怖くなんかないよ。
貴方がいなくたって。
哀しくもないし、寂しくもない。
辛いなんて、滅相もない。
だけど、なんだか物足りないの。

お隣さん


「こんにちはー」
「お、なんだ名前じゃねーか。元気か?」

お隣さん。
1日に1回見かけるか見かけないかの頻度で、会えば挨拶をする関係。
ただ、それだけの関係。
つい、今年に入ってからやっと世間話とか他愛もない話をするようにはなったのだが、それでも彼にとって私はただのお隣さん。
きっと、それ以上でも以下でもない。

「うん。ばっちり!もう元気すぎてあそこの川泳ぎきれちゃうくらい!」
「何だそれ。どんなけ元気なんですかー。」
「ふふっ。銀さんこそ、元気してた?ここ最近お留守にしてたみたいだけど」

久しぶりの彼との会話。
それが妙に嬉しくて、笑みが溢れる。
彼はそんな私を特に気にする様子もなく、話を続ける。

「あ?俺?おー、銀さんはいつでもビンビン……って、そうそう聞いてくれよ。今回の仕事まじで散々でさー…」

あれ、今この人、バリバリの下ネタ発動してなかった?
途中で押し止まったはいいものの、かなり危うい所まで言いかけてたよね。
私の聞き間違いかと思うほど、息をするように彼は別の話にすり替える。

「名前に話してェ話いっぱいあるんだよなー。ああ。今思い出しても吐き気する……。」

そんなに酷いお仕事だったのか。
彼は本当に吐くような仕草で、今回の仕事内容を思い出しているのだろうか、こっちまで貰ってしまいそうになる。
大方、気色の悪い天人を斬って返り血(どろどろ系)を浴びたところだろうか。
いや、もっと別のしょうもないことかもしれないな。

「私でよければ聞くけど。今から家帰ってテレビ見てごろごろする予定しかなかったし。」
「まじで!じゃあ家上がってけよ。新八いるだろうし、茶くらいなら出すしさ!あと、プリン残ってたかなー、あ、神楽全部食ったんだっけ…」
「大丈夫。プリンなかったらお茶だけでいいよ。」
「え、何。なんか企んでない?」
「え、なにも企んでないよ。今度パフェ奢って。」

語尾にハートを付けて彼にそう頼めば、きっと何を言おうが結局奢ってくれるのを知ってる。
ハートを付けまいが関係ないのも知ってる。

「それ、企んでるって言うんですけどー」
と、ぐちぐち言ってる彼を傍目に2階の『万事屋銀ちゃん』へと向かう。
また笑みが溢れた。
どんな彼も結局のところ、私にはとてもキラキラして映るのだ。
これはフィルターというやつなのだろうが、そんなことは知ってる。
他愛もない話で、心が空気みたいにふわふわしてしまうのが、この上なく幸せ。
幸せだから、今は難しいことなんてどうでもいい。
あー。私って後々不幸せになるタイプなのかなあ…。


「銀さん。」
「んー?」
階段を上りきったところで、ふと声を掛けてみる。
その無防備な『んー?』も私のツボだったりする。

「やっぱなんでもない。」
「あ?なんだよ。気になるんですけどー。」
「ふふふっ。早くドア開けてー」
「いや、絶対別の話だったろ、今の。…て、あれ?鍵閉まってら。」
「…ん?」

本当だ。
扉がガチャガチャ言ってる。
お留守なのだろうか。
でも、さっき新八がいるって言ってなかっただろうか。

そんなことを思っていると鍵を開けた彼が先に中に入る。
私もそれについて入り、中を確認する。
電気はついてなかった。
窓からの夕陽がやけに明るく差していた。
靴を脱いで廊下を歩く。
人の気配が全くしない。
どこいったんだろう。

「ねえ、銀さん。誰もいないっぽいね。」
「だな」
「だな…って。新八くんいる風に言ってたじゃん。神楽ちゃんだって、定春までいないし。」
「新八のやつ、アイツお通のライブとか言ってたっけな、確か。今日だったのか。神楽は定春の散歩じゃねェ?あー。お妙のとこかも。」
「かも…って。」
これじゃ、2人きりじゃないか。
まさかの銀さんと2人きりじゃないか。
この家にあの子達がいないって妙に新鮮。
初めてだからかな。

「おい、名前ー。プリンあったぞ。」
「いやいや、プリンとかじゃなくて…」
彼は私の気持ちなど知らぬ風に、冷蔵庫の中を覗き込み、プリンを探し出したようだ。
探し出したそれと、銀色のスプーンを持ってきて、ソファの前のテーブルに乗っける。

「どーも。」
「どーいたしまして。これでパフェは無しね。」
「えー。」
「えー、じゃねェよ。」
「はーい。…ねえ、テレビ付けてもいい?」
「どーぞ。ご自由に」

許可を得る前からテレビの主電源に手を掛けていた私。
主電源ちゃんと切るんだ。
新八くんかな。
とか、ぼーっと考えていたら、まだ明るくなる前のテレビに映った彼と目が合った。
え。
なんだろう。
この感じ。
なんか、不思議な。
銀さん、こっちを見てた?
心臓がどうしてこんなに煩いの?

