鳥の囀りが聞こえる。 閉じた瞼をすり抜けて入ってくる光が朝を迎えたことを告げる。 昨夜はカーテンを閉め忘れたまま眠ってしまったのだろう。 アラームがまだ鳴っていないということは、起きるのには未だ早い時間ということだ。 それでも早起きは三文の徳と言うし、せっかくだから起きてしまおうか。 そう思うのに身体がやたらと重い。 まるで誰かにのしかかられているような苦しみだ。 これはまさかの心霊体験だろうか。 重たい瞼をなんとか持ち上げると、金縛りだと思っていたものの原因が視界に飛び込んでくる。 「おはよう、なまえ。今日もお前は世界一可愛いな」 それは私の身体に跨り、胸元のボタンを外しにかかっている最中のド変態だった。 「ふざけんな変態馬鹿兄貴ーッ!!!!!」 「んぶッ!!」 【もしも変態が兄だったら】 1つ歳上の兄はシスコンという言葉では到底片付けられないほど私に執着している。 両親も姉も天然なのか何なのか「兄妹仲良しで私達も嬉しいわぁ〜」で片付けているが、私自身は兄と仲が良いつもりはないし、最近エスカレートしている行為に辟易している。 最悪なことに高校生になってからは徐々に性的な嫌がらせに発展してきているが、身内はアテにならない上に、真剣に相談すると大事になりそうでそれはそれで怖い。 仕方なく自衛に努めているが、既に着替えを覗かれる・風呂を覗かれる・胸やら尻やらを揉まれるといった被害には一通り遭ってしまっている。 彼氏を恫喝して無理矢理別れさせられる等の嫌がらせにも合い、3人目の彼氏との交際終了時点で、兄の目の届く範囲で生活している間は恋人を作ることも諦めた。 告白されている場面にも何故か乱入してくるようになったので、作ろうと思っても作れないという理由もあるが。 高校を卒業したら県外の大学に進学したいが、確実に兄の妨害に合うだろう。 両親も過保護で女の一人暮らしに良い顔をしないだろうと予測がつく。 果たしてこの地獄の日々はいつまで続くのだろうかと溜息を吐くと、隣からスゥーッと勢いよく息を吸い込む音が聞こえた。 「安心しろ。なまえが逃した幸せは俺が全て吸い込んでおいた。俺がなまえを幸せにして還元してやろう」 「今すぐ視界から消えてくれたら幸せになれるんだけど」 「反抗期真っ盛りななまえも可愛いな」 「うざい」 「ツンデレ最高」 「シスコン最悪」 「俺はシスコンじゃない。なまえのことは妹ではなく一人の女として見ている」 「それが最悪なんだよ!!!思ってても口に出さないでよ気色悪い!!!」 剣道部の朝練をサボってまで無理矢理一緒に登校時間を合わせてくる変態を振り切ろうと速歩きでずんずんと歩を進める。 軽く息が上がってくる私と違い、この変態は体力馬鹿で全く息切れせず歩調を揃えてくるのだから苛立ちが募って仕方がない。 無駄だとは分かっているが離れろ隣を歩くなと文句をつけ、ぎゃあぎゃあと校門近くで揉めていると、視界の端に宍色の髪の後ろ姿を捉えた。 「錆兎先輩!おはようございます!」 「お!なまえ、義勇、おはよう」 「おはよう錆兎」 「この変態2年の教室まで連れて行ってください!!ついでに朝練サボったお説教も!!」 「……義勇はもう朝練不参加がデフォルトになってるけどなあ」 「甘やかさなくて大丈夫です」 「なまえが朝練の時間に一緒に登校してくれるならちゃんと参加する」 「黙れ変態。それでも男か」 「そうだぞ義勇、男ならな……」 上手いこと錆兎先輩のスイッチを押して、変態にお説教してもらいながら教室へ引き摺っていってもらう、という狙いを成功させる。 