うだるような暑い夏の日。
扇風機にしがみつく愛おしい人。
彼がこの状態を維持して、もうかれこれ10分になる。
扇風機の首を固定して、胡座を掻いてしがみつき、『ああぁぁぁ』と唸り続けている。
『ワレワレハ ウチュウジンダ』とたまに変化球を投げてくる辺りが、少年のようで実に彼らしい。
あたしは1人、くすり、とバレないように笑った。
しかし、だ。
唸れば涼しくなるものでもないだろうに。
あたしだってこのうだるような暑さを我慢して何も言わずに貴方の帰りを待っていたというのに。
何の仕打ちですかこれは。
帰ってきて『ただいま』の後にすぐ扇風機って。
あんまりではないですか。
あたしは貴方の帰りを心待ちにして、階段の音が聞こえた時から扇風機そっちのけで玄関前で待機していたというのに。
あんまりではないですか。
扇風機は占領されているので、仕方なく、冷凍庫から保冷剤を出してタオルにくるんで、首に巻く。
すると、それに気づいたのか彼が此方をじーっ、と見つめている。
そんなに見つめられたら穴が開いてしまう。
「名前狡ィ。」
あたしに穴が開く前に彼が口を開いた。
彼の言ったそれはどう考えても此方の台詞だと思う。
素直にそう告げると、気にせず『俺にもくれ』と言ってきた。
「扇風機あげるから。」
扇風機と交換ということか。
此方に向いて胡座を掻いている彼の、その胡座の中に埋もれて一緒に扇風機に当たる、などという恋人らしいことを想像してみた。
それはそれでいいけれど、きっと暑い。
だから、結局タオルにくるまれた冷たいそれを彼に投げつけた。
すると嬉しそうに首に巻いて、扇風機から離れていく。
「名前はさ、結婚したら倹約家になりそうだな。」
「え?どうしたんですか、いきなり。」
彼は何を考えているのか分からぬ顔でソファから此方を見上げている。
あたしは扇風機の首を解放してやり、向かいのソファに座った。
涼しいとは言えないぬるい空気が部屋に広がる。
「今日さ、サプライズプロポーズっていうの?あれの手伝いをして欲しいって依頼で行ったんだけどさ…それで…」
「それで結婚について考えてたんですか?」
図星だったらしい。
少し驚いたような顔で此方を見ている。
結婚、なんてあたしも何度考えたか分からないくらい考えた。
それはお付き合いしているのがきっと貴方だからですよ、とは言えず、ずっと彼からの言葉を待っている身でもある。
結婚。
言葉で言うのは簡単だけれど、きっとその言葉の中には色んな意味が含まれているはず。
そう彼も思うから、結婚を言い出せずにいるのだろう。
もっとも、彼があたしと結婚をしたいと思っているかどうかは分からないけれど。
「結婚っていうか、女ってのはみんなああいうプロポーズ憧れるわけ?」
「んー。そりゃ嬉しいんじゃないですか。」
あまり深く考えずに適当に返すと『そんなもんなのか』と難しい顔をしている。
ソファの上で胡座を掻いて、保冷剤を首に巻いて、考え唸っている姿に笑みがこぼれる。
格好と考えている内容が不釣り合いな気がして面白くなってしまったのだ。
「なーに笑ってんですかー。」
「え?バレました?だって銀さんその格好で考えてることが、まさか結婚なんて。誰も思いませんよ?」
そう言うと彼は拗ねたような顔になり、『もう結婚なんて考えませんよ』と言ったっきり、ソファにもたれて天井を見上げたまま動かなくなった。
それはそれで、悲しいんですけど。
とも言えず、黙って彼を見ていた。
扇風機の機械的な音と、ぬるい空気が掻き回される音が耳に入る。
それにしても今日は暑いなぁ。
風鈴のひとつでもあれば、気分は随分変わるというのに、それすらもこの家には無い。
風鈴、という風情のあるものはもう廃れていってしまっているせいもある。
