千空に勉強を教わりたい
悔しい、悔しい、悔しい。
確かに私は勉強できないけど、誰にも迷惑はかけてない。さっきまで浴びていた冷めきった目線とため息、どうせお前がやったんだろう、早く終わらせてほしいという空気、全てが耐えられなかった。
***
先生から呼び出されて、成績が悪すぎてついに進級が危ないのだろうか、と軽い気持ちで職員室を訪れたら、そこからは地獄だった。
近所で起きた万引き事件について、犯人の目撃情報が制服で、明るい髪色だったというだけで疑われた。職員室のど真ん中で、複数の視線が集中する中、心無い言葉を投げかけられて、怒りで握った拳が震えた。味方のいない中、大人から一方的に責められる事に耐えかねて「やってないって言ってるじゃん!」と叫んで飛び出してしまった。追われているかも確認してなかったけど、教室に戻ることもできなくて取り敢えず階段を駆け下りて一番近くの部屋へ逃げた。そこは、化学室だった。
化学室には先客がひとりいた。緑色の髪の男の子。さっき先生に金髪なことで嫌味を言われたけど、こいつの方がアウトじゃない?こんな目立つ奴この学校にいたっけ、と変な色の頭を眺めながら近づく。
「おい!近づくな」
「な、なに」
「爆発すっぞ」
「爆発!?」
思わず横を見ればフラスコの中で熱されている何かの液体。
「不用意に近づくんじゃねーよ」
責めるような言い様に、さっきの光景フラッシュバックして思わず涙が溢れてた。思ったより緊張していたのが、気を抜いて一気に解放されたのかもしれない。突然泣き出し私にぎょっとしたそいつは「悪ぃ」と謝った。普通に考えて怒られたぐらいでガチ泣きする私がやばい奴なので、こいつは全然悪くないんだけど。
溢れ始めたそれは簡単に止められなくて、こんな初対面の人の前で泣きたくなんてなくて、もう全部の状況が情けなくて仕方ない。そう思うと余計に涙が溢れるからダメだった。
ふと気づけば目の前にハンカチが差し出されていた。涙は止まらないのに頭は冷静で、男の癖に、変な頭なのに、意外とマメなんだなぁと思った。
「あ゛ー。みょうじ、なんかあったのか」
「名前、なんで」
「同級生だろーが」
え?そうなの?つか何で覚えてんの。私クラスメイトですら危ういのに。
「あんたは?」
「石神千空」
「石神…」
なんとなく聞き覚えがある。でもどこで聞いたかは全然覚えてない。
「これは?」
さっき爆発とか衝撃的なことを言われたのを思い出して、隣のよくわからないタワーを指す。石神は説明を始めたけど、正直何言ってるか分からない。私がよほどちんぷんかんぷんという顔をしてたのだろう。石神は、色々かみ砕いて解説してくれた。分かったけど、ごめん、中身にそんなに興味はなかった。
「つかなんでいきなり泣いてんだよ。情緒どうした」
一通り説明が終わった後、多分最初から聞きたかったであろう質問を投げかけられた。あんまり言いたくなかったけど、理由もなく泣いていた痛い人と思われるよりマシだと思って正直に経緯を説明した。髪色を注意された下りで「俺の方がやべーのにな」って笑ってくれたので、こいつ意外といい奴かもしれない。
「どうせ私馬鹿だから」
「高校レベルの勉強に個体差ねぇよ。ちゃんとやりゃ分かる」
いい奴を前言撤回。出来る奴はこうやってできない人の気持ちなんか知りもしないで勝手を言うんだ。
「馬鹿だもん、分かんないよ」
「何がわかんねぇんだよ」
「全部」
投げやりに答えたら、おもむろに溜息つかれた。
ずきり、と胸が痛む。
また見捨てられる。今のは、私が悪い。分かってる。いきなり泣いて一方的に愚痴っている私の話を聞いてくれたのに、適当に答えたから。でも分からないところが分からないんだよ。そこ答えられたら苦労してないんだって。
石神は自分のバックを漁ったかと思えば、化学の教科書を取り出してこちらに向き合う。何事か、と驚いていたら例題を1つを読み上げた。
「今のは分かるか?」
突然のそれに、おぼろげな記憶を引っ張り出して答える。
それから石神は教科書をめくっては問題を出して、途中からは教科書すら見ずに色々な質問を投げかけてきた。なんだこの口頭試験。
答えられたのは数問だけであとは分からない問題が続く。分からない、と答えるたびに自分が馬鹿だとさらけ出している様で嫌気がさしてきた。
「あのさあ、もうよくない!?」
「そうだな」
そうだよ、私が馬鹿なのなんて最初から分かってるでしょ。と逆切れにも近い気持ちが湧き上がってきた。もう、教室戻って荷物を取って帰ろう、そう決意して立ち上がった。
「やっぱ基本ができてねーんだ、とりあえずここ読め」
「はぁ?」
すらすらと教科書にマーカーをいれていく。いやそれあんたのじゃん。
「印付けたところ一回読んでみろ」
明日までな、と言われて教科書を手渡された。
「いや、これ使わないの?」
授業で困んないの?と思わず突っ込んだら
「あ゛?全部ここに入ってるから問題ねーよ」
といって自分の頭を指す石神。なんかちょっとカッコよく見えた。白菜頭の癖に。
***
「読んだか?」
「読んだ。訳わかんなかった」
読むだけでうんうん唸って知恵熱出るかと思った。むしろちゃんと読んできたことが奇跡に近い。自分でも何で大人しく言う事聞いたのか分からないけど、とりあえず教科書返さなきゃと思って鞄から取り出してぱらぱらとページをめくったら、引かれたマーカーが目についたのだ。そう告げたら雑頭にもほどがあんだろ、とくつくつ笑う石神。笑われてるのに、嫌な気持ちにならないのはなんでだろ。
「んで、わかんなかったのはどこだ」
と聞いてきた。これだ、昨日もそうだけど、この人見捨てないんだよな。先生達なんてお説教してお前も少しは勉強しろって言って終わるのに。
分からないと言ったところを、石神は全部解説してくれた。暗記しなきゃいけないところは、何でこれを覚えなきゃいけないのか、どこに繋がるのかを教えてくれた。え、めちゃくちゃ分かりやすい。
「石神、マジで神じゃん」
「何わけわかんねーこといってんだ」
「てか教えるのうますぎじゃない?」
「テメーみたいな雑頭によく教えてっかんな」
「雑頭?」
詳しく聞くと、考えるより動く派の、体力バカな幼馴染がいるらしい。面倒見良すぎない?
