沈黙に埋もれる
「今から司令部に来てくれ」
いつもと変わらない、風をビンに詰めたような声で、大佐は言った。相変わらず飄々として掴み所のない声だった。
そしてぱちくりと目を開いてる間に、電話は切れてしまう。ツーツーと聞こえてくるのは機械的な音だけ。ガチャンと受話器を元に戻し、一呼吸してから、回らなかった頭はブレーカーを上げたように回転を始める。失礼極まりないことをされたということを理解した頃には眉間に皺を寄せ「ああん?」と目の前の電話に啖呵を切っていた。
いや、いやいやいや。まともに考えてみろ、今はまだやっとこさ太陽の光が出てきたってレベルの夜明けじゃねえか。たまたま起きてたから良かったものの、要件も言わずに呼び出すって世間的に見てどうなんだ。つか、どんな神経が通っていたらそんなことができるんだ。ああんこら、なんとか言えやコラ。
チンピラのごとき巻き舌を披露していると、俺の声を聞きつけたらしい弟が慌てて飛んできた。
「に、兄さん……」
少し引き気味のトーンではあったが、よくぞ来た弟。ここぞとばかりにかくかくしかじかと今しがた起こったことを話すが、アルも思い当たる節は何もないようで、結局は二人して腕を組んだ。知ってた。
「多分ものすごい急用なんだろうね」
「アン!? 急用つったって中身くらい置いてけ!」
「きっと中身すら置いていけないほどの急用なんだろうね」
「中身置いてけねえなら中身持ってこい!」
「……兄さんそれじゃ本当にチンピラみたいだ」
「ケッ」
「とりあえず行こう」
「い・や・だ! 行きたくねえ」
「え、ちょっと、兄さん!」
「俺は寝ぼけてたことにする、というわけで今から寝ぼける」
「寝ぼけてる兄さんなんて兄さんじゃない!」
「どういうことだ存在否定か!?」
「って、何でベッドに潜ろうとしてるの兄さん……」
「あのなぁ。だいたい急用だったらちょっとくらい声が焦っててもおかしくねえだろ。いつもと変わらなかったし問題ねえよ」
「もしかしたら何かあったのかもしれないよ、ほら早く着替えて行こう?」
「……ったく。出来た弟を持つ兄は辛いぜ」
「褒めてる?」
「ふあぁ……」
「兄さん口が顎まで達しそうだよ」
「んあ?良いじゃねえか誰も見てねえんだから」
「全く兄さんったら……」
「いいのいいの」
「あ! あそこに名前さんが!」
「あん!?」
「嘘だよ。いるわけないじゃん」
「……アル……お前……」
「とにかくいつ誰が見てるか分からないんだからね!」
何で俺は弟に説教されているのか。というよりどうして名前の名前を出すのか。どんな形のものかは分からないものの、少なからず悪意の篭った嘘と見た。大方、俺が名前に会いに行ったことを未だに根に持っているんだろう。まったくいつまで根に持つのやら。
やれやれと肩を回しながら目を閉じる。一息ついて暫くそうしていれば、本当に眠ってしまいそうだったから慌てて目を開いた。ふらりと視界が揺れたが、バチンと頬を叩いて脳みそを覚醒させる。
眠くない、俺は眠くない。全然眠くない。
ブツブツと独り言を言う俺をまたアルは可哀想な目で見てんだろうなぁとアルを見たら、哀れだと言わんばかりのオーラを纏っていた。やっぱり俺は正しい。そしてこのオーラに慣れた俺に死角はねえ。
「あ〜ねみ……」
正直この徹夜明けに大佐の顔を拝みたくない。
あの顔で嫌味を言われたら眠気とイライラが重なって余計なことを口走ってしまいそうだ。想像の時点でそう考えてしまうんだから、実際だともっと噛みついてしまうかもしれない。どのみち俺たちも昨日のことを報告する必要があったから、大佐と会うのも時間の問題だったんだろうけど。ただ少し会う日が早くなってしまったってだけで、何も支障はないっていうのが本当のところだ。それでもおとなしく向かうのは癪だから、ぐちぐちと文句を言いながら向かっているわけである。
ふあ、もう一度欠伸をして、目尻に溜まった涙をゴシゴシとコートの裾で拭いとった。
「……に、兄さん」
「あ? ……ってぇ!」
「……」
「わ、わりぃ。……アル?」
突然立ち止まったアルに気づかないままあるいていたら、見事に正面から衝突した。いてて……額を手で押さえる。ほのかに熱を帯びている額から血が出ていないことを確認して、もう一度「アル?」と背を叩くと、ガクガクと震えるアルがゆっくりと振り返った。いけないものを見たかのように背を向けながらクイックイッと指を差す先には、二つの人影。
なんだなんだとその姿を確認した瞬間「なっ!?」と思わずどデカイ声で叫んでしまった。狭い廊下なのだから、それはとてもよく響いた。
驚いたように振り返り、黒髪を揺らして目を見張るその姿は、この間見た時とまた少し雰囲気が違っている。
いや待て何であいつがここにいるんだ。それでいて何であいつの隣に大佐がいるんだ。つーさ近くね。なんか親しげだしいつの間に。
……ここ病院じゃないよな? 俺たちが合ってるよな? 東方司令部だよな?
