いい肉の日


「もうちょっとおつまみ欲しいわね…私ちょっとコンビ二行ってきてもいいかしら?」

「甘露寺、この時間に一人では危ない。俺も行く。」

「イグッティその辺に冨ちゃん転がってるから気をつけて」

「ギユッ」

「伊黒お前わざと踏んだだろ」

「フン、見えなかっただけだ」

「他に欲しいものあったら連絡してね!行ってきまーす!」


日中は太陽光が当たればまだ暖かいと錯覚するが、少しでも曇っている日は首元を撫でる冷気が厳しいこの時期。
本格的に冬が近付いていることを実感し、若干憂鬱にもなるこの季節に、「おでん食べたいね」とグループチャットに流れたなまえの一言を切欠に、俺たちは平日のど真ん中に宅飲みをしていた。
中学からの同級生で職場の同僚でもある俺と冨岡と伊黒、伊黒行きつけの食堂の常連且つ恋人である甘露寺、甘露寺の友人であるなまえ。
たまに宇髄や煉獄、胡蝶姉妹が参戦するが、基本的にはこの5人で集まることが多く、今日は伊黒と甘露寺が二人で暮らす家を会場として提供としてもらっていた。

ローチェストの上に飾られている家主たちの幸せそうな写真の数々に頬が緩む。
もう1年ほど前になるだろうか。
明らかに想い合っているのになかなか恋人同士にならない伊黒と甘露寺を進展させるべく、なまえと俺であれやこれやと策を講じ、お膳立てし、やきもきしながら見守り続けた末に二人から交際スタートの報告を受け、なまえと手を取り合って喜んだ記憶が蘇ってくる。(冨岡は二人の気持ちに全く気付いていなかったため戦力外)
あれだけもどかしい関係を続けていた二人が早々に同棲を始めたのには驚いたものだが、一向に冷めやらぬ幸せそうな様子に友人として心から嬉しく思う。

斯く言う俺もなまえへの想いを自覚してから早1年。
奴らを進展させるための作戦会議と称して二人で飯に行くことも幾度もあった。
決して酒の勢いに任せて過ちを犯すことなどなく、じっくりとなまえの信頼を獲得できるよう努めてきたことは実を結んでおり、好きか嫌いかで言えば間違いなく好かれていると断言できる。
ただ、果たしてそれがなまえにとって友人の域を超えられているのかどうかについては全くもって自信が無い。
もしかして同じ気持ちを抱いてくれているのではないかと自惚れてしまうような言動もあった。
男として意識されているであろう褒め言葉も、喜ばしいことに何度か掛けられたことがあった。
しかし時間を掛けすぎた結果”良いオトモダチ”の枠に収まってしまい、恋愛対象から外れてしまっているのではないかという不安も大きいのだ。
なまえと過ごす時間が余りにも心地よすぎて、失う可能性が1%でもあるうちは自分の気持ちは口にしない方が良いと思ってしまう。
我ながら臆病で情けないことこの上ない。

なるべく誰にも聞こえないように細く溜息を吐き、酔い潰れて床に転がっている冨岡をぼーっと眺めながら、間接視野でなまえの姿を捉える。
コンビニから連絡してきた甘露寺にメッセージを返しているらしい彼女は無言だ。
ソファーの上で体育座りをし、抱えたクッションに顎を埋めて真剣な表情を浮かべている様子を盗み見ていると、可愛いなァ、なんてつい口に出してしまいそうになる。


「あっ!?」


そんな俺の心の内を知る由もないなまえが、スマホの画面を凝視しながら突然声を上げた。


「次の日曜、いい肉の日じゃん!実弥くんお肉好きだよね?」


やけにきらきらとした瞳がこちらに向けられ、どくん、と鼓動が高鳴った。
いい肉の日。
つまりは11月29日。
想いを寄せる相手から振られた話題が自分の誕生日の話で、柄にもなく心が浮き立つ。

