取りこぼしたサイン
トボトボと一人で司令部内を歩いていたら「あら、アルフォンス君」と落ち着きのある声が足を止めた。振り返ってみれば両手に書類を抱えてこっちに歩いてくる中尉の姿。こんにちは中尉、ぺこりと頭を下げたらガシャンと金属の擦れる音が鳴る。
最近の悩みその一、鎧の音がうるさいこと。
静かな図書館や病院、司令部の廊下を前にしたら歩くのが少しばかり億劫になる。隣に兄がいるならまだしも、四六時中ずっと一緒にいるわけでもないし。ここ最近は今まで以上に音が大きくなってきている気もする。それに加えてギギ…と濁りの含んだ嫌な音が混じり始めたのだから気分は真っ青ブルーだ。正直心当たりしかない。この間も土砂降りの雨の中、傘もささずに歩いてたっけ。いつ錆が出てもおかしくない生活をしているのだから、今錆びが出てきたって何もおかしくはない。それでも錆びだらけで固まってしまう自分を想像して、そんな終わりだけは絶対に嫌だと思った。早く対策を練らなければ。いっそ錬金術でちょちょいとやっちゃう? でもこの鎧に錬金術を使うのは多少なりとも抵抗があるんだよなぁ……動きにくい肩を回すと、今度は嫌な音は鳴らなかった。
そんな間に中尉はあっという間に目の前に来ていて、鳶色の瞳を僕に向けている。
「準備体操?」
「あ、いや、最近錆が出てきたからほぐそうと…!」
「錆? 油指しあるけどいる?」
「油指し……! い、いや良いです大丈夫です! 自分でなんとかしますあはは」
「そう? あ、さっきエドワード君を病院の食堂で見たけど、アルフォンス君は一緒に行かないの? 」
「はい。兄さんが食べてる間ずっと一緒にいるより、一人でも良いから資料漁ってる方が良いかなって思って」
「そう、熱心なのね」
そうか、兄さんは病院で中尉と会ったのか。知らないうちにどっか怪我でもしたのかな。……って病院?
「……え、中尉今病院って……?」
「え?」
「え?」
「え、あの、病院……?」
「え、ええ。病院って言ったわ」
「え、病院…!?」
「名前ちゃんも一緒だったかしら」
「名前さん!? 兄さん名前さんに会いに行ったの!?」
え、しか言わない僕と中尉を不審そうな目で見て通り過ぎる人々。
それにしても兄さんったら、腹減ったからちょっと飯食ってくるわって言ってたくせに嘘だったのか。病院の食堂にわざわざ行くわけがない。それなりに距離だってある。いやまだそれはいい、お腹が空いていたのが仮に嘘じゃなく本当だったとしても何で名前さんに会いに行くことを隠す必要があるんだ。
ヘラヘラとやけに笑顔を浮かべながら消えていった兄の顔が浮かんで地団駄を踏みたくなる。中尉が不思議そうな顔をして「アルフォンスくん?」と問いかけてくるけど、今の僕は怒っているのだ。そう、怒っている。兄に対して僕は。
理由は……漠然としすぎて自分でもよく分かってないけど。
「兄さん、僕に内緒で名前さんに会いに行ったなんて……!」
「内緒で?」
「……中尉はお腹空いたら普通どこに行きます?」
「私なら一番近い食堂に行くわね」
「もし司令部にいたら?」
「し、司令部の食堂に行くかしら」
「そうですよね!わざわざ遠い病院の食堂に行く意味分かんない!」
「……あら」
「何で秘密にする理由があるんだろう。ハッ! まさか何かやましいことでも…!?」
「エドワード君に限ってそれはないと思うわ」
「うん、僕も想像しようがなかったです……はあ」
「ふふ、仲がいいのね。名前ちゃんもエドワード君も、アルフォンス君も」
そう言って中尉は笑った。綺麗な笑顔だと思った。こんな愚痴まがいのことを言っているのに仲が良いと評価するなんて、中尉も周りに引けを取らないおかしな価値観を持っているのかもしれない。笑ったときに目尻のシワが彼女の優しさを表してるみたいだ。そしてふと思う。
「そういや中尉って名前さんと喋ったことあるんですか?」
名前さんと中尉の接点といえば、大佐が名前さんの病室に来た時に付き添いでいたかいなかったか、くらいだったはず。
純粋な疑問からそう尋ねてみたら「さっき一緒に食事させてもらったわ」と予想の斜め上をいった返答。ってことは名前さんと中尉と仲良く3人で食事をしたってこと?
