※緋寄さん家の碓氷さんをお借りしました。


 壱師紅は甘いものが好きだ。
 みたらし団子に餡子餅、たい焼きに桜餅などの和菓子から始まり最近では外国の食べ物など、様々な甘味がある中、紅は特に羊羹が好きだ。
 羊羹と云っても此れは総称あり、練り羊羹・水羊羹・蒸し羊羹など様々な羊羹の種類がある。其々一つずつ特徴があり、作り方が違えば舌触りも味も変わってくる。だが、そこが良いところで他にも良いところを挙げるとすれば、砂糖を大量に使用している為、保存期間も長い。疲れた時にはその甘さに癒されるし腹も満たされる素晴らしい食べ物である。小豆を使用した食べ物の中で不動の一位だ。おはぎなんて目じゃないぜ!と紅は、おはぎを食べる己の師範の姿を想像して心の中で鼻で嘲笑った。
 そんな甘党である紅は基本、辛いものを好まない。
 目の前に出されたら食べるが、自ら進んで食べることはないため、辛いものに対して然程、強くは無い。甘味種である獅子唐辛子に時折り混じっている辛味果でも悶えるくらいなのだ。

 故に紅は今、目の前に広がる光景をどの様に回避すれば良いか、思考回路を張り巡らせた。

 外国から輸入された香辛料と共に煮込まれた彩りどりの野菜が入ったとろみのついた液体が艶々と輝く白米にかけられている。つんっと食欲を唆る様な匂いが鼻腔を擽り、腹の虫を刺激する。だが、目の前に置かれた洋食に紅は手を付けることを躊躇していた。

 偶々…偶々である。明け方に任務を終えた紅は電車を乗り継ぎ、正午前に鬼殺隊本部のある町の最寄り駅へと到着した。其処から徒歩で蝶屋敷へ向かおうとしている時、同じく任務から帰還した鬼殺隊の隊士である碓氷澪華とばったりと遭遇したのである。
 お互いに軽く挨拶をして終えた任務の話をしながら蝶屋敷へと向かうべく二人は歩き出した。紅が美しいと思う微笑みを浮かべながら会話をする碓氷と変わることなく無表情な紅。側から見れば対極的な二人だが、とても楽しそうにも見えた。
 そんな会話の中、碓氷が不意に何かを思い出したかの様にピタリと足を止めたのである。紅も其れに合わせてピタリと足を止めると不思議そうに紅い瞳で碓氷を見つめ、首を傾げた。

「壱師さん、お腹空いてない?」
「お腹ですか?…すこし、空いてますね」

 「それがどうしたんですか?」と言いたげな紅の視線に碓氷は美しい笑みを更ににっこりとさせた。そして艶やかな唇をゆっくりと開いた。

「最近、お気に入りの洋食屋があるの。一緒に行かない?」

 碓氷の問い掛けにこの時の紅は何も考えること無く、こくりと頷いた。——…そう、頷いてしまったのである。何も警戒も無く頷いたことが紅に取っては不味かったのだ。
 同僚であり、共に任務をすることも多い碓氷に対して警戒心無く紅は碓氷に案内されるまま、近くにあると云う碓氷のお気に入りの洋食屋へと案内された。碓氷は慣れた手つきで扉を開き、店員であろう少女に二名であることを伝えると同時に「いつものお願いします」と言う姿にかなりの常連なのだなと紅は納得した。
 店員に案内された先は通りに面した窓際の席で紅と碓氷は静かに椅子を引き腰を降ろした。直ぐに店員が冷えた水を席へと運び、テーブルの上に置くと頭を下げて店の奥へと引っ込む。
 普段から和食ばかりを食べる紅は洋食を数えるほどでしか食したことがない。自分から洋食屋を訪れることも菓子以外は作ることもしない紅は少し、わくわくと云うよりはドキドキとした気持ちで座っていたのである。