朝練を終えて道場から出てくる錆兎先輩を捕まえられた日はいつもこうして変態から離れられる。 錆兎先輩を捕まえられなかった日は、大抵変態が私の教室までべったりと着いてきて同級生に白い目で見られるはめになる。 なんとか回避できた今日は結構ツいている方だ。 朝の大仕事を終えた私は再び盛大な溜息を吐き、肩を落とした。 「なまえちゃんおはよう!」 「おはよう蜜璃ちゃん」 「今日もお兄さんすごかったわねー!」 「はは…」 あんな変態を兄に持つ私を労りながら友達でいてくれる蜜璃ちゃんは本当に天使だ。 可愛くてスタイルも良くて、底抜けに明るくて優しい。 一部の女子生徒から私は兄とベタベタし過ぎだと呼出を受けたり嫌がらせをされたりしているが、蜜璃ちゃんはそんな女の嫌な部分を一切持たない素敵な子だった。 日々変態のせいで地獄を見る私の心のオアシスだ。 「あーっ!伊黒先輩だあ!おはようございます!」 「おはようございます」 「おはよう甘露寺、冨岡妹」 蜜璃ちゃんは大好きな伊黒先輩と何やら話し込んでいる。 そして相当きゅんきゅんしている様子だ。 ただでさえ可愛いのに、恋する乙女モードに入った蜜璃ちゃんは更に魅力的な笑顔を浮かべていた。 天使すぎる。 今すぐ抱きしめたい。 そんなことをすれば彼女と楽しげに話しているオッドアイの男前にネチネチと嫌味を言われるのは分かりきっているので、見つめるだけで我慢しておくが。 それにしても何故この二人は付き合わないのだろう? 誰が見ても両想いなのは明らかだ。 そう思いながらお似合いカップル(予定)をぼんやり眺めていると、後ろからよォ、という声とともに脳天に全く痛くない手刀を食らう。 「おはようございます不死川先輩」 「はよ、その疲れ切った顔の原因は兄貴かァ?」 「流石。お見通しですね」 「……本当にお前も大変だな。今日の昼、久々に行くか?」 「行きたいです!」 「じゃいつものところでな」 ぽんぽん、と軽く私の頭を叩いて微笑んだ不死川先輩は2年生の下足箱の方へと消えていく。 相変わらず顔が良い。しかも優しい。 不死川先輩の笑顔は私の心の清涼剤だ。 兄の相手で疲弊した心がすうっと穏やかになる。 彼女になりたいだなんて烏滸がましい考えは持たないようにしているが、あんな男前に優しくされるとグッと来てしまう。 はあー…と本日3回目の深い溜息を吐くと、伊黒先輩と話し終えたらしい蜜璃ちゃんが何か良いことあったの?と聞いてきた。 こてん、と小首を傾げる様も天使過ぎて更に心が浄化されていく。 ちょっとね、と誤魔化すと、気になるよ〜!と腕に抱き着いてきてくれる蜜璃ちゃんとじゃれ合いながら同じ教室への道のりを一緒に歩む。 本当に蜜璃ちゃんと不死川先輩の存在が私の日々の支えだ。 今日の授業は2限目に苦手な数学があるが、彼女と同じ教室で授業を受けられることと、不死川先輩との昼休みの約束を想うと頑張れる気がした。 *** 待ちに待った四限終了を告げるチャイムが鳴る。 蜜璃ちゃんには事前に今日のお昼は一緒に食べられない、と伝えておいた。 急いで教室を出なければ兄の襲撃に合ってしまうので、自分のお弁当を持って早々に約束の場所へと向かう。 「わりィ、待たせたか」 「いえ、私が兄に遭わないようにめちゃめちゃ早く教室出てきただけなので」 本当に大変だなァ、と言いながら不死川先輩は屋上への扉の鍵を開けてくれている。 以前、何故この立ち入り禁止の場所の鍵を持っているのか聞いたとき、俺は素行の良い生徒じゃねェからなァという曖昧な回答が返ってきた。 