秘め事4
 ピンポーン。
 インターホンの音がまどろんでいた意識の底で響く。これは夢か。それとも現か。出来るならばこのまま寝ていたい。昨夜は寝るのが遅かった為か身体が重い。誰かが訪ねてくる予定はない。荷物が来る予定もない。それならばこのまま居留守を使っていても問題は――。
 そう考えていた洋子の意識は次の瞬間、覚醒を果たす。カチャンという乾いた音の後でカラカラカラと横開きの戸が開く音がしたからだ。
 インターホンを鳴らし、鍵を解錠して入ってくるのは一人しかいない。家政婦の幸恵だ。
 慌てて身体を起こすとその視界に飛び込んで来たのは荒れた和室。机の上には食べたままの屋台のパック。開いたビールの缶がその横に並んでおり、食べて、そのまま寝てしまったのが丸分かりだ。それに洋子は未成年であることは当然幸恵も知っている。これがバレれば怒られるのは必然。
 問題はそれだけではない。
 洋子が寝ていた場所から机を挟んだ向こう。そこに未だ横たわる男の子。
 これまで大和の存在を洋子は隠してきた。彼を家に上げるのは幸恵の来ない火曜と木曜、それに土日だった。つまり、幸恵は月水金にやって来るのだ。だがどうだろう、今日は土曜日。幸恵が来る筈はないのである。
 だが今は、「何故彼女が今日来たか」ではなく「この状況をどう切り抜けるか」だ。
 洋子は昨日、机の上にある物全てを持ち帰る際に使用したビニール袋が落ちているのを見つけると、急いで机上を片付け始める。
 焼きそばが入っていた透明のプラスチックパックや焼き鳥の入っていた食品トレーなどを纏めてビニール袋に入れ、別のビニール袋には大和が飲んだビールの缶を入れて脚本で出来たタワーの向こうへ隠して、見つからないようにした。
 家に入った幸恵はまず、買ってきた食料品を冷蔵庫に入れるべく台所へ向かう筈だ。洋子が机の上の物を全てビニール袋に入れている間に恐らくそれは行われている。この隙にどうにか大和を家から出さなくては。
「大和くん、起きて」
 出来るだけ小さい声で洋子は眼鏡を掛けたまま寝ている大和に声を掛ける。肩に手を当てて軽く揺さぶるが起きる気配がない。
「大和くん、ってばっ」
 今度は力を込めて大きく揺さぶった。
「っんー」
 何度か揺さぶって、ようやく大和は目を開けた。
「あと五分……」
 ところが、大和はそう呟いて体勢を変えると再び寝入ろうとする。
「ダメだって。幸恵さん――家政婦さん来ちゃったから起きて!」
 なんとか起こそうとしてみるが大和は起きない。先ほどの「あと五分」も寝言に分類していいようである。
 どうにかして大和を隠せないかと考える。辺りにある脚本のタワーを動かせばあるいは……と考えたりもしたが、現実的でない。第一、この部屋に入られるか、大和が寝返りを打って倒してしまえば元も子もない上、そうまでして隠す理由を幸恵に考えさせてしまいそうだ。
 大和の存在は隠したいが、隠すということは何かあるのではと思わせてしまうのが嫌だった。何もないのに疑われたくない。
 何か言い訳に出来そうな物はないか、隠していると思われないような隠し場所は、などと矛盾したことを考えながら目を走らせた畳の上。そこにもう一つビールの空き缶があることに気が付く。
「大和くん、一体何本飲んだの……」
 そう寝ている大和の背中を責めようとしたときだった。
「洋子さん、こちらですか?」
 優しい、綿のような声色が聞こえた。家政婦の幸恵だった。声の距離からかなりの近さにいることを知る。
 咄嗟に洋子はビールの空き缶を机の脚に寄せ、幸恵の声のする方からは見えないように配置する。
 ちょうどそこへ置き終わったときだった。廊下と和室を隔てる襖、縁側と真反対に位置するそれがスッと、何の抵抗もなく開いてそこに幸恵の姿があった。いつも通り、優しげな色合いのエプロンを着けて、髪を後ろでひとまとめにしている。歳相応に老けてはいるが、それでも若いときは男性に人気だっただろうことが窺える顔だ。現在もどこか色気が感じられる。
