秘密をどうぞ


「××、これやっといてくれるか?」
「はい、承知しました。では」

一つにまとめられた長く綺麗な髪。艶やかに煌めくそれをなびかせて執務室を出ていく女性の後ろ姿を見て相変わらず無愛想な子だなとため息をつく。彼女はひとことで言えば真面目で、仕事を休むことを知らないが残業などをすることも知らない。自分に与えられた仕事は時間内に全て終わらせるという優秀すぎる事務員だった。この由緒あるナックルジムでの事務仕事は、専ら彼女がいれば問題なく事が運ぶのだ。ミス無く、素早くかつ丁寧に。この前ローズ委員長が彼女のことを褒めていたのを聞いてしまった。ぜひマクロコスモスに欲しいなどと宣う彼に少しばかり怒りが湧いたのは記憶に新しい。彼女はうちの誇れる職員で他に渡す気は一切ない。

キバナは考えた。ワイルドエリアへ向かうためにデスク上の散らかった物を片付けながら。
彼女の弱点とは何なのだろう。

キバナは何も知らないのだ、彼女のことを。プライベートで付き合いがある訳でもない。連絡先はかろうじて知っているものの、やり取りは仕事の内容だけ。しかも全てこちらこらの一方的な質問ばかりで彼女からメッセージが飛んでくることは一度たりとも無い。それがやりやすくもあり寂しさもある。ナックルジムで働くみんなは自分のことを尊敬してくれている。それは十分に自覚しているし、その皆の為にも努力を怠るわけにはいかないと精進しているが……ここまで興味をもたれないのは初めてだった。その珍しさに、こちらの興味が沸いてしまったわけだ。

彼女の私服が見たい。生活リズムを知りたい。手持ちのポケモンも全て把握している訳では無いし、それも知りたい。好きな歌、食べ物、時間、景色、色、人。それが知りたくて仕方なかった。ついに爆発して、今夜の俺は行動に出る訳だが。


『今度の休み、よければ付き合ってくれるか?』
そんなメッセージを送った。断られてしまうかもしれないと思ったが、意外にも返事はイエス。何に、と言ってないのは狡いかも知れないが、彼女が快諾してくれたのだから喜んで飲みに誘おう。もちろん、雰囲気のあるオシャレなバーで。


「その、お誘いありがとうございます。なにか御用で?」
「何かあるわけじゃねぇけどさ。話したいなって」
「私と話すことなんてなにも……」
「ん、とりあえずなんか飲みなよ」

バーカウンターの端でひっそりと座る二人。人の少ない店内なので人目を気にせずにいられる。俺は顔が知られているのでこういった場でゆっくりできるのはありがたかった。彼女はいつも通り髪をひとつに結び、白のシャツで清楚感を醸し出している。この少し大人な雰囲気のここでは浮いているようにも見えるほどだ。

「私お酒はあんまり……」
「弱いのか? それとも、オレと飲みたくない?」
「うぐ……では一杯だけいただきますね」

メニューを開き「どれがいいんだろう……」と小さく呟きながら指で絵をなぞる。白く細い指先。ネイルも何も無い質素な手が綺麗で思わず見蕩れてしまった。彼女が頼んだのは甘くてそれなりに強い酒。多分さっきの言葉からして酒には詳しくないのだろう、桃色の可愛らしい液体が注がれているそれは巷でレディキラーと言われている酒で、飲みやすく酔いが回りやすいものだった。……止めるべきかと悩んだが、好奇心が勝ってしまう。酒に酔った彼女を知りたかった。当初の目的はこれなのだからしょうがないだろ。気づかなかったふりをしておこう。

「……ん、これ、美味しい」
「あんま飲まねーの?」
「普段はあまり飲みませんね……得意ではないので」

二、三口で既に頬が赤くなっている。場の空気に飲まれているのか酒に酔いかけているのかは分らないが、彼女が泥酔するまでそう時間はかからないだろう。自身も頼んだ酒を煽りつつ、彼女へ質問をいくつも投げかける。まずはポケモンの話。これが一番オーソドックスだ。ポケモンが好きだからこそジムで働いているわけだし、彼女のバトルの腕も申し分ない。しかし全てを知らないから気になってしまう。ちまちまと出されていく情報をひとつひとつ繋ぎ合わせて、彼女という一人の人間を知ろうとした。

「そうですねぇ……やっぱりドラゴンタイプは至高です……いつかヌメラに囲まれて粘液で溶けたいなぁ」

だんだんと口調も砕けてきた。グラスはもう空になっていて、調子に乗ってしまったのか次のグラスを、とバーテンダーに頼む彼女に心配になる。さすがに次は止めようと決意するが、どうせならもっと酔わせてしまおうか? と自分の悪の部分が顔を見せる。やめろやめろ、部下にそんな事をさせてはいけない……。二つの己同士で葛藤し、百面相してしまっていたらしい。彼女がふと見せた笑みに何故か恥ずかしくなった。