ニヤリと笑うその悪そうなお顔も素敵でそれ以上追求できなかったが、まあ追求したところで何か得るものがあるとも思えないのでその件については深追いしないことにしている。 音を立てないように慎重に扉を開く不死川先輩に続いて私も外へと身体を滑り込ませる。 開けるときと同様に静かに扉を閉め、円筒錠のつまみをそっと横向きにすればミッションコンプリート。 幸いにも空は快晴で、心地よい風が微かに感じられる。 屋上ランチにはうってつけの気候だ。 私は持参したお弁当を、不死川先輩はコンビニで調達したであろうパンを袋から取り出す。 それだけで足りるんですか、と聞きながら遠慮する不死川先輩に唐揚げをお裾分けしたり、伊黒先輩と蜜璃ちゃんをなんとかくっつけるための作戦会議をしたりと楽しい時間が過ぎていく。 不死川先輩は変態についての愚痴も話せる数少ない相手であり、私の溜め込んでいたストレスがかなり解消される。 お腹は満たされ、心は軽くなり、良い気分で昼休みの残りの時間をのんびりと過ごせそうだ。 「あ、わりィ忘れてた。温くなったかもしれねぇ」 「?」 ほらよ、と投げて渡されたのは私の好きなカフェオレの紙パックだった。 屋上に来る前に購買で買ってきてくれたのだろう。 お礼を言うと、あのアホ兄貴と毎日戦うの大変だろォ充電しとけ、なんて言葉が返ってきた。 不死川先輩は自分の分のカフェオレも買ってきていたようだ。 ストローを咥える横顔もやたら色っぽいなあとこっそり様子を盗み見ながら私もカフェオレに口を付ける。 憧れの先輩と並んで同じものを飲み、食後の時間をまったりと過ごせるなんて幸せだなあと思うと自然と溜息が漏れた。 家よりもリラックスして過ごせるこの空間が愛おしくてたまらなくて、思ったままの言葉が私の口から溢れ出す。 「私、不死川先輩の妹に生まれたかったです。こんなお兄ちゃんなら毎日幸せなのにな…。」 絶対に叶わないと分かりきっているくだらない願望だが、不死川先輩なら受け止めてくれるだろうと思った。 可愛がってもらっている自覚はあるので、もう妹みたいなもんだろ、俺のこと兄貴だと思って甘えていいぞとか、そんな言葉が返ってくるのではないかと期待していた。 そんな私の妄想に反して、当の不死川先輩は眉間に皺を寄せて不機嫌そうな声を漏らした。 「俺はお前が妹なんざ絶対ェ御免だぜ」 「ええ、ひっど…!?まあ、確かに不死川先輩には何もメリットないですけど」 「そうじゃねぇよ」 思っていた反応と真逆の言葉が返って来て軽くショックを受け、そっぽを向いた私の二の腕を不死川先輩が掴んで引き寄せる。 突然のことで身体のバランスを崩しかけたが、先輩の力強い腕が私の身体を支えた。 反射的に顔を上げると整ったお顔がすぐ近くにあった。 驚いて目を見開く私とは対照的に目を細める先輩が色っぽすぎてくらくらする。 至近距離でなまえ、と低く甘い声で名前を呼ばれて、背筋に甘い痺れが走った。 太陽を背にしている先輩が作る影が私の顔を覆っていく。 どくん、と心臓が高鳴るのと同時に、唇に柔らかい感触が降ってきた。 カフェオレの甘ったるい味が2倍になったように感じる、そんな錯覚すら覚える甘いキスだった。 固く目を瞑り、若干パニックになりながら不死川先輩のシャツをぎゅっと握ると、ふっと漏れ出た彼の笑みが私の唇を擽る。 「妹だったらこんなことできねぇだろ」 Q.もしも変態が兄だったら? ーA.セコムな先輩が守ってくれるので大丈夫です。お幸せに。 back top |