ある春の日、一人の少年の元に不思議な手紙が届いた。



その少年の名前は中島敦。
経営難と言われ孤児院を追い出された敦は、餓死寸前だった所を偶然(だと敦は思いたい)川を流れていた太宰と言う男性を助けた事によりあれよあれよと言う間に太宰が働く探偵社社長・福沢諭吉に引き取られ何故か個性豊かな性格を持った人々とアパートに暮らす事になったのだった。


18歳の敦は、福沢諭吉が経営している探偵社へ入社し働いていた。
そんな敦が仕事を終え、共に働く太宰・国木田と寮であるアパートに帰った時だった。


ポストに一通の差出人不明の手紙が届いていたのだ。


敦は、自分の宛名だけが書かれた不思議な手紙を手に取り首を傾げると自分の部屋の鍵を開けリビングへと足を運び、その不思議な手紙の封を開けた。







敦「?……何だこれ?」



敦が、封を開くと其処には文字が書かれた手紙が一枚入っているだけだった。



*まきますか。


*まきませんか。



ただ、その二行の問いと“まく・まかない”と言う回答しか書かれていない手紙に敦は、少し気味が悪いと思いながらも何故かペンを持ち丸をつけてしまった。





“まく”の側に。



丸をつけてからハッと我に返った敦は、その手紙を見つめるとゴミ箱へと捨てたのだった。







敦「疲れているのかな…」







一人呟いた敦は、風呂の準備をしようと立ち上がろうとした時だった。
敦は何か固いものに躓き、バタン!と大きな音を立てながら頭から畳に突っ込んだのだった。


敦「いったぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ{emj_ip_0792}」


打ち付けた頭を抑えながら、よろよろと座り込むとバッと背後を振り返り敦は目を見開いた。




其処には、先程まで無かった焦げ茶色のトランクが突然、現れたかの様にその場所にあったからだ。




敦「え{emj_ip_0793}な、何だこれ…」


敦自身の持ち物でもないそのトランクに敦は、驚きと戸惑いを隠せなかった。
よく見ると焦げ茶色のトランクには細かな装飾が施されており、どれだけの価値なのか専門家では無い敦でも高級な物だと言うことが一目で分かるほどの代物だった。



敦は突如現れたトランクに警戒しながらも手は無意識にトランクの鍵に手を伸ばしていた。





この中に何が入っているかも分からないのに何故か敦は開けなければいけない気がした。








ドキンドキンと高鳴る胸を抑えながら敦は、鍵に触れ、トランクを開けると敦は再び目を見開いた。






トランクの中には、白い肌に黒い髪、を持った小さな美しい少女人形が入っていたからだ。
そのトランクの中に横たわる姿は、眠り姫が眠っているのかと言うぐらい美しい物だった。


敦は、その美しい黒髮の少女人形の脇に手を入れて両手で持ち上げた。




何故、こんな物がここに?など様々な事が敦の頭を駆け巡ったが敦の口から出たのは、ただ一言だけだった。



敦「綺麗…」


敦は、自身の手にある少女人形を見つめ無意識に頬が熱くなり心臓が高鳴ったのが分かった。

自分は、人形愛好家では無いはずなのに…と思いながらも敦は、少女人形から目をそらす事が出来なかった。




敦「下…履いてる…」




チラリと捲れたスカートの中を見てしまった敦は、少し申し訳ない気持ちになった。



心の中でごめんなさいと少女人形に謝っている時、少女人形が横たわっていたトランクに光る物がある事に敦は気がつき手に取った。


敦が手に取った光る物は、少女人形の螺子である事が分かった。



敦「螺子…?」



敦は、不思議そうに首を傾げるとふっと先程の差出人不明の手紙の存在を思い出した。
少女人形を抱えたまま、敦は立ち上がり先程の不思議な内容の手紙を捨てたゴミ箱の中を確認しに行くと敦は、目を見開いた。




先程、捨てた筈のカードが無いのだ。




まきますか、まきませんか。と書かれており、“まく”と丸をつけた手紙がゴミ箱の中から消えていたのだ。




敦「手紙がない{emj_ip_0793}じゃあこの子は…」




“僕が巻くと丸をつけたからやって来たのか…?”