……ほんと兄さん何がしたいんだろう。ていうか最近どうしたんだろう。色々と感情が混ざり合って言葉が出てこない僕を傍目に、中尉は続ける。
「不思議な子ね、名前ちゃんは」
「不思議?」
「私たちが勝手に思っているだけかもしれないけど」
「……勝手に」
「ほら、他人に対しての思い込みほど怖いものはないから。気をつけないと」
「確かに……」
「急に話しかけてごめんなさいね、そろそろ仕事があるから戻るわ」
「あ、はい、さよなら中尉」
「ええ、さよなら」
コツコツとブーツを鳴らして歩く中尉の背中をジッと見つめる。クルリと角を曲がってその姿が見えなくなったところで、行き場の失った視線がぐらぐらと揺れていた。うーん、今からどうしよう。特に何の考えもなく歩いていたところを中尉に話しかけられたから、良い案が全く思いつかない。司令室の資料室? それとも図書館? うーんうーんと腕を組んで考える。
そうして壁に埋めこまれている時計を見たら、もう10分が経とうとしていた。悩んでるだけで10分が経過。さっき中尉に言った自分の言葉が脳内で再生される。資料を漁るどころか悩むだけで時間を過ごしてるなんて……!
「……」
散々悩んで30分。
クルリと体を反転させて、ずんずんと廊下を進んでいく。ガッシャンガッシャン。最終結論、兄さんを迎えに行こうと思う。こういう時兄さんがいればなぁ……なんて思ったからなんて、絶対に絶対に秘密だ。
病院の中庭にて、噂の兄を発見した。
「うわー、ほんとに名前さんといる……」
最近名前さんという単語が出なかったから、てっきり忘れているのかと心の中で散々言っていたらコレだ。予測不能すぎる我が兄の行動には目を見張るばかりである。
それにしても兄さんったら、どうして名前さんとコッソリ会うようなことをしたんだろう。別に会っちゃ駄目とかじゃないけど、僕に一言くらいくれたっていいし、何よりご飯を食べに行くと言って病院に来ているのが不思議で仕方がない。ね、根に持ってるとかそんなんじゃなくてその……うん、根に持ってるとかじゃない!
木の幹に両手を当てて、影に隠れ、二人の様子を後ろからジッと見つめる僕は側から見たら2人の中を裂きたい悪役のようだ。
でも仕方ない。兄さんが帰ってくるのがいつになるか分からない以上僕が迎えに行ってあげるしかないんだ。それに、さっき大佐とすれ違った時、「一時的に重要資料保管室への許可がおりたよ。存分に探りたまえ」と声をかけてもらったし。
意を決して、木から離れて足を動かす。ガシャンガシャン。草の生えた地面ではあまり鎧の音が響かない。そのせいか、2人が僕に気付いたのもある程度近くに来てからだった。
「んお、アル!?」
「……ア、アルフォンスくん! お久しぶり……です」
まるで違う二人の反応に苦笑い。
驚いたように立ち上がる兄と、一瞬驚いた顔をしたもののすぐに手を振ってくれた名前さん。
「こんにちは、名前さん」ぺこりとお辞儀をして「兄を迎えに来ました」と言ったら、良くできた弟さんだ……と感動された。名前さんと最後に会ったのは2週間ほど前だ。2週間で名前さんは随分と変わった気がする。綺麗な黒髪を揺らして兄さんを急かす名前さん。
親しみやすくなった、みたいな。
知り合いから友達になった、みたいな。
自分の中の名前さんへの印象が、控えめに、それでいて綺麗に笑う人へと変わっていく。
「ほらアルフォンス君が来てくれたんだから早く行ってあげてくださいお兄さん」
「こういう時に敬語使われたらイラっとくるな、イラっと」
「アルフォンス君が来てくれたんだから早く行けよ兄貴」
「ちげえよ! そいうことでもねえよ!」
「……ていうか、アルフォンス君待たせるなら言ってくださいよ」