今までは自分の生まれた日なんざ、特別執着はなかった。
当日は仕事が詰まっていれば残業も微塵も厭わず、夜も適当にコンビニ弁当で済ませることもザラにある。
まあ職場の同僚連中にお祝いと称して飲みに連れ出して貰えるのは嬉しかったが、どちらかと言えば”仲の良い奴らと集まれる”ということ自体をいつも楽しみにしていた。
誰かの誕生日だと言えば、普段あまり顔を出さない奴も都合をつけて参加してくれる。
そう言えば今年は日程調整の声が掛かってねえな、と思い出すが、まあ無いなら無いで別の機会に集まれれば良いだろう。
別に自分の誕生日でなくとも、誰かを祝うための宴席はいつも等しく楽しい。
成人男性なんて皆そんなもんだろう。

しかし、もしかすると自分の生まれた日をなまえが祝ってくれるのかもしれないという展開に、俺は今どうしようもなく期待を抱いてしまっていた。


「…おう、好き」

「ずっと目付けてた、ちょっとお高めだけどお店も綺麗で良さ気な焼肉屋さんがあってね」

「奢らねえぞ」

「流石にそんな図々しいことは言わんよ。一緒に行かない?っていうお誘いですー」


ずっと実弥くんと一緒に行きたいなって思ってたんだけど、というキラーワードを付け足してくるなまえに、口をつけていた缶ビールを思わず吹きそうになる。
酒のせいもあるのだろうが、明らかに先程よりも赤く染めた頬でこちらの様子を伺ってくるなまえの破壊力に、俺の中の何かが爆発しそうだった。

俺と一緒に行きたいと、事前に目星をつけていた場所。
普段気軽に行けるレベルではないらしいランクの店。
そしてこのタイミングで、二人きりというシチュエーションでの誘い。(冨岡は意識がないのでカウントしないものとする)
そしてなまえは人を喜ばせることに自身も幸せを感じられるタイプの人間だ。
甘露寺の誕生日にも、甘露寺が悩んでいた伊黒の誕生日にも、本人には「誕生日祝い」とは銘打たずに祝いの席を設け、当日ちょっとした演出で主役を立てることが上手かった。
自己満足の過度なサプライズは嫌い、でも日常に溶け込むぐらいのちょっとしたトキメキがあるとその日一日幸せでいられて良くない?なんてほろ酔いで熱く語っていたなまえの顔も鮮明に思い出せる。
加えて、土日祝日が休みの俺たちはこういう突発的な飲み会以外は大体金曜か土曜の約束が多かったが、今回は敢えて日曜夜というダメ押し付き。

焼き肉という色気を感じないチョイスには若干引っ掛かるが、イイニクの日だからと29日にナチュラルに誘うための敢えての選択か?などと、浮かれはじめた脳内に都合の良い妄想が広がっていく。
諸々の条件となまえの反応から察するに、これはそういうつもりで誘ってくれているのではないか。
我ながら気色悪いと思いつつ、ニヤけそうになる口元を隠して必死に平静を装う。
今はなまえとの会話に集中しなくては。


「私の友達さ、なんかあんまりお肉好き!って子いないんだよねー…しかもちょっぴりお高めのところだから誘いづらいし」

「甘露寺はそういうの好きじゃねぇの?」

「いや破産しちゃう」

「あー…そうかァ」


確かにかなりの量を食べる甘露寺を誘うには向かない条件だ。
本人も気を遣って思うように楽しめないだろう。
このメンツで集まるときは大体宅飲みかコスパ良好の店、食べ放題だ。
誰が言い出すでもなく自然とそのような流れになっており、高級店に行くことはほぼ無いに等しい。

このイレギュラーの誘いにどうしても色々と思考が巡っていく。
最大の問題は二人で行くのか、他の奴も一緒なのか。
いや誰かが一緒でも全く問題はない、だが二人きりでの誘いだったらどんなに良いかと期待してしまう。
考え込む俺の姿に不安になったのか、なまえが怪訝な顔でこちらを覗き込んできた。


