焦れったい。今、彼女を前にして焦れったさに苛立っている。直接的な表現を相手に投げ掛けるのは苦手ではなかった、寧ろ誰よりも得意なはずだった。しかし、彼女を前にすると途端に臆病がって言葉が出て来なくなる。代わりに出て来るものと言えば、当たり障りのないつまらない言葉だけだ。中身のない、取り留めのない言葉を吐き出す度に焦燥感と虚しさが募る。本当は、自分が持ち合わせていない素直さの行方をずっと必死で探している。けれど、何処を見てもそれが見当たらないのだ。雲を掴んでいるかのよう。崩れ行く砂の城を波に攫われると分かっていながら、何度も作り直しているかのよう。彼女からの再会も喜んでやれないほど、心の声はすっかり小さくなってしまった。
***
彼女は、なまえは世話になっている保護施設を抜け出し、アラベスクタウンへとわざわざやって来た。隣にたった一匹のアーマーガアを連れて。さぞ、心細かったことだろう。ジム内で自分を見つけた時の顔の綻び方は、あからさまに嬉しいですと言っているようなものだった。正直、初めは驚いた。もう二度と顔を見ることはないと思っていたからだ。自分をアラベスクジムのジムリーダーとして推薦しているポプラに連れられて、再会を果たした。ポプラはどう切り出していいか分からない自分を見て、何も言わずに去ってしまった。その気まぐれさもフェアリータイプの使い手たる資質の表れであるような気がする。
「ビートくん、」
「なんです?いきなり、こんな所にまで押し掛けてきて」
彼女が名を呼ぶことも許してやれない。突っぱねてしまう。素直さは何処を探せば見つかるのだろう。それすらも誰にも聞けずにいる。自ずと見つけるには、きっと時間が足りない。
「ジムリーダー、おめでとう」
「……は?」
「わたし、ずっとテレビ見てたの」
「だからって、なんで、」
「応援してたの。絶対にチャンピオンになれるって」
でも、と彼女が続けたのは実際に自分が起こしてしまった問題行動についてだ。耳が痛い、引き裂かれそうな胸の内がある。あの一件は自分にとって大きな事件だった。そして、それは自分に何かを託した誰かにとっても悔やみ切れないものだったのだ。しかし、諦め切れなかった。あのまま栄光への道を断念することなど、出来やしなかった。だからこそ、今に至る。複雑に枝分かれした道の一本に再び立つことが出来た。彼女は、なまえはそれを大いに喜んでいた。まるで、自分のことのように。
「それを伝えに来たの。どうしても伝えておきたくて」
「それだけの為に、あそこを抜け出して僕に会いに来たと?」
「そう。ふふ、おかしいよね。今回のは自分でもやり過ぎかなって思って……、」
「ええ、あなたは本当に大馬鹿ですよ。そんなもの言いに来る為だけに、ここまで!」
肩を落とされても仕方なかった。見切りをつけられても、受け入れざるを得なかった。だが、彼女はどちらも選ばなかった。寧ろ、新たな門出を祝福し、今日の日に感謝さえしているだろう。優しさの上手な使い方を知らない人間は、どこか歪になってしまう。誰に言われずとも、そんなことは皆が承知していた。優しさを知らない者同士、顔を突き合わせてもろくなことにならない。自分は、どちらかと言えば、ろくなことにならない側の人間だ。そんな自分でも、人の上に立てるような気がした。そして、なまえはそんな自分を唯一喜んでくれる稀有な人間だった。
何か問題が起きた時、なまえはいつも話を聞こうと徹していた。どちらの言い分にも耳を傾け、どちらの立場に立って思考する。そこら辺の職員よりそれらしい彼女は、よく自分について回っていた。その頃の自分は全く本心を曝け出さなかったからだ。今思えば、誰にも打ち明けられなかっただけの未熟な子どもだったのだが。だが、今の自分はどうだろうか。苦悩、挫折、出会いの末に意外な結末へと辿り着いた、そんな今の自分なら何か伝えられるような予感がした。
