いつだって昔から一人だけ


曇天が私の心も押し潰してしまいそう。

そんな風に思った。
それ程に、空は暗く重い。文字通り押し潰されてしまいそうな、そんな威圧的な空から降ってくるのは雨。恵みの水滴だ。私の頬に、肩に、腕に落ちて弾ける。乾いた地面を少しずつ潤してゆく。

「あれぇ?」

雨が降る予報ではなかったから、いきなりの雲行きの悪さと水滴の滴りに、私は首を傾げた。通り雨に違いないだろうが、激しく降ってくれる前にどこか雨宿りできる場所を見つけなければ、当然傘を持っていない私は、ずぶ濡れになってしまうだろう。
しかし、雨宿りする気は起きなかった。
行き交う人々は、慌てて走って行ったり、店の軒先から曇天を見上げ困り果てていたり、建物に脚を向けているだろうに、この場で私だけが、ただ曇天を見上げていた。

雨は、汚れた心を洗い流してくれる気がするから、好きだ。
こうやって、暫くこのまま居れば、雨が洗い流してくれるだろう。妬みも憎しみも、哀しみも悔恨も。負の感情はすべて、私の中から無くなってしまえ。
どんな言葉も掻き消してしまうくらいの、大雨が降り出した。

そんな時だ。
背後から声が掛かったのは。

天然パーマの銀髪が、雨に打たれて大人しく垂れ下がっている。水分を十分に含んだ着物が、身体に貼り付いて、中に着た黒の上下の衣裳が透けて見えた。その人は、鬱陶しそうに目を細めながら、私の名を呼ぶ。この大雨だ。相当大きな声を出しているのだろう。白いカーテンのごとく降る雨の奥で、大きな口を開けていた。
私は思いがけず出逢えた驚きと喜びを、できるだけ表に出さないように彼の名を呼んだ。

「銀時、久しぶりだね。」
「久しぶり、じゃねェよ。何やってんの、馬鹿なの。」

私の声量で届くだろうか、と不安だったが、ちゃんと届いたようだ。銀時は雨に打たれる私を呆れたような目で見た。

「たまには濡れたくなる時もあるでしょう。」
「はぁ。お前ってホント馬鹿。それで俺がああそうか、じゃあな、って、帰れると思ってんの?」

思わない。
銀時は優しいもの。
あの日も雨だった、なんて、銀時と別れた日のことを思い出す。
「銀時も馬鹿だよ。」

「・・・。お前には言われたくねェよバカヤロー。ほら、行くぞ。」
「どこに?」
「どこって、雨宿り。」
「やだよ。雨に濡れたいんだってば、放っといてよ。」
「俺だってヤダね。惚れた女、豪雨の中放っとけるかよ。」

銀時は私の腕を掴んだ。
もし暗い世界にいきなり放り込まれても、ただ彼の眼の色だけが私を明るく照らしてくれる。そんな風に思えるほどに彼の眼はいつも優しい色を秘めている。
縋りたい。本当は、泣きべそかいて、暴れまわって、取り乱して、貴方に縋りたい。
引っ張られる腕に少しだけ痛みを感じながら、そんなことを思っている。
私は、まだ貴方のことが好きで、好きで、好きで・・・。

「ここなら、大丈夫か。」
歩みを止めた銀時はそう言った。
古い建物の軒下。たしか、数ヶ月前まで煙草屋があったはずの場所だ。

銀時と私は恋人同士だった。けれど、私には親が決めた婚約者がいた。親も、もちろん婚約者も、銀時の存在は知らない。
その煙草屋がまだあった頃のこと。
銀時は「俺じゃ幸せにしてやれねェ」とさらっと言って、「そう」と私も素っ気なく返した。
私が幸せか不幸せかなんて、私が決めること。最初はそう思ったし、どうして私の幸せを勝手に決めるの、と銀時に苛立った。だけど、銀時に縋りついてはいけないと思った。だって、これは彼が私のことを想って決めたこと、銀時の優しさだって分かってるから。
雨に濡れた後でもう一度見上げる銀時の顔は、妙に色っぽい。

「狡いや・・・」
「なにが?」
「そういうところも・・・」
「男は狡い生き物なんだよ、」
「好きだよ。」

屋根に雫が当たる音。
地面に染み込む恵み。
着物の裾から垂れ落ちる雨。
重たい空と、重たくなった身体と、それ以上に重たい心。
今まで、雨は汚れた心を洗い流してくれる気がしていたけれど、この雨が止んでも、私の心は軽くなることはないのかもしれない。

「お前、アイツと上手くいってねェの。」
「・・・・・・」
「だからだろ。浮気とか、そういうの、いけねーんじゃねーの。」
「・・・・・・」
「アレだろ。もうすぐ結婚すんだろ?聞いたぜ、お登勢のババアから。結婚ってどんなもんか、想像つかねェけどよ。もっと明るいもんだろ。」

私は、婚約者と一緒になる。幸せな家庭を築いて人並みの幸せを手に入れる。そうやって、銀時を忘れる。銀時もきっとそれを望んでる。そう思って、銀時と別の人に縋って、その人からようやくプロポーズもされた。けど、しっくりこないまま、返事を先延ばしにしてしまっていた。
一生の問題だから、慎重に考えているだけ。そういう言い訳を心のどこかでずっとしていたけど、そうじゃない。
私は、この人とは幸せにはなれない、って心の底では分かっていたんだ。ずっと昔から。

「プロポーズはされたんだけど・・・お断りしようと思ってる。」
「なんで?」
「幸せに、なれないと思う。」
「いい奴だって聞いたぜ?まあ、それもババアが言ってただけで、俺ァ実際どんな奴か知らねェけどよ。絶賛してたよ。あいつはお前と真逆のタイプだ、根は真面目で働き者だ、って。」
「ふふっ。その通り。とても良い人。」
「じゃあ、なんで?」
「とても良い人で、記念日も忘れずにお祝いしてくれるし、欲しい物は言えば嫌な顔一つしないで買ってくれる。でも、なんでだろうね。ああ、私って幸せだーって、思えないんだ。」

嘘じゃない。
ずっと、ずっと、好きな人はいつだって昔から一人だけ。
そのたった一人以外の人に何をされても、幸せなんて思えるはずが無かったんだ。忘れようとしても、平気なふりしても、別の幸せなんて掴めるはずがない。



「銀時以外に、私のことを幸せにしてくれる人なんて居ないよ。」


だから、ね。

縋ってもいい?





2017.7.26
許婚とかちょっと憧れ。きっと、婚約者と銀時さんの財力は雲泥の差。(笑)

←BACK

ALICE+