エンターキーを探そうか
部屋の椅子に腰掛けて、何をするわけでもなくぼうっと時計の針が時を刻むのを眺めていた。何時間経ったのかは分からないが、明るかった外がじんわりと深い夜の色を滲ませるくらいの時刻が過ぎ去ったようで。
私はいつも通りにただぼうっとしていたのだけれど、無に等しい時間は不思議と苦じゃない。窓の外は紅樺色の空の下に、ポツポツとした丸い光が見え始めている。つまりそんな時間になっているってことだ。
チラリと横目でエドを見ると、数時間前と変わらない格好で窓際の椅子に腰掛け、熱心に本を読んでいた。身を小さくしているその近くには沢山の本が無造作に積まれていて、ちょんと指でつついただけで崩れ落ちてしまいそう。アルフォンス君は何か用事があるのか、先ほど部屋を出ていってしまっているし、今この空間で息をしているのはエドと私だけ。小さな二つの息遣いだけが夕刻としてはあまりにも静かすぎる部屋に響いている。
……電気つけてあげたほうがいいかな? 立ち上がって曲げていた腰を正すと少しだけ背筋が痛い。カチリとスイッチをonにし、上を見上げると少し時間を置いたあと、暗かった部屋の中は瞬く間に人工的な白い光に包まれ、エドの視線も本からゆっくりと天井に移っていく。
「あ、ごめん……気が散ることしちゃったかな」
「……今何時」
「え、っと……19時?」
「まじ?」
うん、まじだよ。
椅子に座り直しながら返事をすると、エドは唖然とした様子でぐるりと首を回して窓の外を見た。まさか自分でもこんなに時間が過ぎているとは思ってなかったようで、大きな目を丸くして本と私と窓を行ったり来たりさせている姿は子供みたいだ。
そしてすくっと立ち上がると、私を見つめて一言「……何してた?」と問いかける。その顔は苦く、少しだけ声も上ずっていた。ぼうっとしてただけだよ。気にしないで。気にさせてしまったのかもしれない、そう思って出来るだけ優しい声で言ってみる。
「そ、そっか」けれど、そう言って目線を逸らしたエドの顔はやっぱりぎこちない。
「わりぃ。俺没頭したら周りが見えなくなっちまうみたいで」
「本当に大丈夫ですよ」
「ぼうっとしてたって何時間ぼうっとしてたんだよ……」
「……ん、んー」
「はあ。とりあえず腹減った」
「もう夜ですしね」
「アルは?」
「結構前にフラッとどこかに出かけたっぽい」
「ったくどこ行ったんだあいつ。食べたいもんあるか?」
「え?」
「だから食べたいもの」
「え、あ、ない、けど」
「はあ〜? お前腹減ってねえの?」
「え、え」
「ガリガリなんだから自分からもっと食え! 太れ!」
「ど、どうしたの!?」
「……そんなガリガリだったらいつか風に飛ばされんぞ」
あまりにも真剣な顔をして言うものだから、飛ばされるわけないじゃないか、そう言って笑うのは何だか違う気がした。吸い込まれそうな金の瞳は力強く私を射抜いている。ど、どうしようか。謝るのもおかしいし、心配してくれてる……んだよね?
もごもごと言葉を選びきれないまま「そ、そうだね……」と、とりあえず同意してみる。エドの機嫌を伺うように見上げて言ったからか、エドもエドでハッとしたように「とりあえず食え!」とだけ口にして、右手が伸びてくる。容赦なく抓まれた頬に触れる感覚はヒンヤリとしていて硬い。人肌とは違うそれに目を凝らしてみれば、彼の肩から伸びるそれは、肌色ではなかった。心臓がどくりと鳴る。
「おお、まだムニムニは健全のようで」
「……」
「お?」
「……」
「な、ななな、どうしたんだよ」
「……」
「え!?」
「……そ、その」
「あ?」
「その、手、」
「!? え、あ、悪い!」
「いやそうじゃなくて。」
「……ああ、こっち?」
ヒンヤリとしたものが頬から離れていく。「機械鎧っつーんだよ」肩を回しながらエドはズボンも捲りあげた。無造作に捲りあげた裾から覗く足は、本来見えるはずの肌色じゃない。代わりに光沢のある義足があった。思わず息を飲む。言葉が出ない。こんなの失礼だ。何絶句してるの私。
「驚かせちまったか」
「え、ううん。そんなんじゃ、」
「……あ、そ、ういや! あそこ行こうぜ。上手いシチューの店」
「シチュー?」
「腹減ったし、ついでにアルも探すか」
「わ、私もいいんですか」
「? 逆に何で来ねえの」
「な、何でだろう」
「シチュー5皿は食え」
「5皿!?」
「腹がはち切れるまで食え」
「暴食……」
「とにかく! いいんだよ。大佐も言ってただろ。俺には責任がある。遠慮すんな」
「あ、ありがとう」
「どういたしまして。その敬語とタメ口が混ざりまくった喋り方もゆっくり直していこうぜ、ゆっくり」
機械鎧、その存在にきっと彼は触れて欲しくない。赤いコートを羽織直して、エドは玄関までスタスタと歩いていく。その背中は小さいのに酷く大きなものを背負っているように見えた。その背丈には似合わない、大きくて深くて、私には到底触れられないような大きなものを。
一瞬だけ内側から響くような形で頭が痛む。けどすぐに痛みは引いていった。なかなか動こうとしない私にエドは振り返って「早くしろよー」と促す。
「あ、うん、ごめん」
「ん」
「鍵……?」
「俺達暫くここに泊まるから。合鍵」
「え、いいよ。そんな大事なもの」
「あのなぁ。ずっとここに引きこもってるわけじゃねえだろ?」
「……」
「受け取れるもんは受け取っとけ」
「う、ん」
「うし」
ん、と差し出してくる鍵を受け取って小さく頭を下げる。彼の言葉に甘えてありがたく受け取っておこう。きっとこれは彼の心遣いだから。
「っし。行くか」
「……うん」
ギュッと鍵を握りしめて、ポケットにしまった。小さいそれは随分と重く感じて、スカートの中にあるのに存在感がある。部屋を出る寸前、積まれた本を見てふと思った。ああ、そういえば、ライは元気にしているだろうか。
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