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前を行く毒島さんの上着に指をかけて軽く引っ張る。
当然後ろに引かれた形となって立ち止まった毒島さんは怪訝そうに眉を顰めるがその顔は笑っていた。
「どうしたの」
飲み会の帰り。二次会へ行く面々とは別れ、帰路に着く毒島さんを追い掛けて「私も帰ります」と言った。
そして連なって歩いていたのだが毒島さんが向かっているのが私の自宅方面だということに気が付いて引き留めたのだ。
以前家がどの方向だとか最寄駅はどこだとかと話をしたのでそこから当たりをつけたのだろう。
何も言わずとも送ってくれる気だったことはありがたい。でも私が〈帰りたい〉と言ったのはそっちではなかった。
この人がえげつない論法で容疑者の自尊心をズタボロにして自供を引き出していることは知っている。そしてそれを心から愉しんでいることも。
容疑者の人権など考慮することはない。かといって違法捜査だとかで相手に付け入る隙を与えない。用意周到、捜査方法は鉄壁。
周囲の人は彼の言動、行動全てに困惑し、苛立ち、警戒し、〈原発〉という綽名まで付けている。有益だが近くに居たくないという意味で付けられた綽名。有益という点においては同意だ。警視庁随一の検挙率。優秀であることは間違いない。
だけど私は、近くにいたくないとは思わない。
「あの、」
「うん」
顔は上げられなかった。毒島さんのゴム底靴の先端がこちらに向く様を眺め、向き合っていることを知る。
飲み会であまり強くない酒を何度も煽ったのはこの為だというのに、いざ二人きりになると気後れしてしまっていた。
「どうしたのよ。珍しいじゃない、山口ちゃんがはっきり言わないなんて。いつもはずけずけ物言うのにさ。それこそ周りが眉顰めるくらい」
そう、普段なら気後れせずに物を言う。それこそ先輩にも上司にも。もちろん礼節は弁えているし、言い方も考えて話す。それでも反感を覚える人はいて、そういう人達は眉を顰める。
だが今から言おうとしてることは、そういった類のことではなく羞恥を伴うことであり、今後のことを考えて気後れしてしまうのだ。
知らず知らずのうちに心臓の鼓動が速くなっていた。酒のせいではなくひどく緊張しているせいだ。
乾燥した唇が気になって舌で湿らせる。
「あの、毒島さんにお話……というかお願いが……」
「なあに」
長々と話すつもりはない。かといってすぐさま口に出来る内容でもない。
時間のせいか辺りに人影はなく、そちらは気にしなくても良さそうだった。
こちらが口を開くのを待ってくれている様子の毒島さんに感謝する。普段ならこちらの言いたいことを推察して先回りされてしまうからだ。
いや、ひょっとするともう気付かれているのでは。
その考えに至っていなかった辺りに自分の必死さが浮き彫りとなり少しだけ冷静になる。
今日が絶好のチャンスだと思ったのは飲み会に毒島さんが参加すると聞いたからだ。
私はもとより強制参加だったけれど、なにがあろうと自由な毒島さんが来るのは珍しかった。これを逃せば次はいつになるだろうと考えたから今日を決行日としたのにここで気後れしてどうする。
そう自分を奮い立たせると拳に力を入れて意を決して口を開いた。相手の顔を見る余裕はなかったが。
「私が帰りたいのは、――の家、で……」
肝心な部分が土壇場で消え去った。
「うん? なに、聞こえなかった」
「私を――」
一つ息を吸い、
「私を、毒島さんの家に連れて帰って下さい」
言い終わって唇が、心臓が震え始める。それはやがて身体にも伝染し、背中が、肩が、腕が手が震え始めた。
緊張の限界だ。
やや沈黙を置いて毒島が息を吸う。
「…………うーん。言ってる意味、分かってるのかしら」
「分かってます」
「あのねあのねあのね、後々問題になるのは流石に僕も困るから。だからはっきりしておきたいんだけど山口ちゃんは僕とどういう関係になりたいの」
正直あまり考えていなかった。
お付き合いするとか結婚するとか、その辺りのことを望んでいるわけではないのは確かだ。
自分がこの偏屈な男に好意を抱いていると気が付いたとき、先のない関係だと思った。
犯人を捕まえて吊し上げることしか考えていなさそうな男だからだ。気を使うとか、周りの目を気にするとかは一切しない。それは今後もそうだろう。誰かと恋愛関係にある毒島など想像できなかった。
それでも膨れ上がる気持ちをどうにかしたかった。
警視庁で見掛ける度、捜査会議で見掛ける度、現場で見掛ける度に目で追いかけてしまう。その声に発言に耳を澄ませてしまう。関わりたくて、でも幻滅されたくないから関わりたくなくて息苦しい。どうにかしたい。
そこで思いついたのが一晩の関係だったのだ。
一度だけ。一度だけ関係を持ってもらってそれを思い出に忘れる。
それが私が好きな人に出来る唯一のことだ。