「ごめん、全然無理にとは言わないんだけど…」

「いやめっちゃ行きてぇ」

「ほんと?嬉しい!イグッティは全然食べられないだろうから可哀想だし、蜜璃ちゃん連れてったら破産確実だし…私と実弥くんの二人でも、いい?」

「…っ、念の為聞くが、冨岡はいいのか?」

「冨ちゃんはお肉よりシャケ派だから放っとこ」

「扱い雑くねぇ?」


話題に出した途端、床に転がる冨岡がフゴッと寝息を立てた。
タイミングの良さに二人で吹き出しながら、早々に待ち合わせ場所を決め、時間を決め、約束を取り付ける。
よだれを垂らしながら寝返りを打った冨岡の顔に適当にティッシュを2〜3枚放りながらスマホを操作していると、たった今なまえから送られてきたカレンダーの通知が入る。
開いてみればタイトルは「いい肉の日♡」と見慣れない記号が末尾に付いており、また胸がぎゅうと締め付けられた。
なんだコイツ。どんだけ焼肉楽しみなんだ。可愛すぎか。
願わくば肉だけじゃなく、”俺との予定”を楽しみにしてくれていたら…と思いながら彼女の様子を伺えば、機嫌良く鼻歌を歌いながらスマホを胸に当てている。
愛らしすぎてうっかり抱き締めそうになる衝動を、歯を食いしばって抑える。
缶ビールの中身とともに胃の奥に邪念を押し流した俺は、伊黒たちの帰りを只管待ち望んでいた。




***




金曜の夕方、普段であればしかめっ面で残タスクと戦っている俺は、比較的穏やかな気持ちでデスクに向かい軽快にキーボードを叩いていた。
次の月曜の朝に多少機能していなくても支障ないように、なんて阿呆な思考で前倒しで仕事を片付けているだけなので、前向きかつ時間に追われているわけではない作業だ。
これも日曜のためだと思えば全く苦にならない。
こんなことが周囲に知られてしまえば良い笑い種だろうな、と考えながら砂糖多めのコーヒーを啜り、あともうひと踏ん張りだけと気合を入れ直したとき、背後に誰かの気配を感じた。


「えらく機嫌良いじゃねーの、不死川センセ」


声を掛けられた方を振り向くと、ニヤつきながらガムを膨らませた美術教師が見下ろしてくる。
残念なことに、人をからかうことが一種の生きがいのような男に絡まれてしまった。
面倒見は良いが基本おせっかいで、こと色恋沙汰に関しては喜んで首を突っ込んでくる宇髄は、こういったことに随分と鼻が利くようだ。


「もしかして今日はなまえちゃんとデートか〜?」

「残念ながら今日じゃねぇ」

「今日じゃねぇってことは近々約束してんのか」

「日曜」

「へぇ、珍しい……って、あ」


お前の誕生日じゃんやべぇ忘れてた!と大声を上げる宇髄に負けず劣らずの声量で声がデケェ!!と叱責する。
いつもならお前もうるせぇだろ、とかなんとか返してくるはずだ。
しかし予想に反し、声のトーンを落として穏やかに言葉を返してくる宇髄に調子が狂う。
本当になまえから誘われたのか、本当に二人なのか、先に告白されてねえのか、と矢継ぎ早に聞いてくる宇髄に事のあらましを説明してやれば、今度は瞳を潤ませて俺の肩を叩いてきた。


「良かったなあ、不死川」

「…おう」

「いやーなまえちゃんも結構やるなあ?女の子の方から誕生日に二人きりで誘ってくれるなんて、よっぽどお前のこと好きなんだろ…めでたいめでたい」

「そうだと良いけどよォ…単純に焼肉誘われただけかもしれねぇし、まだわかんねぇよ」

「いやいや、それなら金曜か土曜に皆で行きゃいいだろ。おばみつは兎に角、俺や煉獄だって明らかに肉好きそうなのに敢えて名前出されてないっぽいじゃん。俺らがいたら多めに出すからなまえちゃんにとってのコスパは上がるのに。やっぱそういうことだろー?」

「おばみつ言うな」

「お前らもついにカップリング成立か…泣けるぜ」


目頭を抑えて本気で涙を浮かべ始めた宇髄に若干引く。
いやまあ、それだけ応援してもらえているということはありがたいのだが。

伊黒と甘露寺の世話を焼いていたとき、実はオブザーバー的な存在として宇髄も一枚噛んでいた。
表立ってはなまえと俺の二人で動いていたのは、お前もなまえちゃんと近付けるチャンスだろーが、と宣う宇髄のおせっかいからであり、結果その通りなまえと親密になれたのだから、内心ではコイツに頭が上がらない。
数々の人の色恋沙汰に首を突っ込んできた宇髄にお墨付きを貰えることは非常に心強くもある。
良い報告ができりゃ良いなあ、なんて思わず口に出すと、わしゃわしゃと人の頭を撫でながら肩を組んできた。
流石に2mの大男にされる行為としては鬱陶しすぎたので、とりあえず軽く殴って身体を引き剥がし、俺はデスクに向かい直したのだった。




