相澤先生
 秋の風に身を任せたまま、雄英の校門前で坂の向こうを見遣る。待ち人の姿は見えない。それどころか自分以外に誰の姿もない。
 それもその筈。今は授業中で、ここは雄英前。許可のない者の侵入を拒む雄英バリアも有るため、用のないものは当然来ない。
 雄英の事務員として務め始めてから数年が経つ。出身校ではないため、最初はどこもかしこも物珍しかった。仕事終わりにあちこちウロウロして時々怪しまれながら見学して回ったのは最初の一年間だけで、慣れてしまえば自分が通っていた高校とそう違いはない。今はもう、どこに行けばどこに出て、大体そこに誰がいるかも把握済みだ。
 坂の向こうから目線を校門内に移したところでこちらに歩いてくる人影を見つけた。生徒だった。
 まだ授業中だというのにどうしたのだろうか。雄英は敵襲来を受けて生徒、教師、その他職員を問わず寮生活となったから早退する、というわけでもないはずだ。
 となると、どこかへ出掛ける用事があるということで、想像したのは身内の不幸。
 こんな世の中だ。特に今は絶対的ナンバーワンヒーローの引退という大きな出来事があり、敵は勢力を増している。巻き込まれてしまったのだろうか。
 そんな想像を巡らせていたが、段々とはっきりしてくる人影がとうとう誰かを認識出来る距離まできてそれが見当違いであることと、彼の目的、その全てが分かった。
 雄英高校 三年 ヒーロー科 天喰 環。
 なんのことはない。彼も出迎えだろう。
 一介の事務員である自分をきっと彼は認識していない。だからこちらから声を掛けることにした。
「天喰くん」
 少し声を張って呼んでから彼の反応を伺うと下げていた目線を上げてこちらを見た。どうやら聞こえたようだと安心して、今度は手招いて見せると彼は素直に従ってこちらに近付いて来てその足が少し間隔を開けた隣で止まった。
「天喰くんも出迎え?」
 そう聞くと彼はこちらをちらりと見ただけで、あとは地面を見つめて口を開く。
「はい。もう時間だったので授業を抜けて行くようにと」
「そうなんだ。ご苦労様」
 私の言葉に彼は視線はそのまま「いえ」と控えめな返事をする。
 彼は待ち人――ファットガムのインターン生でもある。そもそも今回ファットガムがここへ来ることになったのは天喰くんの学校生活が見たいと言い出したからだ。だから忙しい――はずの――合間を縫って来ることになった。
 だから天喰くんが出迎えに来るのは当然といえば当然だ。
 雄英のビッグスリーの一人。こちらはそう認識していてもあちらにとって私は出迎えの職員でしかない。どうやって会話を広げようか。このまま黙って待っているのもなんとなく気まずい気がする。
 とりあえず視線を坂へと戻すと、隣でこちらを見ていた天喰くんもそれに倣った気配を感じる。もう到着予定時間だというのにまだ姿が見えない。またどこかで買い食いでもしているのだろうと容易に想像が出来てしまった。
「遅いですね」
 今度は天喰くんの方から口を開いた。それに相槌を打つ。
「そうだねぇ」
「きっとどこかで買い食いしてるんでしょうね」
 自分と全く同じことを考えていた天喰くんに思わず笑いが漏れてしまった。
「あ、笑ってごめんね。私も同じ事思ってたからさ」
「…………あの、ファットガムとは同期生だとか」
「そうそう。高校が同じなの。士傑高」
 自惚れ、というのかも知れないがきっとファットガムが見たいのは天喰くんだけではない。
 単に彼の学生生活が気になるのであればもっと早くに動いていただろう。それが今になってということは少なからず自分も関係しているのだと感じていた。ここの職員になって数年経つが、ファットガムにそれを言っていなかったのだ。
 インターンの手続きのことでファットガムが掛けてきた電話に出たのがたまたま私で、名乗ったこともあるが、話し方や声でも分かられてしまった。