買いに行こうか、と気軽に買いに行ける代物でもなくなってきているのだ。
天人がこの地に降り立ってから、時代はどうにも急ぎ足で駆け抜けていく。
そんな時代に取り残されたようにあり続ける、このかぶき町界隈と特に万事屋があたしは大好きだ。
あと、その万事屋の主人である貴方も。
「銀さん。何を考えているんですか?あたしには皆目見当もつきません。教えてください。」
「なーに?名前ちゃんはそんなに銀さんのこと知りたいの?」
相変わらず、天井を見上げたまま。
「天井には何が写っているのですか?」
「なーんも。」
あたしも真似てみる。
ソファの背もたれに後ろ頭を預けて天井を見つめる。
穴が開くくらいに。
それでも、穴が開くどころか何も見えてこない。
「銀さん。本当に"なーんも"見えないですね。」
「だろ。」
何だろう。
この空気。
緩い、怠い、それでいて心地の良いこの空気。
ふんわりしていて、彼の髪の毛みたいだ。
ふわふわした銀色のそれを見たくて、天井から彼へと視線を移す。
「あ。」
怠そうな目と視線がぶつかった。
今まで天井を見上げていたのに、どうして此方を見ているのだろう。
偶然なのか、必然なのか。
その怠そうな目は、いとも簡単にあたしを吸い寄せる。
何度も視線を通わすことはあったはずなのに、これだけはいつまでも慣れない。
目が離せなくなってしまう。
本当に可笑しな話だ。
「名前ってさ。」
「え、…はい。」
「結婚したら、いい母ちゃんになりそうだよな。」
「え?どうしたんですか、さっきから。」
彼の考えていることがいまいち掴めなくて、苦笑いのような顔になってしまった。
「だからだな。その、………あーー!!やっぱ無理ィ!こんな暑い日にこんな家とか。これ、もう断られるフラグビンビン立ってるっつーの!」
「銀さん?独り言みたいなの丸聞こえですけど。大丈夫ですか?」
慌てて制すも、彼は独り言のようなものを止めようとしない。
もはや、これは独り言のように見せかけた二人ごとである。
そう思えた。
彼は銀髪のふわふわした頭をくしゃくしゃに掻き乱しながら、必死に何かを伝えようとしている。
そう感じた。
あたしは聞きたいような、聞きたくないような、そんな気持ちで次の言葉を静かに待った。
名前。
甘く呼ばれた自分の名にドキリと、心臓が脈打つ。
「俺と……結婚してくんねェ…?」
こんな、うだるような暑い夏の日に、この扇風機しかない家で、だらだら汗を流しながら、まさか言われる言葉がそれだとは、想像もつかなかった。
どうしていいのやら。
身体が動かない。
口は開きっ放し。
脳みそフル回転しているつもりだけれど、きっと1ミリすらも動いていないのだろう。
やっと絞り出して吐き出したのが、何とも間抜けな答えだったから。
「…………は、い……」
貴方となら。
ずっと思ってたのだから。
どんな言葉でさえ、どんな場所でも、貴方がどんな顔であたしがどんな心境でも。
イエス、としか答える気なんて無かったのだから。
サプライズ、とかそんな貴方らしくないことは要らない。
何も要らない。
そうだ。
やっと脳みそが動き出してきた。
「嬉しいです……」
知らぬ間に目からは涙が溢れ出ていた。
拭っても拭っても止まらなくて、彼が近寄ってきたかと思えば、いつの間にか箱ティッシュを抱えていて。
此方に差し出すもんだから、その不器用な優しさに、クスリ、と笑ってしまった。
うだるような暑い夏の日。
箱ティッシュを抱えて、優しい顔であたしを見下ろす愛おしい人。
どこかの家の風鈴が、祝福の鐘のようにチリンチリンと鳴っていた。
扇風機と風鈴さえあれば
2015/7/14
プロポーズ夢、書きたかった…
ムードもくそもありゃしない所でのプロポーズで快くOKしてしまうのは本当の愛ですかね〜
それとも銀さんだから?(笑)