偽善の善意の裏側
アルフォンス君がエドを連れて帰ったから、当然私は一人になった。二人が歩いていく姿を見送って、一人でボーッとまたベンチに座り込む。これで暫く会いに来てくれる人もいなくなった。喋り相手の来訪を密かに待って、そしたらいつの間にか橙色の空がやってきて夜が来て、また朝がきて看護師さんが来てちょっとしたら検診して、することなくて、寝て、また看護師さんが来て。望んでいるものはこないのに、常に何かがやって来る。そんな生活が、今この瞬間から戻ってくる。そう考えたらもう少しここにいて外の空気を吸っているほうがマシだと思った。グッと両手を上げて背伸びをする。うん、気持ちいい。やっぱりベッドで座っているよりもマシだと思う。
ちなみにお医者さんが言うに特に私の体に異変はないらしく、すぐにでも退院は可能らしい。だから最近感じる食欲の無さと吐き気は単なるストレスだと推測。特に重要視するもんじゃない、きっと慣れれば消えていくようのものだ。慣れたら。
この病院に、この生活に、この世界に、慣れたら。
枯れ葉が風が吹くたびハラハラと落ちて、地面に広がる落ち葉の仲間入りをしていく。周りを見渡せば庭を駆け回る小さな子供、せっせと竹箒で落ち葉を掻き集める叔父さん、車椅子を押す看護師さん、そして私みたいに何をするわけでもなくたった一人でボーッとその様子を見ている人が数人。見上げれば薄い窓ガラス一枚を挟んで中庭を眺めている人だっている。
入院している人達はいつもこうやって長い長い時間を過ごしているんだろうか。私はまだ数週間程度しか経っていないけど、一年、二年となったらどうなっているんだろう。この枯れ葉がなくなってまた緑が生い茂って薄色の蕾が芽生えて、また散っていく。その光景を、一人でいやになるくらい目にするのは、きっと思っているより寂しい。
「……外に出たい」
ふとそう思った。外に出てみたい、色んな人と出会ってみたい。外にはどんな町が広がっているんだろう。雨の中走っていたあの時は必死で前しか見てなくて、曇天の薄暗い雷鳴の響いていたことしか覚えていない。
出たって行くあてなんか何処にもないのに。出るなと言われれば出てみたくなる人間の性に内心苦笑いする。ロイさんが私に外に出るなと言ったのはきっと私のことを思っての発言で、外に出たって何も知らないあたしが出来ることなんてたかが知れていることもきっとロイさんはお見通しなのだ。それどころか無知ゆえに何か事件を起こしてしまうかもしれない。想像してみると強ち否定できなかったから尚更だ。けど一人部屋の入院費だって馬鹿にならないはず。払ってくれているのがロイさんなのかエドなのかはたまたまるで知らない人なのかは分からないけど、いつか絶対お金は返そう。自分で働いて汗水流して手に入れた、その給料で。
「……うん、そうだ、そうだね」
どこの誰に向けてでもなく、自分自身に頷いた。そろそろ現実を見て前を向こう。しょぼしょぼと下を向いて悲しんでいたって何も始まらない。理解してもらえないならしてもらう努力をして、信頼されていないなら信頼されるような行動を示す他ない。記憶がないなら取り戻す。取り戻せないなら、戻らないならーー、
「よし!」
まずはこの世界についての知識が必要だと思った。ここがなんという場所なのかすら知らないあたしはあまりにも無知で視野が狭すぎる。まずは基盤を押さえていかないと。できたら地図の載った何かが欲しい。教科書なんてレアなものは求めないから、せめて今足をついて立っているこの場所だけは分かっていたい。病院の中に読書ルームはあると聞いたけど本って置いてるのかな…。ベンチから腰を上げてクルリとその場で一回転する。
本日の予定が決定した。
中庭と室内を繋ぐ扉を引いて中に入ると、暖かい空気がお出迎え。目の前を看護師さんが通り過ぎたから慌てて「あの…、」と声をかけて読書ルームの所在を尋ねてみると案外近いことが発覚したので少しだけやる気が加わった。本日の予定、決定。