***




「実弥くんごめん、待った?」

「いや、俺もさっき着いた。てか遅れてねえから謝んな」


待ちに待った日、約束の5分前に現れたなまえが俺の姿を見つけるなり髪を靡かせて駆け寄ってくる。
まるで恋人同士のようなこんなやり取りも別に初めてではないのだが、今日は特別意識してしまう。
緩む頬を引き締めながら少し乱れたなまえの髪を撫でてやると、ふとあることに気が付いた。


「髪ちょっと変わったかァ?」

「え、わかる!?今日は日中美容室行ってたんだ。ちょっと揃えて染め直しただけなんだけど」

「前も良かったけど今の色いいな。似合ってる。」

「おお…流石女子力高い系男子と評判の実弥くん。褒め上手。」

「おいそれ初耳だぞォ何勝手なこと言ってくれてんだ」

「やっば口が滑ったごめんごめん。嬉しいよありがとね」

「誤魔化せてると思ってんのか!」


いつも通り軽口を叩きながらなまえの隣を歩いていると、ショーウィンドウに映った俺たちの姿が視界に入る。
ガラス越しに目にした自分がやけに穏やかな顔を浮かべていて、なまえと一緒にいるときはこんな腑抜けているのかと不意に頬が熱くなる。
だがまあ客観的に見れば、俺たちは結構お似合いなんじゃねえか…なんて考えが浮上してくるあたり、ああ、自分でも相当重症だと自覚した。
我ながら阿呆だと思いつつ、連れ立って歩いているときも、店に入ってからも、肉を焼いているときですら締まり無く基本笑顔のなまえも相当浮かれているなとこっそり苦笑する。
まあ、なまえは大体いつもこんな感じだからこそ一緒にいて安らぐのだが。
今日は取り分け機嫌がいいのは念願の店に来られたからなのだろうが、それだけでなければ良いと思ってしまう。


「実弥くんと一緒だといっつも楽しいなぁ。本当ありがとね」


トング片手だろうが、食欲を唆る煙に塗れた中だろうが、想い人に蕩けた顔でそんな台詞を言われて平然としていられる男がこの世に何人いるのだろうか。


「…じゃあ、俺と付き「お待たせしましたこちら黒毛和牛のユッケです」………」


空気を読まない店員の颯爽とした登場により「じゃあ俺と付き合うか?」と言いかけた言葉は見事に遮られてしまった。
わざとじゃねえのかと思うほど絶妙なタイミングと声量で被せてきた店員に若干苛立ったが、ユッケに目を輝かせるなまえの様子を見て、却って今じゃなくて良かったと思い直す。
この場で伝えるには、色気もへったくれもあったもんじゃねえ。
何より黒毛和牛には勝てる気がしねえ。
今日のこの約束を取り付けてからずっと心急く思いだが、今は幸せそうに皿を開けていくなまえの表情を堪能することに集中していようと、自分の心に波立つ想いをじっと抑え込むことにした。


「ああ〜……満足感半端ないよ」

「めっちゃ美味かったな」


テーブル会計の際に、食ってる量が違うから多めに出すという俺と、誘ったからには自分が多めに出すというなまえで暫し平行線を辿る小さな喧嘩はあったものの、間をとって割り勘で決着した俺たちは充足感の中で店を後にしていた。
往路と同じ道を辿って駅に繋がる大通りに出ると、休日のまだ比較的早い時間だけあってそれなりに人が多い。
逸れんなよォ、と声を掛けると小走りで距離を詰めてくる様がまた可愛くて、一体いつになれば俺はなまえに触れられるのかと歩きながら悶々としてしまう。
いや、欲求不満か、ガキか!と自身にツッコミを入れながら人混みを縫って歩いていると、行きよりも遥かに早い体感時間で駅に着いてしまっていた。

この後は2軒目に行くのか、いや、焼肉の後で行ける店は限られているからどちらかの家で宅飲みの方が気楽か。
今日誘ってくれたなまえが何か考えてくれているのであればそれに従おうと思い身体ごとなまえに向き合うと、何か思案している様子が見て取れた。