「一度だけでいいです。お願いします」
羞恥が勝り、大きな声では言えなかったが頭を下げた。毒島さんには届いただろうか。
「うーん」
渋い反応だ。届いてはいたらしい。でもやはり予想していた通り快諾はしてくれなさそうだ。
「ダメ、ですか」
頭を上げたものの視線は地面にやったまま言った。
「ダメというかね。僕は男だから誰と寝たとかあんまり気にしなくていいけど山口ちゃんはそういうわけにはいかないんじゃない。僕と寝たこと、後悔するかも知れないよ」
「しないです」
「おお、即答ですか」
「はい、今日までずっと考えてましたから」
何度も何度も考えた。
これまでの人生で一晩だけの関係を結んだことは一度もない。恐らくは最初で最後のワンナイト。
「はっきりさせるついでに聞くんだけどさ、そういうお願いをしてくるってことはあなたは僕のことが好きってことでいいよね」
「っはい……」
本人から確認されると恥ずかしい。羞恥心から服の裾を握りしめる。
「毒島さんは、私のこと嫌いですか」
意を決して口にする。もしそうならこの後は何も起こるまい。
「嫌い、ってことはないかな。嫌いになる程、関わりがないし、無闇に嫌う理由もない」
そこで一度言葉を切って首を捻る。
「でもねぇ、好かれる理由も同じくらいないかな。同じ班ならまだしも違う班だしね。関わりはないに等しいのになんでってなるよね」
それの解答も既に用意してある。
この男にときめきを覚えたときに散々自問自答した。
出された結論はこの男の言っていることが正しいことでしかなかったからだ。
捜査員が手を焼く犯人達に自白させるその話術も容疑者を絞り込むプロファイリング能力も全てがそもそも尊敬に値する。それに輪を掛けたのは彼が声を荒げたり、手や足を出すことがないからだ。
どんな犯人にも淡々と論理的に話を進めていくその様子に心惹かれてしまった。
そうやって考え始めると、大抵は穏やかな顔をしていることや、誰に対しても同じ態度であることが見えてきてそんなところまで尊敬し始めた。
つまり、大抵の人が毒島が毒島たる所以だというところどうしようもなく惹かれてしまったのだ。
ただ、それを本人に語るのは憚られる。なんといっても恥ずかし過ぎるのだ。どうすればこの質問に正直に答えずに済むのかを考えてみたが最適な回答は用意出来そうもなかった。
「刑事として、尊敬しています」
「うーん、それは先輩冥利に尽きるけど、だからって一晩の関係を持とう思うほどでもないでしょ」
「す、好きになるのに理由は要らないと思います」
こんなことでこの男を誤魔化せるとは思っていない。それでもその回答を選んだのは本心でもあったからだ。
好きになるのに理由は要らない。気が付いたら好きだった。
どちらも私が最初に感じたことだった。どこかいいとかここがいいとかといったことは、結局は後付けの理由だ。いつの間にか目で追い掛けていたのが全ての答えだ。
「犬ちゃん相手に言ってるとしたら納得出来るんだけどなぁ」
犬ちゃん、というのは毒島さんの後輩だ。確かに顔はいい。数多の女性が入庁時にときめいていたの知っている。ただ私の好みではなく、顔がいいなぁと思ったに過ぎない。
このまま膠着状態が続くかと思われたが、毒島さんの溜息で終わりを告げる。
「まぁいいか。据え膳食わぬは男の恥ともいうし。あなたがその気でお誘いしてくれているのに断るのも恥を掻かせちゃうわけだからね。流石に家は困るから、適当なところでもいい?」
その言葉でようやく私は顔を上げた。いつも通りの温和な顔がそこにあって、一つ思い切って頷いた。
しばらく毒島さんの後を追うように歩いていると、ラブホテル街に足を踏み入れていた。道路のアスファルトを派手な色のネオンが彩っている。少しだけ視線を上げると「休憩」の文字が見えた。本当にこれから毒島さんとそういうことをするのだと思うと再び緊張が襲ってくる。
「帰りたくなった?」
前を歩いていた毒島さんが振り向いて尋ねる。
慌てて首を横に振った。そんなことあるわけない。せっかくここまで漕ぎ着けたのだ。この機会を失ってたまるものか。
「そっか。うん、ここでいい?」
見上げるとホテル街の中では比較的上品そうなホテルの前に立っていた。どこでも構わないと思っていたので再び頷くと毒島さんも頷いて入り口の自動ドアを通っていく。慌てて後を追い掛けた。
部屋のパネルの前に並んで立つ。
「選んでいいよ」
本当にどこでもよかった。一応、上の方は安めの部屋で下にいくと高めの部屋になっていたがどの部屋だろうとすることは同じなのだ。
眉を寄せて思案していると隣から腕が伸びて一番高い部屋のボタンを押した。
その部屋を示す電気が消えて、代わりに廊下の奥へ誘う矢印に電気が灯る。
「勝手に決めちゃった。行こっか」
選べない私の心を見透かされたようだ。肩を竦めて廊下を進む背中を追い掛けた。
