黄昏に問う


黄昏時が好きだ。現世と隠り世の境界が曖昧となるこの時間が。自らもその狭間へと迷い込んだ心地になれるのだから。
 廊下の窓からそれを眺める私を現実へと引き戻したのは、想像しえない人物だった。

「名字」
「名前、ですよ。──幽さま」
 愛しい人の声を間違える筈がない。話しかけて下さったのが嬉しくて、頬に熱が集まる。こんな顔、見せられたものじゃない。絶対に振り向くものか。そう思ったところでまた、心地の良い声が鼓膜を震わせた。
「────名前」
反射的に振り向くと、視線がバチッと交わる。彼の顔も、朱に染まっていた。
 愛おしさが込み上げ抱きつこうと歩を進めた。いつもはすぐに避けられてしまうのに、目の前の彼は動こうとしない。
 恐る恐る背中へを手を伸ばし、胸に顔を埋める。少し冷たい体温が自らと溶け合いこのままひとつになってしまえばいいとさえ思った。
「幽さま。好きです。大好きです」
紡がれる言葉はない。代わりに、垂れた髪の毛を優しく撫でられた。それだけで私の心臓は、爆発してしまいそうなほどに高鳴った。
 ──いつか、返ってくる言葉を聞けたなら、その瞬間に死んでもいいと思えるのだろうか。


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