宇宙の玄関口。ターミナル。
天人がこの星に降り立って早数年。天人との敗戦の証とも言える憎き塔は、もはや今となっては江戸のシンボルとも言うべき存在感。
その江戸のシンボルのすぐそばに新しくできたという百貨店。高くそびえ立つターミナルに負けず劣らず立派な構えの百貨店には、それに相応しいイケメンなドアマン二人がドアの両側に並ぶ。
爽やかイケメンか、可愛いイケメンか。
右か、左か。
どちらにしようと、ドアを抜けた途端、むわっとする熱気が私たちを包むのは必至である。




ケーキが溶けてしまう前に



「あっちぃ」

くらくらするほどの熱気に、私は銀ちゃんよりも先に独り言をぶつける。
昨日、銀ちゃんが、「万事屋はクーラーもねェし扇風機もこないだ壊れてもう悲惨」と言っていたのを思い出し、万事屋の従業員たちを酷く案じた。

小ぶりの紙袋をできるだけ直射を避けるように影を探しながら歩く。それについてくるのは、大きな身体をした銀ちゃん。どうしても影が無くなってしまうという時、私を日除けにしているらしい。私の小さい影に隠れようと躍起になっている。そんな気配を感じて私はつい足を止める。
「銀ちゃん。暑いのは分かるけど、このケーキがどろどろになっちゃったらどうするの。銀ちゃんが食べたいって言ったんだよ。だったら銀ちゃんが影になってよ。」

「そんなにすぐどろどろになんねェって。氷も入れてくれてんだろ?それより名前さん。銀さんの心配は?」
「むーっ。」
「何それ、その顔かーわーいーいー」
「わー!もう、近寄んないで暑いから。」

ただでさえ、身体からの熱の発散が追いついていないのに、さらに熱い銀ちゃんの身体をくっつけられたら堪ったもんじゃない。
私は腕を広げて近づいてくる銀ちゃんを両手で制した。
私が銀ちゃんの日除けにされていることにも、ケーキを食べたいと言い出した本人がケーキの心配を微塵もしていないことにも、私は腹を立て兼ねない状況なのに、どうしてこうも銀ちゃんはそれをものともしないでいられるのだろう。
まあ、それが銀ちゃんである、と言ってしまえばそれまでなんだけれど。

「名前って、冷たくなったよな。」
「なっ、何が言いたいの。」
「まぁ、暑いからなぁ。それくらい冷たいのがちょうどいいのかねェ。」
「冷たくなってない。前と変わらないでしょ。」
「そうだな。こないだまでは公然で抱きつこうものなら、鳩尾に一発喰らわされたもんな。でも、前はアレだろ?照れがあったじゃねェか。」
「今だってあるよ。」
「いんや。無いね。今はただ暑苦しいから近寄んな、って眼してるもん。」
「そ、そんなことないよ。」

そもそも、このケーキは銀ちゃんが「今日アレじゃね。記念日じゃね。ケーキでも食べねェ?」と言い出したから買ったのであって、そうでなかったら、きっと家でごろごろしていつものように一日が終わっていただろう。
しかし、付き合い始めの記念日に何かをする、という意識が薄れているからと言って、銀ちゃんの大切さは変わらない。
それとこれとは話が違うのだ。

だけれども、暑い事実も変えられない。じんじん照りつける灼熱の太陽のせいにでもしていて欲しい。決して、銀ちゃんに対する愛情が薄れてきたとか、そんなんではない。だから、この態度と眼は、お天道様のせいなのだ。

「なんか太陽に負けた気がすんだけどそれ。納得いかねェ。」
とかなんとか、ぶつくさ言いながらも、銀ちゃんだってきっと暑いのだろう。私の影から出て隣に並んだはいいものの、手を繋ぐ雰囲気すら微塵も見せなかった。
横に並んで歩く人を見上げる。この位置で、この角度で、この距離で、この人を見ているのは私だけ。手を繋いでくれないのは少し残念だけど、その事実があればそれだけでいいとも思えた。

ふと、「二人はいつも夫婦漫才してるみたい」と以前万事屋の従業員の二人に言われたことを思い出した。銀ちゃんと私が日々言い合いややり取りをしているのが、漫才みたいでとても面白いのだそうだ。
夫婦にはまだまだなれそうもないけれど、夫婦になってもならなくても、この関係がずっと続けばいい。

照りつける陽の光は、じんじんと痛いほどに肌を焼く。行き交う人々も汗を拭いながら、陽の光に目を細め、雲の翳りに嬉々とする。
後ろをちらりと見てみると、ターミナルがだいぶ小さくなってきたのが解る。進行方向に目線を戻し、次いで銀ちゃんを横目で見ると、いつも死んだ魚のように覇気の無い眼を、さらにだらしなくさせていた。

「名前ー。俺もう溶けてね?なんかどろどろになってきてね?」
「銀ちゃんはアイスですか。大丈夫。いつもそんな感じだよ。」
「んだよォ。いつもこんな感じってどういうこと。いつも溶けてる状態ってなに?いや、名前にはいつも蕩けさせてもらってますけども?」
「何それ。暑さのせいで頭おかしくなってるんじゃないの。」
「名前って本当に素直じゃねェのー。」
「私より素直じゃない銀ちゃんには言われたくないよ。」

溶けそう、とまだぶつぶつ言う銀ちゃんを見てると、こっちまで溶けてしまいそうだ。この紙袋の中のケーキも溶けていないかますます心配になってくる。隣の人は微塵も心配してなさそうだけど。

「名前は?溶けてねェ?」
「えっ?私?」
「そ。名前って涼しそうな顔してるよな、いつも。」
「んー。私だって暑いけど溶けはしないよ。」
「ふーん。」

自分から聞いておいて、すごく興味がなさそうに返事をする時は、期待していた答えが返ってこなかった時だ。こういう時は、私は銀ちゃんがどんな答えが欲しかったのか一応考えてみることにしている。しかし、死んだ魚の眼の奥を探るのは容易なことではない。

銀ちゃんは無言でその死んだ魚の眼を此方に向ける。急に足を止めてじっと見つめられると、なんだかむず痒い。此方から何か言い出したい気持ちはあるけれど、それを許さない雰囲気を醸し出している銀ちゃんの眼は、とても緩いのにいとも容易く私を支配する。だから、私は口を開かずに足を止めて待った。


「手繋いでいい?」

「なんだ。そんなことですか。」


何を言い出すのかと思っていれば、手を差し出してきた。手なんか許可なく繋いでくれればいいのに。私が「“そんなこと”聞かなくてもいいよ」というと、銀ちゃんはまだ私の顔を見つめてこう言う。

「名前は、俺といて幸せ?」

「なんだ、そういうことか。」
「解ったような顔しやがって。」
「解るよ。銀ちゃんのことならお見通し。私があんまり甘えてこないから寂しくなったんでしょう。」
「さっすが名前さん。そういうこと。なんか俺ばっかり溶けてない?」
「んー。そうかなぁ?私はこのケーキと一緒だよ。」

死んだ魚の眼が、一瞬きょとんとして、それを見た私は可笑しくなってしまって、自分から銀ちゃんの手を取った。熱くて大きくてゴツゴツしてて、でもとても優しい手。私の大好きな手。


「・・・氷がないと今にもどろどろに溶けちゃうから。」


握り返してくれる銀ちゃんの手を、さらにぎゅっと握って、暑いのも構わずに家路を目指す。
紙袋の中のケーキが溶けてしまう前に。
私が溶けてしまう前に。



「さっさと、帰ェるぞ。」
「はーい。」





2017.6.28
甘えたがり銀さんってちょっと新鮮。

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