連日、ガラル地方を賑わせているニュースがあった。それはとある無名の新人舞台女優の華々しいデビューについてだ。アラベスクタウンで公演された『妖精の娘』という舞台を見に来た客は皆、口を揃えて若き日のポプラの再来だと言っていた。高い評価を得た舞台の話は人づてにガラル全土に広がり、今では終日舞台に立つ日々が続いている。凛とした佇まい、けれど、しなやかさを損なわない曲線美。彼女は次から次へと人々を虜にしていった。そう、彼女は自身が演じた『妖精の娘』同様に誰からも愛される存在になったのだ。
 一番喜んでいたのは彼女で、次に喜んでいたのは彼女に演技の才を見出したポプラだった。自分はと言えば、正直複雑な心境だった。彼女が皆の脚光を浴びることを心から願っていたのは間違いない。だが、実際にそれが現実になると喜びよりも、言葉では言い表せない寂しさへ変わってしまった。喜ばしいことだと分かっていながら、同時に生まれてしまった距離の詰め方が分からず、やるせないでいるのだ。今の自分は不自然にぎこちない、施設にいた頃のような自分に戻ってしまった気がする。

「ね、聞いてる?」
「ええ、聞いてますよ。勿論」
「じゃあ、何の話だった?」
「そ、それは……、」

 聞いてないじゃん。と頬を膨らませて、なまえは不機嫌そうに前を見た。今日はポプラの計らいにより、ジムも演劇も休みにしてもらい、二人で近くの街に出掛けていた。なまえからすれば、待ちに待った休日。久々にゆっくりと過ごせる大切な一日のはずが、肝心の自分は褒められない感情に浸ってうわの空だったのだ。自分としたことがつまらない一時の感情を優先し、目の前にいるなまえを蔑ろにしてしまった。その小さなしくじりがとても大きな失敗のように思えて、内心やらかした自分をなじっている。

「……知ってるよ、最近大変だって」
「え?」
「前にも増して、ポプラさんとの稽古が厳しくなって来たんでしょう?」
「それはそうですが、だとしても……、」

 なまえに街に誘ってもらえて嬉しかった。
 目の前にいる彼女を優先すべきだと自分をなじっておきながら、この瞬間にも彼女への本心を打ち明けられずにいる。ごめんね、無理に連れ出しちゃって。しっかり休む日にすれば良かった。と浮かない顔をするなまえに、心底自分の狡さが嫌になる。望んでいなかったのはそんなちっぽけなことじゃない、なまえを見失って勝手に自分の殻に閉じ篭もることだ。しかし、それすら伝えられないのだ。悪手に悪手を重ねている、分かっていながらも彼女の為の言葉を言えずにいた。
 街の軽快な雰囲気とは裏腹に自分達だけ除け者にされているかのような、疎外感を感じる。これは紛れもなく、自分が招いた結果だ。街の賑わいが大きければ大きいほど、自分達を除け者とする溝は深まっていくようで、全く馴染めずにいるのだ。この日を楽しみにしていたのは、大切に思っていたのはなまえだけではない。それは自分だってそうだったのだ。冷え切ってしまったささやかな楽しみはすっかり亡骸のように横たわっている。誰が花を手向けると言うのだろうか。


「あれ、ビートじゃん!」

 不意に喧騒を割くような、明朗快活な声が聞こえてきた。居場所を無くしてしまった自分達にとって、その声は沈んだ空気を忘れさせてくれるほどだった。名を呼ばれ、声のする方向を見た。そこには一人の青年がこちらに笑顔で手を振っている。ホップだ、かつては同じガラルトーナメントのチャレンジャーだった仲間の一人だ。互いにチャンピオンを目指していたものの、今ではすっかり皆が違う道を歩んでいる。ホップは兄ダンデのような最強のチャンピオンを目指していたが、近況を聞けばポケモン博士という新たな夢に向かっているらしい。

「……なんだ、ホップくんじゃありませんか」
「なんだって、なんだよ。ま、俺もたまたま見かけて声かけただけなんだけどさ」

 ごく自然にホップの視線が自分の前を過ぎ、隣にいたなまえへと向けられる。すると、ホップは目を丸くしたかと思えば、今度は自分に接するよりも多少興奮気味に口を開いた。

「隣にいるのって……、もしかして、」
「あまり声を荒らげないでください、なまえに失礼ですよ」
「やっぱりそうだ!なまえって、あの最近有名な舞台に出てるなまえだよな」
「……ですから、」

 あまり外で騒ぐべきではない話題を何とか逸らそうとした時、不意に真隣から聞こえてくる声に一瞬だけ体が硬直する。人当たりの良い、柔らかで弾んだ声が自分の横を通り過ぎていった。はじめまして、と不機嫌さを微塵も感じさせない彼女の声に、自分だけが置いていかれたように感じられたのだ。当たり障りのない挨拶、誰もが平然と交わす挨拶だと言うのに、何故かその時ばかりは自分を追い詰める理由にしかならなかった。

「ビートくんのお友達、よね?」

 ホップと仲良さげに話をしているなまえの姿に、突然いたたまれなくなってしまい、二人が話し終えるよりも先に会話を遮っていた。故意ではない、今日の自分はとことん様子がおかしい。