いざ辿り着いてみると、それは他の扉と比べると重々しい風格をした扉だった。読書ルームというくらいだからキッズルームに近い何かか談話室に近い何かかと思っていたけど、ことごとくその予想は外れて、中の見えない扉はズンと見えない気迫を込めて佇んでいる。白で統一されているはずの病院で、ここの扉だけが木目調、更にスライド式ではなく開閉式。恐る恐るそのドアノブを掴んで回してみると、カチャリと見た目と反した軽い音を立ててそれは開いた。中を覗いてみる。やっぱり子供はいない。中は綺麗なローリングでそれなりに広く、それでいて静かで、読書ルームというよりは図書室に近い気がした。暖房の音が良く聞こえる室内は、大きなテーブルが一つと椅子が数脚、そして歳のいった老人がチラホラといるだけ。グッと片手でやったぁと意気込んだ。静かに勉強するにはこれ以上ない環境だ。
早速腕まくりをして手前の本棚に近づいてみると、そこには先客が一人。立ち読みをしているせいで顔こそ見えないけど、おそらくスラリとしていて若い人なのだと思われる。けれど若い人がいたってなんらおかしいことはないので気にせず立ち止まって、本棚の上から下まで背表紙を眺めていく。政治、経済、スポーツ、アメストリス。最後のアメストリスの文字を捉えたとき、無意識のうちに腕がその本へと伸びて、いつの間にか引き出して腕に抱いていた。ドン、とした重たい本だった。見た目よりも何倍も重く感じるそれを膝を曲げて支えて、パラパラとページを捲る。もう何冊か欲しかったけれど、どうしてかこの一冊を持つだけでクッと顔が歪みそうになる。長い間運動もせず、たいして歩くこともせず寝ていただけだから力が無くなってしまったんだろうか。もとより筋肉がついていたわけでもないが、確かに最近腕が細くなった気がする。『お前、前よりも痩せただろ』ふとエドの言葉と顔が脳裏に浮かんだ。私は自分でも自覚していなかった事を指摘されていたのか。でも確かに、この質量の本ですら満足に持てないのはこの先不味い。
仕方がない、とりあえず今はこれだけ読もう。そう思って顔をあげたら隣から「ああ!」と声が聞こえるとほぼ同時に腕を掴まれて、その衝撃で手中にあった本が離れていく。
「わっ!」
綿みたいな埃が落ちているフローリングの床に、本がバサァと落ちてしまった。ああ、どうしよう変な形の型がついてしまう!慌てて拾おうと腰を曲げたら、素早く隣の人も「うわぁぁ!ごめんなさいごめんなさい!」としゃがんで本を拾ってくれる。男の人だからなのかそれが通常なのか、私が落とした重たいはずの本、そして元々読んでいたもう一冊の本、更には脇に抱えていただろう本の軽5冊を片手であっさりと手にしている。いずれも分厚い。そしてもう片方の手はあたしの腕を掴んだまま。初対面の人に突然腕を掴まれるようなことをした記憶がないため「あ、ありがとうございます……」と言いつつも警戒心は忘れない。一体誰だろう?暫く彼の頭を見つめていると、拾い終わったのかゆっくりと顔をあげてその瞳と視線がぶつかった。
そして私も「あああ!」と声を上げる。同じ反応だ。
「あ、あなたは…!前に部屋に来た人…!」
「いやぁ、その節はすみませんでした」
「あの、えっと、はい……お久しぶりです」
「はい、お久しぶりです」
「……」
「……」
「……」
「……」
「あの、」
「はい?」
「腕……」
「わー!ごめんなさい!ずっと掴みっぱなしでした!」
「だ、大丈夫です!」
「あ、本も!」
「あ、ありがとうございます」
本をポンと両手に乗せられて、思わず後ろによろめいてしまう。やっぱり重たい。これを片手で何冊も持つなんて一生できそうにない。依然とあたしの顔を見ている彼に、そういえば私もちゃんと顔や姿を見たことがないと気づいて見つめ返した。深緑のセーター、黒いズボン、そういえば前も似たような服装だった気がする。無造作に伸びた焦げ茶色の髪から覗く大きな瞳が印象的な人だった。
「あ、そうだ。俺はブライアンって言います」
「あたしは##NAME2####NAME1##です」
なんか色々と順番間違いちゃいましたね、えへへと笑うブライアンはとても愛嬌のある可愛らしい笑顔を作った。どうやらお茶目な人らしい。
「##NAME1##さんはいつからここに?」
「悪い……?あ、特に問題はなくて退院もできるっちゃできるらしいんです」
「おお、おめでとうございます!
