「別れようか。」
どうして、あんな言葉を溢してしまったのか。自分でもよく分からない。
センチメンタルにも程がある
ファミレスの四人掛けのテーブル席。あたしはそこに一人で座っている。窓側のこの席は、少し顔を横へ向ければ、窓の外が良く見えた。
外を歩く人たちは、あたしのことは気にも留めない風に通り過ぎて行く。一人で早足で、また別の者は大勢で喋りながら。まるで、此方側が動物園の檻の中のようで、あたしはその中でも特に人気の無い動物のよう。
「ご注文お伺いしましょうか?」
店員の女性が、そんな寂しいあたしを見かねたようなタイミングで、話しかけてきてくれた。一品だけ注文をする。
「チョコレートパフェひとつ。」
センチメンタルにも程がある。
あたしらしくない。何にもあたしらしくなんかない。甘くて意外と量のあるソレは、あの人が大好きなもの。どうしたって、セットで思い出してしまう。いや、思い出したかった。初めて一緒に来たこのファミレスで、初めて一緒に食べたソレを食べて、初めてこの人と一緒に居たいと思ったあの頃の気持ちを。
なんて。今さら。
今さらすぎる。
自分でも馬鹿だって、分かってる。
運ばれて来たソレは、メニュー表に載ってる偽物の写真よりも、生々しくあたしの心を掻き毟る。
パフェ専用の長いスプーン。そこに写るあたしの酷い顔。それから、もう一度窓の外を見る。
やはり、何度見てもあたしを気にする人影はひとつも無い。
あの人が来るはずも無いのに。
少し期待している自分が憎い。
期待させているあの人が憎い。
店内はそれほど混み合っていない。でなければ、お一人様のあたしが四人掛けのテーブル席に座れているはずも無いのだが。ただ、“広くゆったり使えるだろうから”という店員の気遣いで通された此処は、今日はすごく居心地が悪い。
誰も来ないのに、来るような気がしてくるじゃないか。
パフェに夢中になっている間に、目の前にひょっこり現れて、「俺にもくれよ」なんて、いやらしい顔であたしのパフェを横取りして。そうでもなければ、昨日のことなんか無かったことみたいにして、怠そうに腰掛けて欠伸しながら此方を見てたり。
そんな、あり得ない妄想をしてしまうじゃないか。
「いただきます。」
虚妄は振り払って、パフェを貪る。最初は、クッキーを生クリームにつけて。それから、チョコレートアイスを一口。生クリームと混ぜて二口目。少し奥をかき混ぜるとコーンフレークが出てきた。チョコレートソースがかかっててこれがまた美味しいんだ。さらに奥には、チョコレートのムース状の層があってそれを崩しながら、上のクリームと絡めるのも良い。
あの人が教えてくれた、パフェの美味しい食べ方。
あの人とは、うまくいってた。
うまくいってた気がしていた。
あたしは、特に不満も無かったし、あの人も特にこうこう、ここが嫌だ、こうして欲しいとか、あまり言わない人だった。
最初は仲の良い友人で、一緒に居る内に、徐々に距離が近くなっていった感じで、付き合い出してからもそんなに最初の頃と変化は無かった。
ただ、これからは、この人といつまでも一緒に居れる。いつまでもそばに居れる。そう思うだけで、幸せだった。
なのに、どうして、あんなことを言ってしまったのか。未だに、自分でもよく分からない。
どうしてだろう。
いつか、あの人が仕事で吉原に行くことがあった。そこで出会った女の人と仲が良くなったらしく、度々呑みにも行っていた。あたしはあの人を信じていたし、あの人もあたしを信じていたと思う。吉原に行く際には、いつもあたしに一言行ってから出掛けていたし。
けど、何故か、とても胸が苦しくなる時があって、そんな心の狭い自分を認めなくなかった部分もあって、素直になりたい自分もいて、ぐちゃぐちゃになって。
すべての自分に折り合いをつけられなくなってしまっていたのかもしれない。
もし、もしも、あの人があたしから離れてしまう可能性があるなら、その前に此方から離れてしまおう。
その方が楽だろうから。
「その方が・・・あたしたちにとって、良いと、思ったの。」
あたしは逃げたのに、あたかも二人の為だと言わんばかりに。
嘘を吐いたんだ。
だから、後悔してるんだ。
こんなにもやもやしているんだ。
此処に来ちゃったんだ。
空になったパフェの容器に、何かが零れ落ちた気がした。
店員さんは、にこやかに会釈をしてくれた。今のあたしにはそれだけで、心が救われるようだった。外に出ると、檻の外へ解放されたようで、それでいて、変にあたしだけ世界から浮いているような気がして、妙に心地悪かった。
西日に目を細め、手を翳す。それでも、手の隙間から漏れ注ぐ太陽の光が眩しい。こんな時でも平等に太陽は照らしてくれる。ふと、あたしよりも頭一つ分くらい背の高いあの人の背中に、いつも隠れて日を遮っていたのを思い出した。
