氷月に餌付けしたい


わずか一日足らずでこの原始の世界で絶対と思われていた司帝国が科学王国の前に敗退した。その事実を、私は後から知った。しかも、その後に氷月君がクーデーター起こしたっていうし、司君はそのせいでコールドスリープ状態に入ったらしい。なんてこったい。情報量が多すぎる。
フィギュアスケートで国の代表になったことがある私は、多少有名な自覚はあったけれど身体的には身軽なだけで戦える力があるわけでもなし、この司帝国ではモブの中のモブだった。似たような境遇であるはずのほむらちゃんがバリバリ活躍しているのでこの言い訳があまり通じないのが悲しい。だってここアイスリンクないし。と心の中で言い訳をする。
女子チームの中でふんわりきゃっきゃと生活していた私は司君とも氷月君ともそんなに話したことなかったので、情勢の変化に驚きこそあれど、感動は薄かった。何やらゲン君と羽京君が裏切ったらしい。ふむ、歴史の一幕も、案外そんなものなのかもしれない。お上は色々な思惑や陰謀が鬩ぎ合っていても、庶民にはその中身は届いてこない。千空という人がトップになったところで、私の人生辛くならなければいいな、とぼんやり考えていた。
まぁ千空って人はあの大樹君と杠ちゃんのお友達だと聞いたので、そして司君も科学を復興させるのが邪魔だっただけで、人物としては千空の事嫌いじゃなかったと聞いたので、多分いい人なんだと思う。むしろ大人の石像ばんばん壊す司君の方が改めて考えるとやばい人だったな。
だから、私は暢気に構えていた。のに、司帝国崩壊翌日、ゲン君から私に与えられたミッションはドイヒーだった。
「嫌だ、絶対に嫌だ!!」
「全力拒否すぎるでしょ」
呆れるようにゲン君は言うけどこっちは死活問題である。
「なんで私が!?」
「氷月ちゃんも女の子からもらった方が嬉しいでしょ〜?」
「じゃあほむらちゃんでいいじゃん。喜んでやるよ」
「ほむらちゃんは喜んでやるだろうけど、そのまま牢屋から氷月ちゃん解放しちゃうから。ていうかほむらちゃんも一緒に仲良く檻の中だから」
「そもそも氷月君絶対女の子だから〜とかで喜ぶタイプじゃないじゃん!!」
私に与えられた任務は、人類の希望である奇跡の洞窟ダイナマイト爆発事件&元司帝国トップ殺害未遂事件の首謀者である氷月君のお世話係(という名の食事運び係)だった。
「あの強い金髪の女の子は?」
「コハクちゃん?ん〜喧嘩になっちゃいそうだからダメ」
「杠ちゃんは?」
「大樹ちゃんが心配して一緒について行こうとしちゃうし、氷月ちゃんと大樹ちゃんあんまり相性良くなさそうだからね〜」
誰か私にもついてきてよ。
嫌だ嫌だ行くならせめてゲンも付いてきてって駄々をこねるも、交渉のプロであるメンタリストに適うはずもなく、最終的に「まぁジーマーなところ、司ちゃん信者にお願いしたら何するか分からないし、その点なまえちゃんは司ちゃん側でも千空ちゃん側でも、ましてや氷月ちゃん側でもないでしょ」と言いくるめられてしまった。うん、まぁこの世界で誰より日和見な自覚はあるけれど。
「ま、取って食われる訳じゃないし、がんばってね」
他人事だと思って!

****

いくら爆弾犯&殺人未遂でも牢屋越しだし、ご飯を運ぶだけだから。と自分に言い聞かせる。いや待ってよ。そんな人間3700年前じゃ滅多にお目にかかれないよ。少なくとも日本では。改めてこの世界のぶっ飛び具合を実感しながら、洞窟まで食事を運ぶ。今日は猫じゃらしラーメンだ。正直そんなに美味しくないけど、お肉ばかりじゃ体に悪いだろうし、たまには炭水化物もとらないと。というか科学王国に取り込まれてからご飯のレパートリーが増えた。コーラまで飲めるとは。ありがとう、千空君。まだちゃんと話したことないけど。
洞窟に足を踏み入れて進む。外は明るいのに奥に行くほど日が入らなくなり薄暗く、少し寒く感じる。こんなところにずっといたら体調崩さないだろうか。

牢屋にたどり着けば、座っている氷月君、とその向かいにほむらちゃん。絶対に気づく距離なのに、微動だにしない2人。え、こわい。私も敵認定されてる?いや、2人からしたら敵なのかもしれないけれど。早く食事を置いて帰ろう、と決心して檻の隙間からラーメンを差し出す。
「食事。1時間後ぐらいに、食器取りに来る、から、それまでに食べてください」
としどろもどろに告げて目を上げた時、目があってしまった。ちょっと待ってよ。いつも目開けてるか分からない表情してるのに、がっつり目線があってしまって心臓が飛び出ると思った。ひええ。敵だと思われている…。ご飯運んであげてるのに!腰を抜かしそうな自分を𠮟咤激励しながら、逃げるように洞窟をあとにした。
はぁぁ。ライオンの飼育員だって3700年前はもっと穏やかな気持ちで餌やりしてたよ、絶対。今ノリで心の中で餌やりと同列に扱ってしまったけど、これがバレたら殺される気がする。目線だけで殺される。一時間後にもう一回いくのか、あそこに。嫌だな。正直明日の朝ごはん渡すついでに回収するのじゃだめかな?って思ったけど、流石に衛生的に虫寄ったりして良くない気がする。残念ながら行くしかなさそうだ。