「実弥くん、明日もお仕事だよね?」

「あー、まあそうだなァ」


でも別にまだ時間はある、と口を開こうとしたとき、先になまえが言葉を紡ぐ。


「来週も1週間頑張ろうね。私も明日朝一重たい案件入っててさ」

「……お、う?」

「でも今日いい肉の日堪能できたから頑張れそう!今日はちゃんとお風呂にお湯溜めて早めにぐっすり寝ようかな」

「……いいな、それ」

「うんうん、実弥くんも今日はお風呂張りなよ。っていうか日曜の夜に付き合ってくれて本当にありがとね。またご飯誘っても良い?」

「いつでも歓迎だァ。俺も誘う」

「へへ、嬉しい。待ってるね。それじゃ、おやすみなさい!」


おやすみなさい。
その一言で、つい先程まで浮かれきっていた自分が一気に現実に引き戻される。
例えるならば、頭から冷水を掛けられたような、足元がガラガラと音を立てて崩れていくような、そんな感覚だった。

今の会話でいよいよ決定的になった。
今日、なまえがどういうつもりで俺を誘ってくれたのか。
俺が如何に恥ずかしい自惚れをしていたのか。
なまえは純粋に焼肉が好きで、ただ単純に「いい肉の日」に気になっていた店に行きたかっただけで、俺は光栄なことにその相棒に抜擢されただけで。
本当にただ、それだけのことだったのだ。

眩しい笑顔で俺に手を振り、改札に向かおうとするなまえの姿を眺めていると様々な感情が沸き上がる。
自惚れていたことへの羞恥、焦がれるような思慕。


「なまえ、待て」

「、どうかした?」

「…送ってく」


それらを一旦振り切り、努めて冷静に振る舞い、俺は遠慮するなまえを丸め込んでしっかりと自宅前まで送り届ける任務を遂行した。
自宅のドアを開ける寸前になまえが「忘れてた!これ、プレゼント」と言い出したときは再度阿呆な思考が蘇りかけたが、掌に乗せられたブレス●アに再び現実を見る。
「私のせいで生徒さんたちに先生ニンニク臭ーい!とか言われてほしくないからさ、貰ってよ!」と良い笑顔で言われ、気が利くんだか利かねえんだかわかんねえ!!と叫びだしたくなる衝動を必死で抑え、ありがたくそれを受け取ることができた自分を褒めてやりたい。

送ってくれてありがとね、と礼を告げてくるなまえに、本当は今日この残り時間、お前と一分一秒でも長く一緒にいたかったからここまで来た、なんて本音は告げられなかった。
誕生日の夜、俺は想定よりも大分早めに予定を終えてしまい、重い足取りで帰路についたのだった。

翌朝は「昨日お楽しみだったろ〜?重いもん運ぶときは手伝ってやるからな!」と盛大にからかいながら腰をバシバシと叩いてきた宇髄を締め上げる気力すら沸かず、俺は金曜の夜に想定していたのとは若干違う形で機能していなかったのだった。




***




浮かれまくっていた分、見事に撃沈していた俺があまりにも見ていられなかったのか、翌日俺は宇髄に連れられて通い慣れた店で酒を煽っていた。
良い報告ができれば、なんて言った手前、あまりにも恥ずかしい結果に耐えられずグラスを煽る手が止まらない。


「知らずにからかって悪かったって…不死川、そんなヘコむなよ。」

「ヘコんでねぇ」

「テーブルに顔突っ伏してジョッキ握りしめてるやつの台詞じゃねーぞ」

「うるせぇ、俺はなあ、誕生日どうこうじゃなくて、俺自身の気色悪さにヘコんでんだよ……!!」

「やっぱヘコんでんじゃねーか」


まあ確かにちょっとキモかったもんな金曜のお前!と掌返しをしてくる宇髄に純粋に殺意が芽生える。
自覚はしているものの、人に言われると無性に腹が立つものだ。
拳を卓に叩きつけてぎろりと睨みつければ、宇髄が真っ青になって枝豆を取り落し謝罪してきた。


「今思えば、確かに去年はなまえちゃんお前の誕生日飲みいなかったもんなあ、知らなかったんなら仕方ねーよ。確かあの1週間ぐらいは出張でめちゃ忙しいって言ってたっけか?」