目を瞬間的に瞑る。
テレビが明るくなった。

「なあ。」
「え、なに?」
「お前ってさ…」

振り返れば、意外と距離が近い彼にさらにドキリと胸が弾む。

「な、なに…?」

しん、とした空気が、『今この部屋に私と彼の2人だけなのだ』と実感させる。




「……意外と肉付きいいのな。」




「……!」
「もっとひょろっとしたイメージだったわ。あ、太った?」
「……もうっ!銀さんの馬鹿!」


先ほどのきゅんきゅんを返してほしい。
この男はデリカシーという言葉を知らないのだろうか。
ていうか、私がテレビ付けてる間どこを見てたの。

「この、セクハラ!」
「え!セクハラは言い過ぎじゃね?ほら、俺は素直に思ったことを…」
「それがダメだって言ってんの!」


熱い。熱いよ。
頬っぺたが熱い。
身体が火照ってるのが自分でも分かる。
心臓が暴れてる。
なんなんだ、この人は。
まるでお手玉を転がすように私で遊んでいるみたい。

『わりィわりィ』とさして悪気もなく、ソファに座りプリンを頬張り出した彼。

「……。」
「名前も食べれば?」
「言われなくても食べますー」
「なに?そんなに怒ってんの?悪かったって。今時の女は痩せすぎてんだよ。それくらいの方がいいんじゃね?」
「……ほんとに…?」
「ん?」
「銀さんはガリガリより少しふくよかな女性が好みなの?」

少しだけ驚きを含んだ目を私に向けて彼は数秒停止した。
そして、どうしてか眉根を寄せて小刻みに震えている。
と、同時に『ぷっ!』と下を向き噴き出したのだ。
私は訳が分からず固まっていると、彼はもうそれは我慢していたものを吐き出すように豪快に笑い出した。

「ははっ!なにその真面目な顔!なんでお前そんなに真面目に聞いちゃってんの?そんな奴初めてだわ。まじ面白ェ…」
「えええ!そんな!そんな私普通に…!」

私に人差し指を向け、自分が可笑しいのかと思ってしまうくらいの彼の大笑いに、恨めしさと恥ずかしさ半分半分くらいの思いが込み上げる。


「銀さんはどっちも好みなの。」
「…え、なにそれ……。最低…。」

彼の方は見ずに、残るプリンを一口で胃の中へ放り込む。
一瞬にしてプリンは消える。
噛みごたえがなくてなんだか物足りないような気がする。
憤りだけがただ口の中にほんのり残る。

誰でもいいの?
私は貴方じゃないとダメなのに、貴方は誰でも……

「なあ、なに勘違いしてんだよ。」
「…勘違いなんかしてない。」
「いや、してるでしょ。その顔普段の名前から想像もつかねェくらいだからね。怒ってるの初めて見た。」
「怒ってなんかないっ…」
「……名前。ちょっとこっち来てみ?」

ふと彼の方に視線を伸ばせば、私を手招きしている。
これでもかと睨みをきかせて『やだ』と一蹴すると、顔を片手で覆いガックリと肩を落とした。
ふん。ざまあみろ。
誰がそんなやすやすと……


え。なに、なんでそっちから近づいてきてるの。
やだって言ったのに…いや、だって…私……
え、やだ、ちょっと、来ないでよ……




心臓爆発しちゃう。




「ちなみに名前限定だから。」




耳元で囁かれた。
息がかかるほどの距離で。
すべての電源スイッチがオフになったように動けなくなった。
何もできなくて、ただ、プリンが入っていた空っぽの容器一点だけ見つめて。


「おーい。聞いてんですかー。」
「あ、え?」
「あれ?聞こえてなかった?もっかい…」
「いや、いいよ!も、もう満足です!」
「……ぷっ。」

彼はまた豪快に笑い出した。
もう一度あんなに甘い声で囁かれたら、本当に心臓がもたない。
それは避けたい。
私は全力で拒否した。

「…はははっ!そんなに照れるってことは、やっぱ名前は銀さんに惚れてんだな」
「もう!からかわないでよ!」


『わりィわりィ』とまた悪びれもなく謝り、ボフッと音を立ててソファに戻る彼は、何を考えているのだろう。
私の気持ちなんてちっともわかっていないのだろうか。
冗談なのか、本気なのか。
まったく、それすら判断ができないのだ。


「……もう!銀さん、今度パフェ2杯ね!!」
「は!?プリンやったじゃねェか」
「それとこれとは別の話なの!」
女心を弄んだ罪よ!



彼の釈明はこのあと長々と続いた。
そしてずっと必死になる彼を見てるとなんだか可笑しくなって、『ふふっ』と笑みが溢れた。


結局、彼の仕事内容は一切聞けずじまいだったのが残念だったのだが。
まあ、こんなお隣さん関係も悪くないなと思った。





fin.

2015.5.28



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