さて、1時間後。ご飯食べただろうか。敵からの情けは受け取りませんって手をつけてなかったらどうしよう。私は直接氷月君の蛮行を見たわけじゃないから、一応顔見知りな人がやつれていくのは見たくないな。いやでもそれは氷月君に襲われた司君や司君の妹に対して無神経なのかもしれない。私は誰かを裁く立場でもなんでもないし、どちらの味方でもないけれど。とそこまで考えて、こういうところが私が餌付け係に任命された理由だなとひとり納得した。冷たい洞窟の中に入ると、私の想像は杞憂だったみたいで綺麗に完食した器が置いてあって安心した。餓死させることにはならなそうだ。
「ご馳走様でした」
聞き間違えかもしれない小さな声で言われたそれに、たまらず驚いた。思わず「えっ」っと声を出しそうになったところを抑えた自分、偉い。予想してなかった言葉に、反応に困る。どうしよう、無視するのもおかしいけど、ここから雑談に花を咲かせる仲でもない。なんて返していいか分からなくって、最終的に私は「お粗末さまでした…?」と返した。それきり微動だにしなかったので、とりあえず初日、ミッションコンプリート。

それから毎日ご飯を運んだ。あんなに嫌だったお食事係も慣れれば日常のルーチンのひとつとしてすっかり溶け込んだ。ただひとつ気になることがある。牢の中の2人は私が尋ねる時はいつも無言だった。私がいない時に2人で会話しているのかもしれないけど、こんな狭い所で何日も、人と会話できなかったら精神参っちゃわないだろうかと心配だ。
いや、3700年感覚がない世界でひとりで秒数数えていた超人もここにはいるんだけど。それはそれとして、一般人(かは微妙だけど)な2人には話し相手がいた方がいいかも、と思ってごくたまに話しかけてみた。ほむらちゃんとは元々数少ない女子チームとしてそれなりに話す方だったけど、最初はこちらを警戒して返事が素っ気なかった。でも段々警戒心より暇つぶしをしたい気持ちが勝ったのか、食事の間雑談をするようになった。
一方氷月君との最初の会話は
「ごはん、嫌いなものある?」
「ありません」
である。こんな簡単な会話でも「おお、返事が返ってきた」と感動したものだ。私はすっかりお世話している猛獣が懐いた気分である。
そうやって食事の間洞窟に居座るようにしていたら、新しい発見があった。氷月君「いただきます」も言ってる。礼儀に厳しい家庭だったのだろうか。そしてそれを真似してか、ほむらちゃんも食前と食後にいただきますとごちそうさまを言っていた。うーん、かわいい。
氷月君は聞かれたことには答えてくれるけど、あんまり質問攻めにしても怒られてしまうので、ほむらちゃんとの会話の中でふと話題を振る戦法を思いついた。これが結構うまくいって、なんやかんや3人で会話が成立するようになった。

***

今日はもう食事を持っていくのが楽しみで仕方ない。それはなぜか?ずばり、とびっきりのサプライズがあるからだ。今まで魚、肉、きのこ、山菜、猫じゃらしラーメン、というあまりにも少ないメニューを日替わりで運んでいたのが一転、なんと今日は新しく復活したシェフ・フランソワさんが作ったシュトーレンだ。
パン、パンですよパン!この世界でこんなに美味しいものが再び食べられるとは。試食したとき羽京君がちょっと泣いていたけど、その気持ち、とてもわかる。私も感動して声がでなかった。もしかしたら氷月君も泣いちゃうかも?なんて浮かれた気持ちで洞窟へと向かう。

普段なら「持ってきたよ〜」なんて声をかけるのだが、今日はあえて何も言わずにお皿を差し出す。するといつもなら黙って受け取る氷月君が、お皿の上のを凝視し始めた。この反応、待ってました。にやつかないように自分の表情筋に力を込める。
「これは…?」
きた!初めて氷月君から話しかけて貰えた!隣のほむらちゃんも目を輝かせてこちらを覗いている。
「っふ、シュトーレンだよ」
氷月君から話しかけてもらった喜びで、思わず笑いがこぼれそうになったのは勘弁してほしい。当のご本人は「シュトーレン?」と首をかしげているのでセーフだ。確かに男の子にとってシュトーレンはあまり聞きなじみがない食べ物だよね。
「ドイツの、クリスマスに食べるパンだよ。クリスマスが近づいたら毎日少しずつ切って食べていくの。ドライフルーツとかお酒とか入ってて保存がきくから船旅に向けて作ったんだって」
私の受け売りの解説を聞いて、氷月君は興味深そうにシュトーレンを眺める。シュトーレンを口に運び、固いそれを味わうように長々と咀嚼してひとこと、「美味しいです」と呟いたのを私は聞き逃さなかった。
あの氷月君が!美味しいって言った!心の中でガッツポーズをする。後ろで「なまえ、私の分…」と急かすほむらちゃんへシュトーレンを渡すため氷月君に背を向ける。よかった。今この緩みきった顔を氷月君にみられる訳にはいかない。
この檻の中の猛獣(ライオンなのか名前的には豹なのかな)に、どこまで懐いてもらえるのか、なんだか楽しみができてきたぞ。

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