 本題そっちのけで「今、雄英におんのか?」とか「なんで士傑やないんや」とか「なんでなんも言わへんかってん」とか散々言われ、「うん」とか「まぁ」とか曖昧な返事を返した後に出てきたのが「雄英に行ってみたい」だったのだ。
 だからと言って、私とファットガムの間に男女のそれはない。
 正直に言うと男だと意識したこともない。うっかりすると普通に女子トイレに連れ込みそうなくらいだ。実際、話しながら普通にトイレに入って行き、当然ながら入れないファットガムに外から「話しの途中やん!」と言われてなぜ付いて来ないのか疑問思ったほどだ。
 あの時は私も相当疲れていたのだろうが、そう持ってしまった原因はあのまるっこい身体だと思っている。どうしてもかわいらしいマスコットのように思ってしまうのだ。
「士傑なのに、なぜ雄英で先生を?」
 天喰くんにそう言われて、やはり彼が私を教師だと思っていることを知る。
 ファットガムは私を出迎えに指名した。天喰くんは自分から出迎えたいなどと言い出すタイプではないだろうから、これもファットガムからの指示だろう。ならば校門前で会うのは必至。私のことを話していても不思議ではないし、私と同期生だと言ったのも恐らくは彼だろうから天喰くんが私のことをヒーロー科出身で教師だと思っていても仕方がない。
「あ、違うの。私、先生じゃないの」
「そう、なんですか」
「うん。そもそもヒーロー科出身じゃないしね。普通科」
 だから先生じゃないんだよと伝えると「なるほど」と難しい顔をして見せた。
 そうなると今度は「なぜファットガムと知り合いなのか」という疑問が生まれると思う。だけれど、彼はそれ以上の追求はしなかった。例え私達がどういう関係でも自分には関係ないという考えに至ったようだった。
 またも地面に落ちた天喰くんの目線に少し笑みが漏れる。会話はこれで終わりらしい。
 もう一度坂に目をやるが、やはりそこに彼の姿はない。すでに到着時間を十分ほどオーバーしている。特になにも連絡がないところを見るとただ単に遅れているのだろう。ファンに捕まったか、買い食いか。どちらにせよ、連絡がないということはトラブルの類いではないだろうからこのまま待っていよう。
 そう決めて、今度は首のストレッチを始めた。右に左に。前に後ろに。ぐるぐる回して、もう一度最初から。そうやっていると隣から視線を感じた。いつの間に天喰くんがこちらを見ていた。
「なに、してるんですか?」
 訝しげなその視線に、そりゃそうかと思う。隣の人が突然あちこちに首を向け始めたら何事かと思うだろう。
「ごめんね、驚かせて。首の体操」
「体操。……なぜ」
 その疑問も当然だ。でもこれは思いつきではなく、きちんとした理由がある。
 ファットガムの身長はおよそ二メートル五十センチ。それを今から見上げなくていけないわけだ。もちろん距離を取ればそこまで見上げる必要はない。だが、ファットガムはなんというか、距離が近い。
 これはきっと彼の人柄のせいだと思う。やたらと接触が多い傾向あるのだ。背中を叩く、腕を掴む、頭に手を置く。それらを短時間の間に繰り出してくるが、そう出来る距離にいつも居る。
 だから遙かに高い彼の顔を見るには当然見上げなければならないというわけだ。
 普段はそこまで見上げる必要のない生活をしてる。先生の中には大きいひともいるが、わざわざ隣まで行って声を掛けたり、話をすることは少ない。彼らも自分の大きさを理解しているのか、少しかがんで話を聞いてくれることも少ない。それに事務手続きのことで職員室に行くときは相手が座っていることが大半なのでそこまで見上げることもない。
 それに、唯一隣に立って話をする男性も、さすがにファットガムほど大きくない。
「ファットガム、大きいでしょう?」
「はぁ、そうですね」
