kmtうちよそ

 任務の際、ぬかるんだ山の斜面に足を取られ怪我をした炭治郎は療養の為、蝶屋敷を訪れていた。
 怪我と言えど大した大怪我では無いため、無理な鍛錬を行わなければ自由に過ごしても構わないと蟲柱・胡蝶しのぶにそう言い渡された炭治郎は蝶屋敷内の雑務を手伝いながら時間を過ごしていた。
 だが、毎度毎度、雑務があるわけでは無く、空き時間が出来てしまう時もあった。其れが今であり現在の時刻は昼過ぎであるが故に妹の禰豆子と共に過ごそうとしても鬼である禰豆子にとっては現在、真夜中のようなものであり眠る事で体力を回復させている為、起こす事など出来なかった。
 
そんな時だった。炭治郎の耳に誰かの話す声が聞こえたのだ。
 炭治郎は声の聞こえる方へと足を向け、物陰からひょっこりと顔を出すと見えた紅い羽織と彼岸花の髪飾りを纏う姿に思わず名前を呼んだ。

「紅‼︎」そう、呼ばれた黒髪の少女は特に驚いた様子も無く、ゆっくりと振り返るとその紅い瞳に炭治郎を映し「こんにちは。炭治郎くん」と無表情を変えることなく淡々と炭治郎に挨拶をした。
 炭治郎は黒髪の少女の紅い瞳が自身に向けられた事が嬉しかったのか少し頬を染めながら嬉しそうに微笑んだ。

「微笑ましいですね」

うふふっと笑う声に紅しか視界に入って無かった炭治郎は、ハッとしたように紅の前に立っていた人物に視線を向けると其処には蟲柱である胡蝶しのぶが白い紙を片手に紅の前に立っていたのである。二人が向き合うように立っている事から胡蝶と紅は何か会話をしていたようだった。

「あぁぁぁ、す、すいません‼︎お話の途中だったのに邪魔しちゃって‼︎」

 あわあわと慌てふためく炭治郎を紅は静かに見つめ、胡蝶は面白そうに炭治郎を見て笑うと「大丈夫ですよ。お話は終わりましたので」と優しい口調で言い、目の前の紅に視線を向け「少々、お時間頂きますね。その間、この屋敷で時間でも潰してください」と声を掛け終え、そのまま屋敷の奥へと姿を消したのであった。
 
 胡蝶の姿を見送った紅は紅い瞳を何度かぱちぱちと瞬きすると横から穴があきそうな程、感じる視線にちらりと目を向けた。視線の先に居た、自身を見つめる炭治郎はニコッと人の良い笑み浮かべながら紅へと近づき「時間があるなら話をしないか?色々話したい事があったんだ」と声を掛けてきた。
 紅は暫し無言で考えていたのだが、蝶屋敷で働くアオイが偶然通り掛かり「あ、紅。風柱様のお使い、時間掛かるんでしょう?良ければ、買い出しをお願いしてもいい…?」と声を掛けられた為、紅は其方に頷いた。 その場でアオイからメモを受け取り、素早く済ませようと足を一歩動かした瞬間、パシッと言う音と共に羽織を掴まれ「俺も行く‼︎」と炭治郎に捕まったのであった。

 其れからあれよあれよと言う間に炭治郎に引き摺られるかのように町へと買い出しに出て来た紅は時折、炭治郎に話しかけられながらアオイに頼まれた買い出しを着々と済ませて行く。
 重い荷物を炭治郎は嫌がることなく率先して持ち、そのさり気ない優しさに紅は自身ももっと筋肉をつけなければ…と別の方向へ思いを寄せていた。
 
 買い出しを終え、蝶屋敷付近の人気の少ない道の角を曲がった際、炭治郎と紅の瞳に見覚えのある男女の姿が飛び込んで来た。
 一人は半々の羽織を纏い、黒い髪を無造作に一つに纏めた青年で炭治郎の兄弟子にあたる水柱様・冨岡義勇の姿であり、もう一方の女性は白金色の髪を揺らした、紅と同じ階級で氷の呼吸の使い手である碓氷澪華の姿であった。

 炭治郎は咄嗟に二人の姿を見て声を掛けようと口を開いたのだが、同じく冨岡と碓氷の姿に気がついた紅により口を押さえられ、姿を隠すように角へと引き摺り込まれた。
 突然の紅の行動に炭治郎は驚き、目を見開いたまま紅へと視線を向けるが紅は無表情のまま炭治郎の口を抑える手とは反対の手の人差し指を立てると自身の唇へと当て、「しー…」と言った。
 炭治郎は紅の顔の距離の近さと自身の口を塞ぐ紅の手の柔らかさに頬を赤らめながら何度もコクコクと顔を上下に振り、紅は炭治郎を見て静かに手を離しソッと耳を澄ませるような仕草を見せ、炭治郎も紅と同じように耳を済ませると冨岡の声が二人の耳に届いた。