「…おう、そうだったなァ…」

「お前あの日も結構ベロベロだったよなー。来ねぇって何回も言ってんのになまえは?なまえいつ来んだァ?なまえー?って五月蝿かったわ」

「おい適当言ってんじゃねえぞォ」

「いやマジだって。覚えてねーの?」

「…………」

「はい、重症ですね。お薬出しておきましょうねー。スイマセーン生2つ」


巫山戯た口調でからかいつつ、俺の空いたグラスの分も注文してくれる宇髄はなんやかんや良い奴だと思う。
落ち込んでいた俺をこうして飲みに連れ出してくれるような面倒見の良さもあり、同性からも好かれているし、顔立ちも整っているし、異性の扱いも心得ているし、クソ程モテているのは人間として有り余る魅力があるからだろう。
なまえも、宇髄のような男が好きなのだろうか。
失う可能性があるのならばいっそ良いオトモダチのままでいい、なんて思っていたくせに、なまえが他の男を想っているのかと思うと胸が苦しくなる。
友人想いで、人を気遣うのが上手くて、笑った顔がめちゃくちゃ可愛いなまえが、俺以外の男の隣にいるところなんて想像したくもない。
序盤からハイペースで流し込んでいたアルコールがじわじわと効いてきている。
ネガティブな妄想によって摂取した水分が目から溢れそうになり、いよいよ自分の女々しさに嫌悪感が限界突破しそうだ。


「わり、ちょっと風当たって酔い醒ましてくるわ…」

「おー、行き倒れんなよ」

「おう…」


心配そうな目を向けてくる宇髄に申し訳なく思いながらもふらりと席を立って店の表に出る。
大通りから一本入った通りに面したこの店の前はあまり人通りがない。
積み上げブロックの花壇のへりに腰掛け、身体に溜まったアルコール混じりの空気を冷たい外気と交換する。
黒いアスファルトを見つめているとぐちゃぐちゃと考えていた頭が少し冷静になっていくような気がした。

結局今回は俺の自惚れで、なまえとは何の進展も無かった。
だが後退した訳でもない。
なまえを他の男に取られたくないという自分の強い想いも改めて自覚した。
だったら失う可能性があろうがなかろうが、いい加減俺から一歩踏み出す勇気が必要だろう。
ああでもやっぱり失いたくない。

巡らせてはヘタレ地点に立ち戻る思考に頭を抱えていると、店の引き戸が開く音が耳に入った。
店の前で項垂れる男の姿は不審に思われるだろうが、最早どうでも良い。
近付いてくる足音も気に留めず頭を抱え続けていると、頭上から声が降ってくる。


「そこのかっこいいお兄さん、お隣良いですか?」


確実に俺のことではないだろう。
それか嫌味か冷やかしとしか思えない。
普段なら完全に無視しているところだ。
だが聞き覚えのある、ありすぎる声に俺は勢いよく顔を上げた。


「…なまえ、なんで」

「酔っ払ってるねえ」

「うお冷めてっ」

「ふふふ、冷え性舐めんな?」


この状況を脳が処理する前に、ぴた、と冷たい手が頬に当てられたことに色々と驚く。
その冷え具合にも勿論だが、普段はみだりに触れてくることなど決してないなまえの意外な行動に、そもそもなまえが目の前に現れたことに頭の中が混乱を極める。


「奥のお座敷で蜜璃ちゃんとご飯食べてたんだ。さっきお手洗い行ったら宇髄さんに会ってびっくりしたよ。」

「そ、うか…」

「席で女の人たちに逆ナンされてたけど大丈夫?イケイケのお姉さんが実弥くん戻ってくるの待ち構えてるっぽかったよ」

「うっわ面倒くせぇー…絶対戻りたくねぇ…」


先程とは別件で頭を抱えている俺の様子も意に介さず、なまえは「でも美人さんだったよ?」なんて言いながら、いつもより近い距離で俺の隣に腰掛けた。
少しばかりイラついたその言葉に文句のひとつでも言ってやろうと思ったが、軽くぶつかった肩が触れ続けていて、滲んでくる体温が心地よくて息を飲む。
視線を上げると口を尖らせながら横目で見てくるなまえと目が合う。
先程の言葉はどういうつもりでを俺に言ったのだろうか。
それを俺が問う前に、先に口を開いたのはなまえだった。