 少し思案顔の天喰くん。幅のことか長さのことかを考えているらしい。結論、どちらにも大きいに達したらしい彼は頷いた。納得したらしいので話を続ける。
「それで距離も近いでしょ?」
「まぁ、そうです」
 こちらはすぐに首の動きまで付いてきた。彼も思うところがあるらしい。
「だから首が疲れちゃうんだよね」
 そう言って苦笑するとまたもや天喰くんは「なるほど」と言った。そして私の頭の先から足下まで目線を下ろす。大体の大きさを測っているらしい。天喰くんよりも小さい私は彼の目線と頭の動きを追い掛ける。するとそれに気付いた天喰くんがハッとして少し赤くなった。
 その様子に思わず気が緩んだのだと思う。それに、先ほど少し考えてしまったのも手伝って普段はなるべく考えないように、頭に浮かべないようにしてる人がまたも浮かんでしまって、あろうことかその名を唇に乗せてしまった。
「相澤先生でも大きいなって思うのに、ファットガムはそれよりもっと大きいんだもん」
 困っちゃうよねー、なんて零した私に天喰くんは同意して、でもすぐに疑問を口にした。
「なんで相澤先生なんですか?」
 そう言われて自分が何を口走ったのかを思い知る。天喰くんのその質問にはなんの疑いもなかった。単なる疑問。それしかない。
 別に他の誰だって良かった筈だ。十三号先生でも、マイク先生でも。なのにわざわざ相澤先生を引き合いに出してしまったのは私が彼のことを特別に思っているからに他ならない。
 ここで慌てては余計な誤解――正確には誤解ではなく真実なのだが――を招くことになると思い、彼にはバレないようにゆっくりと深呼吸をしていつの間にか騒いでいる胸を静めると努めて冷静になんでもないように言う。
「ほら、ブラド先生とかに比べたら相澤先生も大きくない方でしょ? それでも百八十三センチもあるんだよ。猫背も手伝ってそこまで大きく見えないのに近付いて話すと大きい人だなって感じちゃって」
 そう、それは事実だ。私の中で彼は特別でも、まだ彼の中で私が特別ではなかった頃。自席に座っている彼に話しかけることはあっても、立っている彼に話しかけることは少なかった。話しかけたとしても隣に並ぶわけでもなしに少し距離を取って話しかけていたからそこまで大きいことに気付かなかったが、彼の中でも私が特別になって当然のように隣にいることが増えていくと、彼の大きさを知ることとなった。
 うまくごまかせただろか、そう心配になって天喰くんの表情を伺うとどうやら相澤先生のことを思い出しているらしく、その目は斜め上の方を見ていた。
 私にとっては天喰くんも大きく感じるし、彼にとってはそれほど気にするものではないだろうから想像し難いかも知れない。こういうのは困ったことのある人にしか分からないものだ。
「俺にはよく分かりません」
 正直にそう言った天喰くんがなんだか可愛く見えた。
「まあ、天喰くんも私からすれば大きいから」
 予想してた回答に天喰くんの可愛さが乗っかって微笑ましく思う。
「そうですか? ミリオの方が大きいからか、自分ではあまりそう思いません」
 確かにそうかも知れない。自分より大きい人と一緒にいるとそこまで考えるような問題でもないかも知れないと思い、これ以上この話は広がらないな、と終わろうとしたのにまたもや天喰くんは爆弾を落とす。
「っていうか、相澤先生の身長なんてよく知ってますね。大体じゃなくてセンチまで」
 その言葉にはもう、固まるしかなかった。これはもう好きな人のことをなんでも知っていたいというある種のストーカー的発想で知り得た情報で、本人に尋ねてみるとその通りだというからそのまま記憶していただけの話で。
 どうしようか、なんと言おうかと考えあぐねていると坂の方から一台のバスが上がってきた。
「ファットガムでしょうか?」
 天喰くんは挙動不審になりつつある私を気にもとめずに聞いてくる。正直助かった。なにも浮かばなかったからだ。助け船ならぬ助けバスに感謝しつつ天喰くんの二つ目の方の疑問に答える。