 幸恵は洋子の親戚だ。母方の親類だったと洋子は記憶している。明確な関係は失念してしまったが、従姉妹のそのまた従姉妹の……といった風に親等が離れていたことは確かだ。
 幸恵は未成年である洋子の後見人でもあり、いわば保護者だ。ただ、洋子と幸恵の面識がそれほど多くないこと、洋子が思春期の多感な時期であること、更には父の遺言のこともあって、幸恵は家政婦としてこの家に通ってくれているのだ。
 父の遺言には、幸恵を洋子の未成年後見人に指定する旨の他、家には洋子のみが在住することや、彼が生み出した全ての脚本の著作権等の権利を洋子に譲渡することも記載されていた。
 だから藤波は洋子に脚本使用の許可を取りに来る。契約書を交わすのも洋子だ。幸恵は関与しない。当然、関与すべきなのだがその辺の話し合いはすでに行われていたらしく、初めての契約の際に同席し、「洋子さんのお気の済むように」と話した後は黙りで、それ以降の契約は洋子と藤波の二人だけで交わしてきた。
 父がなぜ洋子に半一人暮らしを提案したのかの理由は書かれていなかった。だが、洋子には見当が付いている。色々な経験をさせたかったのだ。例えそれが「親を亡くす」というものであっても、それをただの事象で終わらせる気はなく、それを糧にして欲しいと願っていたに違いない。
 遺言書を預かっていた弁護士が、父の脚本による印税と遺産を目当てに集まっていた父の親族の前でその内容を読み上げたとき、自分たちには一銭も入らないことを知った親族が怒りの声を上げる中、洋子は一人その考えに思い至っていた。
 ちなみに、金が入らないと知った親族が次に狙ったのは未成年後見人の席だったが、そこも遺言書の中で指定されており、例えそれが親族達の与り知らぬ人物であろうとも遺言書が優先されるため、手も足も出なかった。
 そのため、現在父方の親族とは一切疎遠である。唯一会うとすれば法事の席であるが、母の方は父がいた頃に終わりにし、父の方は遺言書に則って三回忌までとされていてそれも終わってしまったので、今後会うとすれば墓参りで会うくらいだ。
 遺言書を預かっていた弁護士によると、恐らくこれから先、父方の親族が関わってくることはないとのことで、もしかすると弁護士が何かしらの手を打ってくれたのかも知れないと洋子は考えたが、それは聞かないままだった。
 そういったわけで、幸恵は洋子にとって親代わり。その親代わりに男の子を連れ込んでいると洋子は知られたくなかった。だから今日まで絶対に二人が会わないようにしてきたのだ。
 洋子はこの遠い親戚にあたる女性を好いていたし、嫌われたくなかったし、軽蔑されるなんてもってのほかだ。
 なのに見られてしまった。
 幸恵の視線は、背中を向けて寝ている大和にはっきりと注がれてる。
 この状況にも関わらず、暢気に寝息を立てている大和と、それを見つめる幸恵を洋子は交互に見ていた。
 ふと幸恵の目が部屋に走る。食べた跡が少し残るテーブル。拭上げていないので当然だ。テーブルの下に置いたゴミの入ったビニール袋。捨てに行く暇はなかった。この部屋にあるゴミ箱は小さすぎるし、それはもっぱら紙を捨てる為に機能していて、そこに食べた後の物を捨てるのは気が引ける。ささっと走っていた目があるところで止まった。その視線の先を辿って、洋子は背筋が凍った。
 そこは洋子がビールの空き缶を隠したテーブルの脚。よく見れば押しすぎて少し向こうに出ている。幸恵にはきっとパッケージが見えている。言い訳は出来ない。
 何を言われるのかを想像する。緊張で口が渇いていくのを自覚しながら幸恵の表情を伺った。彼女は何も言わない。
 やがて、彼女がそこから視線を動かした。その目は洋子の目を捉えた。そして彼女はゆっくりと――実際にはいつも通りの動きだったが、このとき洋子は酷く緊張していた為に、いやにゆっくりに思えたのだ――深紅に縁取られた唇を開いた。
「幸恵さ――」
「おはようございます。ご来客とは存じ上げませんでした」
「す、すみません。勝手に……」
「いえ、ここは洋子さんの家ですから」
「すみません」
 暗に洋子の自由でいいと言われたにも関わらず、洋子は申し訳なく思って肩を落とす。
