これが世界の戯言なら
きっと何かに縋りつきたかったんだと思う。
その相手がたまたまリザさんだった、というだけで。女性だから、というだけで。
フォークとナイフを上手く使い分けるリザさんは、本当に軍人なのかというくらい上品で気品に包まれている。綺麗な人だなぁと改めて思った。キリッとした目つきの瞳に、一つに縛られた白金の髪。そのパスタを巻きつける動作をじっと見ていたら、彼女も視線を感じ取ったのかバチッと目が合った。近くにあるナプキンで口元を拭うと、リザさんも私をじっと見て、薄く笑う。鳶色の双眼が優しい三日月型に変わり、なんだか中身を全部見透かしてしまいそうで少し怖かった。軍人さんだからそう見えるだけだろうか。いや、でもリザさんなら本当に今考えていることを読めてしまいそうだ。今の私の思考まで、全部。
気付けば逃げるように目線を逸らしてして、机とにらめっこする。
「貴方は食べないの?」
「お腹すいてなくて」
「少しは食べた方がいいわよ」
「さっき食べたんです、病室で」
「あら、そうなの」
「あはは」
綺麗に巻かれたパスタが綺麗な唇に運ばれていく。パクリ、最後の一口を咀嚼し終えたリザさんは「ごちそうさま」と言って立ち上がった。チラリと時計を見る。まだ一緒にテーブルを囲んで20分も経っていない。リザさんは上品に食べるわりに、食べるのが早いらしい。椅子を直す彼女を首を上げて見つめる。
「もう行くんですか?」弱々しく吐き出された声に、彼女は頷いた。前髪を耳にかけ、悪戯っ子のように口許に指を当てて笑う。くしゃりとした、子供のような笑顔だった。
「残念だけど仕事がたんまり溜まっているから」
「仕事……」
「また来るわ」
「ほ、本当ですか?」
「ええ、時間ができたら」
「待ってます」
「ふふ、そんなに目をキラキラさせられたら行くしかないわね」
「キ、キラキラしてましたか」
「とても綺麗な瞳よ。それじゃあ」
そう言ってリザさんはクルリと背を向けると、コツコツとブーツを鳴らして出口へと向かっていく。後ろから見ても分かるほど。堂々とした歩みをするリザさん。
か、かっこいい……そう思って姿が見えなくなるまで見つめていると、近くでヒソヒソと声がした。耳に口を寄せて話す、コショコショ話のようだった。コショコショ話の要領のくせに声は聞こえてしまっているのだから、実際は隠す気なんてどこにもないのかもしれない。そんな、嫌な雰囲気が篭ったその声は言う。
「あの人、軍人よ」
「……一体何人殺しているのか分かったもんじゃないわ」
「やーね、病院に来てほしくない、物騒よ」
「誰の見舞いしら」
その人達が誰のことを言っているのかなんて、すぐに分かった。辺りを見渡しても青い軍服を来ているのなんてリザさんくらいなのだから。軍人さんってこの国の民を、あなた達のことを命がけで守っているんじゃないのか。あの逞しい後ろ姿に、守られているのは自分達じゃないのか。
やだな、話したこともないのにそんなこと言わないでほしい。リザさんは、とても綺麗で優しい人なのに。
青い軍服の後ろ姿を追いかければ、ちょうど自動ドアのボタンを押しているところだった。さっきまではただカッコよく見えていた背中が、今は酷く重いものを背負っているように見える。それでも嫌な声は耳にまとわりついて離れない。
「それにしても女の人なのに軍人なんて世も終わりねえ」
「どんな顔して殺すのかしら」
「うちの子が怖がるからあんまりここに来てほしくないわ」
「でもあの人、時々見るわよ。よくマスタング大佐と一緒にいる」
「大佐と?あら、どんなコネかしらね」
黙々とサンドイッチを食べる斜め前の彼をチラリと見ると、面白いくらいに視線がぶつかる。ジ、と顎を少し引いて見つめるエドは、リザさんを見ていたさっきの私みたいだ。はじめから私を見ていたのだろうか。
ゴクン、最後の一口を飲み込んだエドは無表情。呆れたような顔をしているようにも見えるし、エドにもこの声達はきっと聞こえているんだろう。食事中だというのに頬杖をついて大きな金色の瞳を細めて、それでも何かするわけでもなく私を見ている。
「女の人なら軍人なんて早くやめてほしいわねえ」
限界だった。
ガシャン! 震える手を机に叩きつけて、思い切り立ち上がる。無意識に近い動作だった。黙らせたい、聞きたくない、これ以上、耳にしたくない。内側から溢れ出てくる感情の名前は分からず、けれどただ、嫌だった。彼女達はリザさんのことを何も知らないのに。綺麗に笑う人ってことさえも、知らないはずなのに。そんな彼女の存在が、心ない言葉で中傷されるのが、すごく嫌だった。
でも、
……私だって、リザさんのこと、あんまり知らないけれど。
勢いがつきすぎたのか、椅子は音を立てて後ろに倒れる。ぐるりと声のする方へと体を回転させると、驚いた様子の中年の女性2人がぽかんと口を開けてこっちを見ていた。ああ、やってしまった。今更そんな後悔が襲ってきて、何事もなかったかのように座ってやろうかとも考える。けれど私に注がれる視線はこの2人だけじゃない。斜め前のおばさんから、その横の小さな子供から、右にいるおじさんに、若いお兄さんに、あらゆる方向から視線を浴びている。
シン、と静まった食堂はさっきまでの騒がしさが突然として攫われてしまったようだった。
震える唇をこじ開けて、息を吸い込む。
「……何も知らないくせに」
出てきたのは、小さくて継ぎ接ぎの言葉。はあ? といったような顔をする2人にもう一度言う。「いい加減、黙ってください」拳を握って奥歯を噛み締めて、今度は力強く言ったつもりだった。
こんなこと私が言ってどうするんだろう、頭の片隅で生まれた小さな疑問をブンブンと振り払う。人権やら発言権やらそんなことを言われてしまえば、私は何も言い返せないのに。
相手は相変わらず呆気にとられた私を見ているだけだ。ここでずっと向き合っているのも気まずくて辛いし、私も出ようか。倒れた椅子を持ち上げて、元あった場所に戻す。
エドの方を見る勇気が出なかったから顔は俯きのまま「先戻るね」とだけ言って背を向けた。エドは何も言わない。勝手にしろということだろう。それ以前に目立つような真似をした私と知り合いと思われるのも嫌かもしれない。後でもう一回謝ろう。
そうして固まっていた2人のテーブルを横切った時「知り合いが知り合いなだけあるわ。野蛮な子」と吐き捨てるように呟かれてしまった。
その言葉にまた立ち止まりそうになる。
いや、立ち止まってしまった。
野蛮な子って、もしかしなくても私のこと?呆然と立ち尽くすあたしに追い打ちをかけるかのように声は続く。耳を塞ぎたくなるようなことばかりだった。私の行動のせいで火がついてしまったらしい。頭悪いだとか最近の子はとか散々言ってるけど、許せないのはまだリザのことを悪く言っていることだ。何でそんなに悪口言うの? あなたたち、軍人さんに何かされたの? リザさんに何かされたの?