「ごめんね、日曜日…お誕生日だったのに。知らなくて、お祝いできなくてさ」

「っ、宇髄が余計なこと喋りやがったなァ…」

「いや、蜜璃ちゃんに聞いたの。29日に実弥くんとご飯行ったんだーって話したら教えてくれて」

「あれ俺いまなんか墓穴掘ったか」

「?や、なんかわかんないけど…やっぱり怒ってたんだよね?」

「怒ってねぇよ」

「ほんと?」


不安そうに見上げてくるなまえに申し訳ない気持ちが溢れる。
別にお前がそんな顔をする必要はないんだ。
ただ、俺が勝手に浮かれていただけで。
ガキじゃあるまいし、誕生日祝われなかったぐらいで怒るわけねえだろ、と伝えると、強張っていたなまえの表情が少し緩む。


「もー言ってよねそういう大事なことはさぁ!知らなかった私が悪いんだけど」

「いやなまえ何も悪くねぇし」

「ていうかそんな大事な日だったなら断ってくれて良いんだよ。次からは遠慮しないで言って?私と実弥くんの仲じゃん」


困ったような顔で笑いかけてくるなまえを見て、またなんとも言えない感情が俺の心を覆う。
もどかしい。
ずっと近くにいたはずなのに。
いつもより近い距離にいるのに。
なかなかなまえの心に俺の気持ちは届かなくて、もどかしさでどうにかなってしまいそうだ。

少し勇気を出せば触れられる距離にいる。
一歩踏み出すべきだ、さっきそう自分の中で決めた。
左肩に感じる熱は千載一遇のチャンスで、これを逃せば一生”良いオトモダチ”から抜け出せないかもしれない。
不本意ながら酒の力も相まって、俺は遂に覚悟を決めた。


「なまえだから、だ」


冷え性だというなまえの右手に、自分の左手を重ねた。
少しでも暖めてやりたくて指を覆うように撫でると、なまえの手が少しだけぴくりと跳ねる。
嫌がってる素振りも逃げる様子もないその反応に、調子に乗って指を絡めてみるとなまえが息を飲んだような気がした。


「あの日は、なまえと二人で過ごせたらどんなに良いかって思ってたからよォ…誘ってもらえて嬉しかったんだ」

「、え…」

「俺はなあ、なまえと一緒にいられるだけで滅茶苦茶幸せ感じられるんだよ」

「…それって…」

「でも正直…正直なァ、もしかしたら只の男友達からもう一歩昇格できるんじゃねぇかって勝手に期待もしてた。お前、仲間内の誕生祝いいっつも気合入れてたし。そんで今回は二人で、って誘いだったからつい勘違いして舞い上がってて…それで、今日はちょっと飲みすぎただけだァ…!!」


一思いに捲し立てた正直な気持ちのあまりの恰好悪さに、右手で顔を覆う。
あーダッセェ!と声に出してしまうぐらいには耐え難くて、いっそ誰かこの場で殺してくれと思うほどの羞恥心が込み上げてきた。
実際はそこまで長くは無かったであろう静寂の時間が、俺には絶望的なほど長く感じられる。
皮膚を刺すような、身体の内から硬化していくような得も言われぬ苦しさに呼吸もままならない。

そんな沈黙を破ったのは、なまえがか細く俺の名を呼ぶ声だった。
普段は彼女の口から奏でられるだけで特別に感じられる響きが、それが今はあまりにも弱々しく発せられていて、次に紡がれる言葉が怖くて仕方がない。
嫌だ。離したくねぇ。
でも、離さなければいけないかもしれない。
もう一度、実弥くん、と呼び掛けられ、なまえと繋いだままの手に力を込める。
酸素は吸えているはずなのに苦しい。
なまえが再び口を開いたときに頂点に達した緊張に、本気で死ぬのではないかとさえ錯覚した。


「良かったら、もう一回私とデートしてくれませんか」

「……は、…デ、」

「いやですか「やじゃねぇ」…食い気味じゃん」


俺たちの会う約束を初めて”デート”と表現したなまえを、つい穴が空くのではないかという程見つめてしまう。
ついこの間、勝手に期待して、思い上がって、それが叶わずヤケ酒して。
恰好悪いことこの上ないと反省したばかりの俺の胸の内で、また性懲りもなく期待が沸き立っていく。
先程の俺の言葉の意図も理解してくれていて、その上で発せられたであろうなまえの言葉に反応して、心臓が早鐘を打っていた。


