毒島さん2
前を行く毒島さんの上着に指をかけて軽く引っ張る。
当然後ろに引かれた形となって立ち止まった毒島さんは怪訝そうに眉を顰めるがその顔は笑っていた。
「どうしたの」
飲み会の帰り。二次会へ行く面々とは別れ、帰路に着く毒島さんを追い掛けて「私も帰ります」と言った。
そして連なって歩いていたのだが毒島さんが向かっているのが私の自宅方面だということに気が付いて引き留めたのだ。
以前家がどの方向だとか最寄駅はどこだとかと話をしたのでそこから当たりをつけたのだろう。
何も言わずとも送ってくれる気だったことはありがたい。でも私が〈帰りたい〉と言ったのはそっちではなかった。
この人がえげつない論法で容疑者の自尊心をズタボロにして自供を引き出していることは知っている。そしてそれを心から愉しんでいることも。
容疑者の人権など考慮することはない。かといって違法捜査だとかで相手に付け入る隙を与えない。用意周到、捜査方法は鉄壁。
周囲の人は彼の言動、行動全てに困惑し、苛立ち、警戒し、〈原発〉という綽名まで付けている。有益だが近くに居たくないという意味で付けられた綽名。有益という点においては同意だ。警視庁随一の検挙率。優秀であることは間違いない。
だけど私は、近くにいたくないとは思わない。
「あの、」
「うん」
顔は上げられなかった。毒島さんのゴム底靴の先端がこちらに向く様を眺め、向き合っていることを知る。
飲み会であまり強くない酒を何度も煽ったのはこの為だというのに、いざ二人きりになると気後れしてしまっていた。
「どうしたのよ。珍しいじゃない、山口ちゃんがはっきり言わないなんて。いつもはずけずけ物言うのにさ。それこそ周りが眉顰めるくらい」
そう、普段なら気後れせずに物を言う。それこそ先輩にも上司にも。もちろん礼節は弁えているし、言い方も考えて話す。それでも反感を覚える人はいて、そういう人達は眉を顰める。
だが今から言おうとしてることは、そういった類のことではなく羞恥を伴うことであり、今後のことを考えて気後れしてしまうのだ。
知らず知らずのうちに心臓の鼓動が速くなっていた。酒のせいではなくひどく緊張しているせいだ。
乾燥した唇が気になって舌で湿らせる。
「あの、毒島さんにお話……というかお願いが……」
「なあに」
長々と話すつもりはない。かといってすぐさま口に出来る内容でもない。
時間のせいか辺りに人影はなく、そちらは気にしなくても良さそうだった。
こちらが口を開くのを待ってくれている様子の毒島さんに感謝する。普段ならこちらの言いたいことを推察して先回りされてしまうからだ。
いや、ひょっとするともう気付かれているのでは。
その考えに至っていなかった辺りに自分の必死さが浮き彫りとなり少しだけ冷静になる。
今日が絶好のチャンスだと思ったのは飲み会に毒島さんが参加すると聞いたからだ。
私はもとより強制参加だったけれど、なにがあろうと自由な毒島さんが来るのは珍しかった。これを逃せば次はいつになるだろうと考えたから今日を決行日としたのにここで気後れしてどうする。
そう自分を奮い立たせると拳に力を入れて意を決して口を開いた。相手の顔を見る余裕はなかったが。
「私が帰りたいのは、――の家、で……」
肝心な部分が土壇場で消え去った。
「うん? なに、聞こえなかった」
「私を――」
一つ息を吸い、
「私を、毒島さんの家に連れて帰って下さい」
言い終わって唇が、心臓が震え始める。それはやがて身体にも伝染し、背中が、肩が、腕が手が震え始めた。
緊張の限界だ。
やや沈黙を置いて毒島が息を吸う。
「…………うーん。言ってる意味、分かってるのかしら」
「分かってます」
「あのねあのねあのね、後々問題になるのは流石に僕も困るから。だからはっきりしておきたいんだけど山口ちゃんは僕とどういう関係になりたいの」
正直あまり考えていなかった。
お付き合いするとか結婚するとか、その辺りのことを望んでいるわけではないのは確かだ。
自分がこの偏屈な男に好意を抱いていると気が付いたとき、先のない関係だと思った。
犯人を捕まえて吊し上げることしか考えていなさそうな男だからだ。気を使うとか、周りの目を気にするとかは一切しない。それは今後もそうだろう。誰かと恋愛関係にある毒島など想像できなかった。
それでも膨れ上がる気持ちをどうにかしたかった。
警視庁で見掛ける度、捜査会議で見掛ける度、現場で見掛ける度に目で追いかけてしまう。その声に発言に耳を澄ませてしまう。関わりたくて、でも幻滅されたくないから関わりたくなくて息苦しい。どうにかしたい。
そこで思いついたのが一晩の関係だったのだ。
一度だけ。一度だけ関係を持ってもらってそれを思い出に忘れる。
それが私が好きな人に出来る唯一のことだ。
「一度だけでいいです。お願いします」
羞恥が勝り、大きな声では言えなかったが頭を下げた。毒島さんには届いただろうか。
「うーん」
渋い反応だ。届いてはいたらしい。でもやはり予想していた通り快諾はしてくれなさそうだ。
「ダメ、ですか」
頭を上げたものの視線は地面にやったまま言った。
「ダメというかね。僕は男だから誰と寝たとかあんまり気にしなくていいけど山口ちゃんはそういうわけにはいかないんじゃない。僕と寝たこと、後悔するかも知れないよ」
「しないです」
「おお、即答ですか」
「はい、今日までずっと考えてましたから」
何度も何度も考えた。
これまでの人生で一晩だけの関係を結んだことは一度もない。恐らくは最初で最後のワンナイト。
「はっきりさせるついでに聞くんだけどさ、そういうお願いをしてくるってことはあなたは僕のことが好きってことでいいよね」
「っはい……」
本人から確認されると恥ずかしい。羞恥心から服の裾を握りしめる。
「毒島さんは、私のこと嫌いですか」
意を決して口にする。もしそうならこの後は何も起こるまい。
「嫌い、ってことはないかな。嫌いになる程、関わりがないし、無闇に嫌う理由もない」
そこで一度言葉を切って首を捻る。
「でもねぇ、好かれる理由も同じくらいないかな。同じ班ならまだしも違う班だしね。関わりはないに等しいのになんでってなるよね」
それの解答も既に用意してある。
この男にときめきを覚えたときに散々自問自答した。/swing/novel/4/?index=1