「いや、あれは……USJに行っていた一年生のバスだね」
 そう言ってからハッとなる。USJに行っていた一年生。それはA組で。A組と言えば。
「危ないですよ」
 天喰くんに声を掛けられて慌てて後ろに下がりバスに門前を譲る。
 坂を上がってきたバスはゆったりと曲がって校門を通過する。その時、前方の教員席に座っていた相澤先生と目が合った。
 素知らぬふりをして会釈すると彼も少しだけ頭を下げた、ように見えた。見えただけで正確なところは分からないが。
 バスの車内はほとんどが眠っているようだったが、後方の席の何人かは起きているらしく、こちらに手を振ってくれる。可愛らしくて思わず手を振り返すと、隣の天喰くんも軽く手を振っていてなんだかこっちがUSJなのではと思ってみたり。
 最後の席の子達まで手を振ってバスが雄英敷地内に入っていくのを見届けると、坂の方に目を向けた。
 あのバスが戻ってきたということはもう授業時間が終わるということで、本来なら到着している時間を随分と超えている筈だ。
 さすがに少し心配になり、スマホを取り出し見てみるがなんの連絡も入っていない。
「天喰くん、ファットから連絡入ってない?」
「いえ、俺の方にも来てないです」
 私がしたのと同じように天喰くんもスマホを見てくれていたが生憎なんの連絡も入っていないようで、二人で顔を見合わせる。
「さすがにちょっと心配だね。電話してみようか」
 言いながらスマホを操作してファットガムの電話番号を呼び出し、コールしようとしたところで天喰くんが「あ」と声を上げた。それに釣られるように顔を上げると、見覚えのある黄色くて丸い物体がえっちらおっちら坂を上ってきているのが見えた。
「来ましたね」
「ホントだ。おーい! ファットー!」
 大声で呼んで手を振ると、球体からニュっと腕が伸びてぶんぶんと振られる。
「ファットさんやでー!」
「いや、そんなんはいいんだよ」
 懐かしい関西弁に釣られて思わずツッコむも聞こえたのは隣の天喰くんだけなので特になんの反応もない。
「遅いー!」
「すまんすまん!」
 言いながらファットは坂を駆け上り始めた。私だったら絶対ここに着くまでに息切れしてしまうだろうが、やはりそこはプロヒーロー。そうはならないのだろう。
 ファットガムは特に苦労する様子もなく駆け上がってきた。だがその勢いが止まる気配がない。このままだと衝突を免れないわけだが一体どういうつもりなのか。
「ちょ、ファット……!」
「久しぶりやなー!」
 そういうとファットガムはそのままの勢いで私にぶち当たる。すぐさま彼の個性『吸着』が発動。首の限界まで見上げた意味もなく、私はファットの腹部に吸着されてしまった。
「ちょっと! くるしい!」
 そう言っているつもりなのだが、もごもごと言葉にならない。
「元気やったかー!」
 言いながら吸着している私をそのまま腹部に押し込めるようにギューっと抱き締める。いや、これは抱き締めているというか、閉じ込めている。
「いま元気なくなる! 離して!」
 言葉は全てもがもがに変わってしまう。いい加減息が苦しい。
「元気そうやん! 安心したわ!」
「――っぷは! 許可なく人を取り込むな!」
 もがもが、もごもごしていた私をようやく離したファットは「ははは!」と楽しそうだ。
「しゃあないやん! それが俺の個性やし!」
 なにが仕方ないのか理解出来ない。そもそも個性の使い方が――。
「おー! 環ー!」
 こちらが文句を言う前に天喰くんに絡みにいく。背中をバシバシ叩かれた天喰くんはなんだか訝しげな顔をしているように見えるが大丈夫だろうか、いろんな意味で。
「ファット」
 突然聞こえた低い声。慌てて門を見るとそこには真っ黒い人。
「おお! イレイザーまで! 久しぶりやなー!」
「あぁ」
