女は泣いていた。
声を漏らすこともなく、鼻を啜ることもなく、頬にただ一筋の涙を走らせて。


銀時は立ち止まった。
夜も更けた街の一隅に、ひとり泣いている女を見つければ、人はどんな感情を抱くだろうか。
憐れみか、驚愕か、はたまた嘲笑か。
どれも可笑しな反応ではないと思うが、銀時の感情はそのどれでも無かった。
とてつもなく、危なげで儚げなその女の姿形と、一筋の涙を、とても美しいと思ったのだ。

女はよく見れば、見知った顔だった。確か、銀時の馴染みのスナック店のアルバイト店員だ。最近江戸に上京してきたばかりの、まだ垢抜けない女で、どちらかといえば大人しい部類に入る。向こうから話しかけてくることもなければ、此方から話しかけたこともなかった。だから、銀時は一瞬、目の前で泣いている女と、スナックの垢抜けない女を一致させられなかったのだ。
彼女の普段から白い肌は、月明かりを浴びて、さらに何倍にも白く暗闇に浮かび上がっていて、そのまま蒸発して消えてしまいそうだった。
危なげで儚げなのは、そのあまりにも白すぎる肌が大半の原因を占めているのだと、銀時は悟った。

「よォ。名前ちゃん、だっけ?」

涙はもう溢れてはいないようで、頬の涙は、肌に吸収されてゆくのと、外気に蒸発してゆくのとで乾いていた。細かくいえば少しだけ跡が残ってはいたけれど、名前と呼ばれた女は、特に気にすることもなく、銀時の方を見ては目を数回瞬いた。

「えーと、こんばんは。坂田、さん?」
「そうそう。覚えてくれてんの?だけど、坂田さんじゃなくて、銀さん、でよろしく。」
「あぁ、そうそう。そうでした。銀さん。銀さん銀さん銀さん。」

そうやって、テストの暗記をするように3回繰り返して、脳に染み込ませるように名前は目を瞑った。

「……覚えました。」

数秒後に開けた目は、銀時を真っ直ぐ捉えて笑った。
それにつられて銀時も笑うと、名前は物珍しげに目を丸くして、気の抜けた顔をする。
「やっぱり似てます。」

「…………?」
「昔、大好きだった人と、銀さんがとても似てるんです。」
「あー、そういうこと。」
「……ごめんなさい。今のは忘れてください。」
「いいんじゃねーの。別に。それだけ好きだったんだろ。むしろ、たまたま似てたやつがこんな俺ですまねーな。」

困ったように笑いながら、首を横にブンブン振る姿は、銀時の想像していた反応そのものであったので、何故か嬉しくなった銀時は、名前に手を伸ばして頭を軽く叩いて撫でた。

月はまん丸で、雲に隠れたりまた現れたりを繰り返し、その明かりはほんのりと2人の居る橋の欄干を照らしていた。辺りを歩く人影も無ければ、物音もしない。川の水音と、虫の鳴く音だけが耳に流れ込んでくる。
銀時は橋の欄干に肘をつき、月を見上げる。つられるように名前も月を見上げるが、すぐに視線を川に落とした。

「月を見上げると、吸い込まれそうで怖くなるんです。」

「あァ?……で、泣いちまうってか」
「え。……はは。泣いてましたか、あたし。」
「んー。なんていうか、そのまま月に昇って行っちまうような……。ほら、名前ちゃん、肌白いし。かぐや姫かと……」
「あははっ。かぐや姫ですか。だとしたら、怖くて泣くのは違いますね。帰れるんだったら嬉しいはずなんですから。」

どこか、現実味のないこのやり取りは、銀時の身体にお酒が回ってきているせいなのか、それとも名前の肌が白すぎるせいなのか。銀時は、本当にかぐや姫を目の前にしているようで、本当にこのまま名前が月に昇って行ってしまうような気がした。

