朝のひんやりとした空気に包まれながら、昨日コルサに言われた通りアトリエへと向かっている。キマワリ達は一番に広場に出してやり、自分の身支度を早々に済ませ、その場を後にした。折角、コルサのアトリエに招かれるのだからと、初めてボウルタウンにやって来た時の服装を選んだ。麦わら帽子、緑のワンピース。慌ただしい日常を忘れさせてくれる日だと感じていた。そして、朝の空気感とは程遠いくらいに胸の内は熱く高鳴っている。行方知らずだったコルサが街に戻り、更には自分と早朝の約束を取り付けた。恐らく、ただ会話をするだけの約束では無いはずだと悟っていた。勘違いならばいい、それはそれでまた同じ日々が始まるだけだ。
 だが、本当にそのままで良いのか、とも思う。セルクルタウンでは旧友であるカエデに思いの丈を自分なりの言葉で全部吐き出して来た。それを無かったことにするのだけは、出来ない。弱々しかった足取りが力強くなっていくのを感じる。彼が何も言わずに街を離れた時は、酷く寂しかった。彼が何も言わずに街に戻って来た時は、酷く嬉しかった。つまり、そうなのだろう。臆病な太陽がより強く高鳴る。確信が持てた、何故なら自分は初めから憧れを、恋慕を抱いていたのだと。自覚するまでにたくさんの時間を費やした。そうしなければ、きちんと向き合えなかったから。一時的な衝動だと見間違えてしまうところだったから。


 やがて、コルサのアトリエと思われる建物の傍に到着する。すると、来訪を待ちかねていたかのように建物の扉が開き、コルサが姿を見せる。緊張が加速する、コルサは普段と変わらないものだった。反対に自分は少しだけ着飾っており、浮き足立っているのが丸わかりになっていた。恥じらいも、じんわりと迫る緊張も、早る足を止めることはなかった。朝の空気の軽さに背中を押され、手を引かれ、遂に彼の目の前へとやって来た。

「よく来た。時間も丁度と素晴らしい」
「おはようございます。昨日は、あまりよく眠れませんでした」
「それ程までに緊張していたのか」
「今もそうです」
「なに、心配する必要は無い。今回、何故ワタシがボウルタウンから姿を消したのか。その理由について話したいだけだ」
「理由、ですか」
「いや、話すよりも実際に目で見て、肌で感じてもらった方が早いかもしれない」

 さあ、上がるといい。コルサに手を預け、なまえはアトリエの内部へと足を踏み入れた。日陰のツンとした冷たさが室内に広がっており、部屋のあちこちにはコルサが燃やした創作意欲の欠片が転がっている。小さく、もしくは大きく形作られた芸術に目を奪われていると、ここからは階段だと呼び掛けられ、預けていた手を今度は階段の手すりに添えた。心地の良い静寂、階段を上がる度に見える景色が少しずつ変わっていく。ふと、一階の窓辺に目をやると、日差しを浴びるキャンバスが窓際に置かれていた。上から布を被せられており、何の絵が描かれているのかまでは分からないが、立体作品が主であるコルサにしては珍しいと思えた。
 もうすぐだ、と聞こえてきた声に意識を取られ、あのキャンバスからは視線を逸らしてしまった。だが、コルサの言う通りで、二階は一階とは違った趣向のインテリアで固められていた。階段を上がってすぐ、室内中央に装飾台が配置されている。他には何も置いておらず、コルサは再びなまえの手を引くと、そこへ向かっているようだった。

「ワタシはどうしてもこれを」

 装飾台の目の前で足を止め、静寂に包まれる。足音は止み、コルサの熱い視線が装飾台に飾られたガラスの奥の作品に注がれる。愛おしそうに見つめる横顔につられて自分もガラスの奥を見やると、息を呑んだ。まず初めにその煌びやかさに目を奪われ、次にその滑らかな曲線に見蕩れ、最後に一つの作品として形を成している今に震えていた。装飾台に置かれていたのは、二つのイヤリングだった。右と左でペアになっているそれは、植物を由来とするモチーフとなっており、まるでオリーヴァの葉をたっぷりと蓄えたしなやかな腕を思わせるフレームの曲線に、ミツハニーのフォルムに似た六角形の宝石が所々にあしらわれている。

「なまえ、キミに着けてもらいたい」

 予想外のコルサの言葉になまえは咄嗟に視線を向ける。この美しい作品を自分にだなんて、あまりにも恐れ多くて仕方ない。しかし、当のコルサはなまえ以外にはありえん、と口にしながら装飾台からイヤリングを取り出した。素晴らしい作品に触れられる機会はまたとないチャンスで、とても貴重な瞬間だ。けれど、それが本当に自分であっていいのかまでは分からない。もっと他によく似合う相手がいるのではないか、と不意にコルサの手元を見た時だった。
 無骨な男性特有の手のひらにあの美しいイヤリングが乗せられている。小さく輝く姿は店で販売していてもおかしくない程の完成度を誇っていた。しかし、なまえはイヤリングの持つ美しさの影に隠れた努力を見てしまった。コルサの手には所々小さく細かな傷があった。手を引かれていた時には全く気付けなかったそれに、なまえは身を震わせていた。一瞬にして、コルサがどのようにしてこのイヤリングを完成させるに至ったのかを悟ってしまったからだ。