敦は、自身の腕の中にいる少女人形に目をやるとギュッと抱きしめる手に力を込めた。



常識的に考えて人形だから動く筈ないのにこの子が動くのでは無いかと言う思考が何故か敦の頭を過ぎった。




もし…もし、この子がそうなら…




もし、動くのなら…




敦「僕が君を目覚めさせていいの…?」




そう腕の中には、いる少女に問いかけると頷いた様に見えた。



敦は、震える手で螺子を少女の纏う黒い外套の下にあった穴に嵌めると敦が少し巻くと敦の力とは関係なく螺子が勝手にギリギリと巻き始め、少女人形の体がふわりと敦の手から浮かんだのだった。


目の前のありえない光景に敦は驚き、目を見開く事しか出来なかった。



ギリギリと巻く音がピタリと止まった瞬間、目の前で浮いていた少女人形の目が薄っすらと開かれた。


その薄っすらと開かれた瞳を見た敦は、「あ…」と声を漏らした瞬間。



ばしんっ{emj_ip_0792}と敦の右頬に突如、衝撃が襲った。



敦「痛い…{emj_ip_0792}」



敦は、バッ{emj_ip_0792}と痛む右頬を抑えながら少女人形へと目を向けると地面に足をつけた人形は、先程は薄っすらとしか開かれていなかった瞳が今度は、しっかりと開かれており黒真珠の様な美しい瞳がじっと敦を見つめていた。




敦「え?あ、えっと」




目の前の動き出した目の前の人形に戸惑いながらも敦の胸はドキドキと高鳴っていた。



敦「(か、可愛い…{emj_ip_0792})」



熱くなる頬に高鳴る胸。
感じた事のない感情にショート寸前な敦を見つめていた人形は、ゆっくりとその艶やかな唇を開いた。







「人のスカートの中を覗きおって…




この変態が」




艶やかな唇から出た言葉は、敦に対する毒だった。





敦「……いや!違うんです!捲れてて見えちゃっただけなんですよ{emj_ip_0793}」




可愛らしい顔から突如出た言葉に敦は数秒固まったが、すぐさま思考を元に戻し不可抗力だったと伝えたのだが、
「其れでも見た事に変わりはない、この淫獣が…」と言われてしまった。




「まぁ、よい…。




お初にお目にかかる。
私の名は薔薇乙女第五ドール・芥川ふみ。」



敦は、目の前の人形の名前を聞いて、自身の知り合いであり何かしら自身に突っかかってくる一人の男の存在が頭に過ぎった。



よく、見ると目の前の少女人形は、その男に似ている気がした。



ふ「貴様の名前は何だ淫獣」



敦「淫獣じゃないです!中島敦です!」



すぐさま、ふみの言葉に答えるとふみは、「そうか。」と呟いた。



敦「あの、ふみさんは…お人形なんですよね…?」



敦が恐る恐る尋ねるとふみは、コクリと頷き口を開いた。



ふ「私達は、とある男の手によって“究極の少女・アリス”を目指すべく作られた、生きた人形・薔薇乙女だ。」


敦「究極の少女…?」


ふ「私達の製作者である“お父様”が理想とする完璧な少女の事だ。
「どんな花よりも気高く、どんな宝石よりも無垢で、一点の穢れも無い、至高の美しさを持った究極の少女」と言われている。

私達、薔薇乙女達は、このアリスを目指すべくして生まれた存在…


お父様の理想の少女になるために生まれた存在だ。


だが…私達は、その理想に届かない出来損ないでもある。」




敦は、ふみの言葉をただ黙って聞いた。




ふ「出来損ないである私達がアリスになるためには「アリス遊戯」に勝ち、
私達の薔薇乙女の心臓とも言える「薔薇ノ欠片」を全て集めなければならないのだ。」




“つまり、人形同士の殺し合いでな。”




そう言うふみの言葉に敦は、目を見開き「そんな…」と呟くしか出来なかった。



敦「そんなの…自分勝手過ぎるじゃないですか!
生み出すだけ生み出して、理想に届かないから殺し合えなんて{emj_ip_0792}」



見た事も会った事もない、自分勝手な製作者に怒りを露わにする敦にふみは、目を見開いた。



“何故、この人間は怒るのだろうか…”と。




ふ「何故?何故、貴様が怒る?



今、出会ったばかりの人形のために。」




不思議そうに首を傾げるふみに敦は、ムッとした顔をした。



敦「人を思うのに時間なんて関係ありません。」



ふ「……貴様、変な人間だな」



敦「よく言われます。」



ふ「言われるのか…」



ふみが小さく、本当に小さくだが笑ったのが敦には分かった。
敦は、人形なのに柔らかいふみの頬に触れた。

そして…





敦「笑ってる表情も素敵ですね。」




とにっこりと言った。



ふみは、敦の言葉に目を見開くとすぐさまムッとした表情に変わったと思った瞬間、敦の頬にふみの纏う外套のベルトが再び飛んできた。


ばしんっ!