エレベーターに乗り込むと狭い空間に二人きりになる。ここに来るまでも二人きりだったがやはり密室で狭い空間というのは緊張してしまう。エレベーターの角に身体を寄せて立っているとパネルのすぐ横の壁に背中を預けていた毒島さんから視線を感じた。そちらに目を向けると当然ながら目が合う。品定めをするような視線に思わず身体が疼き、慌てて目を逸らした。
「ふふ」
小さく笑いを漏らした毒島さんを見ることが出来ない。きっと気付かれた。これからのことを期待していることも視線だけで感じてしまったことも。
エレベーターが目的の階に着き扉が開く。なのに毒島さんは下りようとしない。先に私が下りるのを待っているのだと解釈した私はその前を通り過ぎた。いや、通り過ぎようとした。
近付いた私の手を毒島さんの手が取る。それだけで心臓が跳ねた。手を繋いだままエレベーターを降り、廊下を歩く羽目になった。
数歩そのまま歩くと、指の間に毒島さんの指が滑り込んできた。いわゆる恋人繋ぎだ。
納まっていた震えが再び起こる。ふわふわと浮ついた気持ちだ。
毒島さんからは鼻歌が聞こえる。ここまで来たので当然といえば当然なのだが、嫌がられているようではなくて安心する。
チカチカと点滅するライトが選んだ部屋だった。
扉を開けて中に入る直前、
「入ったらもう後戻り出来ないよ」
そう足を止めた毒島さんの手を引いて部屋へ誘い返事の代わりとした。
扉が閉まるとすぐさま壁に押し付けられて口付けられる。持っていた鞄を床に落とし、性急なそれに慌てて応える。息継ぎをする余裕がない。必死なこちらと違い、毒島さんには余裕があった。
こちらの口腔を舌で執拗に犯してくるのに、絡ませにいくと逃げていく。
翻弄され続ける私の様子が面白いらしく、時折笑みを漏らしながら入り口でたっぷり骨抜きにされた。
恋い焦がれた相手からの口付けに感じないわけがない。
愛液で下着の中が湿り気を帯びているのを自覚する。ここまで早急に濡れるのはやはり相手が毒島さんだからだ。それだけ自分がこの男を想っているのだと思い知った。
毒島さんの手が臀部の形を確かめるようにそこを撫で上げる。それだけで肌が栗立つ。
そのまま引き寄せられて身体が密着した。
息をするために上に向けて開けた口に再び唇が下りてきて、手で臀部をまさぐりながら、舌で口腔を愛撫される。
このまま入り口で致してしまいそうな勢いである。
やっとの思いで顔を逸らし、口付けから逃れる。
「待ってください。シャワー浴びさせてほしいです」
息を切らしながら言うと、毒島さんの手がするりと取れた。
「ふふ、いいよ」
床に落ちて倒れていた鞄を取り身体を離した毒島の脇を抜けて部屋の中央へ行く。
ソファの上に鞄を置き、ジャケットを脱ぎブラウスとスカート姿になる。
バスルームに向かってる間に毒島さんはベッドの縁に腰掛けた。私と同じ様にジャケットを脱ぎ、ワイシャツとスラックス姿になるとネクタイに手を掛けてそれを緩める為に下に引く。
「なぁに、そんなにじっと見て」
上目遣いにこちらを見遣る毒島さんに言われて見とれていたことに気が付く。
「ふふふ、女の人はこの仕草好きだよね」
言いながら見せ付けるようにネクタイを取り去り、ワイシャツの第一ボタンを開ける。
「シャワー、行かないの?」
「行きます……」
矢鱈と色気を感じるその姿から目が離せなくなっていたが、気を取り直してバスルームへ向かう。
このラブホテルには脱衣所が完備されていた。そこで服を脱ぎ、シャワーから出たときに着るためバスローブを出しておく。
備え付けのボディソープで身を清めて、念入りに泡を流し終えるとそこを後にして脱衣所へ戻る。
タオルで水滴を拭き取り、バスローブに身を包み再び部屋へ戻ると毒島さんはベッドに腰掛けた姿勢から仰向けに寝転がっていた。
「お待たせ、しました」
おずおずと声を掛けると、さして苦労せず腹筋を使って身体を起こす。
「おかえりー」
ひらひらと手を振ったあと、その手で手招きされたので大人しくそれに従った。
近付くと手招きしていた手が私のそれを掴み、まるで慈しんでいるかのように私の手の甲に指を滑らせた。
されるがままでいると、その手が今度は腰を掴む。恥ずかしくなって身を捩ったが、腰を掴んだ手がそれを促した。
その結果、身体が反転し、毒島さんと同じ向きを向く。疑問に思っていると、今度は腰に手が周り後ろに引かれた。
あぁ、なるほど。
足の合間に座らせたいのだと理解して大人しく従うと、腹部の前で毒島さんの腕が交差し、顎が私の肩に埋まる。
首を動かす気配を感じてそこを反らせば、ちゅ、と吸い付かれて思わず肩を竦める。
「あのさあのさ、いい加減僕もしつこいけどさ。本当にいいの。いただいちゃって」
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