「なにかんがえてるんです?」
「……ヌメラに囲まれたら、幸せそうだなぁと」
「ですよねっ! かわいいもん!」

もはや堅苦しいいつもの彼女はいない。多分これは本音だろう。口元を抑えて上品に笑っているが、声ははつらつとしていてこの状況を楽しんでいるように見える。彼女もストレスを溜めていたりしたのかもしれない、発散の場にさせてあげられたならいいが。

「やっぱうちで仕事してんのはドラゴンタイプが好きだから?」
「ぁー……えっと、まあ……」

急に歯切れが悪くなる。視線をあちこちに彷徨わせながら逃げるようにグラスを傾けていた。一気に減った液体、濡れた目元。しばらく俯いた後、ゆっくりと顔を上げ俺の目を見てぽつりと呟き出した。

「……ほんとは、そんな純粋な理由じゃないんです」
「へー、じゃあなんで……」
「あ、貴方に、憧れて」
「え」

それは、あまりにも衝撃的だった。彼女は仕事中はもちろん、プライベートの時だって俺と連絡を取ろうとしない。だから興味が無いのだと思っていたのだがどうやら違うらしい。赤みの増した頬の右側を手のひらで抑えながらぽつりぽつりと話し始める。相槌をうつことすら忘れ、その話をどうにか聞き逃さないようにしようと必死になった。

「チャンピオンと戦う貴方を見て、カッコイイと思って……貴方に憧れて、貴方になりたくて……近づきたくて、まずピアスを開けたんです」
「え」

こんな純真無垢で清楚な娘がピアス!? と思ったが、耳にそれらしき穴は見つからない。すでに塞がってしまったのかもしれないが、いつも見えるその健康的な耳には傷一つ付いておらず、探るようにじっと見つめてしまう。

「あ……耳じゃないんです。私の家、厳しくて。親に相談したら怒られてしまって」
「でも開けたには開けたんだ? もう塞がってんのか?」
「その、講習に向かうって嘘ついてスタジオに行って……ほら」

べ、と彼女が控えめに舌を出した。そこに乗っていた、というより刺さっていたのは紺碧の宝石。実際はただの作り物の石だろうけど、それは妙に輝いて見えた。というか、そこはかとなくえろい。控えめな彼女が、真面目な彼女が、隠れている場所に穴を開けていた。赤い舌は男を誘うにはぴったりで、現に俺は今それに視線を奪われ身体が反応してしまっている。情けない、部下にそんな感情を抱くなんてジムリーダー失格だ。

「あー……その、忘れてください……こんなの、全然好きじゃないですよね」
「好きだぜ、綺麗だと思う」
「そうかな……ふふ、うれしい」

恥ずかしそうに指先で前髪をくるくると遊ばせながら俯く。頬が赤いのはもはや酒か羞恥か分からない。グラスに数滴だけ残されていたものをグイッと飲み干し、カウンターにぐたりと突っ伏した。腕に顔を埋め、俺に表情が見えないように。

「わたし……ほんとはキバナさまのこと……」
「…………」
「………………ぐぅ」
「えっ」

今? 今寝るところか? なあ。酒は得意じゃないと言っていたし、酔うのが早いし、眠くなるタイプだったのかもしれないが……今ここでこのタイミングでそれを言いかけたまま寝るのか!! 思わず彼女の肩を軽く叩く。すぅすぅと口から小さく空気が漏れるのみで彼女は顔を上げない。うわぁ、勿体ない。もしかすると、彼女が続けようとした言葉は好意的なものだったのかもしれない。今そんなことを言われれば場の雰囲気と職場の清楚な女の子の意外な一面を見てしまったという優越感のせいで変なことを言ってしまう恐れはあった。仮にそれが告白だとして、俺は受け入れていただろう。

「………………かわいい」

彼女の少し赤らんだ傷跡のない耳朶を撫でて酒を飲む。今日のつまみはこの可愛い子だ。職場では真面目で落ち着いた子なのに、俺に憧れて厳しい親の元で嘘をついてまでピアスを開けて嬉しそうに笑うこの女性。お酒に弱くて憧れの人の前で酔っ払って素直にべらべらと喋ってしまうこの、どうしようもなく可愛い子。



「っは…………!! ここは、」
「おはよう、よく寝れたか? 二日酔いとかないか?」
「………………………………え」

ふと目が覚めると、天井についている鏡に映った自分に困惑した。私の部屋にこんなものはついていない。ここはどこ!? と身体を起こして辺りを見回せば、一人の人。その人から聞こえる声は何度も聞いたあの声で、一瞬なにがなんだか分からなくなってしまった。なに? 夢ですか?