どうしたって、こうやって、何気ないことで、少しずつ少しずつ思い出してしまうんだろう。その度にこうやって、心を掻き毟られて、締めつけられて、歯痒くなって。
それほどに、あたしを侵食していたあの人が、とても愛しい。
「名前。」
あたしの名を呼ぶ声が聞こえた。そう思って、何となく振り返ってみるけれど、そこには誰も居ない。通り過ぎて行く人だかりがあるだけ。ついに幻聴まで聞こえてしまうなんて。ホント馬鹿。
「馬鹿だよなァ。」
「本当に・・・」
太陽の光をあたしから遮るように、背後に立つ人影がひとつ。
今度こそ、幻聴なんかじゃなかった。そこには、あの人が佇んで居て、手には串団子を一本持ち、それを頬張りながら此方を見下ろしている。団子の残り一個をあたしへと差し出しながら、その目は酷く優しい色をしていた。
「銀、さん・・・」
「名前ちゃーん。何ぼーっとしてんの?食わねェの?これお前が好きな味じゃなかったっけ。アレ?もしかして食い過ぎて嫌いになった、とか?」
「・・・ううん。違うよ。」
「じゃ、やるよ。最後の一個だけど。」
「い、いらないよ。貰えない。だって・・・」
“別れたはずでしょ。”
平然とした顔で、にこやかに言ってやりたかった。でも、言葉が続かなかった。
「別れたからって言いたいわけ?でも俺は、別れたつもりねェから。」
「え?」
「なんて。そんな女々しいことは言いませんー。カッコ悪すぎんだろォが。」
「・・・銀さん・・・。あの、あたしね、」
「俺が悪かった。俺が、名前にこんな悲しそうな面させてんだろ?だから、コレ食べたら、全部忘れろ。俺のこと全部忘れて、へらーっていつもみたいに笑ってくれよ。」
「な・・・何、言ってるの・・・?」
やだ。
そんなの、やだよ。
一方的で、傲慢だよ。
貴方ともう一度やり直せるなら、チャンスをくれるなら、飛び込むくらいの勇気は持ってるのに。こっちから振ったから、そんなチャンスもくれないの。そんなに弱った顔で、どうして笑うの。
「お前らしくねェじゃねェか。そんなに名前は女々しくなかったろ?え?もしかして、未練タラタラです、ってか?お前から振っといて?」
「・・・・・・そ・・・よ。」
「アァ?聞こえねェ。」
「そうだよっ!こんなのっ・・・。こんなのいらないからっ、銀さんのこと、忘れたくなんかないっ!」
無惨にも、一個の団子が刺さった串が、地面に転がった。その団子が次第にぼやけてゆく。目から溢れるモノが止まらない。
ああ。もうどうしてくれるの。こんな檻の外で、こんなに恥を晒して。初めて、あたしを目に留める好奇の眼差しをひしひし感じる。
泣いちゃ駄目だ。泣いちゃ駄目だ。
そう思う度、新しいモノが内側から溢れ出して、余計に止まらない。
「あーあー。もう。何で泣いてんの?泣きたいのはこっちの方だよ、お嬢さん。大好きな女にいきなり振られて、大好きな団子の最後の一個砂利塗れにされてんだぜ?」
優しい顔であたしの顔を覗き込む愛しい人。不器用だから、優しい言葉なんか掛けちゃくれないけれど、その瞳はあたしを慰めてくれる。あたしは、着物の裾で溢れる涙を粗く拭って、暫く貴方を見つめる。そんなあたしを見て、貴方は少しだけ困った顔をして、その大きな手を頭に乗っけて、ぽんぽんと撫でてくれる。
「・・・やめてよ。また、泣いちゃうから。それに・・・そんなに悲しそうな顔で笑わないで。」
わざと突っぱねる言い方をした。
これ以上優しくされたら、また泣いてしまうし、自分から「別れよう」と言い出しといて、「やっぱりその話は無しで」なんて言えないもの。
変哲なプライドが、「素直になるな」と胸の内で叱咤してくる。
「もう、別れたんだから。・・・優しくなんか、しないでよ・・・」
また溢れ出した涙を必死に堪えた。目の淵に僅かに引っかかっているそれは、少しでも瞬きすればすぐに流れてしまうだろうことは、目の前の人にもきっとバレているに違いない。
「そんなこと言うんだったら、もっと怖い顔してくんね?そんな顔されたらこっちだって、諦めつかねェんだけどォ。」
いつもと変わらぬ覇気の無い瞳に吸い込まれるように、あたしは貴方の腕の中に身体を預ける。
落ち着いた温もりは、紛れもなく此処に存在していて、自分から離れることを決めたはずなのに、気づけば、ずっとこの温もりを求めていたんだ、と酷く納得する。
どうしたって、離れることなんかできやしない。
だって、これほどに、貴方が愛おしい。
動物園の檻の外の世界は、好奇の眼差しであたしたちを見下すけれど、気にも留めないほど、貴方が愛おしい。
「やっぱり、昨日の、無しで。」
「もう離してやらねェよバーカ」
2017.5.17
大人の余裕みたいな顔しつつ、悲しい顔で、無理矢理じゃなくて、優しく諭されて。そんな銀さんを妄想するのが堪らない。