「まだ未練がある、ってことだろ。」

まだ、昔好きだった人が忘れられずにいる。
そんな名前の心を見透かすように、銀時は言った。言葉足らずの彼の発言は、聞き手によれば苛々するのかもしれないが、名前には、天気の良い日に干したお布団のように、どこか心地良くて暖かい。
ろくに話したこともない銀時を、雰囲気だけで好きだった人と重ねてしまって、避けていたこと。あの人を忘れてしまいたいと、無理矢理気持ちを閉じ込めていたこと。
それら全部を、優しく包み込んで、それでもいい、と許してくれる。

俯き気味だった名前の顔は、銀時の方を向いた。銀時は月を見上げていて、2人の目が合うことはなかったが、それでもその銀時の横顔を見て、名前は満足気に微笑んだ。

「……やっぱり、似てないですね。」

「あ?そりゃあ、そうだろ。銀さんは銀さんだからね。」
「あははっ。ですね。」
「さっきよりマシな笑顔じゃねーか」
「そうですか?きっと銀さんのお陰です。随分気持ちが楽になりました。」

名前は、また月を見上げて笑った。
そうやって、銀時と名前はしばらく2人で月を黙って見上げていた。
だが、まだ沈黙が大丈夫な関係ではない彼らには、妙な空気が流れるのは必至なわけで。
「銀さん。」と、名前が話を切り出すのとほとんど同時に、銀時が「名前ちゃん。」と声を発した。

2人の目はかち合って、その目は照れたように細められた。
どうぞどうぞ、とお互いに譲り合っているうちに、やがて馬鹿らしくなって2人して笑った。

「なんですか、銀さん。」
「いや、名前ちゃんこそ。」

「あたし、銀さんのことよく知らずに、くだらない理由で勝手に避けてたけど、銀さんと居ると、なんだか落ち着きます。」
「なんだよ、それ。俺ァ、田舎の母ちゃんじゃねーんだよ。」
「あははっ!銀さんの割烹着姿を想像してしまいました。うん!似合いますね!今度実際に着てくださいよ。」
「イヤだ。割烹着似合うってなに?しかも想像で、似合いますね、って。見てから言ってくんない?」
「それって着てくれるってことですか?」
「いや、そういうことじゃなくて……。」

銀時の独特な話の返しから、割烹着の話になり、名前はもうすでに脳内で銀時に割烹着を着せていて、にやにや笑っている。そのことに本当に頭を抱えてしまった銀時は、橋の下をゆっくり流れる川に視線を落とす。すると、ぽつりぽつりと、溜息を零すように話し始めた。

「俺、名前ちゃんのこと、大人しくてあんまり愛想が無い、田舎から出てきた垢抜けない女、って印象しかなかったけど、名前ちゃんと居るとなんか楽しいわ。」

溜息だと思って気にしなかったのか、意外な言葉が聞けて驚いたのか。いや、多分に後者であろうが、名前は、固まったまま動くこともなければ、瞬きすらしていなかった。焦った銀時は、名前を見遣って、顔を覗き込んだ。

「え?いやいやいや、聞いてる?」
「そっ、そそそそうやって、銀さんはいつも女の人を口説いてるんですね!」
「いや、俺、どんなヤツだと思われてたんだよ。」
「あたしには、好きな人がいるので!ずっと昔から忘れられない人がいるので!ごめんなさいっ!」
「いや、なんで!?俺、なんでいきなり振られてるみたいになってんの!?まだなんも言ってねーし!」
「あれ?そういう意味じゃないんですか?なんだ良かった。まだ言ってないですもんね。そうですよね。まだですもんね。まだ……………………はい?」



女は泣いていた。
声を漏らすこともなく、鼻を啜ることもなく、頬にただ一筋の涙を走らせて。


「俺がその未練たらたらな男、忘れさせてやるよ。」


だが、女は笑った。
驚愕と嬉しさと、それ以外の幾つかのごちゃごちゃした感情の中で、目を大きく見開いた後。

頬にただ一筋の涙を走らせて。



月の光に溶けてなくなる




2017.10.10
女の子はやっぱり泣いてるより笑ってる方がいい。
銀さん、お誕生日おめでとうございます!!


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