※死ネタ

「私が死んだら亡骸はどうなるのでしょうか」


 暖かな日差しが差し込む蝶屋敷の縁側で羊羹を齧りながら淡々とした声色で突然この場にそぐわない話を壱師紅は話し始めた。
 シンっと一瞬にして静まり返った空気に対して相変わらず表情は無のまま変わることはなく、どのような心情、もしくは、どのような思考回路で彼女がこんな話を始めたのかと言う理由は読み取ることが出来なかった。
だが、口元だけは好物である羊羹を小皿から口の中に運んではもぐもぐと休むことなく動かし、その甘さを堪能している。そしてゴクンっと飲み込んでは、また紅は静かに再び唇を開いた。

「亡骸なんて鬼に貪り尽くされて残らないかもしれませんね」

「あぁ、それか惨めに惨たらしく塵のように捨てられてたりして」

——…コイツ、めちゃくちゃ不味いとか言われてポイってされちゃったりしてね。

 追加攻撃と言わんばかりに過激な表現を口にする紅に炭治郎は呆気に取られ、一瞬湯呑みを掴む手が緩み、地面に落としそうになった。

 ——…何をいきなり言い出すんだ⁉︎と炭治郎思わず大声を上げそうになった。
だが、あまりにも唐突で重く過激とも取れるような言葉の内容に衝撃が強過ぎたのか、それはパクパクと開け閉めされる口から発せられることはなく唯、赫灼の瞳が眼孔からこぼれ落ちそうな程、見開かれたかと思うと次の瞬間には困った様な表情を見せた。

「…い、いきなりどうしたんだ?」

 落としそうになった湯呑みを炭治郎は再度握り直すと絞り出すような声で紅に尋ねた。
 何故、そんな話をするのか…と言うか、今のこの穏やかな時間にする話じゃないと思うんだが…と思いながら静かに紅を見つめていると紅は特に炭治郎の様子を気にすることなく、羊羹を摘んでいた片手をぴたりと止めると青々と広がる空を見上げた。

「いや、ふっと思ったんです。こんな仕事をしている以上…いざという時には人に見せれるような綺麗な死に方にはならないんだろうなぁって」

——…鬼殺隊の人間としては仕方のないことかも知れませんけどね。

「死ぬ時は花が散るように美しく死にたいですね」

 そう言い放った紅の横顔に炭治郎は思わず言葉が出なかった。
 唯真っ直ぐに前を向く紅の雰囲気がいつも纏っているものとは違う様に炭治郎には感じられたからである。
静かに、唯前を向く紅の横顔は変わることなく無表情。だけど、まだ出会って日が浅い炭治郎でもわかるぐらいにいつもと雰囲気が違うのである。
 いつも異質だぞ、と言われれば確かに人とは違う雰囲気を紅は纏っている。
影が薄すぎて居るのか居ないのか、音も匂いも気配もしない体質である紅は他の人から見ればいつも異質な存在で異様な雰囲気の持ち主だった。
 厭、異質と云うよりかは、最早ほぼ空気である。
だが、そんな紅の雰囲気がいつもよりも更に薄く、儚い様な気が炭治郎には感じられたのである。
 だから、言いたいことはあった。そんな悪いことを考えないでくれ。大丈夫だ!そう告げたかった。だけど炭治郎の心の思いは何故かこの時、言葉にならなかったのである。

 紅は最後の一口である羊羹を口に放り込むと静かに皿を置き、立ち上がった。
紅の腰に差した日輪刀がかちゃりと音を鳴らす。紅は自身の隣に座っていた炭治郎へと目を向けた。
 太陽の光で紅い瞳がキラキラと輝いている。炭治郎は見上げる様にして紅の瞳を見つめていると紅は再び口を開いた。

「じゃあ、私は任務があるので」

——またね、炭治郎くん。


 その時は一瞬後悔した。
 またねと言う紅に炭治郎は何も声をかけることができなかった。
唐突に始まった衝撃的な話。それの内容に理解が追いつかないまま言いたいことだけ言った紅。
そして最後は混乱する炭治郎を放置して任務へと向かって行った紅。
 そんな紅の後ろ姿に炭治郎は声をかけることができなかった。消えた背中に声を掛けれなかったことを炭治郎は一瞬後悔した。
 だけどそれが一生の後悔になるとは、その時の炭治郎は思わなかったのである。


 そんなことがあった次の日の明け方のことであった。


 任務が無く、蝶屋敷で眠りについていた炭治郎は部屋の外が騒がしいことに気がつき、目が覚めた。
 日はまだ登っておらず、窓の外から見える空は暗く、星が見えるぐらいであったが、バタバタと廊下を走る音と誰かと誰かの話し声に炭治郎は部屋の外の様子を伺うように扉を開け、廊下を歩き始めた。
 季節は冬が過ぎ、春の兆しが見え始めた頃であったが明け方は矢張りまだ肌寒く、建物の中と言えど空気は冷たい。少し吐く息も白く色づいてはいるが、炭治郎は気にせずそのまま声が聞こえてきた方角へと足を進めると曲がり角を覗き込むようにして顔を出した。
 するとそこには数名の隠と蟲柱である胡蝶しのぶが治療室の部屋の前で深刻な表情で話している姿が炭治郎には見えた。
 いつもの穏やかな表情とは打って変わり、眉間に皺を寄せ、何とも言えない表情を浮かべる胡蝶に炭治郎が声を掛けようとしたが、その前に胡蝶は静かに治療室の扉を開けた。

 その瞬間、炭治郎の鼻を強烈な花の匂いが貫いたのである。
 思わず、その強烈なむせ返りそうな花の匂いに嗅覚が人よりも数倍良い炭治郎は手で鼻を覆い、床に膝をついてしまった。意識が飛びそうなほどの甘ったるい匂いに混じり、血の匂いさえもするが、それが誰のなのかさえ今の炭治郎には判断が出来ないほどであった。

