夜のかぶき町。
頭がくらくらするほどにお酒の匂いが漂う。
店に入る者、店から出てくる者、家に帰る者、帰らない者。
カオスな雰囲気がこの街の色を鮮やかに彩る。


「ねえ、ってば。もう一軒行こーよぉ。」
「悪ィ。俺明日仕事だから。じゃーね。」

夜のかぶき町に女ひとりで歩いていれば、大概の男は釣れる。
釣った男にお酒の代金を支払ってもらう代わりに、あたしは男と楽しく呑む。
それだけ。
身体はくれてやらない。
釣った男が帰ったら、あたしは取っ替え引っ替え新しい男を探して、また夜の街を彷徨い歩く。そうやって、朝までなんやかんやお酒を呑む。
そうでもしないと、名前の無い寂しさに押し潰されてしまいそうだった。
それがただ漠然と怖かった。


「お姉さん。俺と呑みませんか?」

そう声を掛けられることもあれば、此方から声を掛けることもある。
あたしは声を掛けてきた男に付いて行く。
どのお店に入るかは男に任せる。
あたしはただ川の流れに身を委ねる。


「ここ…。ここで呑むんですか?居酒屋の方がきっと楽しいですよ。」

辿り着いたのはいかにも怪しげなピンク色のネオンが光る建物。
所謂、出会い茶屋というやつだ。
看板には生々しく“1時間3000円〜”などと値段が大きく掲げられている。

馬鹿馬鹿しい。
出逢ってすぐの女をこんな所に連れてくるなんて。
楽しく呑んでから連れ込むなら未だしも。
いや、その場合でもあたしは決して連れ込まれないけれど。
酔わせて判断力を鈍らせてから連れ込むのが、定石ってもんだろう。

あたしは観点のずれた考えを巡らせる。

「こっちの方が色々できるし、楽しいよきっと。お金は勿論俺が払うし。ね?」

あ、そうか。
あたしはひとり納得した。
この男は酔っているのだ。
女の判断力を鈍らせる前に、この男が判断力を欠いているのだ。
なんて、情けない。
呆れてものも言えない、とはまさにこのこと。
黙って男を見ていれば、下品なにやにや顔を此方に向けている。
まだまだ酔ってはいないが吐き気がした。

「ごめんなさい。あたし、お酒が呑みたいだけなの。じゃ。」
「ええ!?ちょっ、ちょちょちょちょ…待ってってば。ね?お姉さんひとりで呑んでるってことは、そういうことでしょ?何も怖がることないんだよ、俺、優しくするよ?ね?」

立ち去ろうとしたら、右腕を引かれた。
触られた所から虫が這い上ってきたみたいな不快な感じがした。
勘違いバカヤロウの腕を振り解こうと、あたしは腕をぶんぶん振ってみるが、なかなかしぶとく離してもらえない。
酔っているわりには、力が強い。

「ちょっと!いい加減にしてよ!!」

男はあたしを無理矢理建物の中に引き摺り込もうとする。少しずつ引っ張られてゆくあたしの身体。
焦り出すのは遅いのかもしれない。
あたしは恐怖を感じ始め声を荒げる。
が、男は判断力を失っているからかまったく怯まない。

どうしたものか。
あたしは変に醒めた頭で、正当防衛としてどこを蹴り飛ばしてやろうかと思案を巡らせていた。
すると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。

あたしは知っている。その人を。


「また、男引っ掛けてんの名前ちゃん。そりゃ無いわぁ〜。銀さんという男がいながら。」
「…………。」

その人は、言葉とは裏腹にあたしを見ることなく代わりに男を睨み付け、その腕を掴んであたしから引き剥がし、男を追い払ってしまった。

なんだ、男が来たら呆気なく引き下がるのか。
蹴り飛ばせなかったことが少しだけ悔しい。

「あれ?名前ちゃん、顔赤くね?もしかして惚れ直しちゃった?」
「バカ。これはお酒がまわってるの。」

彼はにやにや顔を近づかせる。
上からあたしの顔を覗き込んで、へらへらと笑う。
どの男とも違う。
嫌な感じがしない。どこか底知れぬ安心を感じさせてくれる。

「銀ちゃん。呑みなおそ。」
「え、このお店で?」
「…バカ。あっちのお店!」

あたしと銀ちゃんは、居酒屋の暖簾を潜った。
カウンターに腰掛け、取り敢えずビール。
乾杯してからごくごく呑んだ。

「銀ちゃんが来てくれなかったらあたしあの勘違いバカヤロウと寝てたかもねー」
「バカヤロー。何言っちゃってんの?そんなの俺が許さないからね。銀さんと寝る前に他の男となんて許しません。」
「あはははっ!」
「それにお前、俺が来なくても野郎蹴り飛ばして自力で逃げてただろ。」
「あはは〜。バレてた?」

あたしと銀ちゃんの関係はちょっと複雑。
いや、あたしが勝手に複雑化してるだけ。
自分の中の気持ちが整理できなくて、追いついていない。
銀ちゃんは、口では色々と勘違いするような言葉を掛けてくるけれど、実際はよく分からない。好きって言われたことはないし。デートだってしたことない。こうやってふたりで呑むことだけしかしたことない。
まあ、デートっぽいものに誘われはしたけれど、それは臆病が勝ってお断りした。