「二階の部屋はいつも掃除してあります。今度お客様がお泊まりになる際はそちらにご案内されては?」
「はい、そうします……。あの、」
「なんでしょうか」
 洋子は疑問を解決するべく声を掛けた。いつも通り丁寧に、幸恵は聞き返す。
「今日は、来る日じゃなかったですよ、ね?」
 今日は土曜日だ。本来であれば幸恵は次の月曜まで来ないはずで、だから油断していたのだ。
 幸恵に驚いた様子はなく、淡々と言う。
「洋子さんが夏期休暇に入られる前に説明しました通り、来月はお盆休みがございますので今日はその日の代わりです。他にもお盆休みの前日は火曜日ですが参ります」
「そんなこと、言ってましたっけ?」
「言いました。帰り際に」
 記憶を辿る。だが、そんな記憶が一切ない。夏期休暇に入る前。幸恵の言葉を聞いていなかった理由があるとすれば、隣で寝ている大和のせいだ。
 一度だけ、大和と幸恵はニアミスしたことがある。あと数分、どちらかが早く、どちらかが遅ければ顔を合わせていただろう。
 大和からの『今から行く』のラビチャにしばらく気が付かず、気が付いたときにはすでにそれなりの時間が経過していたから慌てて『まだ家政婦さんがいる!』と返したのだ。
 幸恵が洋子の家を出て、程なくして大和が門を潜ってきたときは門の前で鉢合わせたかと心配したが、どうやら幸恵が去った方とは反対だったらしく、誰かが出て行ったからあれが家政婦だろうと当たりを付けて入ってきたと行っていた。
 あの時は、ラビチャに既読も付かず、いつ大和が来るかとハラハラしていた為に全く耳に入ってこなかったのだろう。あの時しっかり聞いておけば、今日、彼と幸恵を会わせずに済んだのにと後悔せずにはいられない。
 思わずしかめ面を作る洋子に幸恵が声を掛ける。
「私は仕事に取りかからせていただきます」
「は、はい。よろしくお願いします」
 洋子の返事を聞いて、幸恵は襖を閉めた。その姿が見えなくなって、ようやく洋子は自身の肩に力が入っていたことを知る。
 畳にへたり込みながら、幸恵にどう思われただろうと考えた。
 もっと怒られるか言及されるかと思いきや、彼女は何も言わなかった。それがどういう意味を持つかを考えてみる。
 大和との関係を疑われたか、否かもそうだが、一番の問題は酒だ。これについて何も言わなかったことが気がかりだった。
 考えられるとしたら、洋子が飲む筈はないと思ってくれているということくらいか。
 幸恵は洋子の保護者であって、大和の保護者ではない。だから目を瞑ってくれたのだろう。
 もしそうならば、幸恵は洋子のことを信頼しているということだ。それは純粋に嬉しいと思う。
「ん」
 すぐ傍で寝ている大和が身動ぎした。
 慌てて畳から身体を離すと、大和がむくりと上体を上げた。
「あー、あのまま寝ちまったのか。……身体イテ」
「や、大和くん!」
 慌てて名前を呼ぶと、そんな洋子とは対照に彼は暢気な反応だ。
「おはよ。……お泊まりしちゃったな」
 普段の洋子であれば照れて赤くなって「寝落ちだから!」とでも言ってそうだが、今の洋子は普段の洋子ではない。
「そんなこと言ってる場合じゃないよ! 家政婦さんにバレちゃった! 大和くんが泊まったこと!」
 自身の言葉をそんなこと≠ニ流された大和の顔が不機嫌な表情を作る。洋子はそれを家政婦の幸恵にバレたから≠セと解釈した。
「……今日、来ない日だったんじゃないの?」
 だから大和のその言葉に洋子の背筋が凍った。怒らせてしまったと思ったのだ。
「そ、そうだったんだけど……お盆に休むからって」
「ふーん」
 凝ったのか、大和は首を右に左に回してそこを伸ばしている。その次は肩を回して、全く急ぐ様子も慌てる様子もない。洋子にはそれが不思議だった。
「なんでそんな落ち着いてるの?」
 一通りあちらこちらを伸ばし終えた大和は溜息交じりに言う。
「バレてまずいことでもあんの?」
「え?」
 胡座を掻いた大和が洋子の方を向く。
「だって、何もしてないだろ。俺たち」
「お、お酒……」
「俺だけじゃん。洋子が心配してんのはそれよりも俺とのことだろ? 何かした?」
