久しぶりの戦は、血の海となった。
生き残った者も、死んで行った者も、誰も何も責めることはできない。


預ける背中は小さくても


「何でィ。らしくねェな。」

止まらない。
そう思っていた涙はぴたりと止んだ。

歪んだ視界の端に、その人の姿が映る。
らしくないと言うのは、私が泣いているところを滅多に人に見せないから。
今だって、誰も居ないと思って気にせず泣いていたのに。
いつの間に、その人は近くに居たのだろう。

「近藤さんにえらく叱られた時も、土方にフラれた時もヘラヘラしてたってのに。」
「っ、後者は余計でしょう。」

平気な顔して、というより寧ろニヤニヤと薄っすら笑みを浮かべながら、一人泣いている女を侮辱してくる。
その人は、真選組のドS王子こと、沖田総悟。
私の上司であり、同志である。

「沖田隊長こそ、珍しく沈んだ顔してましたよね、さっき。」
「さっき?さっきって何時の事でィ?」
「さっきはさっきです。つい先ほど。」
「へっ。お前ェも上司に言うようになってきたじゃねーかィ。」
「沖田隊長の側に居ると、嫌でも口が達者になります。有難うございます。」
「…それでこそ名前でさァ。」

真選組屯所。
とある一角に私と沖田隊長は居た。
今日はやけに、月が綺麗だ。
まるで私たちの気持ちと反比例するように。
庭の池にも、大きくて真ん丸いそれがゆらゆらと揺れて輝いていた。
僅かに吹く生暖かな風だけが、私たちの頬を優しく撫ぜてくれる。

「横座っていいかィ。」

言い終わらない内に、その人は私の傍に腰を下ろした。
私はまだ何も返事をしていないのに。
断りの言葉は、まるで意味を成していない。
ただの礼儀の文言であるのか、いや、この人のことだからそんなに大した意味も持っていないのかもしれない。
私が何も言わないで沖田隊長の方をじっと見ていると、痺れを切らしたようにその人の口が開いた。

「おい。なんでィその目は。いつもより余計に不細工なツラしてんぞ。」
「……煩い。その口縫いますよ?」

視線を庭の池へと移しながら、私は不貞腐れる。
そんなに可愛いもんじゃないと、世間からは言われるかもしれない。
同期ならまだ分かるが、仮にも歳下とはいえ上司に向かってだ。
こんな物騒な言葉を真選組随一の剣の使い手、沖田隊長に言えるのは、この辺りじゃあ私くらいだろう。
もっとも、私だって本気で言ってるんじゃない。
冗談も冗談。こんなのこの人にとっちゃ、軽い冗談だ。
この人の毒舌に比べれば、きっと可愛い挨拶のようなもの。
ほら。下を向いて身体を揺らしているもの。

「…くくッ。やっぱおもしれェや。土方に俺の隊に入れてやれって言われた時は、女なんざふざけんなって思ってやしたが、まさか、こんなふざけた女だとはねェ。」
「ふざけてなんかいませんよ。真剣に冗談を言ったまでです。」

憎まれ口の言い合い。
最早、日常的なものとなってしまったこのやり取りが、妙に心地いい。
特に今の私には。

「ねえ。沖田隊長。私たちは…どうすることもできなかったんでしょうか。」

夜空に浮かぶ星を差し置いて、1番大きく輝く金色を見上げながら、私はぽつりと呟くように、縋り付くように、言葉を零した。
風がまた優しく私の頬を撫ぜた。

「……あーあ!俺ァそんな辛気臭ェ顔見に来たんじゃねェや。」
「……じゃあ何見に来たんですか…。」

沖田隊長は、正座している私の脚に頭を預けてくる。
横向きに寝転がって、まるで小さな男の子みたい。
時々、こうやって二人きりの時に甘えてくることがある。
というのも隊長の姉上が亡くなられてから。
沖田隊長は何と言っても、大のシスコンで有名であったし、少し年上の私に甘えたくなる気持ちは分からなくもないけど。

「…何って、お前の不細工なツラ。」
「まったく…。あのね。その不細工不細工言うの結構傷つくんでやめてください。」
「え?不細工不細工言うの、快感になるんでやめてください?」
「あら。耳が遠くなりました?耳の奥底までお掃除してあげましょうか?」

なんだかんだ言って、このドS王子は実は根のところは、可愛らしい少年だと思う。
憎まれ口しか言わないし、悪戯好きで悪さばかりして人を怒らせて、そのくせ怒られても全然へこたれてないし、寧ろ倍以上くらいで仕返ししてくるし。
だけど、不器用なりの優しさが垣間見える瞬間がある。
そこだけ見れば、本当にいい子なんだけどなぁ。
生憎と私は、良いところばかり見て人を評価できる心の大きな局長とは違う。
だから結局のところ、“鬱陶しいガキ”に変わりはないんだけど。
それでも、可愛らしいと思ってしまう。