「……急用を思い出したので帰ります」

 柔和に微笑むなまえの、途端に丸くなる瞳を直視せずに踵を返した。急用なんてものはない、ただ、ひどくくるしい胸の内をこのままにしておけず。けれど、うまくやり過ごすことも出来ないだけの、卑怯者がこの場を去りたいが為の取ってつけた理由だった。ほんの数歩、離れたところで後ろから聞こえた、なまえの取り繕ったような健気な声が耳に突き刺さる。

「おしゃべりが終わって、少し街を見て回ったら帰るね」
「ええ、あまり遅くならないよう」

 背後から心臓を貫かれ、そんなつもりもなかったくせに後ろ手でなまえを無作為に切りつけていた。隣にいたホップは恐らく、ジムリーダー業務が大変なのだと勘違いしていることだろう。振り向くことなど出来なかった。今、なまえがどんな顔をして自分を見ているか。それを見てしまったなら、取り返しのつかない怪我を負うことになる。決して振り向かず、彼女の手が届かないところへと足早に去っていった。


***


 アラベスクタウンに戻って来たものの、終始居心地の悪さを感じている。置いてきた。なまえをホップに押し付けるような形で、置いてきたのだ。胸を焦がす嫉妬は一体何だったのか。今となってはよく分からない。誰よりも傍に居たのは自分だが、彼女の隣に居られるのは自分だけではない。自分より立ち回りの上手いなまえのことだ、きっとあの人当たりの良いホップとも仲良くなるのだろう。少し前の自分は眠る時にいつも星に祈っていた。大勢の前で舞台に立つ彼女の不安が少しでも消えてしまえばいいと。
 しかし、今となってはその時の純粋な気持ちでさえ、なまえと共に置き去りにしてしまったのだ。取り返しのつかない、判断を下した。ただ、その仕損じた自分を責めることで平静を保っていた。どうしていつも、こうなのだろう。平和的解決に持ち込めず、いつも厄介な終わり方を迎える。なまえとだけは、そうなりたくなかったくせに。苦い思いを抱えながら、ジムの目の前まで来ると、よく見知った相手の声が聞こえてきた。

「あんた、こんな所で何してるんだい」

 鋭く突き刺さる。その声は耳の奥へ、喉の奥へ、胸の奥へ、心臓の奥へと突き刺さってくる。ポプラだった、アラベスクジムの入口の前で鎮座していたのは。バイオレットのアイシャドウの瞳がこちらを見つめていた。

「……何してる、だなんてあまりにも唐突過ぎますよ」
「その答えは間違いだよ、あたしが聞きたいのはそんなことじゃないってわからないのかい?」
「じゃあ、何です」
「あの子は、なまえはどうしたんだい。一緒に街に出掛けたはずだろ?」

 言葉に詰まる。しかし、痛い所を的確に突かれた事実よりも、街での自分の行いに胸が痛む。答えられなかった、ポプラの問いに。初めて答えることが出来なかった。虚しさや哀れさに握り締めた拳の痛みさえ感じ無くなっていた。ポプラはそれ以上問い掛けることはせず、ゆっくりと自分の元に歩み寄ってはこう言った。

「ビート、あんたが人よりひねくれてるなんてこと、あたしはよく知ってるんだ」

 バイオレットの指先が頬に触れる。

「それはあの子も同じさ。でもね、あたしはなまえほど、あんたのことを知らないんだよ」

 垂れた目尻の瞳が瞬きの間に細まる。

「なまえのことをよく知ってるのも、あたしじゃない」

 よく考えな、時間は貴重さ。待ってくれる相手がいるのも、貴重なことさ。あの子は我慢強い子だからね、相棒のアーマーガアに似て、根っからのはがねタイプなんだろうね。
 ポプラが話し終える頃、自分の中でひとつの答えが出ていた。自分が人より何倍もひねくれていること。性格に難があることも理解している。だが、自分以上に自分を理解してくれている相手は一人しかいなかった。今では良き理解者も二人になったが、施設にいた時からなまえはずっと自分の言葉に耳を傾けようとしてくれていた。

「すみません、やっぱり街に戻ります」
「あの子は今、ちょっとした有名人なんだ。いつまでも全問正解の坊やなんかに任せてばかりじゃいけないからね」
「どうして、なまえがホップくんと一緒にいると知っているんです?」
「……さあね、なんでだろうね。そういうものさ、人生は」

 本当に掴みどころのない相手だと思った。飄々としていながら、的確に痛い所を突いてくる。バトル中に厄介なクイズを仕掛けるのも、根っからの意地悪だからだと人は噂する。しかし、相手を煙に巻きながらも、自分の中に一本の芯のようなものを持っており、それを容易く譲ろうとはしない。ポプラとは、そんな相手だった。ふと思えば、よく似ていた。

「……そう言えば、施設にいた頃からなまえはどことなく、ポプラさんに似ている気がしますよ」
「そりゃあ嬉しいねぇ。あたしも思ってたんだ、あの子は若い頃のあたしによく似てるってね」
「なまえが、ですか?」
「……ビート、また間違えたね」

 戯れも程々に、さっさと行きな。女の子を待たせるもんじゃないよ。と踵を返したポプラの後ろ姿に、ルミナスメイズの幻想的且つ、不思議な感覚が漂う森を抜けて行った。



04.Aspiration


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