「し、してない、です」
「一緒に祭りから帰って、一緒に飯食って、一緒の部屋で寝ちまっただけ。健全じゃん」
「そう、なのかな……?」
「そうだよ。ふぁー……トイレ借りるぜ」
「あ、はい。どうぞ」
 本当にそうだろうかと考え込む洋子を置いて、大和は部屋を後にする。
 夏期休暇前から入り浸っている為、どこに何があるのかは知っている。廊下を抜けてトイレを目指す。一度玄関のホールへ。普段ならば台所を抜けるのだが、家政婦の幸恵がいるとしたら恐らくはそこだろう。顔を合わせたら何を言われるか分かったものではない。なるべく会わずにいたいと思ってのことだった。
 玄関のホールを抜けて廊下を左手に曲がればすぐにトイレがある。その扉を開けようとドアノブに手を掛けたときだった。
 後方の、風呂場へ通じる洗面所のドアが開いた為、大和は反射的にそちらに目を向ける。
 そこにいたのは見知らぬ女性。歳は取っているがどこか色気を携えているその姿に、家に出入りする妙齢の女優達が重なる。
「おはようございます」
 こういった相手には礼儀正しくしておく方がいいと考えた大和は先手を打って挨拶の言葉を述べる。
「おはようございます。山口家の家政婦、田能幸恵と申します」
「洋子さんのクラスメイトの二階堂大和です」
 言って、他所行きの笑顔を浮かべる。こうしていれば、大抵は「イイコ」と称してもらえる。だが、大和の予想に反して、幸恵は何も言わない。それどころか、じっと大和を見つめており、その視線に居心地の悪さを感じる。
 なるほど、こういったことで誤魔化されない相手か。
 そう思った大和は愛想笑いを解く。
「なんすか?」
 あまり敵意を持たれないようにと意識して口元に笑みは携えたまま、それでいて舐められないように声色を調節し、目に本当の感情を込める。無駄な説教を受けない為だった。
 そんな大和の思惑を知ってか知らずか、幸恵は洋子と話すときと同じトーンで言葉発する。
「わたくしは洋子さんの後見人、言わば保護者です。洋子さんのこと、くれぐれも、よろしくお願いします。二階堂大和さん」
「はい」
 それで去るかと思ったが、幸恵に動く様子はない。このままトイレに入るのを見守るつもりだろうか。それともまだ話があるのか。
 後者だった。
「洋子さんのことは幼少期の頃から存知上げております。何かあればすぐに分かりますので」
 そこで言葉を切った幸恵も、大和と同じ様に目に感情を込めていた。先ほどのまでの様子とは違う、その目線に大和が感じた感情は敵意に似たもの。言葉にするなら「適当に手を出すな」だった。
 大和は苦く笑う。
「心得て置きます」
 その返事を聞いて、幸恵はようやく踵を返して台所の方へ歩いて行った。
 その背中を見送って、見えなくなっても大和はすぐにトイレに入らなかった。ドアノブに手を掛けたまま、洋子と幸恵のことを考える。
 洋子と両親が死別していることは本人から聞いていた。幸恵という家政婦が身の回りの世話をしていることも。そして、洋子は大和と幸恵を引き合わせないようにしていた。今、そに納得がいった。幸恵は言わば、洋子の親代わり。だからバレたくなかったのだろう。男を連れ込んでいることを。
 二人の間には何もない。洋子はそれでも要らぬ波を立てたくなかったのだ。
 なんだ、あいつにはいるのか……。
 その考えに至った大和は自嘲気味に笑うとトイレのドアを開けて中へ入った。

   ※ ※ ※
 一人残された洋子は、改めて大和と自身の関係を考えていた。
 学校では相変わらず、ただのクラスメイトとして過ごしている。
 会話もしないし、目も合わさない。名前だけを知っているクラスメイト。
 だが、学校を出てこの家に足を踏み入れれば、ただのクラスメイトから友達になる。
 洋子からすればかなり距離の近い友達だ。お互い名前で呼び合って、同じ部屋で何をするでもなく過ごす。
 適当な時間になったら帰るかバイトへ向かう大和。それを見送る自分。
 端から見れば付き合っているようにも見えるだろう。現に、幸恵はそう思ったに違いない。そうではないと否定するにもどう説明するべきか。いっそ何も言わない方がそれっぽいのか。
