ミンミン、ジージー、蝉が煩い季節。
日差しが痛いくらいのいいお天気。
雲はこの季節特有のもくもくした入道雲。

夏は嫌いだ。




「あっちぃー」

そう、独り言のように呟いた。
あたしは夏空を一瞥して、流れる汗を拭う。

スーパーからの帰り道。
自転車を漕ぎ始める。
スーパーの袋が自転車の籠の中で、風に吹かれてガサガサ音を立てている。
下り坂の次は上り坂。
前のめりに漕いで漕いで、次の下り坂まであともう少し。

あと、もう少し。


あと、もう……


あと、…………


ブーン。
見慣れたスクーターがあたしを追い抜かして行った。
と、思ったら、坂の天辺で停車した。


「あ。」

ギギーッ。
慌ててブレーキをかけた。
ぶつかりそうだったからじゃない。

見知った顔だったから。

スクーターの彼が。


彼は…………




「銀時……。」

「よぉ。」

あたしに向かって片手を挙げていた。




蝉は相変わらず煩い。
そのお陰で、あたしは会話がなくても特に気にならなかった。
でも彼は違ったみたいで。

「なぁ、昨日の話なんだけど…」
「なに?またそんなこと言いに来たの?聞く気ないって何回言ったら分かるのよ、さっさと行きなさいよ。」
「おーおー。怖いったらありゃしねーな。名前ちゃんよォ。」

名前を呼ばれた。
久しぶりな感じがして、心臓が跳ね上がる。

「……そこで止まってると車に轢かれるわよ。」
「なに?心配してくれてんの?」
「勘違いしないでよ。銀時じゃなくて、アンタを轢く車の方を心配してるの。」


人生の半分は勘違いでできてる。
そう思うようになったのは、少し前のこと。


「なぁ、荷物。こっち乗っけてけよ。」
「は?どうして?」
「重そうだから。」
「こっから下り坂だから大丈夫よ。余計なお世話。」
「へーへー。余計なお世話ですかぃ。」

いつだって、そうやって優しくされて、その優しさにあたしは勘違いをしていたんだ。
だから、もうその優しさには頼らない。
決めたの。
理不尽だろうが、勝手だろうが、なに言われても決めたことは決めたの。
頑固さはアンタにだって負けないんだから。




坂を下り終えると、信号がある。
信号はタイミング悪く、赤。
自転車を仕方なく止めると、スクーターも止まる。
後ろでブレーキ音が聞こえた。

「なんで、ついてくるのよ。」
「いや、俺ん家こっちだからね。」

ほら、これも勘違いだった。
もうなにも言わないことにしよう。
家はもうすぐだ。
家に入って仕舞えばこっちのもんだ。

ブレーキをかけて自転車から降りると、スクーターも止まった。
万事屋はもう少し先に行った所だろう。
何処までついてくるつもり?
でも、もう決めたからなにも言わない。
言ってやらない。
籠からスーパーの袋を取り出して、腕に提げ、反対の手で家の鍵を探る。


「なぁ、名前」


呼ばれた。
後ろの方で彼がスクーターから降りる気配がする。
こういう時に限って家の鍵をどこにしまったか忘れた。
ガサガサと、焦って探しているうちに、彼はあたしのすぐ後ろまで来ていたらしい。



「そのまんまでいいから。話、聞いてくんねぇ?」


声の距離で思ったより近くに彼がいることに気づいた。
きっと、手を伸ばせばあたしに触れられる距離だ。
身体が言うことを聞かない。
肩から提げた鞄の中に片腕を突っ込んだまま、あたしは固まった。
思いっきり息を吸い込んで、慎重に吐き出す。

「こないだの、アレさ…」
「あれってなんのこと?」
「アレだよ、アレ。こないだ一緒にいた女。」
「…………」

少し前、銀時が綺麗な女の人と一緒に歩いていたのを見かけた。
見間違いと、そう思ったのだけれど、目を擦ってもその光景は消えず、夢かと思って、頬をつねっても消えやしない。
これは、現実なんだ、と。
そう確信した。