 天喰くんの背中をもう一叩きしたファットはすぐさま相澤先生に向き直り、嬉しそうな声を出した。
 いつも通り両手をポケットに突っ込んで立つ相澤先生と目が合う。
「お疲れ様です。相澤先生」
「お疲れ様です」
 私達は平坦な挨拶を交わし合う。誰も怪しまないように。
 それにしてもいつからいたのだろう。もしかすると先ほどファットガムに吸着されていたところを見られたかも知れないと思う。あれが傍目には抱擁に見えなくもないことは知っているので一瞬冷や汗をかくが、私とファットガムはそういう関係ではないし、そういう感情すらないのだから問題ないと思い直した。そもそも、相澤先生にも気にした様子がないのだから考える必要もない。
「なんやわざわざぎょうさんで出迎えてもろて、すまんなぁ」
 少しだけ申し訳なさそうにファットガムが頭を掻く。元々は私と天喰くんだけで出迎えるはずだったが、相澤先生まで来てしまった。
 なぜ、彼まで来たのかは分からないが先ほどファットガムが「イレイザー」と呼んでいたことから知り合いなのだろうと予想した。今日ファットガムが雄英に来ることは職員なら周知の事実。相澤先生が来てもおかしくはないのだが、どこか引っ掛かる。
「いやいや、出迎えないと入れないしね雄英には。……はい、これゲストパス」
「ほーん。 これがあったら雄英バリア突破出来るんか」
「そうだよ。無くさないでね」
「大丈夫やて、俺の脂肪に吸着させて――」
「どっか行きそうだからやめて」
 割と真面目にやめさせた。なくされたら再発行手続きやらなんやらで手間が掛かるのはこちらなのだ。
 私の表情から言っていることが本気なのだと察したらしいファットガムは大人しく首からそれを下げた。
「ってか、あんた忙しいんだからさっさと見てさっさと帰りなよ」
 半ば呆れ顔でそう言った私にファットガムはなんてことなさそうに次の言葉を告げた。
「いや、ファットさん今日はお泊まりやで」
 いつものニヤニヤ顔で。
 把握していなかった情報にしばし絶句した後、ようやく捻りだした言葉を吐く。
「どこに泊まんの?」
「洋子んち」
 事もなげ再び告げられる宿泊予定地。もちろんそんな予定は聞いてない。いや、それどころか――
「いやいや、無理だって。泊めないよ。っていうか私も寮生活だよ」
「えっ! そしたらファットさんどうしたらええのん」
 背後にガーンという暗い背景を背負いそうな顔でファットが言う。
 泊まるつもりならばちゃんと宿を押さえておくとか用意すればいいのに行き当たりばったりにも程がある。
 これは本当に私を当てにしていたのかも知れない。
「泊まるとこないなら尚更帰りなよ」
 愛想なくそう言ってやるとファットガムの後ろのガーンが追加される。
「嫌や、嫌や! せっかく来たんやから観光もしたいし、洋子のカレーも食べたい!」
「はぁ!?」
 思わず大きな声で聞き返す。
 なぜ今ここで「カレー」の話をするのか。見るつもりなく、あえて見ないようにすらしていたのにチラリと相澤先生を伺ってしまった。
 しかし、伺った先の相澤先生は特になにも思っていないようで真っ直ぐファットガムを見つめている。
 ファットガムの言う「カレー」とは、私とファットガムが知り合うきっかけになったもので、実際は大したことのない普通のカレーだ。
 特別なものは何も入っていない、一般的なカレー。
 色々あって学校帰りのファットに食べさせたことがあるのだが、なぜだか大層気に入ったらしく、時々せがまれては作って食べさせていた。
 確かに最後に食べさせてから随分と日が経っているから食べたいと言われても不思議な気持ちにはならないが、相澤先生に変な誤解を与えてしまうのではと不安な気持ちが過ぎった。
「なぁー久しぶりなんやから食べさせてくれー」
 まるっこい身体をした男がまるっこい目を潤ませて懇願してくる様は少々不気味ではあるが、正直言うと悪い気はしない。そこまで言うのなら作ってやるかと思わなくもない。ただ問題はどこで作るかということで。