「な、きばなさま……?」
「昨日のこと覚えてねぇ?」

き、昨日!? キバナ様からの誘いに思わず舞い上がって強くもない酒を飲んでしまった記憶はある。……が、その後、ひとつも思い出せない。ま、まさか、いけない事をしてしまった!? 私と! キバナさまが!

「もっ、申し訳ございませんでしたっ!! あのような痴態を……!!」
「なんか勘違いしてんな? 別にそういうことはしてないぞ」
「え、でもここ……その、」

らぶほてる、と言葉に出すのははばかられた。恥じらいと言うよりも、上司の前でそんな言葉を発したくないという人間としての心だ。豪華な室内はたしかに感動するものだけれど、天井の鏡、ベッドヘッドの操作版、そして異様なほど大きなテレビ。見ただけでわかる。

「あー……違うんだ。近くのビジボ全部埋まってて、抱えて遠くに行く訳にもいかねぇしここに泊まったの。嫌だったならごめんな」
「嫌なんかじゃないですっ! ……けど……」

昨夜自分は彼に何をしてしまっただろう? ぼんやりとしか残っていない記憶。酒のせいか、はたまた衝撃のせいか。言ったこと、したこと、ちょっとずつ思い出そうと脳内で時間を遡る。ベッドシーツがくしゃくしゃになるほど力の入った手に、キバナ様が優しく触れた。

「ひゃっ!」
「フフ、普段からそれくらい素直ならもっと可愛いのになー」
「そ、そんな……仕事と私個人の感情を混ぜる訳にはいきませんから」

顔が見れなくて俯いた。視界に入る私と彼の手の大きさの違いに心の中で笑ってしまう。こんなに違う、私と彼は全然違うんだから、一緒にいてはいけないのに、なのに。

「でもなんでオレの憧れでピアス? 他にもあったんじゃねーのかな」
「え………………っ!?」

なぜそれを!! バッと勢いよく顔を向ければ、下ろしていた髪がバサリと大きく振れた。それに驚いたその人は、おそらく昨日の事であろうものをぽつりぽつりと挙げていった。

どうやら昨日? 酔った勢いで? 彼に舌ピを空けていることを話したらしく? 彼に憧れてジムに入ったことも? バレているらしく?

死にたい!! ドリュウズが掘った穴にでも落ちて死んでしまいたい……!! ピッピ人形で彼の気を引いて逃げ出してしまいたい!! 熱くなった頬に触れると、ひんやりとした手が冷たくて気持ちよくて、恥ずかしくて……

「照れてんの? かわいい」
「かわっ……………………」

かわいいってなんだ……? かわいいって……私が……? 思考が宇宙の彼方へ吹っ飛び何も考えられなくなる。いっそこれが夢であってくれ、目が覚めた時、自室に寝ててくれ。そうすれば私はまた何事も無かったかのように清純な自分を演じることができるのに。

「なあ、なんで?」
「…………ポケモンバトルで、貴方に近付けるなんて考えもしなかった。ジムに入れることも、貴方の傍に居られることも。だから近付きたくて、共通の何かが欲しくて……」
「だからか、フフ、健気で可愛いじゃん」
「そ、そのかわいいってやめてください……からかわれるのは慣れてないんです……!」

事実だ。可愛いだの、綺麗だの、そういった褒め言葉を受け取り慣れていない自分はどうしてもお世辞だと思ってしまう。素直に受け取れれば楽なのに、受け止めて舞い上がってしまいたいのに。

「なんで隠してたんだ?」
「そっ、れは…………………………」

言えない。彼にだけは絶対に、言え

「ん?」
「かっ…………」

顔が良い……! 俯く私を覗き込み、柔らかな笑顔を浮かべている。ずるい人だ、その顔に弱いことが分かってやってるのだろうか。それが好きだから、隠してたのに。貴方に好かれたいから、隠してたのに。
手で目を覆い、視覚から入ってくる情報をシャットアウトしながらいっそのこと全部喋ってとっとと消えようと途切れ途切れに話し出す。

「昔、キバナ様が受けてたインタビュー見たんです」
「昔? いつ頃だ……?」
「五年前、だったかな。私が舌ピを開けて間もない頃、雑誌のインタビューで『清楚な子が好き』って……」
「あー、そんなこと言ったような言ってないような」