収入なんてろくにないし、家賃数ヶ月分滞納してるって聞くし、目はいつも気怠げで、髪は白髪天パで、糖尿病寸前で、仕事がない時はいつも家でごろごろしてるし、ろくでもない男。
そんな銀時がまさか、あんなに綺麗な女の人を連れているなんて。

その時あたしは、勘違いしていたんだ、って気づいたの。
銀時は、あたしを大切にしてくれてるって思ってた。
でも実際は、銀時はあたしのことなんて、これっぽっちも特別扱いなんてしているつもりはなくて、それはあたしの勘違いでしかなかったんだ、って。

「それがなに?」
「だァから、勘違いだってーの。」

わかってるよ。
言われなくても。

「そんなこと、わざわざ言いに来たわけ?」
「あ?だって誤解解いとかねーと、なんかアレだろ。パフェも喉通らねーっていうか。」

誤解を解く?そこまで言うか。
漠然と、銀時の側にずっと居られると思ってたあたしがバカみたいじゃない。
振り返って、そのアホ面に平手打ちでも喰らわして、さっさと家に入ってしまおうか。
そうして、今までのことをリセットしてやる。



バシッ!!



思い至ってから行動にするのは早かった。
自分でも一瞬何が起こったかわからないくらいに。
後に残るのは、あたしのじんじんする手の痺れと、銀時の赤い頬だけ。
やってしまった……。
スーパーの袋がガサリ、と音を立ててあたしの手から落ちた。

「ご、ごめ…」
「ちょ、おまっ、」

あーもう。鍵ささらないよ。
どうしてこんな時に限って。
あれ、なんだろ。
視界がぼやけて…


「なんで、泣いてんの?」

肩を掴まれて銀時の方を向かせられて。
いつもの死んだ魚みたいな目じゃなくて、真剣な目で真っ直ぐに見つめられたら、何も言えなくなる。
ぽろぽろと落ちるものは止められなくて、どうしたって止めることは出来ない。

「で。なんで、謝ってんの?銀さん全然理解できねーんだけど。」
「…ぐずっ、…勘違いだったから…」
「勘違いだったから?なにが?言ってみ?」
「あたしのっ…勘違い、っだったの…!あの人がっ、銀時の、っ……特別な、人なんでしょ…?」

頭を撫でてくれている。
もう涙にまみれて、何が何だかわけがわからないけれど、それだけはわかる。
こんな時まで優しくしないでよ、バカ。

……あ、あれ?


不意に感じたのは、身体中から伝わる温もり。

銀時の腕の中にいる、と理解したのは、温もりを感じてから3秒後。


「バカヤロー。なに、勘違いしてくれちゃってんの。アレはただの仕事の依頼人。有りもしない妄想しないでくんない?」
「は、…?依頼人…?彼女じゃぁ、」
「そんなわけないだろ。銀さん、自分で言うのもアレだけど、そんなにモテないしね。それにィ…」
「なに…?」


「あんな美人よか、お前のが100倍いい。」


「っ、………」


なんだろ、なに?
これは、もしや、告白というやつなの?
涙でぐしょぐしょの顔を銀時の着物に擦り付けた。
あたしはどうやら、勘違いを勘違いしていたみたい。
ぎゅっ、としてみた。
銀時もぎゅっ、と抱きしめ返してくれる。


蝉はミンミン、ジージー、煩い。
太陽は痛いくらい暑い。
でも、なんだか夏も好きになれそう。


ん?待って。
あんな美人よか………
ってことは、………

あたしは美人じゃないって?

まあ、いいわ。

銀時の匂いのするこの腕の中で、幸せを感じることができるなら。



ある夏の日の勘違い


「名前、苦しいんだけど。」
「煩い、ちょっとは我慢しなさいよ。」



2015/7/18
夏には夏の季節を書きたくなりますね(*´ー`*)
どこまでも優しい銀さん、大好きです!←


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