに安堵して動けずにいる。彼は、平気で話しかけて来た。空気のように軽い、重さを含まない他愛もない会話の数々を次から次へと投げ込んできては満足のいく会話を待ち望んでいるように見えた。

「風間くん、もう帰らなきゃダメよ。こんなところに長居してちゃ、先生に怒られるもの」
「そうかい?それじゃあ、一緒に帰ろうか。みょうじさんの家まで送るよ、この僕が」
「大丈夫。一人で帰れるわ」
「そんなこと言わずに帰ろう。ひとりぼっちの帰り道なんて寂しいだけだろう?」
「さみしくても、いいの」

 こうして、また自分を痛め付けている。人の好意に甘えられない呪いにかかっている。しかし、相手は鳴神の変人だ。簡単には引き下がらない。それを喜ばしいと思うのは、おかしなことだろうか。単純に執拗いだけだと思うが、今はそれが心地いい。

「わかるよ、みょうじさんが何を考えているのか」

 やけに引っ掛かる物言いに、彼を見た。何が分かるのだろうか。意味深な笑みに帰りを拒まれている気がする。何も聞かずに部室を後にするには無責任過ぎる気がして、彼に問いかける。

「何を、考えているのかって?」
「みょうじさんは悪くない」
「ごめん、本当に意味が分からないの。どうして、突然そんなこと言うの」
「僕にはわかるって言っただろう?嘘じゃないよ、本当なんだ」
「でも、そんなのおかしいよ」

 困難の切り抜け方はたくさんある。例えば、急に話題を逸らしてしまうこともそうだ。分が悪くなったと思えば、退席してしまうこともそう。だが、彼は言ってのけた。自分は悪くない、と。数ある選択肢の中からピンポイントに欲しい答えを彼は口にしたのだ。自分勝手な言い分であるとは百も承知で。けれど、気付けば、その甘美な響きの言葉の意味を強請っていた。

「私が悪くないって、何でそう言い切れるの?風間くんは何も知らないじゃない」
「僕はいつだってうら若き女の子の味方だからね」
「それじゃあ、理由になってない」
「だって、みょうじさんはこんなに可愛いんだよ?どうして、悪者になるのさ」

 僕には全く理解出来ないよ。まったく、ちんぷんかんぷんだ。
 一方的な美醜の判断で、赦されることなどあるのだろうか。その言葉は実に甘言めいていて魅惑的だ。しかし、そんな、都合のいい。簡単に受け入れられなかった。物事を推し量る際、必ず基準が設けられる。そこにそれぞれの事情であったり、その時の状況であったりを加味し、客観的な目で見て判断をする。それが一般的だ。ましてや、自分に甘い判断なんて以ての外で、大抵はその判断がマイナスに作用する。だが、目の前の風間望はそれでいいと言っているのだ。あまりにもぶっ飛んだ言い分に返事が出来ないでいた。

「全部、ソイツが悪いよ。うん、本当に。だって、今もこうしてみょうじさんに迷惑をかけてるんだから」
「いいえ、違うわ。私にも非はあったの、」
「そうなのかい?それなら、みょうじさんは自分の非を認められる素晴らしい女の子じゃないか」
「……風間くんって、その、変わった考え方をするのね」
「僕が変わってるって?」

 目の前に腰掛けてから、依然として変わらなかったにこやかな笑顔が初めて崩れていった。いや、言うなれば、ようやく普段の表情に戻ったというところだろう。それでも、自分に向けられた眩しい視線はそのままだったが。

「僕はね、楽しく生きたいんだ、楽しく。それなのに、関係もない他人のことばかり気にして生きるのは嫌でね」
「それは風間くんの考えじゃない、」
「そう、僕の考え方。でも、誰がこの僕の考え方を否定出来るんだい?僕の考え方を否定出来るのは、この世で僕しかいない」

 なんて、あんまりな言い分だろうか。ここまで自分勝手さが振り切れた相手を知らない。けれど、不思議と惹かれている自分がいる。常識のしがらみに囚われない自由な発想だ。それを否定するのは、同じ道を歩いた者だけで、自分にはそんな権利はない。だから、驚きで開いた口が塞がらない。身振り手振りで分かりやすく伝えようとしてくれているのが、逆に不思議で仕方ない。何故、そんな話が通ると思ったのか。そして、何故自分もさっさと突き放して帰路に着けないのか。

