童磨は未だに忘れられない味に囚われていた。それはなまえを鬼にさせた夜の、まだ人間だった彼女の味だ。ここ最近は信者の数もそこそこに増え、数合わせをするように都度、人間の女を喰らってきたが、誰も彼女のあの味には遠く及ばない。彼女は今、同属として共に行動しているが、彼女を見る度にふと、とある考えが頭を過ぎることがあった。

 我ら鬼にはとある習性がある。それは共食いだ。どこかの山で哀れな鬼達が閉じ込められているという噂を聞いたことがあるが、恐らくそこにいる鬼達は少なからず、この習性に従って飢えを凌いでいることだろう。童磨のなまえに対する欲求は収まるところを知らなかった。なまえも着実に喰らった人間の数を増やし、徐々に力をつけてきている。だが、もう一度だけ口にしたいのだ。あの熟れた桃のように色づいた柔らかな肉を。


「なまえちゃん、たまには俺の相手でもしてくれないか」

 神々しく奉られた教祖の部屋に二人の姿があった。暇を持て余している童磨は何かとなまえにちょっかいを出そうとしており、なまえはお戯れを。と上手く躱している。

「教祖様、そのようなお戯れは、」
「長いこと教祖というものをやってはいるが、あまりにも退屈なものだ。いい加減、俺も救われてみたい」
「……ですから、そのようなことは、」
「そんな困った顔をしてくれるな、ただ俺は戯れる相手が欲しいだけなんだ」
「私にどうしろとおっしゃるのですか、」
「はは、なまえちゃんの困った顔も可愛いじゃないか」

 なまえは困惑していた。自分より上の鬼である童磨の戯れに良からぬ予感がしていたのだ。何を考えているかを読ませない童磨に、嫌な予感が止まらない。鬼にも危機察知能力はある。特に同族であり、自分より強大な力を宿した相手である童磨からは重たい執念のようなものを感じ、上手く躱してしまいたいのがなまえの本音だった。

「ほら、捕まえた」

 なまえは手ではなく、足を掴まれ、自分の方へと手繰り寄せる腕から逃れられない。足を取られ、畳を背にしている状況で圧倒的に有利なのは童磨である。正面に佇む童磨からは嫌という程に良からぬ気配が漂い、それが肌を伝ってなまえに悪寒を覚えさせた。

「……教祖様、どうかお止め下さい」
「なまえちゃんももう立派な鬼なんだし、ちょっとくらい怪我しても大丈夫なんじゃない?」
「怪我……?何をなさるおつもりですか、」

 この間の続きだと言ったら、素直に受け入れてくれるかい。掴まれた足に異様な圧迫感を覚える。ギリギリと握り締める力が強まっており、これ以上は足が耐えられずにへし折られるだろう。『この間の続き』という言葉になまえは思い出すことがあった。それは初めて童磨に体を喰われた夜の出来事だ。人間ならば、この寺院に腐るほど匿っている。それなのに何故、鬼である自分を狙っているのかが分からない。

「教祖様は足をお望みなのですか、」
「それは誤解だ。俺はもう一度、きみを食べてみたい」
「もう人ではない故、味が劣るのではありませんか」
「それは食べてみなければわからないだろう。なんせ、俺も初めてのことだからな」

 まあ、物は試しと言うだろう。さ、俺の傍においで。と引き摺り寄せた童磨の隣で体を起こす。気まぐれというのは実に恐ろしい性格だと知らされる。
 血溜まりがあっという間に広がると、その中で元の形に戻ろうと蠢く肉体があった。体を起こしてすぐ、童磨の歯がなまえの肉に突き立てられる。すんなりと断たれる肉と骨に痛みはなく、傷口はもごもごと肉が盛り上がり、即座に腕を元に戻す。次は足、脇腹、太もも、乳房、頬に口唇。手当り次第に食べ散らかしていく姿に、なまえの中の何かが大きく煽られた。

 唇の肉を気に入ったのか、もう一口と目の前に近付いてきた童磨をそっと躱し、今度はなまえが首筋に牙を立てていた。抱き合うような形で、なまえは深く肉を抉り取るように噛み付いた。すると、後頭部に手を置かれ、ぽんぽんと軽く叩かれる。噛む力を弱めれば、おや、邪魔しちゃったかな。とさほど気に留めていない様子の笑い声が聞こえ、また許されているのだと知った。

「俺ばかり食べていては不公平だ。そのまま喰いちぎってみるといい」

 上手く唆され、あとひと噛みすれば取れるだろう首筋の肉を迷いながら口にする。肉の感触は筋肉質だからか、口に筋っぽさが残る。それでも何度も何度も咀嚼し、細かく噛み続け、喉の奥に落とし込んでしまえば、硬い肉の食い応えに食欲が刺激された。貪欲な人間だったのだ、自分は。鬼にならなければ、知ることのなかった気付き。

「どうだい?俺は美味いかい?」
「……申し訳ありません。私のような者が教祖の御体をいただくなど、」
「いいよ、俺は気にならないし!寧ろ、なまえちゃんが食べたいって思ってくれたのが嬉しいなあ」
「無礼ではありませんか……?私の行いは」
「俺は喰ってばかりだからな、喰われたことがない」

 人を喰らうのは悪しき行いだ。しかし、不思議と人の肉を口にする度に、体を背徳感が満たしていく。そして、今し方口にした鬼の肉もまた、おぞましい程に自分を満たし、更に飢えさせるものだと知る。

「なまえちゃん、可愛い顔してる」
「……そう、でしょうか、」
「もっと食べたい?俺の肉」
「…………許していただけるのなら、もう少しほど」
「食いしん坊なんだね、なまえちゃんは」

 恥ずかしそうに顔を背ければ、いっぱい食べる女の子も可愛らしいと添えて、口付けをするように影が重なり去る頃、しれっと唇の肉を齧り取られた。



05.寵愛


back