「? なんで」
「だって申し訳ないじゃないですか。あたしが引き止めたみたいで」
「俺の弟はそんなことで怒らない!」
「僕は怒ってるよ兄さん」
「なぁ!?」
「ほら見なさいよほら!」
「アル怒ってんの!? え、怒ってる!?」
ものすごい顔で振り向いた兄さんにツンとそっぽを向く。そうだった、忘れかけていたけど僕は怒っているのだ。
「秘密で名前さんに会いに行く兄さんなんて知りま「あああああ! そうだな、俺が悪かったごめんなアル! またパフェ食いに行こうな!」
「パフェ?」
「何がパフェだよ昼飯食ってくるとか言って病院に行「そそそ、そうか! そんなにパフェ食いたいのか! いいな! 今から行くかそうだな!」
「い、行ってらっしゃい」
どうやら我が兄は名前さんに僕に秘密で会いに来たことを知られたくないらしい。
僕がパフェなんか食べられないのを分かっているくせにそんな言い訳を使うなんて、よほど動転している証拠だ。
汗をダラダラ流しながら僕の口を手で覆う不自然な兄をキョトンとした顔で見ながらも、言葉を返してあげている名前さん。パフェパフェ〜なんて歌を歌い始めた兄さんはもう重症だ、知らない人のふりをしたい。
「そうだ、兄さん。大佐が重要資料の入った書庫の入室許可がおりたから漁っていいってさ」
「おお、大佐やるじゃん」
「まあその時兄さんはいなかったんだけどね」
「……やけに根に持つなアルフォンスよ」
「そんなことないよ?」
「……」
「じゃあ、ごめんね、名前さん。もう行くよ、兄さんがお世話になりました」
「俺は世話になってねえ!」
「あ、いえいえこちらこそお世話になりました。バイバイアルフォンス君」
「うん、バイバイ名前さん!」
クルリと名前さんに背を向けて兄さんと共に司令部へと足を進める。両手を頭の上で組みながら歩く兄さんの横顔はなんとも言えない表情だった。兄さん、そう話しかけると何だ弟よとそのなんとも言えない顔がこっちを向く。
「何でもない」
「はあ?」
「何でもないったら」
「お、おう?」
「兄さん」
「んだよ」
「やっぱり何でもない」
「ああん!? お前どうした今日。言いかけてやめるのは一番ダメだって知らねえのか!」
「言いかけの言葉すらないよ」
「じゃあなんで呼んだんだよ……」
「なんとなく?」
「恋人か」
「兄さんが恋人……うわぁ……」
「本気トーンのうわぁは止めろ」
「常に僕は本気だよ」
「常に侮辱してるってか!」
「やだなぁ、考えすぎだって兄さん!」
「俺は悲しいぞ弟!」
そんな兄さんを無視して「名前さん元気だったね」と呟く。
それに返事は返ってこなかった。
暫く無言で歩いて、司令部の入り口の前まで来て漸く兄さんはぽつりと言った。そう見えるだけかもな。それだけ言って、ずんずんと一人で先に進んでいく小さな背中。そう見えるだけ?その意味を紐解こうとする僕に、中尉の言葉がフラッシュバックする。
『私達が勝手に思い込んでるだけかもしれないけど』
そうだ、中尉も似たようなことを言っていた。勝手に思い込んでるだけ、そう見えるだけ。
一瞬しか会っていない僕には分からない違和感を、二人は感じたんだろうか。
ついさっき見た名前さんを頭に思い浮かべてみる。この間は見れなかった自然な笑顔。こんな風に笑うんだと思ったのは記憶に新しい。
「……分かんないや」
更に小さくなっていく兄の後ろ姿をガシャンガシャンと音を立てて追いかける。司令部はやっぱり鎧の音が響く空間だ。開放的な芝生の中庭とは全然違う。
中尉の言ってた油指し、やっぱり借りようかな〜そんなことを思って、兄の背中を追った。 ←/
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