そう、彼に近づきたかったから開けたピアス。それは彼の言う「清楚な子」とは程遠い物だった。耳ならともかく、舌になんて。私はなんてことをしてしまったのだろうと後悔した。もう彼の好きな人には成れない。彼の好きな清楚な子に戻れない。いっそのこと穴が塞がるのを待とうかと思いもしたけれど、彼との共通の何かというものを消したくなかったのも事実。全部私のわがままだ。独りよがりの決定。いくらジムで真面目で清楚な子を演じてたって、これがバレたら終わっちゃう。嫌われちゃうかな。ジムトレーナーさんはみんな真面目でキッチリした優等生タイプで、私みたいにチャラチャラした人なんていない。私なんかよりきっと、皆の方が純情で清楚だ。

「それって、俺のこと好きってこと?」
「〜〜〜! そうですよ!! だから嫌われたくなかったんです!! 貴方の好みの女の子に……なりたかったんです……」

このわからず屋……! と声を大きくして肯定したが、本人にこんなふうに気持ちを打ち明けている事実に涙がこみあげて来た。ぽろぽろと溢れて頬を伝っていく涙を必死に手で拭う。けれど涙は止まらないし、挙句鼻水まで出てくる始末。ああもうめちゃくちゃだ。この人はどこまでも私を壊していく。私の目標で、憧れで、大好きな。

「なあ、××」
「……なんですか」
「さすがに五年前と趣味趣向が同じだと思われてるのは訂正させてくんね?」

ぐすぐすと鼻を啜りながら涙を止めようと目を擦り続ける私の手を掴んで彼に取られたせいで、目と目がぴったりと合って正面から向き合う形になる。こんなぐちゃぐちゃの汚い顔見られるなんて最悪だ。いっそ思いっきり振ってほしい。

「昨日さ、××のこと知りたくてああいうとこ呼んだの。お前の頼んだ酒の度数が高いことも知ってた。知ってて言わなかった。酔ったお前が見たかったからだ。酷い男だろ?」
「……でも、私をちゃんとこうして運んでくれて手も出さないなんていい人です」

手も出さないというより、手を出す程の魅力が無かったということかもしれないが……ダメだこんなこと考えるとまた涙が止まらなくなってしまう。一度落ち着いたかと思えばまたこぼれ出した涙を、彼の親指がそっと掬った。そんなことされたらときめいてしまう。私は貴方が好きなんだってさっき言ったじゃん、たしかに酷い男だ。

「じゃあ……あの一晩で、好きになっちゃったって言ったら?」
「え………………え? なにを?」
「お前のこと」

理解が追いつかない。キバナ様が私を? なにかの間違いだ。きっと彼は勘違いしている。私の本性を知って、面白がっているだけなんだ、多分。驚きで涙も引っ込んだ。もう手首は掴まれていないのに、腕は宙に浮いたまま硬直して動かない。

「元々興味はあったんだ。俺に対して態度が冷たいとか、プライベートが謎すぎるとか。でも昨日話して気付いた。お前めちゃくちゃ素直で可愛い子なんだな」
「素直ではないんじゃ」
「じゃなかったら、今こうして話してくれてないだろうなって思ったの」
「うっ……」

優しく語りかけられる。ずるいずるいずるい。目を逸らしてはくれない。逸らさせてもくれない。目線を泳がせると、そちらに顔を動かしてまっすぐ見つめてくるのだ。

「あと舌見せてくれた時、」

舌見せたのか私、言っただけじゃなくて見せたのか……。アルコールに酔っていたとはいえその時の浮かれていた自分を殴りたい。正気に戻れと。

「女の顔しててさ」
「ぉ、んなの……」
「食いたいって思った」

真剣な表情だった。バトルをする前みたいな、普段業務で見る彼の笑顔とは違う、捕食者の瞳。ギラギラとした目で私を射止めてくる。ここまで迫られてそれは違いますよと言うのはもはや失礼だろう。

「オレと付き合って、××」

もはや憧れの人でも、目標の人でもない。大好きな人、でもない。両頬を大きな手で包まれて、あと少し近付いたら唇が触れてしまうんじゃないかという距離で囁かれる。夢にすら見れなかった言葉。可能性を否定し続けてきた台詞。それを今、私は本当に本人から目の前で口にして貰えていたのだ。これが夢じゃなければいいのにな、と現実から逃げるように思考が離れてく。もう止められそうにない。

「返事は?」
「………………はい、こちらこそ」
「ん、よろしく」

数センチ彼が動いたかと思えば、視界がぼやけて何かとぶつかった。多分、きっと。


愛したい人に、秘密をあげる


おまけ

「なあ、もっとしていい?」
「も、もっと!? もっとって……これ以上!?」
「うん」
「そんなのまだ早すぎます! 付き合って初日にキスも本来おかしいんですから!!」
「……さてはお前、本物のピュアだな?」

舌ピ空いてる子との深いキスは気持ちいいって何かで見た気がする。けどこれは長い時間が必要になりそうだ。