明日のことも分かりませんので

 大佐に会いに行った。
 兄さんは研究書を読み解くことに集中していたし、名前さんを連れていくわけにもいかない。だったら報告ぐらい僕だけでいけると思った。再び戻ってきた僕に少なからず大佐やリザさん、その他東方司令部の方々は驚いていたけど決して邪険にするような空気じゃない。

「どうしたのアルフォンス君」コーヒーを淹れる手を止めてこちらに歩んでくる中尉に大佐に用があることを伝えると、大佐はクルリと椅子を回転させて僕を見た。

 今日は女の人と電話してないらしい。「どうしたアルフォンスー」と僕の名を呼ぶ声は、兄さんの言葉を借りるとすると、飄々として掴みどころのない声だ。
 この間書庫にいたときに突然入ってきた男のこと、見たことがない顔つきだったこと、若かったこと、僕たちの姿を確認すると逃げたこと要点をいくつか絞り出して、出来るだけ分かりやすく伝える。話しているうちに大佐の顔も真面目なものになっていき、中尉も眉間に皺を寄せて僕の言葉に耳を傾けていた。

「……なるほど、言いたいことは分かった」
「……あの、大佐」
「ああ、すぐにでも動く必要があるな」
「中尉」
「はい、分かっています」
「アルフォンス、報告感謝する」

 あ、この人もだ。
 仕事の顔になった大佐は、纏う空気までも一瞬で変えてしまう。途端に雰囲気を変える大佐は、ごく最近見た自分の兄によく似ていた。いつも喧嘩してるけど、似てるよ、2人共。大佐も兄さんも実力者なんだ、改めてそう思わせられる時がある。例えば今がその時。

 中尉は分厚いファイルをいくつか取り出して「アルフォンス君」と僕を手招きする。
 そこには顔写真と大量の文字が並んでいて、ハテナマークわ浮かべる僕に中尉は「名簿よ」と言う。なるほど、この名簿を使って特定するのか。

「ごめんなさい、面倒だとは思うけれど協力してくてるかしら」
「あ、はい。勿論です」
「ありがとう助かるわ」

 ファイルをペラリと捲り視線を走らせる。引き受けたのはいいけど、そういや兄さん達には何も言わずに出てきちゃったな。心配してたらどうしよう。まあ、本当に何か大事なことがあったらここに来るかな。うん、きっと大丈夫。そう思ってもう一度ファイルに視線を落とした。
 コツコツ、ガタン。いつの間にか大佐は司令部を出て行き、知らぬうちに窓の外の色合いは変わっている。ファイルはあと1冊というところまできたが、まだ記憶の中にいる男の顔は見当たらない。軍の人間じゃないだろうか、そんな考えが出始めた頃、中尉もちょうど同じことを思ったのか落ちてきた前髪を耳にかけて微笑む。

「アルフォンス君ありがとう」立ち上がった中尉は何か考えが思い浮かんだろう。意思を持った中尉の目はいつも凛としていてとても綺麗だ。

「こんな時間までごめんね。本当にありがとう」
「い、いえ! 役に立てたなら」
「気をつけて帰ってね。最近物騒だから」
「ありがとうございます、中尉も気をつけて」
「私はもう少し調べてから帰るわ。ありがとう」

 中尉に背を向けて東方司令部をあとにするけど、思った以上に時間は過ぎてしまっていたらしい。時刻を見れば19時を回っていて、僕がここに来たのが昼過ぎだから5時間は司令部に居座ってしまっている。もちろん兄さんや名前さんには何も連絡をしていないままだ。
 ま、まずいかも。さすがに時間が経ちすぎたかな。こういう時普通の体だったら冷や汗をかいたりするんだろう。けれどそんなはずもなく、僕は急いでホテルに向かって走った。ここからホテルまで確か結構な距離があったっけ。急がなくちゃ。
 行きしなの距離を思い出して嫌な気分になりながら、それでも半分地点ぐらいまで来たとき、ふと僕の名を呼ぶ声がして足を止めた。ガシャン、アスファルトと金属がぶつかる音がする。気のせいかな。ううん、違う。今の声は絶対間違いなんかじゃない。キョロキョロと辺りを見渡しながら声のした方へと顔を向ける。そして声の正体をした確認したと同時に思わず叫んでしまった。

「名前さん!?」

 見知ったお店のエントランスから小さく手を振っているのは確かに名前なのだ。ここのお店は……それに何でここに名前さんが? え、あれ、一人で出てきたの? え? いくつも浮かんでくる疑問は、奥からやってきた人物にとって全て解決される。ああ、良かった一人じゃなかった。兄さんが連れてきたのね。だったら良かった。ここのシチュー、兄さん好きだもんね。

 お腹を撫でてゲフゥ!と満足気な顔をして出てきた兄さんは、僕の姿を見るやいなや指をさしながら駆け寄ってくる。う、受け止めくれないから! そんな走ってこないで!

「アルーーー! お前どこ行ってたんだよ!」
「大佐のところだよ! わっ、危ない!」
「っと、大佐?」
「書庫の件、言ってきたよ」
「アル1人でか?」
「うん、出来るだけ早いほうがいいと思って。兄さんも集中してたし」
「そ、そうか悪いな。で、どうだった?」
「一応9割方の名簿は見たんだけど、やっぱり軍の人じゃないかもしれない。中尉と大佐が今調べてると思う」
「やっぱ怪しいと思ったんだよなあ」

 腕を組んだ兄さんは目を伏せてうーんと唸っている。その隣で僕たちの会話を静かに聞く名前さん。

「あ、ごめん名前さん! こんな話……」
「い、いやいや……! 全然いいよです。むしろ私が邪魔みたいなものですし!」
「い、いいよです……?」
「ほっといてやれアル、今試行錯誤してる途中だから」
「試行錯誤?」
「ほ、ほんと気にしないでさい!」
「気にしないでさい!? いや、気にするけど!?」
「ほっといてやれって」
「だから何の試行錯誤!?」
「そんなに追求しなくてもいいだろ〜? 全くも〜」
「兄さんに言われたくないよ!」
「す、すみません私のせいで……!」
「名前さんのせいじゃないよ」
「……ま、アルも見つかったことだし帰るか」
「うん、そうだね」
「ほら、名前も帰るぞ」
「う、うん」

 兄さんと名前さんの距離は思ったよりも速いスピードで縮まっているらしい。時折兄さんが名前さんを小突いたりしながら並んで歩く姿はとても仲睦まじく、微笑ましい。
 そんな2人を後ろから眺める僕、お店から広がる光のせいで、薄く不格好な影が伸びている。なんだかあの二人の間に入るのにちょっとだけ気が乗らなかった。何でだろ、ちょっとだけ羨ましい。そんな時だ。

「アルフォンス君!」僕を呼ぶのは、先ほどと同じ声。顔を上げると振り向いた兄さんと名前さんが僕を待っていた。

 ……ああ、なんだ勘違いだったみたいだ。急がないと。二人が待ってる。
 ガシャンガシャン、あっという間にやってきた夜の下、響く僕の鎧の音。それは何かのカウントダウンのようにも聞こえた。
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