鬼は何処で生まれ、何処で果てていくのだろう。目覚めてすぐに言い渡されたのは、自身が教祖と同じ鬼になったこと。次に口から滴り落ちる唾液は飢えの証であり、人を喰らわずにはいられないこと。そして、決して太陽の下に出てはいけないこと。みょうじなまえは血の選定を経て、悪鬼と成り果てた。
思い返せば、少し前の自分は酷く苦しい思いをした。口にした血は確かに喉を潤したが、そこから先がひどい有り様だった。流し込んだ血が体中を犯すように暴れ出したのだ。凶暴な程に体の肉や何もかもを侵食していく速さは毒よりもたちが悪く、想像を絶する痛みに体は悶えた。もがき苦しむ様を教祖は首を傾げながら見下ろしているばかり。言葉に出来ない苦しみに、のたうち回っている内になまえは意識を手放していた。そして目覚めた今、現実を理解させられた。人ではないモノに生まれ変わり、これからどうしていけばいい。
「……晴れてきみも鬼になったことだし、まずは食べたらどう?」
差し出された教祖の手には人の体の一部が握られていた。ぼたぼたと血を滴らせた、白く細い女の腕が。ああ、なんて、うまそうなんだ。今までこんなにうまそうなものを見たことがない。これは食べていいものか。人間の匂いだ、甘く香る女の匂いだ。柔らかそうな白い肉に、無尽蔵に唾液が溢れて止まらない。だらだらと教祖様の前ではしたない、けれど、これが今はどうしても欲しい。食べたい、許されるだろうか、こんなこと。
激しい衝動に駆られながら、なまえはそれを差し出す鬼を見た。教祖の皮を被った鬼は、満面の笑みで、いいよ、お食べ。と許してみせた。許されてしまった欲に歯止めをかける理性などない。既になまえは人間という理性的な生き物ではなくなっている。耐えられる筈がなかった。それは鬼にとって酷と言うものだ。
「そうそう。最初はいいんだよ、いっぱい食べて。きみにも力は必要だし、俺の分だって少しくらい減っちゃっても構わないさ」
初めて、人の肉にかぶりついた。口の中で解けていく繊維状の筋や肌の弾力のある食感に病みつきになり、呆れるほど血の味に酔った。喰いたいだけ喰って、飲みたいだけ飲んで、尽きない欲望を確かに満たしていく。涙が溢れた。気がした。しかし、今は腹を満たすことで精一杯だ。人としての理性の在り処を探すことより、目の前にある肉で自分を満たすので精一杯だ。
「たくさん食べたね、これで少しは落ち着いたんじゃない?」
しばらくは同じ部屋にいた彼女たちを食べていた。畳の上にあるのは彼女たちの流した血だけで、後は全て────。
「……腕が、戻っています。これは、」
「ただじゃ死なない体になってるから、きみも俺も」
「つまり、腕を落としてもまた元に戻ると……?」
「そう、物わかりが良くて助かるなあ」
「……ありがとうございます、」
優しい手つきで頭を撫でられ、なまえは驚いていた。まるでこうなったことを喜ぶような教祖の振る舞いに、何も無い胸の奥が熱を帯びるような感覚になまえは困惑している。今までこんな思いは抱いたことがない。そんな感情を素直に受け入れられず、躊躇っているなまえを好意的に受け入れたのは後にも先にも、鬼の童磨以外居なかった。
「わたしは、これからどうすればいいのでしょう」
「そうだね、まずは人をたくさん食べることかな」
「人を、」
「食べれば食べた分だけ、きみの力になる。どんな力になるかは分からないけど、それを俺のために使ってくれたら嬉しいな」
だから、きみには俺の下で頑張ってもらうよ。きみは俺が鬼にした子だからね、ちゃんと面倒見てあげる。だから、安心していいよ。と優しく撫でる手に、なまえは安堵していた。
生きる苦しみは死によって救われると思っていたのに、まさか再び生を与えられるとは。だが、人としての生きる苦しみはない。これは自分だけが辿り着いた救済の成れの果て。他の者には知ることさえなかった、もう一つの結末。まるで真の意味で救われたような気持ちだった。真に救われたのは、自分だけなのだと。
この日を境になまえは自らが鬼であることを隠し、童磨の側近として仕えるようになった。表面上では敬虔な信者を装っているが、その実、残虐極まりない人喰い鬼という、自身の二面性に疑問を抱くことはあれど、決して信仰心が揺らぐことは無い。救済を得たなまえの心身は平穏と共にあり、何者にも脅かされない日々はまるで極楽のようであった。
鬼は何処で生まれ、何処で果てていくのか。手に入れた、果てることの無い永遠の前では、そのような愚問に大した意味はないのだと、いつしかその問いも滲んで消えていった。
04.輪廻は閉ざされた