「なあ、アル。ここ東方司令部だよな?」
「名前さんが……!」
「だよなあれ本物だよな!?」
「た、大佐ぁぁぁ!」
「隣にいるやつは大佐なんだよな!?」
「名前さぁぁぁぁ!」
「……てめコラァァ! 何でお前がここに!」
ズカズカと大股で地面を蹴り、名前と大佐の元へと足を進める。病衣を着ていない名前は、俺たちが初めて出会った時と同じ、不思議な格好をしていた。黒くシワの入ったスカートから伸びる白い脚に、紫色の痣がやけに目立っている。あいつあんな派手に打撲したのか、なんて思いつつも言葉にはならない。
二人の目の前までたどり着くと、無言で大佐と名前の間に手刀を入れた。キョトンとした後慌てて一歩退く名前と、やれやれとでもいった体裁の大佐。
「何考えてんだよ!」と大きな声で怒鳴っても返ってくるのはいつもと変わらない冷静な声だった。相変わらず気に食わない野郎である。
「鋼の。ちょうどいい」
「は、はあ? 何が?」
「ついてきたまえ」
「なっ、どこ行くんだよ!」
「ついてこいと言っている。君もだ、名前」
「え……あ、はい」
「おい大佐!」
俺の声に振り返ることなく、大佐は歩みを進めている。その後を静かに着いて行こうとする名前の腕を、気づけばガシッと掴んでいた。ギョッとした顔で俺を見る名前は口角をヒクヒクと揺らしながら何ですかと尋ねてくるもんだから、口を開くも言葉は出てこない。
……そういや何か用があったから引き止めたとかそういうのじゃないな。パッと手を離す。相変わらず細い腕だった。
「ゴ、ゴホン。……で、何でここにいるんだよ」
「それがここで簡単に話せる内容ではないというかなんというか」
「簡単に話せる内容じゃない?」
「ロイさんも一緒に話すって言ってましたし、とりあえず着いていきませんか……」
先に言う。結論から言うと、流された。
「というわけだ」
「というわけだ、じゃねえよ! めちゃくちゃ大事態じゃねえか!」
「だから鋼のを呼んだんだろう」
「俺に言う前にもっとこう……あんだろ!」
「どうやら勘違いしているらしいが、別に解決を求めているわけじゃない」
「は、はあ?」
「守れ」
「守れ?」
「拾った猫を主人が守るのは当然のことだと言っている」
「主人?」
キョトンと自分を指差して口を開けると、やれやれといったように「たとえ話だ」と首を振られた。……いやいやいや! と即座に否定しそうになるのを寸前で堪え、大佐の言葉の意味を紐解いてみる。
拾った猫と主人、か。
無意識のうちに視線は名前の方に向き、そして盗み見るどころかガン見してしまっていたらしい。そして当然、バッチリと目が合った。お互いに逸らすこともせず、名前の瞳には何か言いたげに口を結んだ俺が丸く映り込んでいた。真っ直ぐと俺を見返している姿が、小さな体で必死に上を見つめる捨て猫と重なってしまう。くっそ、大佐が余計なこと言うからだ。拾ったってなんだ拾ったって。
ってことは俺が主人?
……主人? 名前の? んなアホな。
「や、やっぱり無理! こいつがペットとか色々アウトだ!」
「アウトなのはお前の頭だ鋼の。落ち着け」
「お、おち、落ち着けじゃねえよ! 捨て猫ってこいつに何させる気だこの破廉恥野郎!」
「落ち着けと言っている。ちなみに男の脳内は皆破廉恥だ」
「うるせえ!」
「……兄さん落ち着きなよ」
「何でお前はいつもそんなに落ち着いてんだよ……!」
「自分よりパニックの人がいたら嫌でも落ち着いちゃうって。僕だってパニクってみたいよ」
「アアン!?」
「一々騒ぐな、馬鹿たれ。」
つまり、つまりだ。
まとめるとこういうことだろう。最近セントラルのあらゆる病院で、事件が発生している。名前のいる病院も時間の問題だと言われている。だから事件解決までの間、東方司令部での保護を受けることにした。
まあ理屈は分かる。俺だって病院に置いておくのは不安だし、東方司令部で保護するという判断はピカイチであることは事実だ。だけど何かが気にくわない。大佐に全てを決められているからだろうか。
「……で? 具体的には何をすればいいんだ」
「細かいところまで口出しをする気はないさ」
「んなこと言われても……」
「ここで寝泊りをするのも可能ではあるがオススメはしない。その点も含めて君達で決めてくれたまえ」
「……」
「生憎私は今から用事があるから席を外す。用件はそれだけだ」
そして大佐の背中はどんどん小さくなった。
残ったのは俺とアルと名前。さて、どうするんだこれ。
「とりあえず僕たちと一緒に来る?ここはオススメしないって大佐も言ってたし」
「あ、ああ……そうだな。俺たちのホテルで良かったら来いよ」
「いいの?」
「い、いいから言ってんだろ」
「……ありがと」
「それにしても物騒な事件だね。近くだし……ほんと気をつけてね」
「うううん……なんか実感湧かないな」
既に3人の足は俺たちのホテルに向かっていた。結局30分足らずで終わった呼び出しに何だか肩が重くなる。ああ、そういや俺たちの報告は何もできてねえじゃねえか。め、面倒くせえ。
「エド」
「あ?」
「眉間におじさんが」
「まだおじさんの歳じゃねえよ!」
「ち、違うよ。シワ……そんなにしかめっ面ばっかりしてたらそろそろ型つくよ」
「兄さんはこの顔がデフォルトだからね」
「何申し訳なさそうな声色で嘘ついてんだ!」
「そ、そっか……ごめん」
「お前も乗んな!」
まあどんな過程であれ、暫くは賑やかそうだ。 ←/
top