起こしたのは数分前。
昼過ぎの、太陽が昇ってきて、気温が上がってくる頃。
その筈が、今日は寒すぎて昼間になっても暖かくはなってくれない。
でも、しょうがない。このままだと、一日中布団から出れないもの。
この人は、布団という生き地獄の沼の底に、沈んでしまうもの。

なんて、大袈裟だけれど。

それでも、やっぱり、うんうん唸るだけで布団から出てこないので、無理矢理布団を剥いで、枕も奪って、ころころ転がして起こしてあげた。

機嫌はすこぶる良くないけれど、しょうがないもの。
睨んだって、まったく痛くも痒くもないのよ。
さっさと起きない方が悪いのよ、くらいの開き直りをして、あたしはスタスタ歩きまわる。


「なァ。」

洗濯物を干した後で、今度はお風呂掃除をしようとリビングを通る際に、その人が口を開いた。

「なんですか?あ、ホットミルクじゃなくて、ホットいちごみるくでしたっけ?すみません淹れ直しますね。」

起こした後に淹れてあげたホットミルクは、熱々に淹れたから飲めなかったのか、それともいちごみるくじゃなけりゃ嫌だったのか、あまり減っていなかった。
カップを手に取り、代わりにホットいちごみるくを淹れるために台所に向かう。
ホットいちごみるくを持って戻ってきたら、ソファに座った先ほどと同じそのままのポーズで銀さんは待っていた。

「はい、どうぞ。テレビ自分で点けてくださいね。」
「ん。…………掃除まだ?」
「ん?まだですよ。お風呂掃除が残ってます。すぐ済みますから。引っ張らないでください。」
「ちぇー」

子どものように、あたしの着物の袖を引っ張って、しかし、大人らしく案外素直に離れてくれた。その手は代わりに、ホットいちごみるくに伸びていた。
「あち」と言いながら、ちびちび飲んでいる。その眼は未だに寝惚けたままだ。

あたしは小さく溜息を吐いて、お風呂場に向かった。
ギシギシ軋む廊下は冷んやり冷えていて、それだけでも歩くのが億劫になるのに、お風呂場に向かうとなると殊更に辛い。
シャワーは、最初は冷水しか出ないので、お湯に変わるまで暫く出しっ放しにする。こればかりは、水道代が勿体ないなど、言っている場合ではない。あたしの健康に関する問題なのだから。
もし、冷水でお風呂掃除をして、足が霜焼けになったり、身体が冷えて風邪でも引けば、結局薬代もかかってしまうし。まあ、それはただの言い訳で、素直に言ってしまえば、ただ、ただ、冷たいのが億劫なのだ。

お湯に変わると、足先を温めてから一旦蛇口を閉め、湯槽を洗う。壁と洗い場の床部分もささっと洗って、シャンプーとコンディショナーを整え、ついでに残量を容器の重みで確認する。まだ、大丈夫。これなら、あと……一週間は持つか。

またお湯が出るまでシャワーを放置し、それからお風呂洗剤の泡を洗い流す。綺麗に流れたのを最後まで見届けてから、脱衣所のマットに足を乗せた。

「ふぅ……。よし、っと。」

お湯を掛けているとは言え、廊下を歩くとまた足先が冷える。銀さんの言葉を借りれば、氷のような冷たさ、を帯びた足先はだんだんと感覚すら無くなる。
リビングに入ると、銀さんがいの一番に目に入るが、やはりさっきと変わらぬ位置で、相変わらず寝惚け眼を携えていた。

「今日も寒いですよ、銀さん。外に出掛ける時はあったかくしていってくださいね。」
「んぁー。」
「それは、なんですか。はいか、いいえか、どっちですか。」
「外出たくねぇなぁー。」
「ふふふ。そうですねえ。あたしは今日は用事ないので、ずっと家に居ます。」
「え。買い物とか行かねェの?」
「昨日まとめて買ってあります。」
「え。マジでか。さすが名前チャン。」


もっと褒めてくれても構いませんよ。
今日が非常に寒くなる、というのを天気予報で聞いて知っていたから、昨日外に出なきゃいけない用事は全部済ませておいたんです。
銀さんは、それまで寝ているのか起きているのか分からなかった目を、少しだけ大きく煌めかせた。
冗談抜きで本気で凄いと思ってくれているらしい。俺にはそんな発想は無かった、とでも言いたげだ。

「まあ、帰ってきたら名前が暖めてくれんだもんな。」
「はい。ホットいちごみるくで、ね。」

そうやって、冗談か冗談でないか、よく分からない言葉を交わしながら、外出の支度を整えていく銀さん。
あたしはソファの上で膝を抱え、自分用に淹れたホットいちごみるくを飲んだ。
やっぱりあたしには少し甘い。
でもこの甘ったるさが、妙に欲しくなる時がある。たまにはいい。
テレビでは、吹雪の中、お天気お姉さんが必死に声を上げていた。
あれえ、こっちは雪は降ってないよね。
思いながら、テレビから視線を外す。

「やだ。雪……。」

しんしんと窓ガラスに映る白。
吹雪いてこそいないものの、ちらちらと雪が降っていた。
思わず、ホットいちごみるくのカップをテーブルに置いて、ソファから立った。銀さんがいつも大きい身体をはみ出させて座っている、仕事用の机の上の小窓に吸い寄せられる。
すると、ふいに、引き戻された。


「えー。マジで?やっぱ外出るのやめようかなぁ。」


銀さんだ。
後ろから抱き竦められた。
どうやら、あたしの頭の上に銀さんの頭が乗っかっている。前から見たら、どう見えるんだろう。考えていると、今度は顔のすぐ隣に、銀さんの頭が来た。銀色の天然パーマが頬を掠める。くすぐったい。近すぎて、表情が分からない。


「だめですよ。今日は仕事なんでしょう?仕事は行ってもらわないと困ります。」
「銀さんが凍え死んだら?」
「……困ります。」
「八方塞がりだな。」
「ふふふ。銀さんって、本当に寒がりですね。」
「そうだよ。寒がりなの。だから、もうちょい暖めさせて。」
「仕方ない。凍え死なれても困りますものね。」

痛くならないギリギリの力加減で、銀さんはあたしをぎゅっとする。
そんな分かりづらい優しさが、あたしの胸をじわりじわりと暖かくした。
ほどなくして、急に冷んやりした。
振り返ると、銀さんの背中が見えた。

「じゃ、行くわ。」

少し名残惜しいけれど、そんなことも言ってられない。我が家にはお金が必要なのだ。きちんと稼いで来てもらわなければいけないのだ。
ああ、それにしても、いつ見ても、この背中は大きいなあ。
この背中に、どれほどの荷を背負っているんだろう。この人は、その荷が重たくなったら、どれだけの量をあたしに預けてくれるんだろう。

「銀さん……。お返し。」

じんわりと暖まる身体と、落ち着く心。
大きい背中に飛び付くと、銀さんは少し驚いて、でも、何も言わずにじっとしてくれた。
どれだけこの人を心配しても、銀さんはきっと心配を掛けまいと意地を張る。
だから、少しでも心休まる場所を、この場所を、あたしが守るから。

待ってるから。


「気をつけて、行ってらっしゃい。」

「おー。行ってくらァ。」





引き戸を開けると、すぐさま丸まる背中が、とても愛おしい。


寒がりな貴方を今日も待つ




2018.1.30
背中で語る人、好きです。背中を見るのが好きです。とどのつまり、背中が好きなんですよね。


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