朧気な行方

 また真っ暗だった。
 今度は光を一切通さない、そんな遮断空間の中に私はいた。
 自分が果たして目を開けているのか立っているのかも分からない。唯一分かるのは、無尽の情報が強引に捩じ込まれる底抜けの苦しみだけだった。今まで生きてきた中で味わったことのない、想像を絶する苦痛が内側から徐々に広がっていく。無断で頭の中を踏み荒らされているような、刃物で絶え間なく突き刺されているような、息を吸い込むことすら憚られる感覚。いっそ意識を失った方が楽になれるのにと身体を掻き抱いた時、どこからか声が聞こえた。

「名前」

 私の名前を呼んでいる。そう気付いた瞬間、反射的に、咄嗟に手を伸ばした。けれど、でたらめに伸ばしたその手が何かに触れることはない。ただただ宙を切るだけの指先に纏りつく空気は氷のように冷たくて、まるで深海に沈められているみたいだ。

「これが、報いだから」

 何それ。報いって何の、分かるように言ってよ、それじゃあわかんないよ。
 痛いよ、苦しいよ。
 どうして私を置いていくの、待って、行かないで。
 そう願っても無常に世界は歪んでいく。
 やがて私を呼ぶ声も暗闇に呑み込まれた時、口からは湿った息が小刻みに漏れ、目の奥は熱く震えた。堰き止めていた栓が抜けたように溢れ出すそれを止める方法を、私は思い出せない。何度視界を区切り直しても暗闇であることは変わらないのに、見えない何かを求めて、私は嗚咽を上げて泣きじゃくっている。
 そして悟った。
 どうやら私は天国に来ることは出来なかったらしい。ということは、ここはきっと地獄なのだろう。叶わない願いをしてしまった私を苦しませるための、身の程知らずな私を知らしめるための、









「……い、起きろ!おい!」

 体を左右に揺さぶられて、暗闇に沈んでいた意識がゆっくりと目覚めていくのを感じた。うっすらと開いた瞳から映った世界は薄暗いにも関わらず、どうしようもなく眩しい。

「に、兄さん! 早く病院に連れていかなきゃ!」
「ああ、分かってる。おい、立て、る……わけねえか……だああーッアル! こいつを早く担いで病院まで走ってくれ!」

 まだ朦朧とする意識の中で自分でも無意識のうちに手探りで相手の服らしきものをギュッと掴む。弱々しい力しかこもらない手が忌々しくてたまらない。パタリ、音がした。

「おい!? どうしたんだよ? 聞こえねえのか!」
「兄さん!」
「……ッ分かってる」

 ガシャンガシャン。冷たく固いものに全身が包まれてる。その冷たさと耳に届く金属の音が妙に落ち着いて、

「出来るだけ全速力で走れ! 俺も後ろで走ってる」
「う、うん!」

 僅かに見えた世界は、やがて再び黒へと変わっていった。







 何かに誘導されるかのように、自然と目が開いた。
 淡く優しい光は寝起きの瞳にも大して影響は無く、何度か瞬きをして状況を整理してみる。ピッピッと規則的な機械音とツンと香る薬品の匂い、更には右腕へと繋がるチューブ。ポタリとパックに入った薬品から雫が落ちた。
 ここは……病院、なんだろうか。
 どういう経緯で、一体何があって私は病院なんていう場所で寝ているのだろう。モゾモゾと身体を動かして関節が痛むのを耐えながら上半身を起こし自分の身なりを確認すると、何故か制服だった。ますますわけが分からなくて、恐怖にも似た思いで両肩を抱く。……何で、何で私こんなところにいるの? 一度疑念を持ってしまったら、自分の腕に刺さっている針が酷く恐ろしく感じてギュッと目を閉じる。
 そんな時だった。
 追い討ちをかけるように複数の足音が聞こえる。こういう時に限って五感は敏感になってしまうらしい。だんだんと近づいてくる足音と共に呼吸も荒くなる。ついに扉に手をかける気配がして、ガラリと響く物音と同時に肩を抱く力が強まった。

 けれど、狭い室内に響いたのは「あ、目を覚ましたんだね! 兄さん早く! 目覚ましてるよー!」想像よりも高く幼い声だった。

 思っていた声と違う……怖く、ない?
 恐る恐る片目を開いて様子を確認してみと、入口の方に人影が1つ。鎧……?見慣れない格好に思わず目を見開くが、当の鎧は嬉しそうにガシャンガシャンと私の方へ歩んでくる。再び背筋が伸びて身体を硬直させると、それに気づいたらしい鎧が「あ、怪しい人じゃないです!」と両手を軽く上げた。

「……え、あの」
「体はもう大丈夫ですか? 先生がまだ暫く安静にしてた方が良いって言ってました」
「だ、いじょうぶです……ありがとうございます」

 軽く会釈のようなものをしながら、ゆっくりと差し出された手に自分の手を重ねる。ひんやりと感じた鉄の感触に、ふとどこかで同じような事があったような気がして思わず手を繋いだまま彼を凝視してしまった。

「どうかしましたか?」
「い、いえ……何でもないです」

 誤魔化すように微笑んで、パッと重なっっていた手を離す。悪い人じゃない、きっといい人だ。そうわかっているはずなのに、何故だろう。妙に、胸がざわついた。
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