膝の上に乗っかる沖田隊長の髪を撫ぜる。
するすると指通りの良い髪は、女である私を嫉妬させるほど綺麗だ。
初めましての時からずっと思っていたけど、本人に直接は言ったことがない。

「本当に、綺麗ですよね。」
「月か?」

それに照らされる貴方の髪のことです。
と言うのも何だか今さら恥ずかしくなって、私は“はい”と小さな嘘を吐いた。

「ふーん。アンタもなんだかんだ女だねィ。」
「えっ、…そうですよ。どうしたんですか急に。私男だと思われてたんですか。」

可笑しくなって、うふふ、と笑っていると、髪を梳く手を急に沖田隊長が握って少し怒ったように此方を見上げた。
私は、笑ったのがいけなかったのか、そうでもなければ、髪を撫ぜられているのが気に食わなかったのだと思った。

「嫌でしたか?」
「そうじゃねェや。俺は…名前の手、女らしくて…好きでさァ。」

握った手をじっと見つめる目。
ほんのり赤く染まった頬。
沖田隊長のすべてが熱い。
沖田隊長を見下ろしたまま、私はぴたりと動けなくなった。
どうしてそんなことを言ったのか。
わからない。わからないし、考えられない。

「おい。聞いてんのか。」
「えっ。こ、こんな手…ぼろぼろで、かさかさで、傷だらけで…」

そのくせ、何も護れやしない手。

「だから……」

私の顔を見上げる大きな月みたいな目が、ぼやけていく。
私は、泣いていた。
人前で泣かなかった私が、ぼろぼろと沖田隊長の顔に涙を落とした。
ごめんなさい。ごめんなさい。
でも止まらない。
止めたいのに、止めようとすると余計に止まらなくて。
ごめんなさい。泣きたくないのに。
止まらない。

この醜い手で救えたかもしれない命が今は無いこと。
この醜い手で救えなかった命が今は私の中を侵食していること。
この醜い手で救えなかったことを後悔している私は、背負って生きていく勇気がないだけだ。
泣いているのは、自分を許せないから。
許す勇気がないから。
認めたくないから。
この醜い手で、もう、何も。

「何も…何にも、護れませんでした…。私、毎日、稽古して剣振って、こんな手になって…なのに、護れませんでした。もうこの手で、何も…」

「何も触れないわけじゃねェでしょう。」

とても真っ直ぐだった。
もう一度私の手を握り直して、沖田隊長は続ける。

「この手は、いつも暖かくて、優しい。1日の嫌なこと全部浄化してくれるんでィ。名前が俺の頭撫でてくれるだけで、それだけで俺は救われんだ。」

いつの間にか沖田隊長も少しばかり哀しそうな顔をしていた。
それはきっと私のせいなんだ、と思ってから、もう一度だけ、ごめんなさい、と心の中で呟いた。

沖田隊長らしくない。
恥ずかしい言葉をそんなにすらすら零すなんて。
まったく。らしくないです。
でも、真剣なのは分かるからそんなことは言えなくて、茶化すなんて、そんな白いシャツに泥をかけるような真似は出来なくて。

「…有難うございます。お陰で少し楽になりました。ココが。」
私は“ごめんなさい”を呟いた場所に片手を置いて沖田隊長に笑ってみせる。
上手く笑えてるかどうかは分からないけど、涙は止まっていた。
沖田隊長は見かけによらずゴツゴツした手で、私の頬に残った雫を拭ってくれる。
まだ時折吹く生暖かな風のように優しく。

「強がってんじゃねェや。名前のくせに。」
「強がらせてくださいよ。私も真選組の隊士です。」
「さっきまで泣いてたやつがよく言うねィ。」
「此処の人はみんな強がりです。沖田隊長も。局長も副長もみんな。」

私が言い終わらない内に、沖田隊長は身体を起こし、雲に半分覆われてしまった月を見上げた。
雲に隠れていってしまう月を名残惜しそうに。
私もつられて空を見上げるけど、私はそれよりも沖田隊長の顔色が気になる。

「沖田隊長。私たちは…どうしたって死者を蘇らせることはできません。それなら、死なせないために、護るために、また稽古するしかないんですよね。死んでいった人たちの思いを背負って、バカみたいに剣振るうしかないんですよね…。」

暫く沖田隊長は何も喋らなかった。
ぼーっと上空を見上げて、雲が行き去るのを行儀よく待っていた。
私も沖田隊長が口を開くのを待った。
空を見上げると、大きな月が雲から顔をようやく出して、私たちを照らす。

「…名前が一人で泣いてるなんて御免でさァ。一緒に戦ってんだから少しは俺にも預けろってんでィ。」

夜空を見上げながら、背中を向けたまま沖田隊長は呟くように言葉を零す。
私は答えが分かっている質問を目の前のその人に問う。

「何を…?」

「背中を、に決まってんでしょう。」

沖田隊長は私のことなんかすべてお見通しだ。
振り返って此方を睨んでいる。
私は、その“鬱陶しいガキ”に笑ってみせる。

「その背中…私にも預けてくださいね。」





2016.10.26

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