 その時だった。
 ふっと何故か紅のことを炭治郎は思い出したのである。

——死ぬ時は花が散るように美しく死にたいですね。

 前の日に紅がポツリと呟いていた言葉を炭治郎は不意に思い出し、そしてその言葉にドクンっと心臓が嫌な音をたてた。
 むせ返りそうなほどの花の匂いに脂汗をかいていた炭治郎の背中を今度は冷たい汗がつぅーっと伝い、何故か体がふるりと震えた。
 どくんどくんと更に心臓は心音を早め、炭治郎はフラフラと立ち上がると自身のふらつく足元を見ながら胡蝶が入って行った治療室へと歩き始めた。

「炭治郎…?」

 ふっと名前を呼ばれた炭治郎は足元から顔を上げた。
 すると治療室の前に同じ鬼殺隊の栗花落カナヲが立っていたのである。

 炭治郎はカナヲの名前を呼ぼうとしたのだが、彼女の手にしている【物】を目にしたことにより思わず動きを止めた。
 いや、止めざるおえなかったのである。炭治郎の目の前に立つカナヲの手には薄汚れてボロボロになった紅い布生地と壊れた彼岸花の髪飾りがあったからである。
しかも、カナヲが持つそれは、炭治郎にとってよく知る人物の持ち物で昨日まで話をしていた人で炭治郎が今不意に思い出した言葉を言い放った子の持ち物なのである。
 泥で汚れボロボロのただの紅い布生地は元は羽織で壊れた彼岸花の髪飾りは彼女の髪を彩っていた物だ。

 その持ち主の名前は壱師紅。炭治郎の想い人の所有物だったはずなのである。

 それがボロボロ壊れ、原型を留めておらず、所有者の元から離れ、カナヲの手の中にある。そのことに炭治郎の心音は更に早くなり、嫌な予感は益々強くなった。
 悟ってはいけない。知ってはいけない。引き返せ。聞くな、聞くな聞くな聞くな。見るな見るな見るな。
 炭治郎の中の全てが警報を鳴らす様に叫ぶ。だが、足は縫い付けられたかのように動かない。

「た、んじろ…あの、ね」

 カナヲの声が震えているように炭治郎には聞こえた。
 カナヲが静かに治療室の中に視線を向け、震える唇で言葉を紡ぐ。

「紅が…ね…鬼に、」

 その言葉に炭治郎も静かに治療室の中に視線を向けた。

 するとそこには【花】があった。

 治療室の診察台の上に【沢山の花】があったのである。
 【沢山の花が咲き誇って】いるのである。

 その光景に炭治郎はヒュッと息を呑んだ。

 【沢山の花が咲き誇っている】その花が何処から咲き誇っているのかを理解した瞬間、炭治郎は呼吸の仕方を忘れてしまったかの様に息が出来なくなった。
 花が咲いている。綺麗な色とりどりの花が。でもそれは、咲き誇る花の隙間から見えた紅い虚な瞳が全てを物語っていた。

 咲いている。花が。それは鬼との戦いで負け、死した紅の亡骸から生えていたのである。

 亡骸を養分に体内で根を張り、皮膚を突き破り無数の花を咲かせ、むせ返りそうなほどの匂いを放っていたのである。
 死してから花の種を植え付けられたのか、それとも生きている時に植え付けられたのかは分からない。生きている時にこの様なことをされていたのであれば、壮絶な苦しみと痛みがあったに違いなく、これが人の仕業ではないことは誰が見ても一目瞭然であった。
 そんな亡骸と成り果ててしまった紅を目の当たりにした炭治郎は息が出来ずにいた。
時が止まったかのように動きを止め、どくどくと煩い心臓と息が出来ないほどの苦しみと感情に無意識に口がはくはくと動くが言葉にならない。
 手が震え、足も震える。力が入らなくなり、診察台に横たわる想い人の亡骸から目を逸らすことができずにそのまま膝から崩れ落ちた。
 なんで。どうして。べに、紅と口を動かすが声が出ない。
 煩いぐらいに脈を打つ音だけが耳元で聞こえたかと思うと、不意に声が聞こえた。


『なんだ、意外と原型を留めてますね』


 首は動かない。目を亡骸から逸らすことが出来ない。
 足に力が入らない。崩れ落ちた体勢のままでしかいられない。
 だが、その声が誰のものなのかは炭治郎には理解できた。

『花のように散れたらと言いましたが、別に花になりたかったわけじゃないんですけどね』

 何故、そんなことを言うんだと炭治郎は言いたかった。
 だが、体は動かず、声も出ない。でも、側にいることは分かった。
 自身の真横に死んだ紅が立っていることだけは今の炭治郎にはわかったのである。 
 何故、どうして、嫌だ、と炭治郎は隣にいる紅に叫びたかった。苦しかっただろう、悔しかっただろう、助けられなくてごめん。そう言いたかった。でも、隣に立っているであろう紅は炭治郎を気にすることなく、淡々と自身の亡骸を見つめている。
 花が生えた自身の亡骸を、突き破られ花に荒らされた自身の亡骸を静かに見ていた。
 恨みを吐くわけでも後悔を吐くわけでもなく、唯自身の亡骸を紅は見つめた。

『まぁ、案外まだ綺麗な死に方でしたね』

 飄々とそう言い放った紅に炭治郎は泣いた。

 言葉にできなかった自身の思いも後悔も駆け巡る思い出も全てが溢れ出し、炭治郎は声ならない叫びをあげながら泣き崩れた。

 いつもしない彼女の身体から発せられる咽せかえる花の匂いが染み付いて今も消えない。