「じゃあ、次の金曜の夜とか空いてますか」

「アイテマス」

「なんで敬語」

「うるせぇなまえも敬語だろォが」

「…大分遅れちゃうけど、今度こそ、実弥くんのお誕生日お祝いさせてもらっても良いですか」

「…お願いします」

「ふ、あはは、やっぱなんか敬語おっかし」


なまえがけらけらと笑いだし、先程までの緊張の糸がぷつりと切れる。
額を軽く小突いて咎めてみても、彼女は変わらず花が綻ぶような笑みを浮かべ続けている。
まあ自分はこの笑顔に惚れこんでしまっているのだから、やめさせる必要もないだろう。
そう思い直し、指の背でそっと彼女の頬を撫でると驚いたように一瞬目が見開かれる。
そして直ぐに受け入れるようにはにかんでくれる様子がまたいじらしい。
鳩尾のあたりから熱く溢れてくる感情の止め方も、止める必要も、今の俺には全くわからなかった。


「なあ、やっぱ今祝ってくれねぇか」

「え、それは無茶振りすぎない?まだ何も用意してない、よ…!」


慌てふためくなまえと繋いだ手を自分の方に引き寄せれば、いとも簡単に捕獲に成功する。
酒のせいか思いの外強く引っ張りすぎてしまい、俺の胸板に顔を埋めたなまえから「んぶっ」と色気の無いくぐもった声が聞こえてきた。
しかしそれすらも愛おしい。
撫で心地の良い艶髪に頬を寄せれば仄かに甘い香りが鼻腔を掠める。
いつもの距離では感じられなかったその香りに、余計に酔いが回っていく。
五感で感じる全ての感覚が、なまえへの恋情を掻き立てていくような気さえしてしまう。

絡めていた指を解き、全く抵抗する素振りを見せない彼女の身体を腕の中に閉じ込めれば、柔らかい掌が俺の背を撫で、ぎゅう、と抱きしめ返してきた。
これは、今度こそ自惚れてもいいんじゃねぇか。
店の中から宇髄のものらしきデカい笑い声が遠く漏れ聞こえてくるが、今は自分自身の鼓動の方がやけに響いていた。


「……プレゼントはワ、タ、シみたいなこと?」

「ありがたく頂戴するわ」

「ええええ」

「なまえ、こっち向け」


少しばかり身体を離すと、冷えた夜気が俺たちの間に滑り込む。
一瞬離れてしまった熱が無性に恋しくて、ごつ、と額を合わせながら再び柔らかい身体を抱き寄せた。
至近距離でなまえの顔を見つめれば、濡れた瞳が誘うように揺れている。
吸い寄せられるように近付いていき、鼻先同士を触れさせてみても、なまえが逃げる様子は全くない。


「…嫌じゃねぇかァ?」

「ここまできて聞く?」

「無理強いは本意じゃねぇ」

「嫌なわけ、ないよ」


分かりきった質問を敢えて投げかける俺はずるい男だと思った。
だが今日だけはどうか許してほしい。
目の前の白い頬に落ちる睫毛の影に見蕩れていれば、待ち侘びた感触がじんわりと唇に広がっていく。
自ら触れてきてくれたなまえの背を支えながら、1ミリの隙間もできないように掻き抱けば、応えるように彼女の腕にも力が籠もるのを感じた。

恋い焦がれた愛おしい存在から、同じように気持ちを返してもらえる。
そんな、数時間前までは味わえるなどとは思ってもみなかった、夢のような時間に没頭していく。

途方も無い幸せを噛み締め、俺はこの世に生を受けたことを心の底から感謝した。




 いい筋の素敵な貴方が生まれてきてくれた日





(なまえちゃーんそろそろデザート頼もうとおもっ……キャーーーーッ!!!お邪魔してごめんなさい!!)

(うわわわわ蜜璃ちゃん!!ごめん!!むしろごめん!!)

(甘露寺、この後なまえ借りていいか)

(もっもも勿論よ!!心置きなく美味しく頂いちゃってね!!)

(蜜璃ちゃん動揺してるんだろうけど凄いこと言ってるよ!?)

(おー、イタダキマス)




2020.11.29
HBD!不死川実弥



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