「ありがとうございます。ブライアンさんは……?」
「ブライアンでいいよ!俺は子供の時、5歳くらいからずっと通い詰めてる。この図書室にもよくお世話になってます」
「それは……その、」
難病にかかっているとか……?自然な流れで聞いてしまったものの、容易に口に出して聞くものではなかったと後悔した。答えを求めるような聞き方をしてよかったのも安易だった。疑問系にしてしまったら、どんな答えにしろ相手の返事を待つほかないのだから。あの、その、違うんです、答えなくてもいいんです。モゴモゴと声を篭らせる私をキョトンと見て、何かを悟ったのか「全然平気ですよ!持病に近いものですから」そう言ってまた笑った。持病?とまた聞き返しそうになるのをグッと抑えて、そうなんですかと情けなく眉が下げた。
人の内面にズカズカと入っていくような事はしたくない。聞くことよりも話すことのほうが勇気とがいると知っているから。胸をなで下ろす私にブライアンは目を細めた気がした。しかしそれも一瞬、ニコニコとした笑顔に戻ったと思ったらどうせなら座ろうと誰も使っていない机と椅子に目配せをして、両手で抱えるあたしの腕の中の本をあっさりと手に取って歩き出す。無駄のない動きだ。外国の人ってこういうことが自然とできるからジェントルマンだとか言われるのだと思う。
「##NAME1##さんはこの国の生まれじゃないんですか?」
「……え、」
腰を下ろして数秒、さて読むかと本と向かい合ったあたしはピタリと動きが止まる。いきなり核心をついてくるブライアンに私は目が勝手に見開いて、息が止まりそうになった。心臓がどくどくと鳴り出して、あからさまに動揺している。落ち着け、落ち着いて。彼は何も知らないんだから。変な態度をとったほうが怪しいじゃないか。
「なんで、そう思ったんですか?」
「あ、別に深い理由とかはないんですけど……地理や政治の本をとっていたから」
「は、はあ」
「あとはー雰囲気かな」
「雰囲気?」
「なんだか不思議な感じがして。間違えて病室に入った時はほんとにビックリしましたよ!」
「私の方がびっくりしました」
「浮世離れしてるっていうか、うーんなんでですかね?」
「私に聞かないでください」
「でもアメストリスの人じゃないんでしょう?」
「それは……あってます、けど」
「ほらやっぱり!僕ね、友達が嘘つきだから人のこと観察しちゃうんです。心理学者とか向いてるかも」
「友達……嘘つきなんですか?」
「嘘つきだよ!自然と嘘が練り込まれてるから見破るの大変なんです。騙されたら僕が損をするから」
「それはつらい……」
「辛いけど仕方ないんですよねー。あいつ俺以外に友達いないから」
「優しいんですね」
「そうかな?まあ俺もあいつ以外に友達いないからどっちもどっちだよ」
あははと笑う彼の顔をぼーっと見る。
私はそんな嘘つきの友達すらいないや。
「友達かぁ」
「##NAME1##さん友達いないんです?」
「……ブライアンって結構踏み込んできますね」
「え、そう?」
「……」
「怒らないでよ##NAME1##さん」
「怒ってないです」
「じゃあいないんですね!」
「う゛っ……」
「僕と同じですよ!」
「ブライアンにはお友達がいるじゃないですか。その、嘘つきの人」
「一人いるのといないとのって同じじゃないですか?」
「全然変わります。0から1は作れない」
「へえ〜」
「だから……」
「はい?」
「そ、のお友達、大事にしてあげてくださいね」
次にビックリしたような顔をしたのはブライアンだった。思わず変なこと言ってしまっただろうか……心配になって目をキョロキョロとさせるけれど、彼は彼でズカズカと踏み込んでくるからこの位言わせてほしい。本の表紙を撫でていた彼の手が一度止まり、そうしてまた動きが再開した頃にはその大きな瞳を三日月にしてヘラヘラと「勿論ですよ〜」と笑った。
「何をされようともお友達ですから〜」
「……なんか変なこと言ってごめんなさい。どんな関係かもしらないのに」
「いえいえ、ただの友人関係ですよ〜それ以上でもそれ以下でもありません」