ゆえに、ふたりの関係はなんだか少し自分勝手に複雑。

こんなに冷静に語っているけれど、実は今物凄く発狂したい。
銀ちゃんと呑むのはなかなかに久しぶりな気がする。

銀ちゃんはビールを次々にお代わりしてゆく。あたしは日本酒の熱燗が好きなので、2杯目からはそれを頼んではちびちびと呑む。

「ん。そういえば銀ちゃん今日はお金あるの?」

随分とお酒を胃の中に収めてから気づく。
彼は万年金欠男だったことに。

「あるよ。俺を誰だと思ってんの。女の子に払わせるわけな…」
「いつもあたしが払ってるよね。」
「今日は払うから!いやぁ、今日さパチンコで大勝ちしてよォ。」
「ほんっと銀ちゃんってば、パチンコばっかりだよねぇ。」
「ほんっと名前ちゃんってば、厳しいよねぇ。」

銀ちゃんは、あたしの口調を真似ては此方を見てにやにやしていた。

そんなだらしのない顔を見て改めて思う。
他愛もない話でこんなにお酒が美味しいなら、ずっとこの関係のままでいい。
あたしは他の男ともお酒を呑んで、銀ちゃんも他の女の人ともお酒を呑む。

銀ちゃんが好きか、とか。
銀ちゃんはあたしのこと好きなのか、とか。

そんなのはどうでもいい。
この関係が心地いい。
これを壊したくない。
自分から手放したくなんてない。



お天道様が顔を出し始めた頃。
あたしたちは、店の店主に追い出されるようにして、漸く居酒屋を出た。
少しふらついた脚を絡ませながら、どこを目指しているのか、おそらく、自宅だと思うけれどあんまり頭が働かない。
身体が動くに任せて、脚を前に出している、そんな感じだ。

「お前さァ。…いつもこんな感じ?」
「…………。」

先ほどまで、“気持ち悪い。呑みすぎた。”と唸っていた銀ちゃんが、急に真剣な声を出すものだから、あたしは言葉に少し迷った。

「…そうだよ。朝まで呑んでるよ。」

そうしたら、今度は銀ちゃんが言葉に迷っているみたいに、何か考えている。
あたしは本能的に、次の銀ちゃんの言葉を聞いちゃいけない気がした。
少し俯き気味な銀ちゃんの横顔が、変に色っぽい。

「…あ、昨日…じゃないや。おとといはね。3人と呑んだよ。みんなあたしより先に酔っ払っちゃってね。情けないったらないよね。」

あれ?
銀ちゃんは、うんともすんとも言ってくれない。
ずっと何かを考えている。
最適なものを丁寧に、失敗しないように、吟味しているみたいに。



「名前。もうさァ、やめてくんない?」

突然、名前を呼ばれて見つめられたら何も言えなくなる。
お互いのふらふらの脚も止まった。

銀ちゃんは、何をやめてくれと言っているのか。
お酒?朝まで呑むこと?男と呑むこと?
銀ちゃんと呑むこと?
それとも銀ちゃんに会うこと?

「何処の馬の骨ともしらねェ野郎と朝まで酒呑んでるなんて、拷問並みだよコレ。」
「…え、な、どういう事…?」
「銀さんもう限界だわ。押してダメなら引いてみようかなと思って待ってみたけど、やっぱ無理。糖分ちゃんと取ってんのになんかイライラしてくるし、もうわけわかんねェ。」


自分に自信がなかったの。
もし、銀ちゃんに言葉で言われてもきっと真実じゃないと目を背けてた。
そのくせ、もっと近くに居て欲しかった。
独りよがりでただの我儘。
だから、もうこの関係のままでいい、とぐちゃぐちゃにして汚い色のままで放置しようとした。
こんなに大きく膨らんでいた感情は、何処にも吐き出せずに、夜な夜なお酒を呑んではただ紛らわせていただけなのかもしれない。

「銀ちゃん。あたし…」
「俺は名前が好きです。」

頬を伝うそれは涙だと、気づいたのは銀ちゃんが慌てて拭ってくれた後だ。

「ごめんな。今まではっきり言わねェで。ほら。俺だって自信ねェし?名前も色んな男と呑んでるみてェだし?まあ結果女の子泣かしてんだからサイテーだよな。」

あたしはぶんぶん首を横に振った。

「サイテーなのはお互い様だよ。あたしも一緒…」


恋は人を臆病にする。
そう。みんな、臆病者だ。
好きだけど、好かれる自信がない。
好きだから、今の関係が壊れるのが怖い。
一歩踏み出せば、そこは崖か花畑か。
真っ暗闇に隠されて、分からないままで。
一か八かの賭けをする。



「…銀ちゃんが好きだよ。」



あたしの大好きな優しい顔をして、銀ちゃんはあたしの頬を優しく撫でてくれた。

「じゃあ、これからは他の男と呑むの禁止な。俺、嫉妬するんで。」
「ふふっ。知ってる。銀ちゃんは亭主関白派だもんね。」

まだ微かに漂うお酒の匂いと、甘ったるい香りが混ざり合う。
くらくらするほどに、それはあたしの中を駆け巡り、やがてあたしを支配してしまうのだ。

ねえ銀ちゃん。あたしも銀ちゃんにお願いがあるの。

もっと、もっと、……



愛して、もっと。





2016.11.14
2万打御礼リク。悠香様へ。

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