——…忘れていたのかもしれない。

 「それが」「それ達が」…自身が生まれる前からずっと家に住んでいる小さな可愛い子達が自分達とは違う、言葉では言い表せない存在であること。
 厭、完全に忘れていたのかと問われるとそうではない。
確かに人には絶対に無いふわふわな耳とこれまたふわふわな尻尾がある時点で人ならざるものであることは幼少期から炭治郎も炭治郎の家族も理解していた。
 だが、見た目と言動がいつまでも二人は幼く、だから最初は兄や姉のように慕っていたのが、自身が成長すると共に妹や弟…なんなら自身の子供に接するような接し方になっていた。でも、それに対してこの小さな可愛い子達も怒ることも嫌がることもせず、寧ろ嬉しいと言わんばかりに甘えてくることが多くなっていた。 
 だからこそ忘れてしまっていたのかもしれない。

——この子達は強いのである。

 それは、力の話ではない。言葉にできない【全てにおいて】強いのである。
 それを今、炭治郎は一瞬にして再認識させられたのである。

 事の発端を簡単に説明すると炭治郎の実家が経営する竈門ベーガリーに炭治郎の妹・禰豆子に言い寄る迷惑客が現れたことだった。
 その日、短期バイト中の紅に後に「アブラギッシュプヨクソオジ、略してアブプオ」呼ばれるぐらいに膨よかな男性で歳は明らかに禰豆子よりも年上。
失礼かもしれないが中年もしくはそれ以上と呼ばれるぐらいの見た目をしており、ぐまべに曰く「あたまのなかは、はるだけど、めにみえるあたまはまふゆ」と遠回しに頭皮が乏しいと言われていた。
 そんな男は何処で禰豆子に目をつけたのかはわからないがここ最近、店に通い始めたかと思うと娘もしくは孫と言ってもおかしくはないほど自身と遥かに歳の差のある年下の禰豆子にアプローチをかけ始めたのである。
 最初はまだ、おどおどとした感じでレジをする禰豆子に一言二言話しかけてるぐらいだった。優しい禰豆子もその時は然程気にすることなく接客をしていたのだが、その優しさに対して変に勘違いをした男が調子に乗り始めたのである。
 客と店員、それ以上でもそれ以外でもない。なのに男は己の中で禰豆子の態度を変な方向へと受け取ってしまったのである。
 そこからの展開は早かった。日に日に男の態度は大きくなり、禰豆子がいないとわかると購入予定だったパンを全て購入せずにキャンセルしたり、また禰豆子ではない者がレジを担当しようものなら舌打ちをしてぐちぐちとクレームを入れてくるようなことが相次いだのだった。
 偶々、この迷惑男が来る時間帯にシフトに入ってなかった紅ですらこの話を聞き「迷惑客?クレーマー?処す?処す?」と言うほどだった。
 そんな日に日にエスカレートする迷惑行動に等々、竈門家長男・炭治郎は怒った。
 亡き父・炭十郎から受け継いだ大切な店と可愛い可愛い自身の妹である禰豆子に迷惑をかける男に優しい長男も我慢できず「禰豆子に付き纏うことも店に迷惑をかけることも止めていただきたい‼︎‼︎」と物凄い気迫で怒ったのである。
 突然のことに最初は男も一瞬怯んだが、周りの冷ややかな塵を見るような視線に我に返ると顔を真っ赤にして炭治郎へ掴み掛かろうとした。

 だが、その男の腕は炭治郎に届くことはなかった。

 ガチャンッ、バンッと大きな音が聞こえたかと思うと男の顔面にトレーが叩きつけられており、また、炭治郎へと伸ばされた男の腕には何本もののトングがその腕を阻止するかのようにして男の腕を挟んでいたのである。
 突然のことに炭治郎も周りの客も驚きで目を見開き、何が起こったのかを瞬時に理解することが出来ず、唯静かに動きを止めた。
 一方の迷惑男は突然の顔面の痛みにトングに挟まれていない片手で顔面を覆い、痛みに顔を歪ませ呻き声をあげた。その間も迷惑男の顔面にヒットしたであろうトレーが床に転がり、その音がカランカランと静かに店の中に鳴り響いた。
 炭治郎は思わず、トレーとトングが飛んできたであろう方向へと恐る恐る顔を向けた。ヒクヒクと口元が無意識に引き攣り、背中にたらりと冷たい汗が滴るような気がした。
 炭治郎が目線を向けた先には炭治郎が想像していた通り、竈門家の小さな可愛い二人がトレーとトングを投げたであろう体勢のまま立っているのが見えたのである。しかも竈門家の住人や親しい人以外には見えないようになっているらしい可愛いふわふわの耳と尻尾がピンッと立ち、心なしか毛も逆立っているのように見えた。
 二人の伏せられた顔には影が差しており、二人の表情がどのようなものかを炭治郎の場所からは確認することが出来なかった。唯、投げたであろう体勢を見る限り、トレーがぐまべにでトングがぽんじろうだなと炭治郎は、そのことだけは冷静に判断することが出来た。