「…?」
「どうしました?義勇さん」
「…いや、今…炭治郎の声がしたような…」
「え…?」

ソッと影から冨岡と碓氷の姿を窺うと冨岡はキョロキョロと辺りを見渡し、碓氷はそんな冨岡を見て不思議そうに首を傾げているのが見え、炭治郎はグッと息を止めたが紅は顔色ひとつ変えることなく静かにしていた。

「べに…っ…べに、これって隠れる必要があったのか?」

 炭治郎が紅の耳に口元を近づけコソコソと小さな声で尋ねると紅は小さくコクリと頷いた。目線は変わらず、少し先で話す冨岡と碓氷を見つめており、変わらない紅の無表情の横顔に炭治郎は赤くなる頬を感じながら固唾を飲み込んだ。

 紅が冨岡と碓氷の姿を見て姿を咄嗟に姿を隠したのには理由があった。

 ひとつめは、碓氷が冨岡を色んな意味で慕っているのを任務を共にする事が多い紅は薄々感じとっており、また、その身をお互いに案じているのも知っていた。任務で離れることも多く、過ごせる時間が少ない二人が少しとはいえ共に過ごしているのを邪魔するのは不粋だと思ったのと蝶屋敷を出る際、アオイは紅の背中に「帰って来たら美味しい羊羹出すわね」と声を掛けたのだ。その言葉を羊羹が好物である紅の耳にしっかりと届いており、実は炭治郎は気付いていなかったが紅は羊羹の事を考えてはソワソワとしていたのである。
 買い物は済ませた。後は蝶屋敷に帰れば羊羹が食べれる。一昨日、一切れ一切れ切り分けるのが面倒くさくて包みを剥いてそのまま丸ごと齧り付いていたのを師範に見つかりお叱りを受けた。しかも当分の間、羊羹禁止なっと言い渡され無表情ながらにショックを受けていたのは紅の中で秘密である。

 そしてもうひとつの理由は「面倒くさい」であった。

 このまま止めなければ炭治郎は冨岡と碓氷に声を掛け、また紅は話す事があまり得意では無いのに必ず会話に巻き込まれるであろうことを紅は察していた。
 それならば、冨岡と碓氷の微笑ましい光景を邪魔する事なくこっそりと見守り、二人が去れば即座に蝶屋敷に帰る方が良いと考えたのだ。
 紅とて冨岡と碓氷の邪魔をして馬に蹴られたくはない。想いを寄せ合う男女をソッと影から見守るのも乙なのだと昨日、紅が恋柱から暇潰しに借りた恋愛小説に書いてあったのを思い出し、紅は静かに一人納得するかの様に頷いた。

「炭治郎くん、水柱様と碓氷さんはお互いにお互いを大事にしているところがあるのはご存知ですよね?」
「あぁ、うん。知ってるぞ。二人が一緒にいる時は何だか安心してるって感じの匂いがするんだよなぁ」

 冨岡と碓氷が二人でいる時の匂いを思い出し、うんうんっと頷く炭治郎に紅は「昨日、読んだ恋愛小説に想いを寄せ合う男女をソッと見守るのが乙なのだと書いてありました。故に今はソッと私達は見守ってあげるのが良いかと思いました」と淡々と言った。

「…紅、恋愛小説なんて読むのか…?」
「え、まぁ、読みますよ」

暇が潰せるのであれば何でも読みます。と紅は言葉を続けたが炭治郎は聞いていないのか、何かを考えるような仕草を見せたかと思うと紅の名を呼んだ。
 紅は影から碓氷困ったような…でも何処か木漏れ日のような温かさの笑みを浮かべ、冨岡も冨岡で無表情ながらもが柔らかそうな雰囲気を出しながら会話している光景を水柱様、其処で手を取るのです。そして碓氷さんを連れて走り回り、最後は丘の上に連れて行き「この美しい光景をお前と見たかったんだ」と微笑めば碓氷さんもイチコロですよ。と読んだ恋愛小説を思い出しながらも炭治郎の呼び掛けに「何ですか、炭治郎くん」と答えた。

 すると紅は手を引っ張られ、トンと自身が身を隠していた壁へと背中から押しつけられた。その犯人である炭治郎は紅を壁に押し付けたまま、紅の両手を自身の傷だらけの硬い両手で優しく包み込むように握り、紅の紅い瞳をじっと見つめた。
 お互いの鼻と吐息が触れ合いそうなぐらい顔の距離が近いことに紅はキョトンとした表情を見せたが特にこれと言った大きな感情を表に出す事は無く 唯、静かに炭治郎の瞳を見つめた。
 炭治郎はゴクリと固唾を呑み込むとぎゅっと覚悟を決めたキリッとした表情で唇を開いた。

