しようがないから目を閉じた



子どもたちの元気に駆ける音がする。
鳩が餌を戴きに媚を売るように、のそりのそりと近づいては、お爺さんの少しの身動ぎに、びくりと羽をばたつかせている。
こっちに寄ってくれば何かあげたのに、と思いながら、いやしかし、名前は自分が手に何も持っていないことを思い直し、一人でなぜか肩を落とした。
鳩の役にも立てない自分が、要らぬ存在のような気がした。

或る子どもが、目の前で転けた。
あ、と思ったが、名前の腰がベンチから上がることは無かった。上半身だけが前のめりにびくりと、鳩のように動いただけだった。
すぐにまたベンチの背凭れに背中を預ける。
どうせ自分が行ったところで、何の役にも立てないのだ。

その子どもには母親が居て、すぐに駆け寄って来た。母親の方が今にも泣き出しそうな顔をして、子どもを立ち上がらせ腕を引っ張る。子どもの方は泣いてもいないし、ましてや、まだまだ遊び足りないという風な顔をしていたのに。子どもが連れて行かれる様をじっと見ていると、その子がちらりと此方を見て、目が合った。

すぐに名前は視線を地面に落とした。彼方が子どもで、此方が大人だから、こういう時は狡く賢い大人の方が有利だ。きっと誤魔化せているに違いない。
名前は地面の砂がさらさら流れるのを、ぼうっと眺めた。
しばらくして顔を上げると、あの子どもも母親もどこかへ消えていた。

鼻から息を出す。馬鹿らしくなった。
意識をしていたのは此方の方だけで、彼方は何も意識せず、たまたま目が合っただけだろうに。
子どもにすら怯えている、いや違う。子どもの純粋な、あの綺麗な眼に自分の姿が捕らえられることが怖かった。汚くて醜い自分が、暴かれるんじゃなかろうか、という妄想。

馬鹿らしい。



「馬鹿なの。お前は。」




どこから聞こえる音なのか。
一瞬それが、人の声なのか、物音なのか、自らの脳内で発生したものなのか、名前はよく分からなかった。
しばらくして、ああ、これは人の声だと理解した。
よく知る人の。
暖かくて冷たい声だ。

「銀、ちゃん、」

何を考えているのか分からぬ顔で、名前の目の前に現れたのは、声の主。
銀時は、頭をがしがし掻いて、名前の隣に腰掛けた。

「やっぱここに居たか。」

銀時は息を切らしながら、言う。
ここまで走って来たのだろうか。
体力のある銀時がこう息を切らすまで必死に走ったと、そう考えれば名前は少しだけ嬉しくもあったが、いやしかし、何のためにここまで来たんだと思い直す。
ベンチの背凭れにくっ付いていた背中を引っぺがし、立ち上がろうとした。
だが、それは叶わず、熱を帯びた手が名前の右手首を握った。反動で、またベンチに逆戻りした名前だったが、ふたたび背凭れに背中が付くことは無かった。

「もう逃げんの終わりな。」
銀時が名前を諭すように言う。

「は、離してよ……」
「逃げないんだったら、離すけど?」
「逃げてない。」
「はぁ?これのどこが逃げてないんだよ。俺の話もろくに聞かずに、俺がどれだけ走り回ったと思ってんの?仕事終わりで疲れた身体で、これ明日絶対ェ筋肉痛だわ。」
「わ、私は……万事屋には要らない存在なんでしょ。だから、逃げてない。要らない存在が居なくなっただけでしょ。」
「なに言ってんの。……て、おまっ、なんで泣いてんだよ!わっかんねェなァ。ちょ、おい、泣くなって。俺が泣かせたみたいになってんだろーが。」

俯く顔を銀時が覗き込めば、頬をさらさら伝う雫がはらり。
慌てる銀時は、自身の着物の袖で名前の頬を拭う。それでも泣き止まず、むしろ余計に涙が止まらなくなってしまった名前は、下を向いたまま。銀時は堪らず、ベンチから下りて名前の真正面にしゃがみ込んだ。下から顔を覗き込まれているということは、何となく把握してはいたが、しかし、今の歪んだ視界と崩壊した心では、まるで抵抗などできなかった。

「ぎ、ちゃ……が、っ、……銀ちゃ、がっ……うぅぅぅわぁぁあああああ……」

名前の両の手を銀時の両の手がしっかりと掴んでいた。
思いっきり泣いていいんだ。
そう言われている気がして、名前は公園であろうが、子どもたちやお爺さんや鳩の群れに驚かれようが、お構い無しに泣いた。泣いて泣いて、枯れるまで泣いて、少し落ち着いてきて、そうすればようやく羞恥が湧いてくる。
名前は肩を上下させながら、銀時をちらりと見る。
余計に胸が苦しくなって、少しでも楽になるように酸素をいっぱい吸った。吸おうとしたが、上手く吸えなかった。
ずっと両の手を握っている銀時に、離して欲しいと訴えることも、もう離さないでと懇願することも叶わない。
要らないと言われるのが怖かった。戻って来いと言われることに怯えていた。

