鬼の看病


「ごほっごほっ…」
屯所内に風邪引きが1名。
鬼の土方にせっかく食事に誘ってもらったのに、と嘆いているのは名前。
真選組の住み込みの女中である。

名前は、他の女中や隊士たちに風邪を移しても悪いからと、実家に戻ろうと思っていたのだが、戻れるような体調でもなく、泣く泣く使っていないお部屋を借りて蛹のように蹲っている。

「ふく、ちょー…ごほっ……ご、ごほっ……ごほっごほっごほっ……ごっ、うぇっ…!」
「酷ェな、おい。大丈夫かよ。」
「……は、はい……。うっ……ううっ、うわあああああん…」
「あ!?お、おい、なに泣き出して…」
「あーあー、土方バカヤローが名前泣かせてやす。山崎辺りにでもチクってやりやしょうかねィ」
「おいィィィィ!!!いつの間に居たんだよてめェ!」
「最初から居ましたぜ。土方さんが名前に見惚れてたから気付かなかっただけでさァ。」
「…るせェ!見惚れてねェ!」
「そんなに鼻の下伸ばしてる人に言われても説得力ねェですね。」

名前の寝ている部屋に来てみたはいいものの、うなされている彼女を見て、どうしたものかと思惑している最中、いきなり泣き出す彼女に戸惑う土方。
いつから居たのか、茶々を入れる沖田に怒鳴り散らし、部屋の外に追いやった。
と、同時に自分のしていることに罪悪感を覚える。

もちろん沖田にではなく名前にだ。
病人ーーーしかも苦しそうに咳き込んで布団に蹲って泣き出したーーーがいる部屋でいつも通りの罵声を聞かせてしまったことを土方は深く反省した。

「……名前、わりィ……。」

ぐすっ、と鼻を啜る背中に声を掛ける。
泣き止んでいるのだろうか?
こちらを向いてほしい。
こちらを見てくれないと、彼女の心情は全く、感じ取れない。
ただでさえ、感情をあまり表に出さず我慢する性分である。
そんな彼女が風邪を引いて弱っているのだから、それはもう、羽の折れた天使のように儚く、愛おしい。
無理にでもこちらを向かせてしまいたい。
しかし、あの、いつもの笑顔を見れないだけで、こんなにも弱腰になってしまう。
彼女の背中は少しでも触れれば崩れ落ちてしまいそうなくらいだ。

「…………どーして、ですか…」
「……?」
「なんで、謝ってるんですか……?」
「いや、それは……しんどい時にこんな大声出されたら余計しんどいだろ。」

向こう側を向いて蹲る名前の後頭部を見つめる。
布団がガサガサ動いて、蛹がくるりと転がる。
土方と名前の目線がぶつかった。
どうして謝るのだ、と問うた彼女の器量の良さ、優しさを感じながら、土方はふと、手を伸ばして名前の額に触れた。

「ふく、ちょー……」

困ったような表情を浮かべるだろうか、と土方が危惧していたのとは裏腹に名前は嬉しそうな笑みを浮かべている。

「……沖田隊長と、喧嘩してる時の副長、好きですよ……。」
「あ!?そ、そんなこと……」

普通に言うなよ。

「……兄弟みたいで、微笑ましくて、ごほっ……羨ましい、です……。」
「アイツとはそんなんじゃねェよ。大体アイツが普段何企んでるか知ってんのかよ?」
「んー。企んでる……?何をですか……?」
「絶対ェ知ってる顔だろ、それ。俺の命を奪ってやろうって常日頃から考えてやがんだよ。そんな奴との関係を何が微笑ましいだ、バカヤロー。」
「…ふふっ。」

風邪でいつもとは違うような弱々しい笑顔を名前は土方に向ける。
土方はこの彼女の笑い方と笑顔が密かに好きだった。
朝稽古した後に『お疲れ様です』
煙草を吸ってる時に『程々にしてくださいね』
書類整理の最中に『お茶淹れてきました』
日常の彼女のどの言葉も愛おしくて、それに付いてくる笑顔が何より好きだった。

「まだ、熱あるみてェだな。大人しくしてろよ。医者も安静にしてればすぐ治るってよ。」
「え、お医者さん、来られてたんですか?全然記憶になくて……。」
「ああ。確かにあの時のお前は顔真っ赤にして息するのもしんどそうだったもんな。」
「ご迷惑を……。違和感を感じた時にすぐ帰ればよかった、ですね……。」