「そうは言っても、アパートまで戻って作ってってなったら何時になるか……」
 寮にもキッチンスペースはあるが共用だし、第一ファットガムは男だ。女性寮に入れるわけにもいかない。そして私が男性寮に上がり込むわけにもいかない。さて、どうしたものか。
「泊まるところがないのなら校長に掛け合って職員寮に泊まったらいいんじゃないか」
 私とファットガムの応酬に低い声が割り込んできた。
 意外なことにそう提案してきたのは相澤先生で、表情に変化は見られないが、困っているファットガムに救いの手を差し伸べた。
「おお、それええやん! よっしゃ、ほんなら善は急げやー」
 言うが早いか既にファットガムの足は校舎の方へ向かっていて、歩幅の大きい彼はあっという間にここから去ろうとしている。
「ちょ、場所――」
「環ー! 校長室どこやー?」
 場所はどこか分かっているのかと聞こうとした私の声より、ファットガムの天喰くんを呼びつける声の方が早く、一瞬戸惑った天喰くんが私と相澤先生にぺこりと頭を下げてファットガムの後を追っていく。
 図らずして相澤先生と二人だけが残されてしまい、沈黙が流れた。
「行っちゃった…………」
「だな」
 沈黙を破る為に放った一言にあっさり同意した相澤先生はくるりと踵を返して校舎の方へ足を向けてしまった。そのままスタスタと歩いて行ってしまう。慌ててその猫背気味な背中を追う。
「あ、あの、泊めたことなんてありませんからね!」
 これだけは言っておかなければと思っていたためか、そこそこの声量で言い放ってしまった。必死さが現れたその言葉に相澤先生は足を止めて目線を少し上にやっている。
「……あぁ。さっきの」
 私の発言の元となったファットガムのセリフを思い出したようだ。
「なんか、いつも私の家に泊まっているかのように言ってましたけど、あぁやって言いながらいつも帰ってたんで」
「そうですか」
 思案顔のままの相澤先生はそれだけ言うと、こちらに視線を寄越した。
 やっぱりこの近さで見ると背が高いのだと改めて気付く。そしてその距離の近さも。
 私の言葉の意味は分かってもらえたのかどうなのか分からない返事にもう少し情報を付け加えた方がいいのか考えていると、先に相澤先生の口が開く。
「カレーってのはなんなんです?」
「か、カレーは、ただの、カレーです」
 説明するまでもないものを聞かれて答え方に困った。スパイスから作って、とか、こだわりのルーがあって、とかならまだしも私のは完全に適当。せいぜい二社のルーを混ぜて作る、くらいのものである。
「学生時代にファットに食べさせる機会があって、それからなんか気に入ったみたいで。時折あぁやってせがまれるんです。あの、それだけ、です」
 真っ直ぐ無遠慮な相澤先生の視線に耐えきれず、かち合っていた視線を外してどんどん下を向いてしまった。
 要らない誤解を与えたかも知れない、そう考えると相澤先生の顔を見れなくなって、じっと俯いているとまるで独り言のような呟きが振ってくる。
「カレー」
「はい、ただのカレー、です」
 そもそも人様に食べさせるようなものではないから自慢出来るようなものでもないし。
 そう思ってますます目線は下がる。
「……今度、俺にも食わせてください」
 その一言は下がりきっていた目線を上げさせるには充分なもので、慌てて相澤先生にそれを戻すも、彼の方はなんてことなさそうで。
「ただの、カレー、ですよ?」
「はい。お願いします」
 なんてことなさそうな表情でも、好きな人からそう言われればやはり嬉しいもので、
「分かりました、喜んで!」
 なんて、大きな声で承諾してしまうのだ。

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