「紅、聞いてほしい事があるんだ」

真剣な表情で言う炭治郎に紅は内心、不思議に思いながらも「何ですか、炭治郎くん」と炭治郎の名を呼ぶと炭治郎は大きく息を吸い込んだ。

「紅…俺は…「はっくしょん‼︎」?はっくしょん??」
「え…?」

炭治郎が紅に何かを伝えようとした瞬間、大きなクシャミが二人の耳に届いた。

 炭治郎と紅は近くから聞こえた音に驚いたように音の方へと視線を向けると其処には先程迄、紅と炭治郎が陰から見ていた冨岡が鼻を啜りながらガッツリと二人に視線を向けながら立っており、その横では少々困ったような…何処か申し訳ないと言うような表情を浮かべた碓氷がいた。
 紅はキョトンと冨岡と碓氷を見つめた後、炭治郎に両手を握られたまま「水柱様、碓氷さん。お疲れ様です。任務帰りですか?」と先程、冨岡と碓氷を覗き見していた事を感じさせないように淡々と話す無表情の紅に碓氷は「相変わらず壱師さんは変わらないなぁ」と思ったが声には出さず「お疲れ様、ところで二人の邪魔してごめんね」と炭治郎と紅の邪魔をした事を謝った。

 会話する紅と碓氷とは反対に炭治郎の兄弟子である冨岡は繋がれた炭治郎と紅の手をじっと見つめており、炭治郎は炭治郎で己が紅に告げようとしていた言葉を思い出し、また、その光景を見られそうになっていた事に恥ずかしさのあまり固まってしまっていた。

「炭治郎」

 冨岡が静かに炭治郎の名を呼んだ。
 炭治郎は驚いたように「はっ、はい‼︎‼︎」と返事をすると冨岡は紅と炭治郎の手から視線を逸らし炭治郎へと視線を向けた。
 冨岡の言葉を待つかのようにその場に居た炭治郎と紅は静かに冨岡を見つめ、冨岡の隣にいた碓氷は不思議そうに冨岡の顔を横から覗き込むようにその横顔を見つめていると冨岡は感情の読めない表情でゆっくりと口を開いた。

「そのまま壱師を連れて夕陽の綺麗な丘まで走ると良い」

 突然、紡がれた冨岡の予想外の言葉に碓氷は固まり、炭治郎は理解出来なかったのか「へ?」と声を上げた。紅だけは即座に「それは恋柱様から借りた恋愛小説の一部の話では…」と先程の冨岡と碓氷を見て自身が思っていたことをそっくりそのまま同じ事を言った冨岡に少々、感心したような目線を送っていた。

「えーっと…水柱様…?そんな情報…何処から…」
「?…甘露寺がこの間、柱会議の前にその様な事を言っていた」

 思いを寄せ合う男女はそうすると良いらしい。と真顔で語る冨岡に碓氷は頭を抱えたくなった。碓氷は冨岡の事を尊敬も信頼もしているだが、この人は時々…厭、高確率で予想だにしない事を言ってのけるしやってのけるのだ。毎回、ハラハラドキドキさせられる事が多い。
 今日の明け方まで冨岡と碓氷は久しぶりに共に任務に就いていた。今日は特に冨岡の予想外な行動や言動は無く無事に任務が終わったと内心、碓氷は安心したようなホッとした気持ちがあった。
 冨岡は水柱で碓氷は隊士の中でも柱の次の階級である甲である。
 お互いに危険な任務に駆り出される事が多く、顔を合わせることも少ない。そんな事を理解していたからなのか冨岡が珍しく、昼ご飯を共にしないかなどと碓氷を誘ったのである。碓氷も冨岡の誘いに頷き、なんだかんだと会話をしながら定食屋へと向かっていたのだ。

 そんな二人を炭治郎と紅はこそこそと見ており、そしていつの間にか今度は見られる側へと変わってしまった。
 しかも冨岡の何処からか聴いた要らない助言までもが加わり、この場は混沌と化していた。

そんな混沌として静まり返るこの場を切り裂いたのは、我らが長男の中の長男で真っ直ぐな心を持った炭治郎であった。
 炭治郎は冨岡の助言の意味を少々考えた後、真っ直ぐな瞳で「わかりました‼︎義勇さん‼︎ありがとうございます‼︎」と笑顔で御礼を言うと炭治郎は目の前の紅に視線を移し、輝かしい笑顔を見せた。

 その瞬間、紅は無表情ながらも血の気が引くような気がした。

「行こう‼︎紅‼︎」
「やです。行きません。私は蝶屋敷へ帰ります」

羊羹が待ってるんです。私は帰ります。と自身の両手を握る炭治郎から離れようとするが、其処は男と女の差なのか力で叶うことは出来ず、紅はガバッと炭治郎にお使いの荷物ごと担ぎ上げられると炭治郎は再度、冨岡と碓氷へと向き直りぺこりと頭を下げた。

「俺、がんばります!」

 じゃあ失礼します‼︎紅、俺と少し話そう。聞いてほしいことがあるんだ。やです、帰ります。降ろしてください。と抵抗する紅を炭治郎はニコニコと笑みを崩す事無く、連れ去った。

 碓氷は、そんな二人の背を見送りながらチラリと冨岡へと視線を向けると冨岡は何処と無く、弟弟子の力になれたのが嬉しかったのか柔らかい雰囲気を出していた。
 その事に碓氷は困ったような笑みを見せると冨岡に「あまり、変なこと教えたら馬に蹴られちゃいますよ」と言った。
 冨岡は碓氷の言葉に不思議そうな表情を見せると「近くに馬はいないぞ」とまたしてもズレた言葉を放つのであった。