——だが、それはすぐに絶望感へと変わった。

 店員が運んできた料理。コトッと自身の目の前に置かれた料理に紅は紅い瞳が零れ落ちそうな程、見開いた。
 この料理に紅は見覚えがあった。——…そう、此れは碓氷の好物で多種類の香辛料を使用して食材に味付けするという印度の特徴的な調理法を用いた料理、咖喱であった。
 恐る恐る紅は目の前の料理から碓氷へと視線を向けると碓氷は変わることなくニコニコと笑みを浮かべている。相変わらずの美しい笑みであるのだが、今の紅にはその笑みが恐ろしいものに見えてしまうのは仕方がないことであった。

 以前、紅は師範のお使いで蝶屋敷を訪れた際に蝶屋敷の調理場に居た碓氷と遭遇した。料理でもしていたのか、珍しく割烹着姿であった碓氷に首を傾げつつ挨拶を交わしその場を後にしようとした紅であったが「お腹空いてない?良かったら一緒に如何?」と碓氷から声を掛けられた紅は、その時も何も考えずに頷いたのである。
 「偶々ね、珍しいものが手に入ったの。もう、嬉しくって…日本はもっとカレーを推すべきだと思うんだけど」といつもより上機嫌で口数の多い碓氷に紅は珍しいなと思いながら目の前に出された洋食に視線を向けた。あの時も白い皿と白米の上に彩り豊かな野菜と茶色い液体がかかっていた。見たことの無い料理に紅はまじまじと見つめた後、碓氷から手渡された匙で茶色い液体に浸かった白米を掬い上げ、口にした。

 そして、唐突な口の中の辛さによる痛みに紅は椅子に座ったまま背後に倒れたのである。

 しかも運悪く頭を床に打ちつけ、打ち所が悪かったのか気絶までしたのであった。其れほどまでに甘党である紅にとって、香辛料を大量に使用した咖喱と云う料理は大きな衝撃と負傷を与えたものであった。
 その物体が今、目の前に置かれた瞬間、一気にその時の恐怖が蘇ったのである。紅は相変わらずの無表情であるが、動揺を隠すことが出来ずに思わず視線が右往左往してしまう。
 心なしか頭を打ちつけた部分が痛くなってきた様な気もする。出来れば今すぐにでも逃げ出してこの場に己の師範を代わりに置いていきたい。でも、碓氷は好意として連れて来てくれたのだろうし前回のことを忘れて頷いた自身も悪いと紅は思いつつも銀の匙を持てずにいた。

「壱師さん、食べないの?」
「え、あ、食べます、よ?」

 一向に匙を握らない紅を不思議に思った碓氷がそう尋ねた。…もう、腹を括るしかないと思った紅は匙を取ろうと匙へと手を伸ばした、その時だった。

——コンコンと碓氷と紅が座る席の真横にある窓硝子が軽く叩かれる音が聞こえた。

 突然のことに紅も碓氷を動きを止め、叩かれた窓硝子へと視線を向けるとそこには緑と黒の市松模様の羽織を纏う少年と半々羽織を纏った青年が硝子窓の向こう側に立っていたのである。
 紅と碓氷が此方を振り向いたのが嬉しいのか、市松模様の羽織の少年・竈門炭治郎は明るい笑みを浮かべると大きく手を振り、自身の背後に居た兄弟子であり水柱でもある冨岡義勇の腕を掴むと無表情でありながらも戸惑っている様にも見える冨岡を引っ張りながら紅と碓氷の居る洋食屋へと足を踏み入れたのであった。
 炭治郎は案内しようとやって来た店員に一言二言話をすると紅と碓氷を指差し、二人の元へとやって来た。冨岡も炭治郎の後に続く様に二人の元へとやって来るとチラリと水底の様な青い瞳で碓氷と紅を交互に見つめた。

「紅、澪華さん。こんにちは」
「こんにちは、炭治郎くん」
「こんにちは」

 紅と碓氷に挨拶をする炭治郎に二人も挨拶を返した後、紅は炭治郎の背後にいた冨岡へと視線を向け「水柱様もお疲れ様です」と声を掛けると冨岡は「あぁ」と短いながらにも返事を返した。

「二人とも任務帰り?」
「はい!本当は俺と義勇さん以外にも伊之助が居たんですけど、次の任務に行ってしまって…」
「俺たちは次の任務まで待機を命じられた為、一時帰還した」
「そうだったんですね」

