馬鹿みたい。
林檎のように顔が真っ赤になって。
石のように身体が動かなくなって。
ブラックホールに吸い込まれそうになる。

ブラックホール


漆黒の水晶に自分が映っているのをぼんやりと眺めながら、あたしはブラックホールに吸い込まれまいと必死だ。

「お前…熱あんじゃねェか?」
「へっ?あう、あっ、あのっ。」
「顔赤ェし。」

心配そうな顔で手を額に近づけてくるのは鬼の副長。
土方十四郎。
じりじりと、後退りをするも逃れられそうにない。
顔が爆発しそうだった。
比喩なんてもんじゃなくて、本当にもう限界だ。

「あのっ、あ、あたし、いいい行かないと!失礼しました!!」

こういう時の素早さは誰にも負けない。

土方さんは真選組きっての色男で有名だ。
かと言って、チャラチャラしてないし、寧ろお堅いと言ってもいい。
ヘビースモーカーで食べ物には何にでもマヨネーズをたっぷりかけてしまう大のマヨラー…ということを除けば、完璧な人。

ま、まあ、あたしはそんな土方さんを尊敬してもいるし、憧れの存在というか、見ているだけで身体が強張って吸い込まれてしまいそうになる。
本当にあの目はブラックホールそのものだ。

「…ふう。また逃げてしまった…。」

近づいたら、さっきみたいにどうにもならなくなって、逃げ出してしまうので、いつもは遠くから眺めていたのだけれど。
最近、一人古株の女中のおばちゃんが辞めたので自動的に昇格してしまい、お茶出し係という任務を与えられ、自動的に土方さんに近づかなければいけなくなったのだ。

何よお茶出し係って…!
誰でもいいじゃん!!
手が空いてる人とか、たまたまそこに居た人が淹れたらいいじゃん!!

なんて、心の叫びを誰にぶつけるでもなく、新しいお茶を淹れに台所へと戻る。
次にお茶を運ぶのはあの生意気な沖田一番隊長さんのところだ。
お茶出し係に任命されて、一週間が経とうとしていたが、どうにもこうにも沖田さんに美味いと言われた試しがない。
いつもマズイ、マズイ、マズイ、マズイ…。

…そう言えば、土方さんにも美味いと言われたことがないような。
マズイ、はさすがに言わないけれど、もしかして、気を遣って…?
あたしなんかに?
あの土方さんが…?
そんなこと……


「今度は青白いな。」
「ひぇっ!!」
「やっぱ、お前具合悪いんじゃねェか?」
「そ、そそそそそんなことは!!全然元気です!!寧ろ元気有り余りすぎて、もうどうしたらいいか分からないくらいで!!」
「そうか?まあ、元気がないようには見えねェが。」

目の前にはあのブラックホールが。
自然と身体は強張り、持っていた急須をそのままに、あたしは必然的に土方さんを見つめる。

「ど、どどどどどうしてこんなところに?」
「あ?いや、今から昼飯で…」
「マッ、マヨネーズですね!!」

瞬間、目にも留まらぬ速さで、冷蔵庫まで走った。
自分の速さは自分では分からないけれど、恐らく土方さんの目には一瞬の出来事として映ったことだろう。
それくらいに、室内に留まり漂った空気を思いっきり掻き回した。

「はい!どうぞ!!」
「あ、お、おう。悪ィな。」
「いいえ!!これくらい、朝飯前です!!」
「ふっ。お前名前は?」
「は!はい!名前です!」
「名前か。覚えとく。」

颯爽。
まさに、そんな言葉がぴったり。
マヨネーズだけを携えて食事処へと向かう姿は、あたしには剣を構え勇ましく戦場へと赴く侍のように眩く映ったのだ。
この時のあたしは、“少女漫画のヒロインの如く、目をキラキラさせていた”と後になって、あの沖田一番隊長さんに言われた。




それからどんな展開が待っているのかと思いきや、何も起こらない日々が続いた。
寧ろ、前より慣れてきて、お茶出しが作業化してきてしまっていた。
とどのつまり、あたしのようなそこら辺に何処にでもいる小娘が、真選組一の色男、土方さんにお近づきになれるわけもなかったのだ。
そして、慣れてきたからなのか、名前すらろくに呼んでもらえない始末…

「…お待たせいたしました。」

いつものように、襖の手前で一声掛ける。
無言であれば、“入れ”という合図だ。

「…入りますね。」

無言だったので、いつものように襖を開け部屋の中へと足を踏み入れる。
いつものように、そこには土方さんが居た。

けれど、何だか今日は少しお疲れのご様子。

「お疲れ様です。」
「おお。すまねェな。」

でも、何とお声を掛けていいのやら。
慣れてきたブラックホールを横から見つめる。

「……。……。……」
「…何か顔についてるか?」
「あっ。いいえ!少しお疲れのご様子でしたので…その、…隈が少し…。」
「…………。」
「すみません!あたしなんかが、口を出すべきだとは思いませんが、毎日こうしてお茶をお出ししていると皆さんのちょっとした変化に過敏になってしまいまして…。え、え?っと土方さん?」

笑っていた。
鬼が笑っていた。
慌てふためく小娘を見て、憐れんでいるのだろうか。
あたしが見たことのない表情をして、土方さんは笑っていた。

「ど、どこか、おかしいですか…?」
「いや、悪ィ。真選組は男所帯だろ。誰も外見に気遣う奴なんか1人もいねェし、ましてや、他人の外見を気にする奴なんてのも1人もいねェんでな。」
「は、はぁ…。そうなんですね。」
「そんなに酷ェか?これ。」

指を差すのは、勿論目の隈。
土方さんの整った顔に、それは酷く克明に写っていた。
あたしはこくりと頷きながら、昔、友人に教えてもらった隈を解消する方法をパッと思い出し、目の下を擦っている土方さんを慌てて制止する。

「まっ、待っててください!!すぐ戻りますから!!」

そう言ったきり、戻ってこないんじゃないかとでも言うような心配した顔を、頭の片隅に残しながら、襖をパンッと開け放して、台所に走った。
その辺にあったタオルを手に取り、水に浸して、電子レンジでチン。
それが冷めないうちに素早く土方さんのところに戻る。

「失礼します!!お持ちしました!!これ!目に当ててみて下さい!!」

子どもみたいに素直にあたしの持ってきたタオルを手に取る土方さん。
じわりじわりと、体感したことのあるあたしだから分かる目に染み渡る快感を思い描きながら、土方さんの反応を待った。
山積みの書類が置かれた机の上のアナログ時計の音だけが、部屋に響いていた。

「……これ、やべェ。」

「そ……そうですよね!ヤバイですよね!」
「あぁー…このまま寝てェ。」

あのブラックホールが、そこら辺にあったタオルで覆われている。
凄く間抜けなことになっている。
一度そう考えると、可笑しくて、思わず笑ってしまった。
土方さんはそんなあたしに気づいて、タオルを外して此方を見つめる。
あたしは、まるで時が止まったように固まって、結果的に土方さんの目を見つめ返した。

「……………………」
「……………………」

「「……ぷっ!」」

お互いに赤くなって、一緒に笑った。
気が済むまで笑った。

何も言わなくても、笑うだけで、それだけで、そこに居てくれるだけで、こんなにも幸せな気持ちになる。

あのブラックホールが、今は愛おしい。
この気持ちが身体から溢れ出してしまわないように、あたしはまだブラックホールに吸い込まれまいと必死だ。




2016/5/7
恋の始まり、的な。

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