「晋ちゃん。おはよ。」

歪んだ視界がクリアになるまで、お名前は俺に覆い被さるように上から顔を覗き込んでいた。
布団を敷いた男の部屋に、女が軽々しく入り込むもんじゃねェ、と何度説教してやっても、こいつはまったく聞く耳を持たない。
警戒心が無さすぎるのか、それともよほど度胸があるのか。どちらにせよ、俺以外の男の部屋にこいつが飄々と入っていくのを想像すると、どうしても注意せざるを得ないのだが。

「今日も魘されてたよ。今日は何の夢?」
「……覚えてねェよ。」

言いながら俺が上半身を起こすと、お名前は半分浮かせていた腰を下ろして綺麗に正座した。相変わらず、朝から凛としている。
前に一度、酷く恐ろしい夢を見た時、こいつに話して聞かせてやったら、それ以来、俺が魘されている時はすかさず起こして、どんな夢を見たのかと問うてくるようになった。
だが、生憎、あれ以来夢を覚えていることは無い。俺はいつものお名前の質問に、同じ答えをくれてやった。
すると、こいつは少しだけ残念な哀しげな顔をして、またすぐに俺を見てくしゃりと笑う。

「良かった。覚えてたらしんどいもんね。」

まったく、こいつという奴は。
どうにも自分を犠牲にする性質がある。
俺が魘されている時だって、部屋が隣とはいえ、他の奴らはまったく気がつかないのに、お名前だけはいち早く察知して、俺のそばへやって来る。こいつだって、まともに寝れてないのは俺と同じだってのに。

「ねえ。晋ちゃん?今日ね。あの……銀ちゃんたち、みんなで花火するんだって。あたしも誘われたんだけど、晋ちゃんも一緒にどうかな?」
「……………………しょうがねェな」
「だよねぇ。うん、……えっ!?そんな遊びに付き合ってられるか!じゃないの?」
「どうしてお前に俺の回答を制限されなきゃならねェ。」
「……やってくれるの、花火。」

小さく頷いてやると、破顔したお名前は、あろうことかまだ布団の上で胡座をかいていた俺に抱きついてきた。

「晋ちゃんは、やっぱり優しいね。」
「ばっ!離れろ馬鹿!」
「なんで?」
「いいから離れろ!」
「なんでよぅ。」
「なんでもだ!!」

渋々という感じで、お名前の細い腕が俺の身体から剥がれていった。
何故か名残惜しい感じもある気がして、俺は頭を抱えた。お名前のこういう所も危なっかしくて、悪いことをされているわけではないのだが、いつも声を荒げてしまう。そうして、いつもお名前は枯れた花のようにしゅんと項垂れる。そんな顔をされれば、此方側が一方的に悪いような気がしてくる。
悪い女だ、まったく。

「お名前。」
「……ん、なに?」
「もう少し、寝たい。」
「うん。」
「寝てもいいか?」
「うん。」

頷くお名前の表情が少し変わったのを見逃さなかった俺は、布団ではなくこいつの膝の上に頭を乗せた。
どの枕よりもしっくりくるこのフィット感は、今すぐにでも眠ってしまいそうなほど、心地が良い。

「晋ちゃんの髪の毛、本当に綺麗な色……」
「それを言うならお前もな。」
「えー?そうかなあ。この色自分ではそんなに好きじゃないんだよね。」

心地良さに目を閉じながら、お名前の髪色を思い描く。
黒。それも真っ黒。この世のどの黒よりも黒なんじゃないか、と思うほどに黒。
だが、暗闇のようなネガティブな黒じゃない。その黒はこいつの性格を良く表している、凛とした深みのある黒。

「理由は?」
俺は、自分の髪色が好きでないと言うお名前に、純粋に質問を投げかけた。するとすぐに「だって」、と上から声が降ってきた。

「真っ黒だよ?重たく見えるし、嫌だよ。あ!でもね、戦が終わったら明るく染めるんだ。赤がいいかなー。緑っぽいのも可愛いよねー。」

「馬鹿。勿体無ェことするんじゃねェよ。」
「えー!なんでよぉ。晋ちゃんに指図されたくないなぁ。」
「良い色じゃねェか。少なくとも俺は好きだぜ。」
「……晋ちゃん……?」

言ってしまってから、なんて俺らしくないんだ、と馬鹿らしくなってきた。きっとお名前も同じことを思っているに違いない。だがそれはもう後の祭りで、少し頬が赤く染まってしまったことがばれませんように、と願う他なかった。
天井の方ではなく、壁の方を向いて寝ていて、心底良かった。
お名前は俺の頭に片手を置いたまま、暫く動かそうとしなかった。
俺は、すでにらしくない馬鹿な発言をしてしまったから、もう馬鹿な発言を幾らしても構わない、とそう考えた。
こいつに馬鹿馬鹿言ってるうちに、俺も馬鹿になってしまったらしい。

「何だろうなァ。例えるなら、そうだな。……夜空、とでも言っておこうか。」

「夜空?」
「そうだ。テメェの髪色は夜空の色。星々が輝く為には、夜空がより一層深い黒でなきゃいけねェ。」
「んー。ねえ、それって褒めてるの?」
「ハァ!?これのどこが貶してる?」
「いや、そうじゃなくて。貶されてるとは思わないけど。んーむ。あたしには難しくてよく分かんないや。」

俺が折角褒めてやってるのに、こいつは相当な馬鹿で、俺は頭を抱えた。横目で見るお名前は、からり、と向日葵のように笑っている。
「あはは。あははははっ。ごめんね、馬鹿で。」

「自覚があったとは驚きだな。」
「うん。でも、なんか嬉しかった。」
「ハァ?」
「褒められてることは分かんなかったけど、でも、晋ちゃんが、あたしのこと見てくれてるんだなって分かったから。」

ああ、こいつは、もうどうしようもない馬鹿だ。
だが、“馬鹿なこと言うんじゃねェ”と文句の一つも言えなかった俺も、相当な馬鹿だろう。
自嘲的に鼻で笑うと、お名前は嬉しそうにまた笑った。
頭を撫でる掌が妙に心地良くて、俺はゆっくり目を閉じた。

「お名前。」
「んー?」
「お前はいつまでも馬鹿で居てくれ。」
「晋ちゃん。」
「ん?」
「晋ちゃんはいつまでも優しい人で居てね。」

まったく、こいつには敵わねェなァ。
俺は、目を閉じたまま短く息を吐いた。
お名前の顔を見るように仰向けに身体を捻ると、向日葵のような笑顔が深い黒の中から輝いて、俺を見下ろしていた。

「良い夢見られますように。」
そんな暖かい声が降ってきて、俺はふたたび眠りについた。



その深さは貴方を包むためのもの


2018.7.19
Dear:紫蝶 様




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