「食事だって自分でお金を出すより奢ってもらう方が嬉しいし、美味しい。揉め事があれば、自分から謝るよりかは相手から謝ってもらう方が気分良く謝れるってもんだ」

 まるで宗教的会話だった。自分の言葉がこの世の真理で、周りを取り巻く今までの教育が欺瞞であったかのように謳っている。洗脳とは、こうして行われるのだろうか。風間望の話を聞きながら、その一方で思考していた。常識と超常現象とのせめぎ合いだ。

「だから、僕からしてみれば、みょうじさんは全く悪くないよ」
「そんな風に言われたの、初めてだわ。でも、色々と驚いちゃって」
「かなり狭い世界で生きてきたんだねえ、もう少し視野を広く持たなきゃ」
「う、うん、そうね……」

 身勝手な肯定は麻薬のように離れ難い快感を残していく。肯定は生きていく上で必要なものだが、用法、用量を守れなければ、ただの毒と変わりない。たった今、ついさっき。飲み込んでいた。彼が必要以上に盛った『それ』を。早く吐き出した方がいいと分かっている。けれど、『それ』をすぐに吐き出せるほど、強くないのだ。もう既に効いてしまった。作用してしまったのだ。これで前を向けるようになってしまったのだ。取り返せない、前のようには戻れない。

「でも、みょうじさんを困らせるソイツも嫌な奴だよねえ。そんな奴はスンバラリア星人の食糧にでもなっちゃえばいいんだ」
「スンバラリア……?えっと、何……?」
「みょうじさんにだけ教えてあげよう。地球にはね、宇宙人が人間に擬態して生活しているんだよ」

 一気に話が胡散臭くなる。先程までは意外と良い話をしてくれていたのに、感化される前で良かった。ようやく正気に戻れたのだから。

「ほんっとうに風間くんって不思議な男の子だね」
「知ってるかい?顔の形そっくりの実が成るんだ。味も悪くなくてね」
「ごめんね、ここはオカルト研究会じゃないの」
「いいんだ、いいんだ。僕のおかげでみょうじさんが元気になれたんなら、僕はそれだけで満足だよ」

 高校三年生とは思えないほど、屈託のない笑顔を浮かべる彼に釣られて、自分も同じように笑っていた。くすくす、と慎ましいものから、ふふふ、と主張の大きなものへと。まるで作り話のような男の子だと思った。もしかしたら、今までの話もフィクションのそれで、落ち込んだ人向けのシナリオだったのかもしれない。そう思うと、彼の陽気さに胸がくすぐられ、笑うことを止められない。笑いを噛み殺したところで、また別のところでどっと湧き出る。ごめん、と挟みながら、こちらを暖かく見守るような顔をしている彼の前で、節操もなく笑い続けた。

「……ありがとう、風間くんのおかげで元気出たかも」
「うんうん、いいことじゃないか。やっぱり女の子は可愛い笑顔に限るね」
「それじゃあ、本当に帰ろうか。見回りの先生に怒られちゃう」

 笑い涙を指の先で拭いながら席を立つ。彼もこくりと頷き、起立すると、緑の差し色が鮮やかな髪を揺らして部室の入口で立ち止まる。恭しく部室の扉を開けてくれ、その好意に甘えるように廊下へと抜け出る。夕暮れを過ぎ、薄暗い廊下に静寂が漂う中、不意に後ろから抱き締められた。ぎゅっと体を寄せ合うようなハグに、後ろの彼へと呼び掛ける。

「ちょ、ちょっと……!」
「大丈夫だよ、みょうじさんの気持ちは分かったから」
「何、どういうこと?」
「でも、僕達はまだ未成年だ。地球で言うところのね。だから、ここを卒業したら」

 ──── 迎えに来るよ。必ず。君の気持ちに応える為にも。
 そう、意味深な言葉を残し、彼は腕の中から解放してくれた。妙な温もりが肌に残り、辺りの薄暗がりに急かされ、疑問に思う時間も与えられないまま、慌ただしく帰路に着いた。



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