 そんなことに頭を悩ませていると和室の襖が開けられた。そちらに目を向けると、大和が立っていた。
 彼は自身の鞄のところまで歩むとそれを持ち上げる。帰るのだ。
「そろそろ帰るわ。風呂入りたいし」
「うん。分かった」
 いつも通り見送ろうとテーブルを支えにして立ち上がり掛けた洋子を大和が制した。
「見送らなくていいよ。お前さん出てきたら、あの家政婦さんまで出てきそう」
 言われて、そうかも知れないと思った。
 洋子からすれば幸恵は家政婦、というよりは家事をしてくれる親戚のおばさんであるが、どうも幸恵は自身を使用人だと思っているようで、まるでドラマや映画の中で見るような行動を取ることがある。
 そんな必要はないと思うが、それを言ったことはない。そういった口出しをするのも気が引けるのだ。
「じゃあ、ここで……」
「おう。じゃあな」
 鞄を肩に担いで部屋を出て行った大和に洋子は違和感を覚えた。
 なぜだろうか、彼が余所余所しく感じたのだ。帰るときに洋子の方を見ないのは今に始まったことではない。帰り際があっさりしているのもいつものこと。なのに、まるで避けられているように感じた。
 幸恵に会ったからだろうか。二人は初対面だ。それにこれまでは洋子が二人を会わさないように気を付けていた。なのに、事前の心づもりもなしにいきなり会わせてしまった。
 どれだけ考えても答えは分からなかった。
 どれほどの時間、そうしていたか。十分、十五分が経った頃、徐に廊下から声がした。
「二階堂さんはお帰りですか?」
「はッ、はいっ!」
 突然のことに洋子は勢い良く返事をしてしまった。だが、幸恵がそれを気にした様子はない。淡々と部屋へ足を踏み入れる。
「あ、あの」
 それに慌てた洋子は制止を謀るが、家政婦はあっという間に畳の上に置かれていたゴミの入ったビニール袋を回収する。
「幸恵さんっ」
 なんとか彼女の気をこちらに向けようと洋子は声を掛けるが、彼女はそれに一瞥をくれることもなく、実に冷静に部屋を片付けていった。そして、その手がビールの空き缶が入っている袋に掛かる。
「あッ――」
 怒られる。
 そう思った洋子だったが、予想に反して幸恵はなにも言わない。それどころか何事もなかったかのように、他のビニール袋同様、回収してしまった。
 机の脚に洋子が隠したあの空き缶も、幸恵の手に拾われて他の空き缶が入る袋に姿を移した。
「お、怒らないんですか……?」
 淡々と作業を続ける幸恵の様子に怒りの気配を感じなかった洋子は疑問を口にする。
 幸恵は、そう問われてようやく洋子に視線を向けた。
「怒りません。飲酒なされたのは、洋子さんではないので」
「どうして、分かるんですか?」
「そうする機会はこれまでにもありましたが、洋子さんは一度も飲まれておりません。もちろん、あの方とのお付き合いの中で飲まれる可能性はゼロではないでしょうがもし、仮にそういった行動をされたとしても、それは非行に走っての行動≠ニいうよりは知的好奇心からのものであろうと私は考えます」
「はぁ……」
 幸恵の言うことは最もだった。酒というものに興味がないわけではない。ただ、酒を飲みたい∞悪いことがしたい≠ニいうよりは、酒を飲むとどうなるのか∞二日酔いの気分とはどういったものか≠ニいった好奇心によるものだ。
「それにより第三者が迷惑を被る場合は私も保護者の権限で注意させていただきますが、ご自宅で飲酒される場合はその可能性も低く、そうする必要はないと判断します」
 幸恵の小難しい言い回しの言葉に耳を傾けていた洋子は、彼女が自分に選択の自由を与えているのだと解釈した。
 要は、他人に迷惑を掛けない場合に限り何をしてもいい、ということだ。
 当然ながらそれにも限度や加減はあるだろうが、洋子は自身を認めてもらったような気がして嬉しく思った。だからだろう、とても晴れやかな表情を浮かべている。
 それを見る幸恵の表情が曇っていることにも気付かずに。/swing/novel/4/?index=1