「……っクソガキ共が何しやがる‼︎」

 迷惑男も小さな二人の仕業なのだと気がついたのか、顔面にトレーを投げられて赤くなった鼻で鼻息を荒くさせながら手に挟まったトングをガシャガシャと振り落としたかと思うと小さな二人へと怒りの矛先を向けた。
目は血走り今にでも幼い姿の二人に掴み掛かりそうになっているのだが、小さな二人は顔を伏せたままぴくりとも動かない。
 そんな二人の様子と迷惑男に炭治郎は慌てて間に入ろうとしたのだが、炭治郎が動くよりも先に強い風が炭治郎と迷惑男の間を駆け抜けたのである。
 ブワッと一瞬吹いた風に炭治郎と迷惑男とその場にいた客は一瞬目を閉じた。するとバンっと音が鳴り、店の扉に設置されていたベルがチリンチリンと鳴り響く音が聞こえ、炭治郎は強風に閉じていた目を薄らと開け、ベルが鳴り響く店の出入り口に視線を向けると何処からともなく吹いてきた強風により扉が一人でに開いているのが見えたのである。

 そして次の瞬間、炭治郎の視界の端に黒い影が映った。
しかも、その影は高く飛び上がったのである。炭治郎は薄めに開けていた目を見開き、高く飛び上がった影に視線を向けた。

 するとそこには迷惑男の身長よりも高く飛び上がったぐまべにの姿があったのである。
表情を見ると口は、いつもよりもむっすりとしており、ぴーんと立った耳と逆立った毛を見る限りかなり怒っているのが炭治郎には理解出来た。
 しかも、いつのもパターンで考えるとぐまべには怒ると高く飛び上がった後、自慢の尻尾を叩きつける攻撃を仕掛けてくるのである。
そう、世界的有名ゲームの技で例えるなら某電気鼠もびっくりなアイアンテールを繰り出すのである。
それが機嫌が悪い時、激怒した時などは連続、つまり往復アイアンテールを繰り出してくるからこれまた厄介なのだ。普段はフワフワ尻尾でご機嫌にふりふりしている癖に矢鱈と威力が強いのである。言葉にするなら痛いの一言しか言えず、ふわふわ尻尾の癖にめちゃくちゃに痛いのだ。
 炭治郎は長男だし、昔からぺしぺしべしべしされてきたから慣れてはいるが、迷惑男とは云え一般人である人間がぐまべにのアイアンテール、しかも今は怒っているため全力を出すであろう尻尾の威力に意識が飛ぶかもしれない。
 それはいけないと炭治郎は慌ててぐまべにを止めようとするが、それよりも早くぐまべには自身のズボンのポケットから何かを取り出すと迷惑男の乏し過ぎて頭皮の境目が分からない額に物凄い勢いで何かを叩きつけたのである。
 またしても額への衝撃に迷惑男は呻き声をあげたが、ぐまべにはくるりと空中で一回転するとトンッと小さな足で華麗に着地した。

 迷惑男の額に叩きつけられたのは一枚の紙であった。
 しかも、折り紙に黒いクレヨンで可愛らしい文字で書かれた【かまどべーがりー、できん。にどとくるな】と云う店への出入りを禁止する意思を示した言葉に炭治郎が「えっ⁉︎」と驚いているとその横をまたしても小さな物体が駆け抜けたのである。
 それは炭治郎よりも小さく、カランッと耳飾りが揺れる音を鳴らしながら勢いよく助走をつけるように走る。

——やっちゃえなのです、ぽんじろうくん

 その言葉が聞こえた瞬間、ぽんじろうは勢いよく地面を蹴り上げ、迷惑男の顎へとその石頭で頭突きをした。
 額の痛みの次に訪れた顎への衝撃的。そして声にならない痛みに男は思わず一瞬意識を飛ばし身体が思うように動かすことができず、そのまま勢いよく風により開いた店の扉からぽんじろうの強烈な頭突きに吹き飛ばされるような形で店から転がり出た。
 その光景に思わず、炭治郎も客も唖然とした表情で見ていると小さな影二つも店の扉の
外へと消え、扉は静かに閉められた。

♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎

 外に吹き飛ばされた男は地面に横たわり、何が起こったのか理解できないままでいると小さな物体が自身の前に立つのがわかった。
 男は地面に横たわったまま恐る恐る顔を上げるとそこには先ほど自身に攻撃を仕掛けて来たぽんじろうとぐまべにがじっと男を見下ろすようにして仁王立ちしていた。
しかも二人の大きな瞳に光は無く、瞳孔だけが大きく開かれたまま男を見下ろしているのである。
 男よりも小さい身体なのにその身体から発せられる威圧感は鋭く重いものだった。男もそのことを無意識に身体は理解していながらもこんな自分よりも小さな子達に己のプライドを傷つけられたのが気に食わないと云う気持ちがこの時は強かった。
 他人からしたらどうでもいい人に迷惑をかける身勝手な男のプライド。でも自身の中では迷惑だとか身勝手だとか思っていない迷惑男にとっては、こんな小さな子達でさえ、自身の邪魔をするゴミとしか思っていないのである。
 だから男は吠えた。己が地面に座り込んだままだと云うことも忘れ、馬鹿みたいに吠えたのである。