「そ、そっか」
「それより##NAME1##さん」
「はい?」
「なりませんか?」
「!?何に?」
「え、お友達ですよー!」
「お、お友達に?」
「嫌なら全然知り合いのままで良いんですけど」
「なる!なります!お友達に!」
「じゃあ今からお友達ですね〜!##NAME1##で良いですか?」
「はい!」
「ん?あそこにいる方も##NAME1##と友達になりたい人ですか?」
「あそこ?」
私の後ろに視点を当てて首をかしげるブライアンの視線の先を辿ってみると、また息が詰まりそうになる。ロイさんがいた。驚いたような顔をして此方をジッと見ている。ロイさんによって中途半端に開けられた扉が寂しそうにギィと音を立てていた。ロイさんも偶然ここに
用があったのだろうか。私の周りを包む空気が少しだけ、ほんの少しだけ重くなった。先ほどまでの表情を消して、ゆっくりと近づいてくる彼は、ブライアンに小さく会釈をして「少しだけこの子を借りてもいいかな」その声色から何かを感じ取れるほど私は才能に禿でていなかった。ただ愕然とした事実にキュッと唇を締めるだけ。 そしたらブライアンは「##NAME1##はものじゃないから借りれませんよ?」とヘラリ、笑い返した。
「……すまない、言い方が悪かったな。##NAME1##と話す時間をくれないか」
「うーん、先に話していたのは僕だし。でもいいよ、でも一つだけ条件」
「条件?」
「##NAME1##さんと友達になってあげてよ」
「……友達?」
今度こそピシリと体の動きが止まった。
友達って……友達?
ブライアンの言った言葉が一つ一つゆっくりと頭の中で解析された後、恐ろしい速度で脳内を駆け回る。友達、友達友達、ロイさんが友達、私とロイさんが友達。と、も、だち?
何を言ってくれているんだブライアンは!うわぁぁと頭を抱えそうになる私を知ってか知らずか「いいでしょ?」と催促するような言葉。ああ、もう、だめ。逃げ出したい、この場から一刻も早く逃げ出して穴に埋まってしまいたい。当分出なくていい、いっそ熊になりたい。ただただ睡眠をして、誰のことも感がてなくていい、そんな動物になってしまいたい。ロイさんが友達?無理に決まってる、何を言ってるんだブライアンは。そんなジョーク面白くないよ、だから今すぐ嘘ですよ〜って言ってくれ。お願い、お願いだから。
傷つくのは、嫌だ。
「私と彼女が友達?」
「そうですよ。##NAME1##友達いなくて寂しそうなんです、是非なってあげてください〜」
「……」
「聞いてます?」
「いいだろう」
「おー!」
「##NAME1##」
両手で顔を覆っている手を布越しの手が離していく。隠れていた視界に映っていくのはロイさんと嬉しそうな顔をしているブライアン。
「##NAME1##、私と友達になろうか」
「な、なにを……無理しなくていいんです。ブライアンのことは気にしないでください」
「いいや、無理はしてないよ。私は私の意思で言っている」
「そんな……わけ、」
「嘘じゃないさ」
「……」
「友達が、ほしかったのか」
「いりません」
「それは私が不利にならない嘘か?」
「……なり、ません」
「では君が私の友達申請を断ることによって不利になると言ったら?」
「そ、れは……」
「もう一度言う、##NAME1##。私と友達になろう」
ポロポロ。何かが剥がれていく音がする。
私の知っている怖いロイさんじゃないからかもしれない。いや、違う。私の知らないロイさんが私にその姿を見せて、優しく微笑んでくれているというのが、きっと心のどこかで泣きたくなるほど嬉しいのだ。
「良かったね〜」ブライアンが私の手とロイさんの手を掴んで、無理矢理繋がせる。
「じゃあ暫くの間##NAME1##と話をさせてくれるか?」
「勿論ですよ。行ってらっしゃい」
「じゃあこれで」
小さく礼をするロイさんに習って、私小さく礼をした。ありがとう、ブライアン。また会おうね。
そんな意味を込めた小さなお辞儀だった。
コツコツと綿みたいな埃の落ちた道を歩く。
ガチャリ、扉が閉まった。
←/
top