偽善と善意の裏側2

 正真正銘、視線の先にはロイさんがいた。
 驚きたいのは私の方なのに、彼の方が目をいつもよりも開き、此方をジッと見ている。いつからいたのだろう、ロイさんによって中途半端に開けられた扉が寂しそうにギィと音を立てていた。

 ……彼も偶然ここに用があったのだろうか。そんな訳ないだろうと分かっているのに、そのまま素通りして、何事も無かったかのように帰ってくれたなら──そんなことを願ってしまっていた。
 けれどそんな思いは通じない。先ほどまでの表情を消して、いつも通りの飄々とした様子で近づいてくる。

「少しだけこの子を借りてもいいかな」

 その声色から何かを感じ取れるほど私は才能に禿でていなかった。ただ愕然とした事実にキュッと唇を締めるだけ。 そしたらライは「名前はものではないので貸せません」とヘラリ、笑い返す。

「……すまない、言い方が悪かったな。彼女と話す時間をくれないか」
「いいですよ、ただ一つだけ条件」
「条件?」
「俺の友達いじめないでくださいね」
「そんなつもりは元からないさ、誓ってね」
「俺に誓えますか」
「誓えるさ。君にも、当然彼女にも」
「ならいいや」
「……私は随分と疑われているようだね?」
「まあ、俺は彼女の友達ですから」

 ポロポロ。何かが剥がれていく音がする。
 俺は彼女の友達ですからって、本当についさっきまともに話したばかりなのに何を言っているんだ。彼の言葉で私に降りかかる害はない。けど、でも、もうそろそろ、やめてほしかった。

 「……ほう」と頷くロイさんが考えるように顎に手を当てている。どんな気持ちでロイさんと話しているのかは分からないけれど、突拍子も無かった彼のことだ、冗談半分と言ったところでロイさんに絡んでいたんだろう……そう思っていたのに、絡み合った視線の奥にある瞳は酷く優しい色をしていた。

──え。

 予想もしていなかったせいか、ポカンと口が開きそうになった。そんなの、まるで私のことを友達として、本気で心配しているみたいじゃないか。声には出していない。出していないのに、私の心の声に応えるようにライはニコリと笑って「友達だからね」と再度言ったのだ。
 馬鹿じゃないのかと素直に思った。それに対して、心のどこかで泣きたくなるほど喜んでいる私にも。

「じゃあ暫くの間名前と話をさせてくれるか?」
「勿論ですよ。行ってらっしゃい」
「ではこれで」

 小さく礼をするロイさんに習って、ヒラヒラと手を振っているライに私も軽く腰を下げる。ありがとう、また会おうね、そんな願いを込めた小さなお辞儀だった。

 そうして、再びコツコツと綿みたいな埃の落ちた道を歩く。ガチャリ、扉が閉まった。

「君は、」
「……」
「君は、あんな笑い方をするんだな」

 扉を出てロイさんが独り言のようにぽつりと呟いた。

 あんな笑い方、ってどんな笑い方だろう。一体私とライのやり取りをどこから見ていたのか。返しようのない投げかけにただ黙り込んで足元を見つめていた。彼に笑っている姿を見られるのが本当は少しだけ怖かった。理由は分からない。ただただ苦手意識があるから、という私的な理由かもしれない。
 だけど彼の言っているあたしの笑った顔は、ロイさんの見間違いであってほしいとさえ思うのだ。

 何も話さず黙り込む私は、相変わらずただ足元をジッと見ている。綿のようにふわふわと大きな埃が壁際に沢山追いやられているのを、ただ眺めている。病室やここに来るまでの廊下には埃一つなくピカピカだったのに、図書室の周りと図書室の中だけが掃除が行き届いていない。

「名前」

 どうでもいい思考に走るのはきっと逃避したいという気持ちが強いからなんだろう。途端にぴしゃりと水を打ったように脳内が鎮まっていく。

「な、んでしょう」
「そんなに身を固くしないでくれ」
「……」
「君にとって朗報だとばかり思っていたが、様子を見る限りそうでもないしれんな」
「あの、」
「此処を出る」
「……え?」
「一度君を軍で預かる」
「どうして、あの、また急に……」
「事件が起きた。それもこの辺りでね」
「事件……?」
「非常に残忍極まりないものだ。まだ犯人も捕まっていない。とにかくここにいさせるには安全が保証されない」
「そんな……大丈夫です」
「君が大丈夫だと言い切れるものじゃない」
「でも、」
「20人だ」
「……20人?」

 苦虫を噛み潰したような表情でロイさんは頷いた。憎悪、嫌悪、同情、あらゆる感情を瞳に浮かべて。

「この数日で20人の人間が殺された」
「20人!?」
「どれも病院で、だ」
「え……あ、」
「軍の鎮圧で広まってこそいないが、いずれはニュースになり国中に知れるだろう」
「……」
「これは予想だがこの病院へも犯人は来る。むしろ既に姿を隠しているかもしれない」
「……そんな…」
「犯行方法も……いや、すまない。これは止めておこう」

 ……吐き気がする。そう小声で吐き捨てた言葉を私は聞き逃さなかった。驚いて固まっていれば、ロイさんは、私には手の届かないどこか遠くを眺め、息を吐く。

「とにかく君が此処に残るメリットはない。今からでも出て行く準備をしてほしい」
「今、から」
「……訂正しよう。30分後に病室へ行く」
「……」
「彼にちゃんと話をしておくんだよ」
「……はい」

 コツコツ、コツコツ。ロイさんがどんどん離れていく。
 その背中が小さくなるのをただじっと見ていた。

「……」

 ……こわいな。

 ロイさんが? 殺人犯が? 誰かが殺されたから? 自分が殺されるかもしれないのが? ここを離れるのが? ようやくできた友達と離れるのが?

「……っ、」

 ねえ、教えてください。何がここまで私を震えさせるのですか。
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