迷惑なんかではない。
心配だからこちらが勝手に手配したこと。
それを申し訳なさそうに後悔している名前。

「勘違いすんなよ。誰も迷惑だなんて思ってねェ。無理して風邪が長引いてしまう方がよっぽど、迷惑だ。」
「す、すみません……。」

土方のフォローも虚しく、やはり名前は勘違いをしたままのようである。
自分が不甲斐ないばかりに、とでも言いたそうな雰囲気だ。
眉根に皺を寄せて寂しげに謝る彼女の頭を土方はそっと撫でた。
ふと、脳裏に先ほどの彼女の泣き顔が浮かぶ。
あれ、そういえば、どうして泣いていたのだろうか。
けれど、どうして泣いていたのか、と素直に聞くのも無粋な気がしてならない。
きっと自分のせいだろうから。

「名前。……笑ってくれよ。」

どうして、こんなことしか言えないのだろうか。
そんなことを言えば、目の前の女は困ったような顔をして、そして何も言わずに結局笑ってくれるのだから。

「…………はいっ。」

女にこんな無理して笑わせるやつがあるか、と自分が憎くなった土方は、名前から少し目を逸らして眉間に皺を寄せる。

「ごほっ、ごほっ……。」
「おい、大丈夫か!?」
「……ふく、ちょー。ごほっ…。」
「ん?なんだ?水か?食いモンか?何でも言ってみろ。持ってきてやるから!」
「……ふふっ。……まるで…あたし死んじゃうみたいに……あれ、あたし、死ぬんですか………?」
「んなわけねェだろーがァァァァ!人がたまに優しさ見せたからって、そんなこと考えるのやめろ!」
「ふふっ。……副長は、元気ですね……。」
「あァ?」
「…………副長と…ご飯、行きたかった、です…」

まさか、そんなことで泣いていたのだろうか。
潤った目と切実な声が土方を困惑させた。

「バカヤロー。ふざけんじゃねェよ。そんなんで泣いてんじゃねェ。」
「……?ご、ごめんなさい…。」
「……名前の涙なんか見たくねェっての。」
「……はい……。ごめ…」
「おい、取り敢えず謝っとけばいいや、とか思ってねェだろうな。」
「……………………」
「思ってたのかよ!!」

取り敢えず謝っとこう精神で、ではなくて、熱のせいもあるのだろう。
先ほどより幾分か顔色が悪く見える名前。
そんな彼女に罪悪感を感じたのか、土方はそろそろ部屋を出るか、と思い至る。

「名前。長居しちまって悪かったな。寝なきゃ治るモンも治らねェしよ。俺ァ仕事に戻るとするわ。」
「ふ、副長ぉ。待ってください…。」

か細い声で、だが名前の声は土方の耳にしっかり届いた。
部屋の襖に手を掛けた状態で、ピタリと土方は静止する。

「…ふ、副長ぉ。も、もう少し、あと少しで、いいので……」
「…………。少しでいい、だァ?生意気言ってんじゃねェよ。お前がもう帰ってください、お願いします、って言うまで帰ってやらねェ。決めた。」
「えっ。副長…?」

ちゃぶ台をいきなりひっくり返されたような衝撃が襲う。
鬼の副長は、病人の女中相手にどこまで鬼なのか。

副長は、お仕事大丈夫なのかな。
そろそろ煙草の時間、大丈夫かな。
あたしが今まさに、『もう帰ってください。お願いします。』と言えば帰るのかな。
怒るだろうな。
怒られるのはもう嫌だなあ。
名前は重たい頭で必死に考え、そこまで考えが巡ってきたところで、土方に手招きする。

色々考えたところで、自分の気持ちには変わりがなく、それをただ伝えたい、とだけ思った。

「あァ?なんだ。」


「副長。…ずっと、居てください。」

夕焼けに染められたように。
土方の頬は名前の勘違いではなく、ほんのり紅くなっていた。
その熱を持った頬に名前もつられて、紅くなる。
可笑しい。
自分は風邪引きだというのに。
ただでさえ、熱いのに。

冷たいものが食べたくなって、土方を見やれば、同じ心境だったようで。

「……アイス、食うか…?」

確か山崎が沖田に脅されて、大量にアイスを抱えて帰ってきてたことがあったなあ、と思い出す。
屯所の冷凍庫には、そりゃもう冷え冷えのアイスが眠っているに違いない。

「……ふふっ。…食べましょうか。」

冷凍庫から土方が持ってきた2つのアイスは、夕方の西日のせいで少し、溶けていた。
鬼の副長と2人でアイスを食べる女中は他にいないだろう。
名前は少しだけ優越感に浸って、土方を見遣る。


「副長。」
「ん?」
「……ありがとうございます。」
「……おォ。」





2015/5/31

←BACK

ALICE+