敦「痛い{emj_ip_0792}」


ふ「人虎の癖に気安く触れるな!」


敦「じ、人虎{emj_ip_0793}」


ふ「なんか、貴様を見てると白虎を思い出す。」



敦「あ、そうなんですね」



虎かぁ…などと呟く敦にふみは、少し赤い頬を膨らましながらぷいっと顔を背けた瞬間、目眩が起こったかの様に視界が揺れ倒れそうになった。



そんなふみに気付いた敦は、素早く抱きとめると「どうしたんですか{emj_ip_0793}」と心配そうに声を掛けた。




ふ「煩い…
未契約だから体がフラついただけだ。」



敦「未契約…?」



ふ「通常、薔薇乙女は単体では動けないが、人間によって螺子を巻かれると動く事が出来る。
しかし、それだけでは不十分であり、人間から力を貰わなければ能力を完全に発揮出来ない。
その為には、螺子を巻いた人形と契約を交わす必要があるのだ。」



ふみの説明に敦は、すぐさま理解した。





ふみさんの螺子を巻いたのは僕…



なら、契約は…




敦「僕{emj_ip_0793}」





敦の言葉にふみは、物凄く嫌そうな顔をしながら「不本意だがな」と言うと、再び顔を逸らした。


敦「もし……契約しなければ、ふみさんはどうなるんですか?」


恐る恐る自身の腕の中にいるふみに尋ねる敦に顔を逸らしたままふみは、「再び眠りにつき、他所の者の場所へ行くだけだ」と言った。




他所の場所に行く。


即ち其れは、他の人間の物になり、一生…
永久に出会えないかもしれないと言う事?











敦「そんなの…嫌だ。」




敦の呟きは小さくふみには、聞こえていなかったがふみは、ぎゅっと自身を抱きとめている手に力が入った事がわかり、不思議そうに敦を見上げた。



ふ「人虎?」



ふみが敦を呼ぶと敦は、ふみを畳の上に下ろしふみの小さな右手を両手で包み込む様にして優しく握った。





敦「ふみさんと契約させてください。」




突然の言葉にふみは驚き目を見開いた。


だが、真剣な敦の表情に目を逸らす事が出来ず、心の中でおろおろする事しか出来なかった。



ふ「…本気で言っているのか?」




敦「本気です。





僕は、貴女と離れたくないんです。」



真っ直ぐな敦の言葉にふみは、「この淫獣が…」と頬を紅潮させながら呟いた。



ふ「不本意だが、貴様を主人と認めてやろう。



誓いのキスを私の手の指輪にしろ」



ふみがそう言うと敦は、ふみの手に嵌められていた小さな薔薇の指輪にキスをした。


キスをしたその瞬間、眩い程の光が指輪から発せられ敦は、眩しさの余り目を瞑った。
光に目を瞑りながらも敦は自身の左手の薬指が熱を持っている事が分かった。





熱さが収まると眩い程の光も同時に収まり、敦は閉じていた目をゆっくりと開いた。
違和感を感じる自身の薬指に目線を向け、確認すると其処には、ふみがしている物と同じデザインの指輪が嵌められていた。



敦「此れは…」



ふ「契約者の証だ。
私が契約を解除しない限り、その指輪は外れぬ。





無理に外そうものなら、指がもげるぞ。」



敦「え{emj_ip_0793}も、もげる{emj_ip_0793}」



ふみは、コクリと頷き「契約したいと言ったのは貴様だろう。何だ?早速、解除するか?」と言うと敦は「解除は、嫌です!」とすぐさま答えた。



敦「でも……此れから、ふみさん達は戦うんですよね…?」



不安そうに言う敦にふみは「あぁ、その事か…」と呟くと



ふ「私達は薔薇乙女は、“本来”なら戦わなければいけないのだが…
皆、余り戦いを好まぬ奴らばかりだ。




一度も戦いをした事のない、仲睦まじい姉妹だぞ。」


と平然と言ってのけたのだった。



敦「へ…?戦いを好まない?仲睦まじい姉妹?え?はっ…?」



ふ「よく、お茶会も開くぞ?」



敦「え、えぇぇぇぇ{emj_ip_0793}そんなのありですか{emj_ip_0793}ふみさんたちのお父さんは{emj_ip_0793}なんか、アリス遊戯とかは{emj_ip_0793}」




ふ「正直、皆お父様の事、どうでも良いみたいだな。



皆、好きな様に其々の主人の元でのんびりと過ごしているぞ」




ふみの言葉にさっきのシリアスは何だったんだ…と思った敦だったが、目の前にいる先程手に入れた可愛い可愛い自身の人形の姿を見て“まぁ、いいか”と思ってしまったのだった。