「僕は滅多に感謝を口にはしません。だから、一度しか言わないから、よく聞いておいてくださいよ」
──── ありがとう、ございます。
彼女は、なまえは目を丸くして驚いていた。彼女の中で、無愛想だったあの少年が不器用な唇の隙間から感謝を素直に述べたのだ。無理もない、素直を口にした本人でさえ乱れた鼓動や頬の熱に緊張している。まるで弱みを握られたかのような、いたたまれない空気感に怯えてさえいる。なまえの次の言葉で全てが決まると言ってもいい。
「どういたしまして」
耳を疑った。彼女のことを知っていたならば、疑うことさえおかしな話なのだが。自分自身、本当は心のどこかで突っぱねられてしまうのではないかと恐れていた。自分がそう振る舞うくせ、他者にそうされてしまったなら、恐らく傷が付く。しかし、彼女は自分のよく知る彼女のままでいてくれた。昔と何ら変わらない、不変の人のままで。込み上げる感情を抑えようとしても、次から次へと押し寄せ、ぶり返し、溢れ続ける。
「……大丈夫?」
不意に曇る表情に我を取り戻せば、なまえがこちらを不安そうに見つめていた。言葉を口にする勇気は出ず、黙って頷く。彼女は更に、う〜ん?と首を傾げ、こちらを覗き込んでくる。やめて欲しい、酷く余裕がないと言うのに。もう嫌と言うほど、もう充分なほどにありのままでいられた。だから、もうこれ以上は。
「せっかくの再会なんだろう?いつまでも、そんなしけた顔なんてしてるもんじゃないよ」
しれっと、自分達の間に割って入ったのはポプラだった。彼女の登場に心臓が大きく跳ねたのは、どうやら自分だけではなかった。なまえもまた同じような反応をしており、再び顔を見合わせるとその驚きように小さく吹き出した。
「ふふふ……!ありがとう、ポプラさん」
「なんだい、あたしの登場を待ってたのかい?おかしな子だねぇ」
「どうしていいか、分からなかったんです。私も、ビートくんも緊張しちゃって」
「緊張、ねえ。ちゃんと年頃の少年少女してるじゃないか」
おっとりと垂れた瞼から伸びる睫毛が揺れる。そして、自分……ではなく、彼女の方を見やると突然その目を大きく見開く。これは、あの時と同じだと直感が告げる。なまえがあの審美眼に見抜かれてしまったのだろう。ゆったりとした動きから一変し、老婆とは思えない機敏な動きでなまえの両肩を掴む。驚く間もなく、なまえは目の前のピンクに詰め寄られ、身動きが取れなかった。
「あんた、いいねぇ。はがねタイプが好みのようだけど、見え隠れするピンク、お見通しだよ」
「……は、はい?」
「ジムリーダーはビートで決まりだけど、まだ別の席が空いてるからね」
「えっと、その、つまり……?」
「あんたにゃ、ここに居てもらうよ」
「ど、どういうことですか!ポプラさん!」
「ビート、あんたもその方が嬉しいだろ?」
ここはあたしが助け舟を出してやろうじゃないか。と不敵な笑みを浮かべるポプラの圧に押され、自分もなまえもそれ以上何も言えなかった。だが、彼女の言う通りだった。久々に顔を合わせたなまえとはまだ別れたくはない、その気持ちが勝る。この先、自分が施設に戻ることはきっとないだろう。ましてや、気軽に顔を出しに行くとも思えない。出来ることなら、今日のように施設の外で誰の目を気にせずに接することの方が楽なのだ。
「いいね、決まりだよ」
その強引な一言に、なまえは慌てて施設に連絡を入れたいと申し出た。ポプラはなまえの言い分に首を縦に振ると、自分が代わりに連絡すると言って二人してどこかへ行ってしまった。途中でこちらに振り返り、なまえは小さく手を振っていたのが、心臓すらくすぐったいと思わせるほどに特別だった。
01.Enchanté