彼女がトレーナーになるきっかけとなったのは、当時彼女が見たチャンピオンカップの生中継だと語る。その頃のなまえは親戚から貰ったポケモンの卵を持て余すような少女で、チャンピオンカップの中継もたまたま目にしたそうだ。ソファーから飛び起きるほどの衝撃は彼女にひとつの道を示すこととなる。ポケモントレーナーになる、簡単に思えるようで意外と難しい目標だった。パートナーとなるポケモンならば、自分の元にいる。親戚が贈ってくれた、卵。何が生まれるかは知らされていなかったが、生涯のパートナーにしようと誓った。

 無事に孵化したポケモンは、メラルバと言うガラル地方では些か珍しいポケモンだった。ほのおタイプとむしタイプを兼ね備えた幼いメラルバと共に、なまえはポケモントレーナーになる道を歩み始めた。まずは近所の草むらに飛び込み、当たって砕けろの精神でポケモンバトルに励んでいた。彼女曰く、当時の自分はとても不器用な子どもで上手い育て方も、トレーナーへの近道も、何もかもが分からなかったと言う。だからこそ、がむしゃらに草むらに飛び込んではポケモンバトルに明け暮れる毎日。初めはタイプ相性に苦戦し、何度もポケモンセンターにとんぼ返りする日々を送っていた。負ける度に自分の無力を悔やみ、次は負けないと涙を拭うばかりだったと。しかし、そのがむしゃらに踏んできた場数がなまえの血肉となり、野生のポケモンとのバトルに慣れて来た頃、初めて他のトレーナーとのバトルを経験することとなる。
 結果は、なまえの勝利だった。その時の勝利の喜びは今になっても忘れ難いものだった。初めての勝利はなまえがポケモントレーナーの道を踏み出したことに対する正解だったように感じられた。だが、なまえが選んだのはジムチャレンジャーではなかった。彼女があの時胸を熱くさせられたのは、ジムチャレンジャーによる勝利への道を切り開く様なのではない。パートナーであるポケモンの真価を発揮させながら、鮮やかに相手を打ち負かすジムリーダーの姿だった。時には勝ち上がったチャレンジャーを、時には同じ立場であるジムリーダーを。トレーナーとして憧れた、初めて何かになりたいと思えた瞬間だった。


 そして、幾ばくかの時が流れ、エンジンスタジアムの門を叩く。たった一匹のメラルバを連れて、彼女はほのおタイプのジムにやって来た。まずは見習いとしてなまえとメラルバを受け入れたが、彼女の持つ実力に同期の見習い達は驚かされた。たった一匹、されど一匹。不器用な人間が積み上げた努力の形に、スタジアムを去る同期もいたが、彼女は寂しさに涙を流すことはなかった。ただひたすらに涙を呑む、彼女が涙するのは敗北した時だ。無力を感じる瞬間だ。
 一時、彼女の実力を買ってジムチャレンジへの推薦を持ち掛けたことがあったが、なまえは首を横に振り、困ったように笑うばかりだった。自分が憧れたのはジムリーダーで、今はジムトレーナーになりたいのだと。それからは共にエンジンスタジアムのトレーナーとして、若き芽の選定に協力してくれていた。エンジンスタジアムへの挑戦が最初の関門であること。未来のチャンピオンならば、難なく突破出来るであろう。そんなジムチャレンジャーに全力で挑みたい、彼女の気持ちを汲んだ結果だった。

 だが、一年前のなまえはエンジンスタジアムを去ることを選んだ。失意や絶望からなどではなく、自身の新たな可能性を探しに行きたいと。心の底から目指すべきものを見定めたいと彼女は自分の元を去った。若きトレーナーの新たな芽を摘むほど、老獪になった覚えはない。快く送り出してやる、まるで才有るチャレンジャーを見送る時のように。去り際に手を振った彼女の寂しそうな、けれど、どこか嬉しそうな笑顔を忘れはしないだろう。堪えた涙の跡は全く見えなかったのだから。


***


「ありがとうございました」
「いや、僕の方こそ感謝を伝えたいよ」

 泣き止んだ彼女は周りにポケモン達を座らせ、こちらに笑いかけた。負傷していたウルガモスもすっかり全快し、なまえの傍から離れない。今まで一匹しかパートナーを持たなかった彼女が、何故このポケモン達と旅をしていたのかはまたの機会に聞くことにして、一つだけ訊ねた。

「それで、これからどうするんだい」
「……そうですね、」

 眉間に深く皺を寄せ、頭を抱えているなまえの次の目標が聞きたかった。また新たな旅に出るのか、それとも、やはりチャレンジャーとしてガラルの頂きを目指すのか。どう転んでも快く見送るだけだ、あの時のように。それが彼女の選んだ道なら、誰も口を挟む権利などない。今の、頼もしいなまえならば、きっと何か成し遂げてくれるに違いない。その為なら、何度でも背中を押し、何度でも見送るつもりだ。

「実は、あまり考えていなくて……」

 なまえはあっけらかんと笑った。先程、手に汗握るバトルをした時の彼女とは違って、素が出ているようだった。彼女がとても素朴で親しみやすい人間だと言うことを途端に思い出した。

「ほら、私、もうただのトレーナーじゃないですか」
「ただのトレーナー?」
「ここを飛び出して、もう一年近くは経ってますし、」
「ああ、そういう事なら心配いらないよ」

 ぽかん、とした顔でこちらを見ているなまえに言って聞かせるのは、意外な事実。恐らく彼女も予想していなかった、まさかの事実。彼女は、ただのポケモントレーナーではない。今も、そして、これからも。

「実は、君の籍はまだウチにあるんだ。将来有望なトレーナーを易々と手放すほど、僕も甘くはないからね」
「ほ、ほんとですか、」
「勿論!僕の言葉に嘘はないよ」

 惜しかった。手放す覚悟をしたフリだった。より強く、熱く、輝いて戻ってくるであろう彼女を、誰かに譲ってやれるほど大人ではない。自分もまだ未熟な人間で、切磋琢磨するのにライバルは何人居ても良いのだ。

「また僕と一緒に、チャレンジャー達に挑んでくれるかな」
「……わ、わたしでよければ、」
「ありがとう。それじゃあ、また今日から一緒に燃えよう」

 先に立ち上がり、手を差し伸べる。なまえは溢れる涙を力強く拭い、この手を取って立ち上がる。この時、初めて彼女が嬉し泣きをしているのを目にした。いつだって勝ち負けを越えた先にあるのは、実に尊く、輝かしいポケモンと人の姿だ。一度灯した心火は決して簡単には消えず、自分の行くべき道を教え、示してくれる。彼女にとって自分がそうであり、彼女もまた自分にとってそうであってくれることを願う。

 今日も、胸の奥が熱く燃え滾っている。



| 猛火尽きるまで |


back