次から次へとイメージは変化し続ける。形の有無に拘わらず、ある一定の状態を保つというのは意外と難しい。例えば、過去の作品ならば、今見てもその良さや感じるものはあるのだが、その一方で全く別の可能性を考えてしまう。もし、こう言った要素があったなら。もし、こう言ったユーモアがあったなら。もし、こう言ったメッセージ性があったのならば。目の当たりにしている作品の姿形は恐らく違ったのだろう。無から有を生み出す辛さには何度も打ちのめされて来た。生み出した有が必ずしも、自分の思い描いた姿形をしていないことの方が多いからだ。勿論、理想通りの形を得られたものもあるが、圧倒的にそうでないことの方が多い。情熱のままに手を動かすことと、思考を織り交ぜながら、どちらにも偏らずに完成に持っていくことは難しいのだ。
『でも、こんなに素敵な街があるなんて知らなかった』
あの日の彼女が鮮やかに蘇る。美しいキャンバスに色を添えてやりたいと思うようになったのは、つい最近になってからだ。いや、本当は彼女がボウルタウンに移り住んでから、時々このような独りよがりな感情を覚えるようになった。なまえから向けられるのは憧れであると分かっていながら、その瞳の行方がいつだって自分であって欲しいと願っていた。そして、それは叶えられたのだと思い込んでいた。
先日のジムバトル、挑戦者の華麗なる勝利にぐらついてしまった。文句のつけようがない素晴らしいバトルだった。だが、その結果に満たされると今度は彼女の瞳は小さな芽に向けられていた。なまえはバトルの勝敗で手のひらを返すような人間ではないと分かっている。分かっているくせに、どこかであの小さな芽が羨ましく感じてしまった。彼はあの眼差しの心地良さを知ってしまった、自分以外には向けられなかったあの瞳を。
けれど、嫉妬に狂ってしまう程、自分自身は幼稚な人間ではない。投げやりになった過去があったからこそ、冷静に自分の置かれた状況を達観することが出来た。芸術家は激情的な一面を持っているとは言え、今まで彼女と積み重ねたものが簡単に崩れ去るとは思っていない。ただ、創作の源泉にいくらか刺激を受けただけだ。そして、今その刺激に触発されて、遠い知人の元にいる。その知人は金の加工を得意とする彫金家で、自分が宛てた手紙を快く受け取ってくれた。文面に綴ったのは、宝石の加工及び彫金による作品の作製依頼だ。彼もまた自分と同様に芸術を形作る同胞だ。
「珍しいじゃないか、私の元を訪ねてくるなんて」
「暫く、世話になる。にしても、よくワタシの頼みを飲んでくれた」
「まあ、文字から伝わってくるものがあってね。無下には出来ないと感じたんだ」
「やはり芸術家のセンスは馬鹿に出来ない」
なんだ、女でも出来たのか?彫刻専門のコルサが、まさか……。あながち、間違いではない。だが、まだ深い仲ではない。それで、告白の材料としてコレを?いや、コレはワタシが作りたくて作るものだ。
この答えに知人は釣り上げられたコイキングのように目を丸くしていた。意外なのだろう、否定はしない。今まで自分が目を向けていたのは、草ポケセン達だけだった。そこにまさか、普通の人間の異性が入り込んで来るとは誰もが思ってもいないだろう。自嘲気味に笑えば、今度は知人が酷く真面目な顔をしていた。機会があれば紹介してくれないか。コルサのお眼鏡にかなう女性に。フン、どうせキサマはそう言って、どうでもいい事を聞きたいだけだろう。そう言うのが大切なんだよ、彫金も芸術も同じさ。そう語る知人の作品は物語性に富んでおり、彼が彫金してきた分だけ誰かの語られぬ物語がある。
「全く否定は出来ないがな」
「そうだろう、そうだろう」
「拒まれるという結末もある」
「人が慎重になる時は大抵手遅れなものだぞ」
「手遅れ、だと?」
「もう取り返しがつかないほどに、深くのめり込んでいるという事だよ。コルサ」
「そう、かもしれんな」
でなければ、キサマを訪ねることはなかっただろうな。と喋り過ぎてしまった唇を縫い付ける。出来ることなら、あの横顔の美しいキャンバスが写す世界に色でも花でも何でも添え続けたいのだ。彼女の視界に広がる世界が少しでも色褪せぬように、手入れをしてやりたい。そして、それを彼女と共にしていけたら良いと思ってしまった。全てを晒すことが芸術に対しての答えでは無い。言葉を知らぬ作品だから伝えられることがある。人の心に直接訴え掛けられる、何かを。もしかしたら、こんな感情さえも独り善がりでしかないのかもしれないが。だが、歴史上どこを見ても心を奪われなかった芸術家はいなかった。人であろうと、ポケモンであろうと、国であろうと、街であろうと、景観であろうと、胸の奥に焼き付いて離れない恋慕を抱えていたはずだ。それは全て作品から伝わってくる。奪われた心は欠片となって作品の一部となるのだろう。
「さあ、もう少ししたら再開しよう。今回の為に色々と用意して来たんだ」
「ああ、恩に着る」
「どんな作品が出来るか楽しみにしてるよ」
閑話休題。冒頭で綴った通り、数日前から知人の元で一つの作品を作り続けている。ただ、自分の専門とは違うタイプということもあり、制作に時間がかかってしまっていた。その間、ボウルタウンのジムは挑戦者を受け付けないと連絡が来ていた。つまり、彼女もまたいきなりの休みを与えられ、さぞ困惑していることだろう。それでも、作らなければならない。人間とは実に不器用な生き物だ。描いた物を複数に作り上げることが出来ないのだから。だからこそ、今、彼女の為に作らなければならない。そうしなければ、もう二度と日の目を見ることはないだろう。それ程までにイメージは儚く脆い。どこかが消失してしまう前に、彼女への思いが冷めてしまう前に、伝えたい気持ちが風化してしまう前に。手をつけなければならないのだ。
後にも先にもこう言った傾向の作品を作るのは一度きりになるだろう。最愛に二言はない。何事にも二度目など存在しない。でなければ、運命だなんてよく出来た言葉が嘘っぱちのまやかしになってしまう。このような時にさえ、彼女の笑顔を描けたならどれだけ気が楽になるだろうか。しかし、胸奥のキャンバスの彼女にそれを描き足すことが出来ない。見えぬ不安に臆病になった自分が後ろ手に筆を隠している。再び、孤独の坩堝へと身を投じていく。
09.色彩の競合