 碓氷の問い掛けに炭治郎と冨岡が答えているのを横で聞きつつ、紅は再び目の前に置かれた咖喱へと視線を向けた。
 目線を逸らし、その視線を戻しても減ることの無い目の前の料理に心の中で溜息を吐いていると紅の耳に炭治郎の言葉が響いた。

「俺も義勇さんも朝食を食べずに帰還したのでお腹がぺこぺこで…何か食べませんか?って丁度、誘っていた時に紅と澪華さんの姿を見つけたんです」
「そうなんだ。私も壱師さんとそんな感じで此処に来たの。今から食べるところだったんだ」

 炭治郎と碓氷の言葉に紅はピクリと反応すると水柱である冨岡へと視線を向けた。冨岡は相変わらず、紅と同じように無表情で海の様に深い蒼で碓氷と炭治郎を見つめていた。紅はじーっととみおかを見つめながら、こう思った。

——炭治郎くんは今から水柱様とご飯
——……つまり水柱様はお腹が空いていらっしゃる?

 そう思った瞬間、紅の行動は炭治郎達の師である元水柱が居たら感心するほどに素早かった。

 心の中の己の声に突き動かされるままに紅は素早く立ち上がり、突然立ち上がった紅に呆気にとられている三人を無視して冨岡の背後へと回り込むと冨岡の両肩を逃がさない!と言わんばかりに掴んだ。そして、ぐいぐいと自身の座っていた席へと押し込みストンッと無理矢理、椅子に座らせた。
 キョトンとする冨岡と目をパチクリとさせる碓氷。そして口をぽかんと開ける炭治郎の片手を紅はキュッと握った。唖然とする三人は一斉に紅へと視線を向けるが紅は相変わらずの無表情で今の感情も唐突な行動の意味も誰も読み取ることが出来なかった。

 紅は冨岡と碓氷がお互いに大事に思い合っているのを知っている。其れに紅は冨岡と共に居る時に浮かべる碓氷の笑みが特に好きだ。キラキラと輝いて見えるし美しい笑みが更に美しくなるのだ。
 二人は美男美女でお似合いだ。この洋食屋で食事する二人もきっと映えるであろう。決して、咖喱を食べるのを回避したいからその様に思っているわけではないぞ。っと紅は誰に伝えているのか分からない言い訳らしいものを心の中で並べた。

「え、壱師さん如何したの?」

 この空気の中、先に我に返った碓氷が紅へと問い掛ける。一瞬で思いついた行動に対して心のままに行動したのは良いが後のことを考えていなかった紅は一瞬、心の中で「あ、何も考えてなかった」と思ったが、取り敢えずこの洋食屋から出なくては!と云う考えが頭を駆け巡り、咄嗟に握った炭治郎の手に力を込める。そして少し間の後、視線の揺らぎなどで動揺を悟られない様に空いてる手で己の顔を隠した。

「た、炭治郎くん、と二人で食事をしたい、な、と急に思いまして」

 我ながらに苦しい言い訳かと思ったが、紅は羽織を少し下げ、目だけを見せるとチラリと碓氷達の様子を伺った。
 相変わらず碓氷も冨岡も驚いた表情をしており、炭治郎はと云うと…顔を真っ赤にしてふるふると震えていたのである。
 紅は炭治郎の表情に「あ、これ判断を間違えたかもしれません」と一瞬にして悟り、炭治郎の手を離そうとしたのだが、逆に炭治郎にがっしりと掴まれてしまったのであった。そして、炭治郎は顔を赤くしたまま碓氷と冨岡の方へと視線を向け、勢いよく頭を下げた。

「すみません‼︎‼︎‼︎俺、今日は紅と食事しますね‼︎‼︎」
「え、あ、うん。ど、どうぞ?」
「あ、あぁ」
「紅は何が食べたいんだ⁉︎どんな料理でも俺が一生作るよ‼︎‼︎‼︎任せてくれ‼︎‼︎‼︎」
「え、作るんですか?今から?」
「料理は火加減だ‼︎‼︎大丈夫だ‼︎‼︎美味しく作るぞ‼︎‼︎」
「いや、あの、其処らの定食屋で大丈夫ですから」

