漂う香りのその甘さ
くんくん。
くんくんくん。
この匂いは……。
くんくん。
くんくんくん。
やっぱりそうだ。
私が大好きな匂い。
真選組屯所。
今日はとてもいいお天気で、朝からルンルン気分でお洗濯を済ませた後、廊下を歩いているといい匂いがしてきました。
廊下を漂うこの匂いの元を辿れば、どこへ着くのやら。
私は匂いのする方へ歩いてみることにしました。
出処は分からないけれど、正体は分かります。
これは、私が大好きな匂い。
あれれ。
お風呂場に着いてしまいました。
うん、きっと匂いの元はこの奥に居る。
けれど、中に入っていくのも出てくるのを待っているのも非常識なので、私はくるりと回れ右をして来た道を戻ろうとしました。
さて、大好きな匂いが嗅げたことだし、お茶を淹れに行かないと。
「うッ!!く、苦しッ…。」
「どこへ行くんでィ。」
着物の襟首を掴んで私を引き留めたのは、いい匂いを漂わせた人。
「ゴホッ…そ、総悟くん…。」
「覗き見たァ、いい度胸してんなァ。」
「のっ、覗いてませんよ!通りかかっただけです!」
「…………。」
「なっ、何ですかその目は。ホントですよ!」
私は少しだけ嘘を吐きました。
通りかかっただけ、ではなくて、匂いを追ってきた、が本当です。
でも、そんな些細なことは今はどうでもよくて、私はジト目をした総悟くんと目を逸らすことに必死なのでした。
きっと嘘を見破られているに違いありません。
「…総悟くん、朝風呂ですか?」
「やっぱり覗いてたんじゃねェかィ。」
「ち、違いますよ!シャンプーの匂いがするので…」
「名前って犬みてェだな。飼い主いねェんなら俺が飼ってやろうか。」
「結構です。犬じゃなくて人間なので。」
先日、私は総悟くんと二人でお出かけしました。
非番なのでどこか連れてってやる、と言われて、デートだ、これはデートだと、私は浮足立ち、どこに行こうか相当に迷ったのですが、結局美味しいスイーツが食べたい、という欲求により喫茶店に行きました。
要望を素直に叶えてくれたのは嬉しかったし、総悟くんとたくさんお話ができて以前より距離が縮まったように思うのですが、それが悪い方向に向かっている、と時々思うようになりました。
まさに今がそれです。
人間扱いされなくなった、と言いますか、私を雑に扱う始末なのです。
と、私は総悟くんの女中ですから、勿論それ以上でも以下でもなく、総悟くんに物申せる立場ではないのですが。
せめて人間扱いして欲しいのです。
「名前。今日の朝メシは?」
「今日は私じゃないですよ。新人の…」
「ちっ。アイツか。」
「舌打ちしない。新人さんだって一生懸命作ってるんですから。」
「そうかィ。こないだ味噌汁辛すぎて飲めやしなかったがねィ。」
「そ、それは…ね。」
つい先日、新しく入ってきた女中さんがいるのですが、総悟くんはその人の文句ばかりを言います。
確かに味噌汁も辛すぎて飲めたものじゃなかったし、洗濯物も干し忘れ取り忘れはしょっちゅうで、敬語もろくに使えないけれど、頑張り屋さんだから長い目で見守っててあげよう、と直近の先輩である私は心に決めているのに。
総悟くんは毎回毎回彼女の文句を私にばかり言ってくるのです。
「まァいいや。それより俺ァ、団子買いに行かなきゃなんねェんでさァ。万事屋の旦那に。」
「万事屋の…。ああ。銀さんにですね。こないだの草むしりのお礼ですよね。…え、まさか総悟くんが買いに行くんですか?」
「そのまさかでィ。文句でもあんのかコラ。」
ブンブンと首を横に振りました。
サディスティックな王子様は、私に容赦ありません。
「違いますよ!そんなこと、女中の仕事か、百歩譲っても山崎さんの仕事かと…。」
「なんでィ。山崎地味にディスってんな。」
「ち、違いますって。そういう意味じゃなくて…」
「じゃあ、何でィ。最近山崎と一緒にミントンしてるから悪口言い合える仲になったってか?」
「え。総悟くん、バドミントンしてるの知ってたんですか?」
“バレると怒られるから”と、山崎さんにしつこく言われていた私は、誰にもバドミントンをしてるなんて言っていませんでした。
誰かに見られていたのでしょうか。
それを総悟くんが聞きつけたのでしょうか。
どちらにしろ、怒られるに決まっています。
それに、今日もそうですが、最近総悟くんはイライラしてる気がするのです。
ほら。
見るからに機嫌の悪そうな顔をしています。
いつもの、何を考えてるか分からない、けれど子どもっぽさの残る可愛らしい顔ではなくて、どこか、好きな駄菓子が売り切れてて不貞腐れてる小学生みたいな。
最近常にそんな顔をしているのです。
「知ってるに決まってんだろィ。お前の行動は全部筒抜けでィ。てことで、土方への口止め料として、俺の買い物付き合え。」
「えぇ!?そんなに買い物が嫌なら私が代わりに買いに行きますよ?今日買い物担当だし。」
気を遣ったつもりが、総悟くんの顔はますます険しくなりました。
よく分かりませんが、どうやら余計に怒っているようです。
総悟くんは私の片手首を掴んで、ぐいぐいと引っ張って玄関口へと連れて行きます。
「いいから、付き合えって言ってんだろィ。一番隊長さんの命令でさァ。」
「えっ、え!?今から、ですか!?えっ、ちょっ…まっ…」
こういう都合のいい時だけ、総悟くんは一番隊長さんになります。
俗に言うパワハラというやつなのですが、そんなことも言ってられません。
女中は雇われの身。
すでに、身体が尽くすことに慣れてしまっているのです。
そうこうする内に、あっという間に玄関に辿り着き、下駄を履かされ、有無を言わさず外に連れ出されてしまいました。
さすがは、ドエスな隊長さん。
けれど、と私は思うのです。
けれど、総悟くんってここまで強引な人だったかしら、と。
腕が解放されたのをきっかけに、総悟くんの顔をちらと盗み見ましたが、まだ不機嫌な顔をしています。
溜息を吐きたくなるのを必死に堪えて、私は総悟くんの後を追いかけます。
隣に並ぶよりは一歩後ろを。
女中という仕事を始めてから身につけた癖です。
癖と言っていますが、実際には、隣よりも一歩後ろの方が総悟くんのシャンプーの香りが愉しめる、私にとっては幸せな立ち位置なのです。
「何でィ。名前ってホント犬みてェでさァ。」
この際、犬扱いされても構わない。
それくらいに、この匂いが大好きなのです。
「ふふふ。もう犬で結構です。」
「そうかィ。犬は忠実でいいや。」
「忠実じゃない犬も居ますよ。」
「…あぁ〜そうだなァ。ここにも居らァ。名前は生意気な犬でいけねぇや。」
隣に並ぶよりは一歩後ろを。
私の大好きな匂いが鼻を掠めます。
前を歩く総悟くんの顔は目に見えませんが、きっと不機嫌な顔を少しばかり崩して微笑んでくれていることでしょう。
私には分かります。
だって、大好きな匂いが酔いそうなほど甘く漂って鼻をくすぐるのですから。
2016.7.8
総悟くんHappy birthday!!