何故、自分が『万世極楽教』に入信することになったのか。教祖による虐殺が行われた部屋で、なまえの瞳は呑気に過去を覗いていた。これが走馬灯というものなのだろう、しかし、実際にそれを見てしまうと、なんとも薄情だと思った。今まで積み重ねてきた命の営みがものの数分で過ぎ去って行き、そしてこれから命を絶たれるのだと言い付けられているようで。
始まりは、ない。物心ついた時から、自分はこの寺院で暮らしている。自分の母は赤子の自分と一緒にここへ駆け込み、寺院で母子ともに保護されたのだと言っていた。理由は家庭内不和、酒に溺れた父といとも容易く行われる暴力から逃れるべく、母はここへ助けを求めたそうだ。そう聞かされたが、その選択を決して間違いだったと考えたことなどなかった。その後、無事に母は極楽の地へと旅立ったのだから。この時ほど喜んだことはない、愛する母が報われ、約束の地へと誘われたのだから。
しかし、この惨劇を目の当たりにして、母も教祖の手によって命の灯火を吹き消されたのだと察していた。そして、自分の蝋燭も教祖のあの手の中にあり、いつでも吹き消せる状況にある。きっと自分や母は愚かな人間の一人だ。今に絶望するあまり、未来を諦め、不確かな光に縋ってしまった。愚かだと知ったところで、ここに来る以外誰の助けも借りられなかった。ここに来る以外の方法などなかった。我ら母子はあの人の良さそうな教祖の手によって呆気なく殺される運命だったのだ。
「……救済とは、このことだったのでしょうか」
「はっきり言うとそうだね。でも、俺は中途半端な気持ちでこんなことしてるんじゃないよ」
「では、教えていただけませんか。その胸の内に秘めた、教祖様のお気持ちを」
「うん、いいよ。そうしよう。それがきみの願いなら、教祖の俺が叶えてあげなきゃね」
教祖曰く、永遠なのだと言う。教祖の口に運ばれた彼女たちは永遠に生きるのだと言う。結論からして教祖はただの人間ではなかった、世を騒がせている人喰い鬼の一人であると教えてくれた。だからこそ、人を喰らう。鬼だからこそ。
それを耳にした時は呆然としてしまった。ありえないだとか、嘘だとか、そんな言葉は意味を成さない。何かが弾けた感覚だけが虚しく体の中に響いていた。ぴんと強く張っていた糸がぷつんと切れたような、呆気ない喪失感が心を蝕んでいく。逃れられぬ死を目前にして、なまえの死生観が大きく変わる瞬間だった。
「これでわかってもらえたかな?これが俺が教祖として、みんなにしてあげられる救済なんだって」
「……この血肉や骨、苦しみや悲しみさえも教祖様が掬ってくださると、」
「全部、綺麗に食べてあげる。これは俺の使命だから」
いつの間にかなまえの目は虹を捉えていた。まるで決意をした瞳、覚悟を偽らないように真一文字に結ばれた口に、教祖であり、人喰い鬼である童磨を釘付けにさせていた。決意を固めた人間は知らず知らずの内に不動の意志を見せる。これから死にゆくだけの人間が、そのような顔をしていたことに童磨の興味は強く惹かれた。
「どうしてだろ、きみは他の子達とは違うのかな」
鋭い爪を蓄えた指先が密かに流れた涙の跡をなぞる。……もう、救われたいのです、教祖。と口にした瞬間のなまえは穏やかな顔をしていた。恐ろしくて泣いた筈だ、絶たれる命と知り、絶望した筈だ。それなのに何故、なまえという信者は、教祖であり、鬼である童磨にその表情をして見せたのか。
「どうか、お救い下さい」
穏やかなまま、瞳は伏せられた。神に身を捧げるように、血で汚れた生理的嫌悪の凄まじい部屋で、なまえは黙って目を閉じていた。
「きみのその潔良い姿に感動したよ。こう、胸の奥がじ〜んと重くゆっくりと響いて、目頭が熱くなるような……、初めての感覚だ」
教祖の嬉しそうに弾んだ声がなまえに降り注ぐ。何を考えるでもなく、ただ待つ。すぐそこにある救済が我が身へと齎されることを。
大丈夫、きみは他の子達よりも大切に丁寧に食べてあげるからね。でも、もう少しだけきみとおしゃべりしたいんだよなあ。と不意に手を取られ、小指に歯を立てられた。鋭い刃で切られるのとは違い、ただ顎の力で押し潰し、噛み砕かれる痛みは想像を絶するものだった。何なら、いっそのこと命を絶たれてから食されたい程に。
部屋には先にいた彼女達よりも悲痛な声が響いた。しかし、なまえは唇に血を滲ませながら、歯を食いしばって必死に耐えていた。荒い息遣いで痛みを逃そうと呼吸に頼るが、何よりも小指を失っている為、なまえの額には脂汗が浮かぶ。 髪を振り乱し、畳に蹲るなまえもまた畳を血で汚す一人で、鬼はよく味わう様に齧りとった小指を細かく噛み砕いては咀嚼していた。
「ごめんね、痛いよね」
「…………どう、ぞ、教祖、さ、まは、お気に、……なさら、ず、」
なまえの言葉に教祖の皮を被った鬼は、ぐったりとしたなまえの、小指を失ったばかりの手から、今度は薬指を奪っていった。悲鳴は鳴り止まない。
02.走馬灯は助けちゃくれない