 紅の二人で食事をしたいと云う言葉を十五歳の無垢で四角四面な性格の恋する少年は如何やら、斜め上の方向へと解釈してしまった様である。
 無表情ながらにも炭治郎の行動と言葉にオロオロとし始めた紅に対し、炭治郎はニコニコと嬉しそうに輝く笑みを浮かべたまま「さぁ、蝶屋敷に行こう‼︎材料を買って調理場を借りような‼︎」とぐいぐいと紅の手を引っ張りながら歩き始めたのである。紅は紅でぐいぐいと手を引っ張られながらも「だから、其処らへんの饂飩屋とかで良いですってば」と言いつつ大人しく炭治郎に着いていく。
 そんな二人を碓氷と冨岡は静かに店から見送ると数秒間、無言になりお互いに顔を見合わせた。

「えっと…壱師さん。一口も咖喱食べてないですけど、如何します?別のもの頼みますか?」

 碓氷が目の前に座る冨岡に気を使い、そう問い掛けるが冨岡は首をふるふると左右に振ると「このままで良い」と静かな声色で答えた。

「お前の好物なのだろう」

——…ならば、興味がある。

 静かな声色でありながらも何処か優しさと碓氷への思いやりが籠った言葉に碓氷は一瞬、心臓がドクンっと高鳴ったような気がした。
 思わず、片手で隊服のスカートをぎゅっと握りじわじわと熱を持った頬の熱さを逃すかの様にもう片方は置かれていた水の入った湯呑みに手を伸ばした。
 熱を持った指先がひんやりと湯呑みの温度で冷え、口に含んだ冷たい水が喉を通り過ぎていく。冨岡にバレない様に碓氷は自身を落ち着かせるかの様に小さく溜息を吐いた。

「…辛いな」
「その辛さがやみつきになるんです」

 熱さを誤魔化すかの様に碓氷も目の前の料理に手をつけた。

「そう云えば、竈門くん。何気に壱師さんに一生料理作る宣言してたなぁ」


    ♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎

「美味しいか?紅」
「美味しいですよ。まさか本当に蝶屋敷で料理を始めるとは思いませんでしたけど」

 紅は目の前に並べられた料理をもぐもぐと食べながら、そう呟いた。
 あの後、暴走した炭治郎により本当に蝶屋敷で料理をすることになったのであった。無論、作るのは炭治郎で紅は炭治郎の用意した椅子に座って待つ様にと言われ、大人しく座っていただけである。
 目の前に座る炭治郎は何もしなかった紅を怒るわけでも無く、唯、目の前で己の作ったご飯を食べる紅を幸せそうに見つめながら同じ様にご飯を食べるばかりであった。

「やっぱり、一緒に食べるご飯は良いな‼︎」
「…そうですか」
「あぁ。紅とだから一等に美味しいよ‼︎」

 恥ずかしげもなく、ニコニコと太陽の様な笑みを浮かべながら箸を進める炭治郎に紅は何とも言えない気持ちが込み上げる。さっきまで空いていた腹が満たされるような不思議な感覚に紅は思わず箸を止めた。そしてチラリと炭治郎へと紅い瞳を向け、また再び箸を進めた。

「…なら、これからも作ってくださいね。一生…」
「あぁ‼︎……へ⁉︎」

 突然の紅の言葉に箸をぽとりと落とした炭治郎に紅は心の中で笑った。
 あぁ、やっぱりあれは無意識に言っていたのだな。…なんて、人タラシな人なのだろうか。と思いながらも何処か無意識に出ただけのあの言葉が嬉しい気がした紅は目の前に置かれている自身の好物である茄子の煮浸しに手を伸ばした。そして口に入れると広がる幸せの味と顔を赤くして戸惑っている炭治郎に更に腹が満たされた気がした。

「冗談ですよ」

 無表情でありながらも何処か嬉しそうな紅の表情に炭治郎は「んんっ‼︎‼︎」と変な表情で変な声をあげたのだった。