幾多もの矛盾が、名前の中を駆け巡り、やがて、それは怒りに変わった。

「銀ちゃんが悪いのよっ!」

銀時は目を見開いて、名前を見上げた。その目とかち合って、名前は少しだけ怯んだが、口から出たモノは取り戻せないし、啖呵を切るように次々と溢れ出てきた。

「銀ちゃんが言ったんでしょう!?名前なんか居なくても俺ら三人でずっとやってきた、って。……私なんか?え?なんか、って何?万事屋に迎え入れられてから、みんなのこと仲間だと思ってたんだけど。それって私だけだったの?ねえ。私の勘違い?銀ちゃんは違うの?邪魔だった?どうでもよかった?そりゃあ、私はみんなみたいに、強くないよ。強くないから足手纏い?……知ってる。分かってるよ。そんなの、分かってるよ……!!」

枯れたはずの涙が、ぽろぽろと零れ落ちる。
銀時に、戻って来いと言って欲しいはずなのに、銀時に、お前が必要だと縋って欲しいはずなのに。
名前には、銀時が必要で、縋りたいのは此方の方だと、そう分かっているのに。
どうしても、どうしても、あの時の言葉が頭から離れてくれない。

“名前なんか居なくても、俺ら三人でずっとやってきてんだよ。”

今朝方、万事屋に依頼の電話があって、勿論自分も一緒に行くものだと思って支度をしていた名前に、突きつけられた刃のような言葉。
心臓を一突きされたように、しばらく動けなかったことを覚えている。

「銀さん、今回はちょっとやばい依頼かもしれませんね。」
「私たちなら大丈夫アルヨ、何ビビってんのダメガネ。」
「お前ェら。気抜くんじゃねェぞ。高額な謝礼が期待できるかもしれねぇ。」
「いや、お金の心配かよ!!名前さんも何か言ってやってくださいよ。」
「え。んーまあでも、銀ちゃんが居るなら、私は特に、心配はしてないよ?」

「何言ってんの。お前はお留守番だから。今日は。」

お留守番だと言われて、その後、あの言葉を突きつけられて、動けなくてその場に崩れ落ちて、名前がぼうっとしている間に、三人は万事屋から出払っていた。
振り返ってくれない大きな背中と、その背中に着いて行き此方を心配そうに見る小さい二人に、何も言葉を返せなかった。

着いて行きたかった。
でも、自分は弱いから。足手纏いだから。「私も行く」と言って返ってくる言葉が、「じゃあ、お前は自分の身を自分で護れんのか?」なんじゃないかと、想像すると、凄く怖かった。
自分の身も護れない、誰かに護ってもらわないと生きていけない。そんな弱い自分が憎い。そんな弱い自分が嫌だ。

ああ、駄目だ。こんなんじゃ子どもみたいで、余計に嫌になる。底無し沼に嵌ってしまった脚を、ぴくりとも動かせずにもがく事も諦めて、そうして、どうしてこんな沼に嵌ってしまったんだと嘆いてばかり。

「違う違う違うのっ。何も悪くないの。銀ちゃんは何も悪くないのっ……」

私が弱いからいけないの。

酸素がうまく肺に入ってくれなくて、胸が苦しい。ひゅうひゅう唸る喉を捻り潰してしまいたい。
名前の心は、様々な感情が渦巻いて、まるでそれこそ沼のようにドロドロとねちゃねちゃと、醜くて仕方がなかった。
けれども、銀時の手だけはぎゅっと握ったまま、決して離さなかった。
酸素を一杯吸った。肺に入らなくても、思いっきり必死に吸った。

「名前?落ち着いたか?」

頃合いを見計らって、銀時が名前に話し掛ける。名前は、か細い声で何とか肯定を示した。

「よし。なら今から銀さんが珍しいこと言うから、一言一句漏らさず聞けよ。」

ああ。私の大好きな、暖かくて暖かくてどうしようもない声音だ。
そう感じた名前の目の端には、また水滴が溜まり始める。

「弱くても泣き虫でも、たとえ名前が自分自身を嫌だと思ってても、俺たちは……俺は、名前のことが好きで好きでどうしようもなく大切だ。」
「銀ちゃん……」
「だから、本当に危険な所へは連れて行けねェ、つーか連れて行きたくねェ。それが我儘だってのも分かってるさ。お前は要らない存在なんかじゃない。俺が今日あんな事を言ってまで連れて行かなかったのは、お前が居なくなったら困るからだ。いや、困るなんてもんじゃねーな。なんていうか、困るっつーか……アレだアレ。」
「アレ……って何……?」
「お前の居ないそんな世界、耐えられねーっての。」

だから、な。
名前がそうしたように、銀時も決して名前の手を離さなかった。もう一度、銀時の目と目がかち合った時、名前は目に溜まったものを止められなくなった。


「お前は、万事屋の一員だ。だが、それ以前に、俺の世界そのものなんだよ。」

目の淵からぽろぽろと零れ落ちる。それは銀時と名前が繋ぐ手を濡らす。それでも二人の手は決して離れることは無かった。
銀時の顔をみようにも、視界が滲んでよく分からない。けれども名前には、銀時が笑っているように感じて、それがどうしようもなく嬉しくて。

嬉しくて苦しくて、愛おしくてどうしようもなくて。ぎゅっと閉じた瞼の裏が、じんじんと熱かった。








2018.09.02
title by またね


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