「あいつよりずっと覚えるのはえーから教えがいがあるわ」
別に、たったそれだけの素っ気ない誉め言葉に、死ぬほど嬉しくなってしまった自分がいて、我ながら驚いた。
***
放課後化学室に行けばだいたい石神はいたし聞けば何でも教えてくれた。化学以外の教科も。何を聞いても答えが返ってくるので、ある意味感動した。
「石神何でこんなに頭いいの?」
「俺にとって唆るもんだから、じゃねーの」
「ふぅん」
生まれてからこの方勉強を楽しいなんて思ったことない私には、こんなの何がいいのか、よくわかんなかった。
「テメーは何に唆るんだよ」
「えーー服とか?新しいコスメとか?」
じゃあそれと同じだろ、と告げられてしまい余計混乱する。石神にとって教科書がファッション誌ってこと?
***
化学室にいるのは石神だけじゃなかった。他の化学部?メンバーとか、たまに石神を手伝ってる杠ちゃんとか大樹君と知り合いになった。あ、こいつが雑頭ねってすぐ分かった。何で友達なんだろ。全然タイプ違うのに。腐れ縁ってやつだろうか。それにしても、幼馴染の大樹君はともかく
「なんで石神って私に勉強教えてくれんの?」
とふと湧いた疑問を投げかけた。
「あ゛?テメーが聞いてくるんだろうが」
それは確かにそう。いつも私から押しかけてる。
「そうなんだけどさ、何時もちゃんと教えてくれるじゃん?そんなに暇なの?」
毎日のように化学室にいるから、もしかして暇なのかもと思って聞いてみた。自分の勉強はいらなそうだし。
「失礼すぎんだろーが。放課後部活やってるなんざ普通の高校生だろ。むしろ化学部員じゃ
ないのに毎日の様に入り浸ってるテメーの方がよっぽど暇人じゃねぇか」
正論である。そしてずっと心の奥で気にしていたことを言い当てられてどきりとした。石神があまりにも普通に教えてくれるし、何なら宿題もだしてくれるから自然と受け入れてたけど、私部外者だし、友達でも何でもないのにこんなに勉強を教えてもらっていていいのだろうか。
「私、邪魔?」
「あ゛?んなことは言ってねぇだろ」
何言ってんだとため息をつく石神は背を向けてしまった。あれ、やっぱり邪魔なのかな、と心がざわめいた。
「ただ、俺がわざわざ勉強教えてやってんだ、次の試験で赤点取ったら容赦しねーぞ」
これはつまり、これからも勉強教えてくれるってこと?
***
「ねぇ、石神って知ってる?」
友達に石神の事を聞いたら全科目学年1位の人だった。入学式で新入生代表のスピーチもしてたらしい。聞き覚えあるのはそれでか。(あんまり興味なくてステージの上見てなかったから顔はしらなかった)やばい奴じゃん。「何?なんかあったの?」と興味深げに聞かれて、何となく素直に答えるのが嫌だったから「んーん、白菜頭が気になっただけ」と誤魔化した。「白菜頭って」とげらげら笑う友達に、自分で言っておいてちょっとムカッとした。
授業中寝なくなった私に先生たちが驚いているのが分かった。いや、別に楽しくはないし結構落書きしたりスマホいじってたりはするんだけど。でもこれ聞いてるとあとで石神の話と繋がるから何となく聞き流してる。それを石神に言ったら「授業でわかるなら授業聞けよ」と突っ込まれた。そりゃそうだ。気づけば放課後の質問タイムがメインで、本当の授業がおまけだと思っていた自分にびっくりだ。
***
そして、1か月半後。
「石神、石神!期末補修なかった!!赤点なし!順位も100以上上がった!!やばくない!?!?」
「目標低すぎんだろ」
知ってる、石神は口が悪いしだいたい最初は悪く言う。でもその後にちゃんと嬉しいことを言ってくれる。
「まぁテメーにしてはがんばったんじゃねーの?100億点やんよ」
突き出された拳に拳をぶつける。私、男じゃないんだけど。こういうの男同士でやんなよって思ったのに、そのセリフと笑顔にドキドキしている自分がいて、私は自分の恋心を自覚した。
****
いや、こんなの好きになっちゃう。千空の男前度がすごい。そして千空の苗字呼びが新鮮過ぎた。