ふるふると肩が小刻みに揺れる。ああ、やっぱり私の行動は間違っていたのかもしれない。こんなの、ただ目立っただけで火に油を注ぐような真似をしただけに過ぎないじゃないか。収まるどころか余計ヒートアップさせてしまってる。
何か言い返そうかと口を開いて、閉じて、また開いて、何度かそれを繰り返しているうちに唇はギュッと固く結ばれていた。早く立ち去ってしまえばいいのに、何かに張り付けられてしまっているみたいに足も動かない。
「全く親の顔が見てみたいわ」
思わずフッと笑いが零れた。そんなの、私だって見てみたいよ。
ゆらりと力の抜けていく私を、視界の端から伸びてくる腕が支える。力強く肩を掴んで、またちゃんと地に立たせてくれる。
「おい、あんたら」
「はい?」
「あんたらだよ、おばさん達」
「おばっ…! はっ、貴方も? 近頃の子供達ってこうも影響されるのね、馬鹿みたい」
「ああそう、馬鹿だよ。だって子供だもんなぁ」
「っ! あんた達今すぐ親連れて来なさい! 無礼ね!」
「いねえよ」
「嘘おっしゃい! 全く失礼だわ!」
「だからいねえってば。……死んだよ」
そうして、また固まった。最後に「じゃ、国家錬金術師で忙しい俺は戻るかな〜」とわざとらしく銀時計を取り出すと、エドは私の肩を強く掴んだまま足を進める。後ろで息を飲む音が聞こえた。
国家錬金術師という肩書きに気圧されているのか、それとも別のものに動揺しているのか。どれほどののかは分からないが、きっと今頃彼女達は青ざめているに違いない。
また彼に助けられてしまったなあ。歩くエドをチラリと盗み見ると、限りなく無表情に近い横顔が映った。途端に嫌な鳴り方をする心臓がドクドクと身体中に響き出して、今にも突き破ってきそうだ。
「……クソ」
二度目の声は、私にしか聞こえない大きさで呟かれた。己の愚直さに嫌気がさす。潤んでく視界をギッと唇を噛んで耐えた。泣きたいのは私じゃないだろ、辛いのは私じゃない、腹が立っているのは私だけじゃない。食堂を出て、自然と歩んでいると中庭へと辿り着いた。腹立たしいほどの快晴の空の下、幼子に紛れ、私達は小さなベンチに無言で座っている。
こんな風に風を浴びるの何日ぶりだっけ。ロイさんの言う外、というのに中庭は含まれていないのかな。含まれてないんだったら、これからも是非訪れたい。
気まずさからそんなことを考えていたものの罪悪感は侵食して、離れない。静かに空を仰ぐ彼に「ごめん」と一言口にしたら、すぐに金色の瞳が私を捉えて「別にいーよ」と口にした。
「あんなの聞いてたら腹立つわ。性格悪ぃー」
「……でも私だってリザさんのことそんなに知らない」
「逆にあんまり知らない人のことで怒れるってすげえよ」
「……ううん、エドが凄い」
「なにが?」
「今そう思った」
「何だそりゃ」
「リザさんに今度謝ろうと思う」
「今のことを?」
「うん」
「や、やめとけ。人は知らない方がいいことだってある!」
「……そうかな」
「陰口叩かれてたこと伝えられても嬉しくねえだろ」
「……そうかな」
「まあ俺なら相手特定して言い負かすけどな」
「強そう」
「だろ?これまた実際強いから困る」
「……」
「黙んなよ! なんか恥ずかしいだろ!」
「……」
「おーい」
「……」
「お願いです喋ってください」
「空、綺麗だね」
「……そうだな」
天気って本当気まぐれだ。
ついこの間まで曇天が続いてたのに、気がつけば雲ひとつない晴天に恵まれてる。
ふわりと風が吹いた。風のせいでコロコロと転がってくる小石が足元で止まる。それを蹴り上げて、エドに見習ってもう一度空を見上げた。
真っ青な空だけが、どこまでも続いていた。 ←/
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