ジャックス
 夢だなってわかるときあるじゃん。今夢見てんだなあみたいな。俺もそういうのわかるほうなわけ。だから自分の体をこう、こう動かそうー、とするけど、ね!動かないから夢だなあってわかったわけ。たっハハハ
 いやいつもの幽体離脱じゃねーよバカ。明晰夢と幽体離脱は違うんだって!何度言ったら、あー、もう。わかったって!動画出すから待ってろってば!
 そんで、ね?くっだらねーと自分でもわかってるんだけど話すこともねーから夢の話していい?他人の夢の話聞かされるのってすげーつまんねーよな、わかるわかる。




 夢を見ていた。
 目の前には縁取りのついた大皿と、茶碗と亀甲の椀がある。小鉢には柴漬けがひっそり置いてあって、お、と密かに思うが声は出せなかった。茶碗には粒の立った白米が品よくおさめられており、亀甲の椀には蛤の味噌汁が湯気を立てている。見るからに美味そうだった。いい匂いもする。大皿にはピーマンの肉詰めが三つ乗っていた。何でこのメニューでピーマンの肉詰めなんだよ。いやべつに食えるけど、夢の中で出てくるならもっと豪華な飯にすれば良くね。
 箸が一膳あったので取ったとき、向かい側に唐突に人影が現れた。漏らしそうなほど驚いたので悲鳴を上げるかと思ったが、体も口も思うように動かなかった。箸も取り落とすことなく手の中にある。
 その男は「絵」だった。ぺらぺらの体で、何が楽しいのかニコニコと笑っている。フード付きのパーカーを着ていた。黒白のパーカーだがよく見るとフードの部分と袖部分には明るいラインが入っており、フードの内側の生地は目の冴えるような青色をしている。肩までつく紫の髪はひとつに括られ、飾りか実用かは分からないが黒いヘッドフォンをつけていた。なんだか生意気な見た目だ。生理的な嫌悪感のようなものがある。

 「俺さあ、麻婆豆腐好きなんだよな」

 その「絵」の口が愉快そうにぱくぱく動いたときに、そんな言葉が飛び出して今度こそ口から心臓がまろびでるかと思うほど驚愕した。それが自分の声だったからである。な、ん。こいつ俺の声で喋ってる。
 勿論、普段の自分の声として認識している声ではない。一般的に脳が認識している己の声の音というものは、耳から入ってきた純粋な音とは異なるものだ。しかしそれが自分の声だと確信してしまったのは、彼がずっと配信をしたり動画の編集をしたりと客観的に「自分の声」というものをただしく認識していたからに他ならなかった。

 「麻婆豆腐ってさあ、難しいよなあ。なんつうの、辛さと甘さのバランスみたいな感じ。下手な店に入ったりすると甘いじゃん。俺辛すぎてもいやだけど麻婆豆腐が甘いのとかめちゃくちゃ許せないタチっていうか。わかる?」

 わかるよ。麻婆豆腐、俺も好き。だがお前は誰なんだ。これは一体どんな夢なんだよ。誰か助けてくれ。内心怯えているが意思とは関係なしに、勝手に手が箸を動かしピーマンの肉詰めの一つを掴む。中を割るとじわぁっと肉汁が溢れ出た。ごく、と唾を飲み込む。それは恐怖からくるものなのか、それとも目の前の食事に対するものなのか最早彼にはよくわからなかった。

 「つーか辛いもの全般が多分難しいんよな。辛すぎるとそれはそれで凶器じゃん。舌への。でも辛くないと存在価値みたいなものが薄れるじゃん。酸辣湯麺もこの前食ったんだけどアレは美味かった。でもこの前別の店で出てきた付け合わせのキムチはめっちゃ甘くてすげえ腹立ったな。うまいキムチも難しいわ」

 ピーマンの肉詰めが口に運ばれた。自分の意思で食べているわけではなかったが、めちゃくちゃうまい。ピーマンの苦みと肉の甘みの調和がとれていた。肉にはスパイスが聞いているのかピリッと独特な辛さのような後味がする。肉汁が唇を濡らした。しゃくり、と歯の間でピーマンの繊維が引きちぎれる音がする。しゃくしゃく、じわ、ごくん。

 「キムチって国産だから甘いんかな。そんなこと無いと思うんよね。店によって味も違うしさあ。麻婆豆腐も全部そう。こう、匙加減みたいなものが俺と合ってるかどうかっていうことだと思うんよ、つまりは」

 相も変わらず目の前の男は流暢に話し続けている。それもまたひどく腹立たしいことにずっと俺と同じ声で話し続けているのだ。話の内容もそっくりそのまま同意できるほど同じ思考で、独特だと指摘される話し方も同じ。まるで自分のコピー品なのかと思うほどであった。白米も口の中に運ばれ、ピーマンの肉詰めはひとつ食べ終わった。

 「なあ、聞いてる?」






 先日念願の3D化を果たし、スタジオでなく自宅でも上半身だけなら3Dの体を配信に反映できることになった。コメント欄だけではなく自分の体の動きがリアルタイムで画面に反映されるのはとても喜ばしい。それでもやっていることは専らマイクラ配信ばかりで、大した変化があったわけではないが。
 ベッドで寝転びながらスマホをいじるとdiscordで社内タイバーの全体チャットだけではなく個人チャットも動いていた。全体のものはしょうもない雑談も多い為に読み飛ばしてしまうが、個人チャットは別だ。すっと指をスライドさせると連絡してきたのは案の定叶であった。どこかがっかりしている自分がいた。叶がどうこうというわけではないが、他の人であったならと思わなくもなかった。

 鳴神裁というバーチャルライバーがにじさんじからデビューしたのはもう随分前になる。個性あふれる箱のライバーの中で、自分の意見をかなり反映できた見た目になったことはきっと幸運だった。神父服に跳ねた襟足。あのママから産んでもらったのもきっと幸運なことだ。マシュマロにはよく「見た目が好きで配信を見始めた」という感想が入っているくらいなのだから。
 つまり、そのわりに鳴神の登録者数や再生数が頭打ちなのは、自分自身のせいだということは痛いほどよくわかっていた。しかし今更直せるのか。口の悪さも喧嘩腰なのも。滑舌が悪いのも。直したらきっと今度こそ、没個性になってしまう。コラボが少なかろうとなんだろうとこの路線で活路を見出すしかない。

 叶はそんな中でかなり鳴神とコラボしてくれている親しいライバーである。FPSが出来ずASMRも出来ない、箱内でのマリカの大会なども下手すぎて早々に離脱した。他のライバーの凸待ち配信に意気揚々と行っても『』
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