「ごめんなさい、私じゃとても……」
「ワタシはキミでなければ、」
「だから、一つお願いがあるんです」
「……お願い、とは」

 つ、着けてくれませんか。そのイヤリング。今の私じゃ指先が震えてしまって、上手く着けられそうにないんです。
 なまえのささやかな懇願に、コルサは頷き、傷だらけの指先でイヤリングのネジを緩めていく。そして、柔らかな肉厚の耳朶にそっと宛てがい、慎重に締めていく。ひんやりとしたイヤリングの金具が耳朶をゆっくりと挟み込んでいく感覚を二度ほど感じたところで、遂にコルサの美しいイヤリングが二つとも自分の耳に着いているのだと知る。耳元に残る僅かな体温が失われていく中、なまえは自身のスマホロトムを取り出し、暗転したままの画面に映る自分を見た。
 素っ気ない耳元で小さく輝きを放つ琥珀に言葉を失う。数秒の静寂が永遠のように感じられる。しかし、話すことを忘れていたのはなまえだけではなかった。すぐそばに居たコルサもなまえの耳にイヤリングを着けてからは全く口を開かずにいた。不相応だろうか、と心配が顔を覗かせる前にそれは明らかに多くの熱量を伴って聞こえてきた。

「ワタシは今、感動している」

 慎重だったのは、自分だけではない。そう気付かされたのは、垂れた髪を極めて丁寧に耳に掛けて逃がしてくれた、コルサの傷だらけの指だった。ここで初めてなまえ自身も触れてみようと思えた。美しい琥珀を小さく閉じ込めたイヤリングに。そして、手を引かれている時には気付くことが出来なかった、傷ばかりの指先に。

「いつだってワタシの作品は個の独立をもって完成としてきた。だが、こればかりは独立での完成はなし得ない。身に着ける相手がいなければ、」

 先程コルサが口にしていた、『キミでなければ』という言葉の重みが増していく。ボウルタウンを不在にしていた間、コルサが追い続け、求め描いたものの答えを知る。饒舌さに拍車がかかる彼はやはり芸術家で、高揚感に包まれるほどに興奮しているのが見て取れる。それほどまでに、この瞬間を待ち侘びていたのだろう。

「この胸の高鳴りは筆舌に尽くし難いものがある。だが、心地よい高揚感だ。今まで数々の作品を完成に導いてきたが、これは初めての感覚だ」

 生き生きとした瞳、持ち上げたままの口角、興奮鳴り止まぬ鼓動にコルサは陶酔していた。初めて形になった新しい試みに、まるで自分もその内の一つであったかのようで密かに嬉しさに酔う。

「なまえ、キミは今何を感じている?」

 コルサと対面する度、投げ掛けられてきたこの問い。初めて出会った日のことを思い出す。けれど、今日は違う。あの日の焼き増しなどではない。なまえは率直な気持ちを伝えることに徹した。それで良かった。どんなに拙い言葉であっても、伝わりにくい表現であっても、心のままに思ったことや感じたことを全て曝け出すように、なまえは伝え続けた。全てを聞き終えたコルサは深く頷き、次の瞬間には笑みを浮かべていた。

「ワタシも時折、感じるものはあった。それが今の今まで不明だったが、これでようやく理解した」

 ──── 愛おしい、ワタシはキミを愛している。
 二人きりの静寂の中、それは言い放たれた。さも当然と言うように、躊躇いのないことが普通であるかのように。しかし、なまえからすれば心中穏やかではない。今日になって次から次へと色々なものが押し寄せてくる。コルサのアトリエへの招待、美しいイヤリングの贈り物、胸の内の確かめ合い。その全てがあまりにも突然過ぎたのだ。なまえはコルサの言葉を未だに受け止め切れず、そんな、いきなり、と動揺していると、再びコルサの口が開いた。

「好きだとか嫌いだとかの次元の話ではない。そのような些細なことを気にしていては、真の芸術を伝えていくことは出来ん」

「ワタシは、ワタシが感じたことが全てなのだ」

「だから、問い掛けなければならない。何を、どのように感じているのか、と」

 ここまで言われなければ気付けなかったことがある。踏み出せずにいた言葉たちの弔いはいつ済ませたのだろう。何度も飲み込み、腹の内に収め、あたかも平静を装って接していた。ありのままでいられたなら、どれほど良いだろうか。ありのままを許されたなら、どれほど。そして、それはたった今、目の前にある。コルサの瞳が優しく細まる。悴むような恐れを忘れられた気がした。熱を帯びた唇で分け与えられた愛おしさをなぞっていく。

「コルサさんは私の、憧れでした。わたしの ──── 」



11.作品の完成


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