「クソガキども‼︎‼︎こっちは客だぞ‼︎‼︎お客様は神様だろうがァ‼︎‼︎」

 そう喚き散らしながら男は小さな二人に掴み掛かろうとしたのだが、寸前のところでピタリと身体が動きを止めた。
 それはまるで金縛りにあったかのように動かすことが出来ず、かろうじて眼球のみ動かすことができた。
何故か胸が苦しくなり、ただでさえ喚き散らしたことにより浅くなっていた呼吸が更に浅くなり、たらりと額に汗が流れた。声をあげようにも声を出すことも出来ず、どんどん感じる自身への身体的な違和感に男は荒んでいた心が一気に恐怖へと色を変えた。

「ぐまたちのおみせですきかってしてくれましたね」
「みんなにめいわくをかけるおきゃくさんなんていらないぞ」
「さっき、なんていいましたです?おきゃくさまはかみさまです?」
「みんなにいやなおもいをさせたのによく、こんなことをことばにできたな」

 紅瞳と赫灼の瞳が男をじっと見つめる。
 この時、男はやっと自身が【やってはいけないこと】をしてしまったのだと気がついたのである。
 身体がガタガタと恐怖に震える。いい歳をしているのに涙や鼻水が溢れ、それを拭うことすらできない。
 【大きな存在】を前にして手遅れかもしれないが少しでも粗相すればとんでもないことが起こるかもしれないと云う気持ちが溢れて止まらない。くだらない小さなプライドは一瞬にして恐怖に砕け散り、命乞いをしようと必死になるが唇は震えるばかりで言葉は出ない。

 何故か、はらりと季節外れの桜の花びらが舞い、地面に溶けて消えた。
 いつの間にか額に貼られていた赤い紙は男の視界から消え、怪しく光る紅瞳と赫灼の瞳が矢鱈と大きく見えた。

「おきゃくさんは」
「かみさまなんかじゃないですよ」

「「こちらが、かみさまですよ」」

 その言葉が二人から紡がれた瞬間、男の意識は白く飛んだ。

♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎

 突然のことに唖然としていた炭治郎は小さな二人の姿がないことに気がつくと慌てて店の外へと続く扉を開けた。
 ガランカランと鳴り響くベルを気に止めること無く炭治郎は、ぽんじろうとぐまべにの名を呼ぶと店に背を向けるように立っていた小さな二人は、ゆっくりと静かに炭治郎の方へと顔を向けた。
 ゆっくりと顔を向けるその一瞬、瞳孔が開かれた光のない二人の瞳が見えた気がした炭治郎の背に一瞬、ゾクリと悪寒が駆け抜けた。
 そうだ、二人は幼い姿をしているが、人ではない。自身達とは違う存在であると炭治郎は、この時再び認識させられたのである。

 だが、二人が怖いのかと聞かれたらそうではない。
 人とは違う存在であるが、二人はずっと長い間、竈門家を見守り、慈しんで愛してくれたのである。
「たんじろうくんー」「たんじろうくん」と自身を呼び慕ってくれるのだ。
 これは怖いと云う悪寒ではない。【二人はすごい】と再び認識したから感じた悪寒なのだ。

 だから炭治郎は二人の名前を再び呼んだ。

「ぽんじろう‼︎ぐまべに‼︎危ないことをしちゃダメだろう‼︎」

 竈門家の長男として【小さな一番末っ子】の二人を叱った。


♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎

 男はアパートの一室、ゴミ溜めのような自身の部屋の中で目を覚ました。
 ずきずきと痛む額と顎に男は顔を顰めながら今日も【あのパン屋】の【あのこ】に会いに行こうと準備を進めた。
 だが、家を出る瞬間、男はピタリと動きを止めた。

「…あれ?俺、パン屋なんて通ってたか?てか、あの子って誰だ…?」

 男の呟きは空気に溶けて消えた。




できん、できん。かまどべーがりーできんさんです。

ねずこちゃんをまもらないと、かまどけをまもらないと。

たんじろうくんたちにめーわくかけるなら、ぐまとぽんじろうくんがゆるさないのですよ。

おきゃくさまは、かみさま?めいわくをかけてるのにそれをりかいしないで。

わるこさん、わるいこさん。

あかふだ、たましいととけあって。

わるいおもいは、かくれんぼしましょうね。

「「おきゃくさまは、かみさまではないです。かみさまは、こちらです」」